* 情報端末と、ソロモンの指輪     <つまずき>の事典> 中村邦生編著
40年近い事業生活の中で、人に縛られることを嫌い、心の自由を大事にしてきた。ところが、振り返ってみると、
自分でつくりあげた思い込みに、勝手に雁字搦めになっていたようだ。このところ、パソコンやデジカメ、テレビの機能が
飛躍的にアップ。知識、情報という点では、非常に自由になって、面白く、楽しい反面、自由の持つ危険が発生してきた。 
この「ソロモンの指輪」が、まさに情報機器とネット。 ー以下の内容が、それを暗示しているー
【 ソロモンの指輪とは、その指輪を持つ者は、あらゆる動物・植物と会話することができると言われる魔法の指輪。
 ソロモンとは、古代イスラエルの富と知恵にすぐれた王であり、誰よりも賢く、どんな難問でも解決したといわれる。
 ソロモン王は、名誉や財を求めず、知恵のみを求めたたため、神が褒美として神の名前を彫った指輪をさずけたとされる。
 その指輪は知恵のみでなく、他のすべての力の源になった。ソロモン王は、その指輪の力、動物や植物たちと話をし、
 悪霊たちを秘法をもちいて操り、平和に導いたとされます。神の守護によって守られた指輪の力が絶大だった。】
▼ スマートフォンタブレットPCこそ「現代のソロモンの指輪」。格差の源になる情報が大衆に行き渡り、誰でも平等に
 入手できるようになったが、問題は、一つ(指輪)だけでなく、大方の人たちに入手可能になったこと。 検索で、
あらゆる知識と知恵が、簡単に現出するのだから、人間が道具を持って以来の20万年来の大革命!も、過言でない。
そのパソコンの進化もとどまることがない。最近、ローンだが、新しいパソコンを入れたが、その段差に戸惑っている。
6年来なら当然だが。よりコンビニエンスになっている。これにiPadがあれば、隙間時間を手軽に楽しめる。
その点、世界中の多くの人たちが、ソロモン王になった。とにかく、日々が面白い! 
 豊かさの定義は「心配しないで済む金と、自由の時間と、健康と、少々の教養があること」だが、それが持てないから
苦労する! ソロモンの指輪というより、首輪にならなければよいが・・・ シネマも、自転車、TV、タブレット
時計、台所、車、何もかもがユビキタスで成り立っており、その恩恵を受けているが、マイナスも蓄積している。
ただし、ご隠居生活の身には、素晴らしい指輪である。
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4379, 「世間」の捨て方  ー2
2013年03月13日(水)                
   * 世間の奴隷が発する、二つの質問     ー「世間」の捨て方 ー ひろ さちや (著)
≪ 聖徳太子は、「この世の中は何なんだ?」の疑問に、「世間虚仮、唯仏是真」と答えている。
この虚仮は、「自分をコケにしやがって」の虚仮である。早い話、私たちの生きている世間は「嘘偽り」ということ。・・・
その嘘偽りの中で、人間は、つい「生きがいとは何か」「どうすれば幸せになれるか」と、自問自答する。そういうことを考えて
生きること自体、世間の奴隷になっている証拠。それらを考えることは、自分で手枷、足枷をはめて奴隷になっている。
そういった物差しなど捨てて、もっと自分らしさを求めようではないか。世間の中で生きているには、それらから逃れることは
出来ませんが、幸か不幸か、今の日本も滅亡までのカウントダウンが始まった。出世間には最適のタイミング。少しずつでも、
世間のしがらみから、抜け出すときである。お釈迦様は、「自灯明、法灯明」と説いている。これは自分自身を灯明にしなさい、
ということ。それより、「世間のどれいになってはいけない」ということ。 ≫
 ▼ 世間の奴隷の優等生になるなら「孔子」を、奴隷から逃れるには「老子」を、その中庸なら「孟子」に従えばよい。
  それから超越するに仏の教えを灯明にすればよい。世間という言葉には、「現象にドップリ浸かった考えない人たち」という
  意味がある。その感覚世界だけの幸せと生きがいを求めるの人たちを、著者は世間の奴隷という。趣味など自分の世界を持って、
  そこに生きていれば、そこに身近な7〜8人の人を立ち入れないことだ。その趣味の世界にも、世間がある。
  したがって、孤独の世界をつくっておかなければならない。孤独の世界は、求道の中にある。「学び、遊び、働き」の
  それぞれの場面で、個として守らなければならない。それが出来ない人たちが世間の奴隷になる。生きがい、幸福を自問自答
  するのは、それはそれでよい。問題はとらわれないこと。「進歩したい、向上したい」という気持ちも、考えてみれば、
  世間向けの気持ち。とにもかくにも面白く、楽しくなければならない。最期に、「ああ、面白かった!」と言えればよい。
  新潟駅前の事業を総括して一つ言える、「ああ、面白かった!」。本心である。それだけでない、事業の創業を決心してから、
  現在に至るまで、本当に面白かった。 咽喉ぼと過ぎればだが・・ そうこう考えると、感謝、感激、感動こそ人生である。
