つれづれに

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  * 幸せについて ~つれづれに
 映画館でシネマをみても、家でテレビをみても面白いし、スポーツジムも充実
しているし、B級グルメを食べて、美味しいと満足できるのは、「幸せ本」を
読んできたためか・・ 美味い、面白い、楽しいと思えば、そうなってくるから
不思議である。昨日、借りてきたポジティブ本の中に、エッと驚いた内容があった。
<心理学者が調査をして驚くのが、意外と多くの人が幸せ!と実感していること> 
実は、私も何時の間に、「自分を不幸と思い込んでいる人が大部分」
と思い込んでいた。実際は、そうでないとあったが、私に聞かれたら『しあわせ』
と答えるし、実際にそうだ。しかし、第三者がみたら、私など不幸のどん底だろう。
人は、自分が見たいように対象を見ているだけ。ところが、実は自分も同じだった。
  
  写真をみて、修行僧と富豪どちらが幸せか分かりはしない。

ーー
 昨日のシネマは、『ホビット』の予定を急遽、変更して
邦画の『寄生獣』を見てきた。 何か、リアルで気持ちが悪すぎたことも
あり、評価は75~80点というところか。 でも、面白い。
 観客、私を含めて3人。 もう冬休みで学生が休暇に入っている割に
少ないということは、ネット上の評価が低いということか。
http://kiseiju.com/
http://video.search.yahoo.co.jp/search?tt=c&ei=UTF-8&fr=sfp_as&aq=1&oq=寄生&p=寄生獣+YouTube&meta=vc%3D
・・・・・・
2087, 経験についての一考察 -2
2006年12月20日(水)

        b(^o^)dおっ
         W(^O^)Wはようー♪
 
  10日ほど前に、「経験」について書いたが、さらに考えをすすめてみよう。
     歳を重ねるとは経験を重ねることであり、それが成熟することであり、
     良い人生経験を重ねることが熟年として豊かな心で最後の光となる・・
     云々と前回書いた。
     しかし経験がマイナスの部分から自分の心を苛むことも多くなった。
    
  福田和也の「成熟への名作案内」(PHP)に以下のような一節があったが、
    自分の心の影の部分をそのまま言い当てている。

ードイツの哲学者ヘーゲルは、経験を「自分の真実を失うこと」だと書いている。
自分の真実を失う、つまりこれが自分なのだ、自分はこういう人間であり、
そのように認識され規定を試みた人間として、この世の中を見ているんだという、
自信というよりも、自認と足場が崩壊し、自己が自己として、自分に対して
持っていた信頼感なり当てにする気持ちが胡散霧消してしまうこと、
それが経験なのだ。

それは自分というのは、良くも悪くも、この程度の人間、がんばっても、
しくじっても、この範囲の人間であり、どんな窮地におかれても、
最低の品位を崩すことはない、というような自信が、具体的な行動の中で失われる、
あるいは変わるということ。
それが、経験だと、ヘーゲルは言っている。

だとすれば、成熟とは、何よりも自分が自分であるということを失い、
自分から任じていたような、立派な人間ではなければ、尊ぶべき個性も独自性も、
勇気も持っていないということを知り、その崩壊のあとになお、自分の姿を
見つめて生きていこうと努力することが、成熟をするということに他ならない。
ーーー
    
    以上であるが、私の現在の心情はとりもなおさずほぼ同じである。
    これが「熟年という心象風景」かと、毎日のように内省する日々である。
    経験を重ねるということは深い悩みが色濃く蓄積していくことでもある。

    ひとり、心の奥の高みにいて、すべてを見下していた自分が、
   「薄汚れた軽薄な馬鹿な男」と気がついたときの衝撃。
    そのとき、中原中也の詩「汚れてしまった悲しみに 今日も・・」
    の悲しみが深く心に響いてくる。
    
    挫折という「心の背骨」の骨折で逃げおおせなくなったとき、
    見下していた周囲を見上げたときに初めて気づく真実の光景。
    そのとき、自分の価値観が根底から変化する。
    この繰り返しの中で、人間の成熟が初めてもたらされる。
    
    熟年は、深く心の憂いが霧になって取り囲んでくる。
    その中で独り飲むコーヒーの味も良いが!
                (⌒▽⌒)/"”さいなら!
 --
2006年12月09日(土)
2076, 経験についての一考察 -1
              オッ(*^○^*)ハ~ヨウサン!
経験について考えてみよう。
「経験」は、「経験を積む」や「経験者」のように、
 『くり返しおこなってきたことから得られた知識や技術』をさす。
それに対して「体験」は、「面白い体験」「戦争体験」など直接感じた行為経験をいう。

