つれづれに

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 今日のYoutube

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今日は、シネマの日。 邦画でも観てこようか?

 リオのカーニバルとか、コパカパーナの海岸をみると、
何か、くそまじめな日本人が馬鹿みたいに感じる。性格と
気候と地勢が、性格まで決めるのは、現地に行くとよく分かる。
 そのオリンピックも、来年、開催されるが、大丈夫だろうか。
日本にとって、逆に、良さが目立つことになる。

現在のブログは、デジカメが進化高性能化しているので、
20年近く前に行った先を綺麗に再現してくれる。当時の
フィルム写真ではカメラの性能を含めて、こんなショットを
写し出すことは不可能である。しかし、現場は、こんなもの!
 ネットサーフィンは、お陰で、飽きることはない!
行っていればこそである。



・・・・・・・
2170, 「日の名残り」ー 2   読書日記
2007年03月13日(火)

       (~Q~;) おはよう~~ ファ~

    最後にある丸谷才一の解説の中の、ある一節がよい。
     彼をしてこれだけの解説をさせるのだから、
    カズオ・イシグロの作家のレベルを窺い知ることができる。
 
   ーまずは、その解説の一節を抜粋してみるー

ヘーゲルの名文句に「従僕の眼に英雄なし」あるが、
ヘーゲルは、「それは英雄が英雄でなく従僕が従僕だからだ」と言い添える。
服を着せたら長靴をぬがせたり、身のまわりを世話してくれる卑小な男にかかると、
どんな歴史的人物も偉大なところが見えなくなる。
欠点しか目につかない、というわけだ。そういう理屈で押し切ることで、
ヘーゲルは彼の歴史哲学を構築した。そうしてたいていの歴史小説は、
英雄を従僕の眼で見る手法と、英雄崇拝的な民衆の眼で見る態度とをまざあわせる
手法で成り立っている。ー 
 ーー
 
 この文章を読むまでは「英雄の私生活はその偉業を除けば普通の人と何ら変わらない」
という解釈で、従僕の卑小な眼の限界というヘーゲルの隠された意味を初めて知った。
最近、「そうだったのか!」と、知らなかったことがあまりに多い。
良く解釈すれば、知識が増えた分だけ周辺の知らないことに気づいたということになるが。
そんなレベルには、まったくないことは自分がいちばん知っている。
     
    またいかにもイギリス的なところが書いてある
    一節を紹介してみよう。
    断片からみる文化も興味をひかれる。
  
    ーー私どもの世代にとりましては、執事としての職業的威信が
   雇主の人間的価値の大きさに 比例して決まってくると言って過言ではありません。
   ・・・  父の世代の執事は、世界を「はしご」に見立てていたと存じます。
   いちばん上には、王室や公爵家をはじめとする、古い家系を誇る家々があります。
   やや下がったところに、「新興階級」が位置し、サラにずーと下がってある位置を
   越えると、 あとは単純に財産の多寡で上下関係が決まります。
   多少とも野心のある執事は、このはしごをできるだけ高くまで上ろうとしましたし、
    一般的には、高く上るほど、その職業的威信も増したと言えましょう。
   もちろん、ヘイズ協会の言う「名家」の背後には、
    こうした価値観が隠されていたのです。
   ・・・ 私どもの世代では、この世界を「はしご」ではなく「車輪」に見立てていました。
   それは、偉大なお屋敷を中心に回転する車輪なのです。
   中心で下された決定が順次外側に放射され、いずれ、
   周辺で回転しているすべてにー 貧にも富にもーいきわたります。
   職業的野心を少しでも持つ執事なら、誰でも車輪の中心を望み、
   そこへできるだけ近づきたいと願ったでしょう。
   ・・・・(中略)

ーー執事になりたての頃は、私も雇主から雇主へ頻繁に移動いたしました。
それは、最終的にダーリントン卿に巡りあう幸運に恵まれるまで、
そのときどきの地位から永続的な満足を得られなかったからにほかなりません。
召使部屋の火を囲んで「偉大さ」の何たることかを語り合った当時、
ミスター・グレーアム、私も、この問題にこのような側面があろうとは
思いもつきませんでした。ーー

    ーーーー
    この本を読んでいて、イングランドに行きたくなった。
    学生時代に行ったイングランドの印象は良くなかった。
    プライドだけ高く、昔の威光がもの悲しそうに光っている国。
    もう二度と来たくない、というイメージがあった。
     しかしその時、イギリスは数年いると深い魅力に圧倒されるとも聞いた。
    
    面白いもので、一昨年に北イタリアに同行した人から
    イングランドの旅の誘いの手紙が来た、さてどうするか。
    友人の息子がアイルランドに留学に行っているので、
    二人で夏に訪ねていこうかと、先日酒を飲んで盛り上がったが、
    どういうものか?北イタリアの人に今日明日に手紙を出さないと!