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4005, 宇宙は本当にひとつなのか ー7
2012年03月13日(火)
  * 人間原理とは        「宇宙は本当にひとつなのか」 村山斉著
【 この宇宙の物理法則を見なおして見ると、人間が出現するための条件がそろうようにできているのです。
 例えば、暗黒物質があるおかげで、星や銀河が生まれましたし、量子力学の法則の存在するおかげで、原子が潰れずに存在でき、
私たちの体も壊れずにすんでいます。また、私たちの世界は三次元空間が大きく広がっていて、それ以上の次元はとても
小さなっていると考えられている。空間が三次元に広がっているお陰で太陽系が存在できています。太陽系は、八つの惑星をはじめ、
たくさんの天体が太陽の周りをグルグルと回っています。もし、大きく広がっている空間が四次元以上だったとしたら、太陽の周りを
回るたびに少しずつずれてしまい、同じところをグルグルと回ることができなくなります。一方大きい空間が二次元しかないと、
DNAのこ重らせん構造をつくることができません。生物が存在できるかどうか怪しいものです。・・・
 そのようなことを一つ一つ考えていくと、この宇宙はうまくできすぎているのです。たくさんの条件をもった
宇宙がランダムにつくられていったと考えるにはできすぎているというところから考えられたのが、人間原理です。
 人間原理によると、人間が存在できるように宇宙の条件がそろえられているのは、ある意味で当たり前のことなのです。
宇宙のことを観測するのは人間です。人間が存在できる条件を満たしていないと、人間が生まれません。人間が生まれないということは、
観測されないわけなので存在しない、もしくは存在しないのと同じです。たくさん生まれた宇宙の中で、ごく稀に条件がそろった宇宙に
人間が生まれ、そのような特殊な宇宙だけが科学の対象になり、私たちが見ることができるという理論になっています。・・・ 
 自然法則やその中に含まれる物理定数は、人間のような高度な生命を生み出すのに丁度適した構造になっている。 
これはファイン・チューニングと呼ばれる。人間原理は、このファインチューニングという現象に対する説明を与える。
宇宙の自然法則と物理定数が生命の存在を許す絶妙なバランスを取っている事の理由を説明する議論には、他に、知的な存在を仮定する
宗教的な立場として創造論あるいはインテリジェント・デザインがある。 それに対して、人間原理は超越的な存在を仮定しない
自然主義的なアプローチである。 】
 ▼ 人間原理の「人間が現に存在をして認識するから宇宙が存在をする」は、カントの対象に対する認知の貼り付けの認識論に似ている。
  宇宙の広ろがりを知るほど、人間の存在と知能の不思議さを改めて思うことになる。「丁度良い」が、我々人間にも、
  住んでいる環境にも言えること。それを再確認するに、「ありがとう」を口癖にするのがベストになる。宇宙論も、最後は精神論か。
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3,639、大地震 ーつれづれに ー2
2011年03月13日(日)
 今回の地震の被害地・三陸地区はリアス式の入り組んだ海岸のため津波を増幅させ、被害を大きくした。
1896年の「明治三陸地震」は津波高さ 38メートル、死者不明者が2万2千人が出た。その37年後の1933年の「昭和三陸地震
では、高さ28メートル−死者不明3千人、M8・1であった。 今度の津波は7メートルだが、津波の広がりは格段に大きいもの。
名称は本来は「平成三陸地震」が妥当だろうが、広範囲から最も頻繁に使われているのが「東日本大震災」。
しかし「東北地方太平洋沖地震」と名称されたようだ。 インド洋の大津波をビデオで何度かみたが、それに似た大津波
日本でみようとは思ってもいなかった。色々な映像をYoutubeなどで見るにつけ、巨大津波に驚きざるを得ない。 
今回の地震は、北海道から九州までにわたっており、広範囲が特徴的である。 その中で首都東京に津波が発生しなかったことが、
不幸中の幸い。もし海水が流入したら国家機能が大きく麻痺をするになる。東京都内は地下鉄が網羅しており移動が非常に便利である。
それが浸水したら都民の足は大きく損なわれる。 関東・東海大地震も遠くない将来、必ず起こるといわれている。
それにしても、大津波の映像の迫力には驚かされた。釜石に押しよせた大津波の海水の流入や、広範囲の津波が海岸線を
飲み込んでいく場面には息をのんでしまうほど。 地震から発生した大津波、市街地や住宅地の火災、石油基地のタンク火災、
原発放射能漏れなど、全ての問題が噴出してしまった。 特に、原発の爆発と放射能漏れという大問題が生じたが、
この数日は目を離せないことになった。世界のマスコミにとって、これほど映像として引き付けらるネタはない。
それがリアルタイムに世界に流されるのだから、日本の株、国債、円にとって大打撃になる。明日開かれる市場によっては、