「人生経験」を例にとると、体験などを通して腑に落ちること、了解したことをいう。
その蓄積が人生経験豊富ということになる。
 
経験は、過去の積み重なねとしての現在の自分を構成している。
したがって、年を重ねただけ了解した蓄積が多く、
何をしても、何を読んでも、そのプールが面白くなっていく。

    経験そのものも貴重だが、それ以上に、
    そこから何を、どのように学ぶかが重要である。
    バーナードショーは、
   「人間が賢くなるのは、経験によるのではなく、
    経験に対処する能力に応じてである」と、いっている。
    経験から学ぶことこそ「経験を生かすノウハウ」である。

人は経験から学ぶと同時に、忘れる動物である。
忘れるから生きていける部分もあるが、喉もと過ぎれば何とかで、
経験を消化する前に忘却してしまうのが人間の性である。
汝自身を知れ!、そう消化しないで忘却する自分を知れ!
こそ経験を無駄にしないことになる。
汝自身を知れとは!とは、この意味で考えると腑におち、納得できる。
消化できない自分の無知さえ自覚できない愚かな動物である、ということを                     (ノ≧ロ)ノ<天然のばかやろぉ~~~!!! 
               ( ̄(●●) ̄)フン!     
    経験といえば他人の経験からも学ぶことができる。
    それが文化・文明をつくり上げてきたのである。
    他人の不幸・失敗は、その経験則を把握さえすれば、
    自分の経験則に織り込むことが可能になる。
    これが「合理的・合理性」である。
    
    この歳になり、過去が未来より圧倒的に多いと実感してくると、
    他人の経験則の吸収と、自らの経験を消化する知力の至らなさを
    痛切に後悔するようになる。

生きるとは、失敗こそが意味を教えてくれる切り口になる。
失敗こそが人生である。全てが失敗といってよい。
最近は後悔すべき過去がフラッシュのように、頭を過る。
しかし、人生は失敗・後悔の塊と割り切ってしまえば、
深く人生を見直すこともできようし、分別もできよう。
砂に喩えれば、砂金も少しはみつかるだろう。

    石ころも混ざっているが!
    大したことがあるわけない人生、
    意味など今さら考えても仕方ないが。
    意味は、価値だろう、
    価値の後つけほど馬鹿馬鹿しいものはないのに、
    自信がないから、裏づけが無いから、記億の修正のため、
    そして疾しさを正当化するため、経験を歪めてしまうのである、
    人間というものは!
             (人・・)それで(・・人)
                い~~いんじゃ~んない!
  経験は、先生である!
  先生の話は、よーく聞くべきだった!  
              (。^0^。)ノサイナラ!


・・・・・・・・
2005年12月20日(火)
1722, 時代を読み解く「三つの言葉」

             才八∋_φ(・ω・`)゚+.
文藝春秋の今月号の<新年特別企画> の特集が面白い。
 この数年は、殆んど月刊誌と週刊誌を買わなくなった。
  図書館で立ち読みをする程度だが、文芸春秋の新年号の新聞広告をみて
   思わず買って読んだが、それぞれなかなか含蓄がある。

    各界リーダー32人が選ぶ時代を読み解く
     三つのキーワーであるが、それぞれの人の文章が短いが鋭い。

丹羽宇一郎 ▼「改革・民営」「二極分化」「阿諛追従」                   
国谷裕子 ▼「格差」「サステイナブル」「ひとりの時間」
堺屋太一 ▼「まやかし」「あほらし」「あらまほし」
玄侑宗久 ▼「正義」「効率」「遊ばない」
大前研一 ▼「マルチプル」「ヒルズ族」「球団」
中西輝政 ▼「やさしさ」「安心」「構造改革
半藤一利 ▼「地獄の上の花見」「そこのけそこのけ」「ちんぷんかん」
堀江貴文 ▼「世界平和」「肉体と精神の分離」「宇宙」
山田昌弘 ▼「リスク」「格差」「希望」
渡遇恒雄 ▼「抵抗勢力」「ハゲタカ」「刺客」
前原誠司 ▼「ボランティア気質」「改革競争」「戦争責任の風化」
中曽根康弘 ▼「改革万能膏」「同情大臣劇場」「ナショナリズム感冒
阿川佐和子 ▼「脱力」「弱年化」「ボーダーレス」
玄田有史 ▼「改革」「極端」「振り子」
藤岡和賀夫 ▼「時代後れ」「インコンビニ」「絶滅危倶」
橘木俊詔 ▼「勝ち組・負け組」「少子・高齢化」「男女共同参画
秋山ちえ子 ▼「IT時代」「片仮名外国語」「インスタント食品」
茂木健一郎 ▼「偶有性」「スモール・ワールド・ネットワーク」「多重文脈性」
江上 剛 ▼「自力」「本業」「現場」
鈴木敏文 ▼「需要の飽和」「経済学から心理学へ」「ブレイク・スルー」
天外伺朗 ▼「パラダイム・シフト」「合理主義の破綻」「意識の成長・進化」
林 文子 ▼「団塊の世代交代」「女性の台頭」「男女協働」
山崎 元 ▼「給料階級」「ボーナス階級」「株式階級」
森永卓郎 ▼「構造改革」「自己責任」「自暴自棄」
佐藤俊樹 ▼「愚民どもー」「チルドレン」「ヒルズ族
中村うさぎ ▼「自分探し」「分身」「NANA
香山リカ ▼「カネ」「モテ」「バカ」
井筒和幸 ▼「靖国」「韓流」「パッチギ」
池内 恵 ▼「煮詰まり」「重石」「底抜け」
後藤謙次 ▼「改革」「ポピュリズム」「小泉劇場
片山善博 ▼「似非リフォーム」「鈍感」「基軸欠如」
車谷長吉 ▼「無関心」「好奇心」「おしゃべり」
  ーーー