    この本を読んで感じ取ったことは、国の品格ということだろう。
    
    この礎は世界中の植民地から奪略をしてきた富から成り立っている
    ことも事実である。
      突き詰めれば、どう考えるか?である。

                 ヾ(●´∀`●)  バイ!        
・・・・・・・・
2006年03月13日(月)
1805, おひとりさまー3
          (○´∪`●)φ...【ォハョゥゴザィマス】

「おひとりさま」について、二回書いてきたが、
この言葉を流行らせた原本の、
岩下久美子の「おひとりさま」は読んでなかった。

    ところが先日図書館で、この本を見つけて読んでみた。
    自立した女性というより、自立した人間について書いてある。
    私のような「ひとりさま」のプロ?は、 今さらの内容だが。

組織に組み込まれている人に自立した行動に苦手な人が多い。
共通の目的を持って分業をしているので、お互いの連携が前提になる。
群れる傾向の強い女性に、この本は良い教訓になる。
一人で行動するのは若い女性にとってまだまだ制限がある。
一人では出来ないことが二人だったら出来ることを女性は知っている。

   「おひとりさま」という言葉が広く受けられるようになったのは、
    時代の要請があるからだ。

この本で面白いのは、「パラサイト・ラブ」という言葉である。
携帯電話がパラサイトを助長させたのだろうが、
愛情寄生虫とは良くいったものだ。

    ひとりー孤独ーを愛せない人間が、お互いを愛せるわけがない。
    ひとりの時間をキチっと持てない人間が、
    二人の時間を維持できるわけがない。

自立してない人は、相手の自立が理解出来ないので適度の距離を保てない。
だから、人間関係が短期的になってしまう。
相手に気持がいってしまうので、気持ちが不安定になってしまう。

    情報化の時代である。
   「自分は、こうである!」という『個』を確立しておけば、
    そしてブログなどに主張しておけば、
    会うべき人との出会いのチャンスは幾らでもある。
           ((o(´・з・`)グッ。・:*:・゚☆w(´・з・`)バァイ
・・・・・・・
2005年03月13日(日)
1440, 閑話小題ーつれづれに

ライブドア問題ー

ライブドアとフジTVの日本放送株の新株予約権発行を巡っての
地裁の発行差し止めの仮処分申請は、ライブドアの言い分が認められた。
フジと日本放送の経営者の保身のための「奥の手」でしかないのは、自明のこと。
フジのトップがあの程度ということがハッキリしたのが第一の収穫。
いろいろな問題があるのだろうが、それだけでも堀江の今回の問題提示はよかった。

それにしても、なんじゃいあのフジの連中!判決が不利になると、
急に低姿勢に変身しだした。 時代の変化と金融のことが解ってない。
多くの解説者が「あのフジの??」と論をはるだろう。
あくまでも結果を待って言っているに過ぎない。

ードロドロした話ー

数年前のことだが、「慶応の在学中に、会計士の試験に合格をした男がいる」という
知人の話を聞いて、「是非面白そうなので会わせて欲しい」と頼んで、会った人がいた。
大学と、(会計士になるための)専門学校に同時に通ったという。
話していて、目から鼻に抜けるような頭の切れる人で、
地方では珍しい人というのが印象的だった。

しかし、人生の一番大事な時期に全く社会から隔離されたいた左脳人間にも思えた。
でも、こういう人のほうが、痴呆名士様よりズットまともであるが。
痴呆迷死的な要素は一年もあれば、いや一週間もあれば飾り立てることができる。

税理事務所の二代目で、会った時は親父の会社に入社したての頃であった。
「親父も、事務所の人たちも大変でしょう?」と聞くと、
「そのとおりで困っている」との返事であった。

たまたま、アニメの「「千と千尋の神隠し」」が話題になっていた時で、
「あの大きな赤ちゃんに類推できるのでは?」というと、本人も
「全くそのとおり」と納得していた。