本格的恐慌に入る可能性がある。弱り目に祟り目の循環が始るのだろうか? 土木・建設業界にとっては神風になるが、
日本経済には大打撃になる。
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3274, ビックカメラの店頭は今!
 2010年03月13日(土)
 大型家電チェーンの店頭は時代の世相をそのまま現す。新潟駅新幹線出口の近くに位置して今まで10年以上あった
「ヨドバシ・カメラ」がある。 同じ駅中に競合の「ビック・カメラ」がオープンして一年になる。
ヨドバシカメラ」は、これまで数年ごとに思い切ったレイアウトの変更をしてきた。 それを見ていると、
その時どきの時代の流れが見て取れた。携帯電話、デジカメ、パソコン、薄型TVの位置関係と種類と量だが。
 ビックカメラの店頭は、ある意味で駅周辺では現時点では一番ホットなところ。 で、店頭をみると、向かって
一番左側に携帯があり、中央に入って直ぐにモバイルパソコンが10種類以上展示してある。店のメインになる位置である。
そして、その後ろに最新の薄型TVが並んでいる。両方とも、売り場の至近距離にあり、「これが現在のパソコンや
薄型TVのホット商品ですよ」という紹介である。モバイルパソコンは、小さくて何処へでも移動しやすい。 
これだったら、常に持ち歩きが可能である。 各メーカーはiPadを意識しているようだ。 で、ドチラ?といえば、
やはりiPadを選択する。モバイルパソコンに、ツイッターが組み合わさって、この数年で世の中を一変するはず。
他のメーカーも似たような商品を出すだろうが、iPhone、iPodになれた客はiPadを選択する。
私も会社も、自宅もMacのパソコン。さらに、携帯もiPone、音楽もiPod。 立派なMacFanである。
 情報化の更なるウネリはマスマス大きくなるばかり。その元は、すべてアメリカ発である。ところでMacが
デジカメに興味を示したら、どんなカメラを創ってくるのだろう。今のところカメラやビデオを一つの機能としてしか
見てないが、思わない切り口があるはず。で、新聞をみていたら、デジカメの裏面が全てiPhoneのような
画面でタッチパネルの新商品の紹介記事があった。見るからに面白そうである。 家電の店内は夢があってよい。
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2899, イオンの誤算
2009年03月13日(金)
イオンには大学を卒業直後、ジャスコの創業期に一年在社したことがある。まだジャスコ・オカダヤという名前で、
三社合併の一期生。僅か一年でも全エネルギーをようした記憶がある。その後のジャスコの躍進は目を見張るものがあったが、
地方の郊外型SCに全エネルギーを傾けたことと合併が最大の戦略ポイントであった。辞めた直後に三菱商事と組んで
ダイヤモンド・シティを設立したのを憶えている。その7〜8年後に長岡に立ち寄った元同僚の話によると、
「SCが大当たりで、テナント料だけで元が充分とれ本体の出店はイニシャルコストも、ランニングコストも零になる」という。
  (字数制限のためカット 2011年3月13日)
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2535, 今年のフランチャイズ・ショーの感想
2008年03月13日(木)            ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよ?♪
二年ぶりにホテル・レストランショーと、フランチャイズショーを見てきた。
晴海に出来たビッグサイトで毎年開かれているが、30年来毎年行っていたが、この数年は隔年にしている。
おおよそ大会場を二回周る。 一度目は大雑把に見て周り、二周り目は気になったところに行く。もともと店舗ショーと、
一緒に行われていたが数年前から分離、開催されるようになった。ただ不景気のためか、年々勢いがなくなっている。  
 ー今回、面白いと思ったのを挙げてみると、
*木製のカプセルホテルのベッドである。
 家具屋が忠実に防音をテーマにして作ったもの。ホテルのテナントが撤退したあとに狙いを付け提案型にしたのがポイント。 
 当方にぴったりだが、少し値段が高いのが玉に瑕だが、木製のカプセル内は寝ていても 抵抗感が無いのがよい。 
 何か押入れの中で寝ているような感覚になる。 しかし木工団地の家具屋に行って特別仕様でつくれるレベルである。
 だから提案型にしなければ、誰もが自分で家具屋と組んで作るだろう。
*次に面白いのが電子レンジ・炊飯器。
 (字数制限のためカット 2012年3月13日)
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2007年03月13日(火)
2170, 「日の名残り」ー 2   読書日記
       (~Q~;) おはよう?? ファ?