これを見ているだけでも、時代の潮流が見えてくるようだ。
 言葉として目新しいところでは、
ー山崎 元 の
  「給料階級」「ボーナス階級」「株式階級」ーである。
   なるほど、よく言ったものだ。
   ・「給料階級」ー給料しかもらえないサラリーマン階層
    ・「ボーナス階級」ーボーナスが出る階層
     ・「株式階級」ー株で一瞬、数億を稼げる階層というところか。
  ーー
  
 次回には、私の主観で選んだ幾つかの内容を紹介してみる。
              (。・o・。)ノ じゃぁ♪ o┐
  ・・・・・・・・
 2004年12月20日(月)
1357, 23歳の日記ー7

1969年 7月17日
神戸・垂水にて

この会社で、もう何人から誘われたが、女の職場は厳しい。
一人に振り向けば、その人以外は全てに無視されるのが女性の職場である。
地方のせいか、心の綺麗な純粋な人が多い。
また、声をかけてくる人は自分に自信がある人だ。
目的がなければ何人かが合格で?、毎日が楽しい日々だろう。
それでは何故ここまで来たのか、意味がなくなる。
それと、学生時代の女友達と比較してしまう。
妥協できない。
武澤先生のいう、学生時代に相手を見つけておくのが一番良い相手に
出会う確率が高い、というのがわかる。
ただ、決めてしまっていれば、今のような気持ちでなれない。
ーーーー
7月18日

今日、堀田君と女性に関してお互いに誓う
『女性に関して、お互いに流されないようにチェックしてコントロールする。』
早く妥協してしまいそうだからだ。
彼も、動揺するような誘いが多いようだ。

全くもう、こんな異様な状況で神戸の元町のような場所に誘われて・・、
自分が自制できなくなる。
荷物は持たないことだ。
持ってしまってからではお終いである。
それにしても、神戸も綺麗なあかぬけた明るい女性の多い。
若い女性の中には、地方の特徴がそのまま出ている。
ーーーーー
8月9日

意のむくまま、文章を書いてみよう。
9月になったら、1~5日まで休暇をもらうことにしよう。
最も効率的にすごす為には、学生時代に卒論を書く為に籠った
新潟の六日町の雲屯庵に行くことにした。
そこで自分を見直してみるのもよいだろう。

自分を冷静な状態にしておかないと、大きな落とし穴にはまり込んでしまう。
自分の目的が何だか解らなくなってしまう。

こう文章を書いていても、この境遇から何も見えなくなりつつある。
同室に堀田君という同期がいるから、気持の中で支えがあるが。

あまりにも4ヶ月は変化が激しいし、刺激が強すぎる。
自分を支える為にも、違う視点を持つ為に。

ーーー
2004年12月20日
ー感想記
文章に残すということは、良いのか悪いのか。
読めば読むほど記憶としての糸口になるが、反省・悔悟の思いがでてくる。
35年前の反省をしても仕方がないだろうに。
おそらく死期を悟った時、昔のことが走馬灯の思い出され、反省と悔悟と、
反面喜びなどの、多くの思いが重く軽く、嵐のように吹き荒れるのだろう。

真面目な、世間知らずの?男が、高度成長期の時代背景の中で、
あせっている姿がそのまま文章に出ている。
当時の心の傷が、そのまま今も残っている。
心のままに書き残すことも大事なことだ。

それにしても、やはり異常な状況での体験であった。
20~40歳代は、誰もがこんなものか?
それとも、やはり?
人生は面白い!