ところが2~3日前のこと、新潟日報の三面を見て驚いてしまった。
親子して逮捕されたとの報道。
病院乗っ取り事件で、複雑なドロドロした事件のようだ。
補助金詐欺というが、「せっかく貰えるものなら」という気持ちも解らないでもない。

それだけ補助金とはいい加減なものでしかない。
政権を保持している政党が圧力業界と組んだ??の要素が強い。
その方が問題である。

ー「NHKのど自慢チャンピオン大会」-

昨夜、「NHKのど自慢チャンピオン大会」を見た。
16組がグランドチャンピオンを目指して熱唱したが、
ある女性をうたう前に家内に、
「歌う前だが、この娘が間違いなく優勝するだろう!」と、いったら、
その予言どおり優勝をした。
もしかしたら、彼女の歌を偶然聞いていた可能性があるが、
ホボのど自慢は見ていないので、見ていない。
見た瞬間、光る何かを感じただけなのだが。

ー今日の「閑話小題」は、
閑話休題」をもじったものであるー

・・・・・・・
2004年03月13日(土)
1074, ホテル・レストラン・ショー (2)

ユビキタス(隠れたコンピュータ)を利用した調理器具や健康器具などが
目立っていた。その一つが電子調理機器である。
IH式の焼肉機器も、その一つであった。
焼肉屋といえば多大な設備投資が掛かる、個々のテーブルに換気機能が必要だからだ。
それがHI方式で、換気設備が必要なくなり手軽に、焼肉コーナーや焼肉店
出せるようになるという。

また製麺機や小型餃子製造機やパン焼き機とか、職人(経験)の分野への
ハイテクによる代替えが進んでいるようだ。
中国に生産基地を置いて、内装工事や家具を現地で生産して、短期間でコンテナで
送り届ける会社があった。紳士服の一部が数年前から行っていたようだが、建設の
分野まで中国現地生産が出てはじめた一例である。
大よそ国内の3割~半分の価格をうたい文句にしていた。

他に目立っていたものに、インターネットカフェがあった。
漫画喫茶がいち早くインターネットやゲームを取り入れて新しい業態を
つくりあげていた。若者を中心に社会的認知を得てきてるようだ。
インターネットカフェが出来ると、近くのビジネスホテルの客が激減するという。
個別に仕切られたボックスのリクライニングの椅子で、千円~2千円で一晩過ごせる。
これにシャワールームでもあれば、別にホテルで寝る必要もないのだ。
カプセル・Hから、更により小さなスペースで済ます流れになってきているのか。

・・・・・・
2003年03月13日(木)
708, シンプルー単純の勧め

「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを愉快に」というが、
「難しいことをシンプルに」とも言い換えることができる。
何事もまずはシンプルにである。
チェーン理論の基本は「シンプルに、それをスタンダードにしつづければ、
スペシャルになっていく」である。「スペシャルをスタンダードにしていけば、
シンプルになる」ともいえるが。

 デジタルは10進法を0・1の二進法に置き換えたところから出発している。
アメリカの大統領だったレーガンは全ての問題をー「テーマとそれに対して
3分類、それを3分類、さらに3分類と27分類にした報告書を出させて、
それに従い判断していた」という。 この分類こそスタッフの最重要な仕事である。

 自分の生き方をはっきり決めておけば、自然とシンプルになっていく。
それに遵って生きていけば、判断と決断は簡単になる。
複雑になっていくのは、自分のルールや生き方が確立されないからだ。
自分で判断をする主体性があれば、全てがシンプルになっていく。
私の場合は早いうちに創業をしたのが最大のメリットであった。
正しいかどうかは別として、とりあえず主体的に判断せざるをえなかったからだ。

「最期は独り」ということを常に自覚していれば、シンプルに生きられる。
複雑に考える必要もないし、悩みも最小になる。
何事も単純に単純に単純に考えれていけばよい。
画家の山下清などは、それがプラスに働いたのだろう。
シンプルということは、ABC分析でいうAに絞る事でもある。
エネルギーの集中ということだ。

・・・・・・
2002年03月13日
旅行中につき書き込みなし

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ーお笑い「逆もあり」

アインシュタインにある女優が言い寄った。
「貴方の素晴らしい脳と私の豊満な肉体が結婚すれば
             素晴らしい子ができるわ!」
アインシュタイン
「もし貴女の脳と私の貧弱の体の子が
               できたらどうするのですか」