最後にある丸谷才一の解説の中の、ある一節がよい。
彼をしてこれだけの解説をさせるのだから、カズオ・イシグロの作家のレベルを窺い知ることができる。
 ーまずは、その解説の一節を抜粋してみるー
ヘーゲルの名文句に「従僕の眼に英雄なし」あるが、ヘーゲルは、「それは英雄が英雄でなく従僕が従僕だからだ」
と言い添える。服を着せたら長靴をぬがせたり、身のまわりを世話してくれる卑小な男にかかると、
どんな歴史的人物も偉大なところが見えなくなる。欠点しか目につかない、というわけだ。
そういう理屈で押し切ることで、ヘーゲルは彼の歴史哲学を構築した。そうしてたいていの歴史小説は、
英雄を従僕の眼で見る手法と、英雄崇拝的な民衆の眼で見る態度とをまざあわせる手法で成り立っている。ー 
▼ この文章を読むまでは「英雄の私生活はその偉業を除けば普通の人と何ら変わらない」という解釈で、従僕の卑小な眼の
限界というヘーゲルの隠された意味を初めて知った。最近、「そうだったのか!」と、知らなかったことがあまりに多い。
良く解釈すれば、知識が増えた分だけ周辺の知らないことに気づいたということになるが。 そんなレベルには、まったくないことは
自分がいちばん知っている。またいかにもイギリス的なところが書いてある一節を紹介してみよう。断片からみる文化も興味をひかれる。
≪ ー私どもの世代にとりましては、執事としての職業的威信が雇主の人間的価値の大きさに比例して決まってくると言って
過言ではありません。 ・・・ 父の世代の執事は、世界を「はしご」に見立てていたと存じます。 いちばん上には、王室や
公爵家をはじめとする、古い家系を誇る家々があります。やや下がったところに、「新興階級」が位置し、サラにずーと下がってある
位置を越えると、あとは単純に財産の多寡で上下関係が決まります。 多少とも野心のある執事は、このはしごをできるだけ高くまで
上ろうとしましたし、一般的には、高く上るほど、その職業的威信も増したと言えましょう。 もちろん、ヘイズ協会の言う「名家」の
背後には、こうした価値観が隠されていたのです。・・・私どもの世代では、この世界を「はしご」ではなく「車輪」に見立てていました。
それは、偉大なお屋敷を中心に回転する車輪なのです。中心で下された決定が順次外側に放射され、いずれ、周辺で回転している
すべてにー 貧にも富にもーいきわたります。職業的野心を少しでも持つ執事なら、誰でも車輪の中心を望み、そこへできるだけ
近づきたいと願ったでしょう。 ・・・・(中略) ー執事になりたての頃は、私も雇主から雇主へ頻繁に移動いたしました。
それは最終的にダーリントン卿に巡りあう幸運に恵まれるまで、その時どきの地位から永続的な満足を得られなかったからに他なりません。
召使部屋の火を囲んで「偉大さ」の何たることかを語り合った当時、ミスター・グレーアム、
私も、この問題にこのような側面があろうとは思いもつきませんでした。ーー
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この本を読んでいて、イングランドに行きたくなった。学生時代に行ったイングランドの印象は良くなかった。
プライドだけ高く、昔の威光がもの悲しそうに光っている国。もう二度と来たくない、というイメージがあった。
しかしその時、イギリスは数年いると深い魅力に圧倒されるとも聞いた。 面白いもので、一昨年に北イタリアに同行した人から
イングランドの旅の誘いの手紙が来た、さてどうするか。友人の息子がアイルランドに留学に行っているので、
二人で夏に訪ねていこうかと、先日酒を飲んで盛り上がったが、どういうものか?北イタリアの人に今日明日に手紙を出さないと!