・・・・・・・
2003年12月20日(土)
990, 軽井沢の思い出ー2

軽井沢駅から少し歩いたところに「離山」という小さな山がある。
麓から頂上まで一時間もしないうちに登れる山で、独りで何回か登った。
その頂上から見る風情は何ともいえない趣があった。

また別荘地の散策も面白い。
歩いているだけで豊かな気持ちになれるのだ。
別荘と、そこの表札を見ているだけでも面白い。
有名人や大手の会社の名前で占められているのだ。
それと一歩、別荘地に入ると殆ど人気が無いのもよい。

一時期、都内の若い女性の間で「5千円族」というのが流行った
ことがあった。
その金額で休日、軽井沢の日帰りコースとして丁度手軽だからだ。
別荘地を散策して、軽井沢銀座のウインドウショッピングをして、
軽く食事をして5千円で済ますのだ。

早朝、街を歩いていると小奇麗な喫茶店が開いていて何げなく飲んだコーヒーが
絶品だったことを思い出した。いま考えいてみると、何処の湧き水と最高級の
コーヒー豆を使用していたのだろう。
また「万平ホテル」もレトロ調で軽井沢にピッタリの雰囲気で、
そこのレストランが美味しい。

ところで私の新婚旅行は軽井沢であった。
挙式後、三浦さん夫妻と一緒に帰ったことを思い出した。
丁度30年前のことである。

・・・・・・・・・
2002年12月20日(金)
616,パタゴニア旅行記-3

パタゴニアの印象といえば、氷河の他に遠くに広がる原野とアンデス山脈である。
アルゼンチンからペルーへの移動で見たビューポイントの左右の視界が270?も
あるアンデス山脈のパノラマが素晴らしい。

数千メートルの山頂なら幾らでもあろうが、少し小高い平地で
三百キロに近い景色が見えるのは想像を絶していた。
アフリカで数十キロの視界の景色を見たときの驚きを今もはっきり憶えているが、
それがなんと数百キロの視界の景色を目の当たりに見たのだ。
世界は驚異に満ちていると実感した瞬間であった。

秘境系の旅行はこういうチャンスに満ちているのがたまらない。
世界の果てのマゼラン海峡や世界の果ての町ウシュアイア。
そこから船に乗り、ビーグル水道に埋めつくすアザラシやペンギンの
群れをまじかに見たのも鮮烈な記憶に残っている。

人口十万のこの町で見た夕日の美しさも忘れられない思い出だ。
それと大型の野良犬があちこちに屯していたのが印象的だ。
厳しく貧しく派手さはないが、ある豊かさを感じ取った。
ほとんど時代の変化に翻弄されることなく地道に生きてきた逞しさからくる
ものであろう。

ペルーでは殆ど見ることなかったコンドルが多く見ることができたのも
今回の印象であった。小さいテーブルマウンテンに似ている山の
岩壁に巣が多く作られていた。
ペルーで見たリャマの一種の野生のグアナコが身近に多く見れた。
それとダチョウにそっくりの野生のニャンドウも印象的であった。
両者とも捕獲が禁止されている為に多く繁殖した。
その土地の景色にピッタリの動物が棲んでいるのも自然のなせる業だろう。

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2001年12月20日(木)
275、後回しー我が内なる無能性

後回しにして忘れ失敗した事を、誰もが数知れず経験しているはずだ。
後回しは半分以上やらないことだ。言葉の遊びになると思うが、
「さき回し」もあるはずだ。準備はそれに似ている。

夢を持つことは、一種のさき回しになる。準備はものごとを
上手くやる最大の秘訣である。成功の功はネルという意味だ。
練り上げ成すことが、成功という。
準備・計画の練り上げが最も大切だ。
計画の練り上げ内容でほぼ決まってしまう。
実行プロセスはあくまで、その手順レベルでしかない。

後回しはそのレベルと全く違う。ABC分析のCの後回しならわかる。
それ全て含めて後に回す。
無知無能の習慣パターンだ。わかっている、それが致命傷のなることを。
そして今までそれで致命傷に近い失敗をした。それでも後回しにしようとする。

今の日本の姿そのものがこれだ。ここにきても更に改革を後回しにしよう
のたうち回っている。戦後社会主義ー官僚体制主義から抜けきれずに。

決断の後回し、いや決定の後回しといっていい。後で後で後で人生終わってしまう!
「全て定年後といって内の亭主何にもしないの!」と家内の知人が言っていると
いう話を聞いたことがある。それの究極だ。ブラックジョークにもならない。