この本を読んで感じ取ったことは、国の品格ということだろう。 この礎は世界中の植民地から奪略をしてきた富から
成り立っていることも事実である。突き詰めれば、どう考えるか?である。        ヾ(●´∀`●)  バイ!        
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2006年03月13日(月)
1805, おひとりさまー3       (○´∪`●)φ...【ォハョゥゴザィマス】
「おひとりさま」について、二回書いてきたが、この言葉を流行らせた原本の、岩下久美子の「おひとりさま」は読んでなかった。
ところが先日図書館で、この本を見つけて読んでみた。自立した女性というより、自立した人間について書いてある。
私のような「ひとりさま」のプロ?は今さらの内容だが。組織に組み込まれている人に自立した行動に苦手な人が多い。
共通の目的を持って分業をしているので、お互いの連携が前提になる。群れる傾向の強い女性に、この本は良い教訓になる。
一人で行動するのは若い女性にとってまだまだ制限がある。一人では出来ないことが二人だったら出来ることを女性は知っている。
「おひとりさま」という言葉が広く受けられるようになったのは、時代の要請があるからだ。この本で面白いのは、
「パラサイト・ラブ」という言葉である。携帯電話がパラサイトを助長させたのだろうが、愛情寄生虫とは良くいったものだ。
ひとりー孤独ーを愛せない人間が、お互いを愛せるわけがない。ひとりの時間をキチっと持てない人間が、二人の時間を
維持できるわけがない。自立してない人は、相手の自立が理解出来ないので適度の距離を保てない。
情報化の時代である。「自分は、こうである!」という『個』を確立しておけば、そしてブログなどに主張しておけば、
会うべき人との出会いのチャンスは幾らでもある。    ((o(´・з・`)グッ。・:*:・゚☆w(´・з・`)バァイ
・・・・・・・
2005年03月13日(日)
1440, 閑話小題ーつれづれに
 ーライブドア問題ー
ライブドアとフジTVの日本放送株の新株予約権発行を巡っての地裁の発行差し止めの仮処分申請は、ライブドアの言い分が
認められた。フジと日本放送の経営者の保身のための「奥の手」でしかないのは、自明のこと。フジのトップがあの程度と
いうことがハッキリしたのが第一の収穫。いろいろな問題があるのだろうが、それだけでも堀江の今回の問題提示はよかった。
それにしても、なんじゃいあのフジの連中!判決が不利になると急に低姿勢に変身しだした。時代の変化と金融が解ってない。
多くの解説者が「あのフジの??」と論をはるだろう。あくまでも結果を待って言っているに過ぎない。
 ードロドロした話ー
数年前のことだが、「慶応の在学中に、会計士の試験に合格をした男がいる」という知人の話を聞いて、
「是非面白そうなので会わせて欲しい」と頼んで、会った人がいた。大学と(会計士になるための)専門学校に同時に通ったという。
話していて、目から鼻に抜けるような頭の切れる人で、地方では珍しい人というのが印象的だった。
しかし人生の一番大事な時期に全く社会から隔離されたいた左脳人間にも思えた。でも、こういう人のほうが、痴呆名士様より
ズットまともであるが。痴呆迷死的な要素は一年もあれば、いや一週間もあれば飾り立てることができる。
  (字数制限のためカット 2012年3月13日)
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2004年03月13日(土)
1074, ホテル・レストラン・ショー (2)
ユビキタス(隠れたコンピュータ)を利用した調理器具や健康器具などが目立っていた。その一つが電子調理機器である。
 (字数制限のためカット 2013年3月13日)
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2003年03月13日(木)
708, シンプルー単純の勧め
「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを愉快に」というが、「難しいことをシンプルに」とも言い換える・・
(字数制限のためカット 2013年3月13日)