つれづれに

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 今日のYoutube
https://www.youtube.com/watch?v=cVLDLtuxgyQ\;
https://www.youtube.com/watch?v=zwoQ7Ojd610

 ある学者の本に、
「朝、起きてから30分ほど、何もしないで、30分ほど、机の前にただ座っている」
に、何か考えさせられた。一種の、瞑想だろう。座禅、瞑想というと、構えるが、
ただボッと座っているなら、誰でも出来る。 時々、パソコンで、随想日記を
書いていて、ひと段落した時、20分でも30分でも、そのまま、ボッとしていればよい。
 で、実際にしてみて、10分もすれば、自然と何か、次の行動をしたくなる。
ようするに、潜在意識の世界に、一歩、足を入れている時間である。
それなら、夜半に布団の中で、ウトウトしている時間に似ているが、それが、
机の前だと、少し違ってくる。



・・・・・・
2001, 二千日の随想日記!
2006年09月25日(月)

この随想日記が昨日で2千回目になった。
母の十周忌の命日というのも何かの因縁である。
千回時の達成感ほどではないが、やはり2千回は・・・。
といって意識したのは3日前だから、千回の時ほど達成感がないのは事実。
千回時ほどの心理的な圧迫感がないが、常に黒い影?に追われている感覚は同じ。
あまり深刻に考えないで、書けることを書けばよい!と気楽に思うようにしている。
一種の気楽な喜〔苦〕業と思えばよい。
 次は三千回が目標になるが、楽しむ?しかない。
2009年6月某日になるが、どうなることか。
千回はきつかったが、二千回の労力は半分になった?
楽しまなかったら、続かない。
  良寛の  たくほどは 風がもて来る 落葉かな 
と同じで、習慣の流れにまかせて  
書くほどは 知恵(空)がもて来る 話・題(色)かな
というところか!
だいたい2~3つ位は時間の合間に下書きを用意して、寝る前に30分かけ
一応書き上げ、当日の朝に修正をする。朝はそれでも一時間はかける。
テーマ探しと、下書きの時間を入れると合計三時間は一文章にかける。
その三時間のプロセスは考える時間になる。
そのために毎週図書館と本屋に通ってテーマ探しをする。
アウトプットを習慣づけることによって、インプットを図るのが目的の一つになる。
 もう一つのプラスは五年分の同月・同日の文章を読み返せること。
未来の自分の眼に対して、好い加減な文章をかけなくなる。
毎日読み返すことは、このようなコントロールがはたらく。
最大の読者は未来の自分である。書いた文章を会社に行って読み返すと、
数時間の経過後の冷徹に自分の文章を見ている自分に驚く。
自分が初めの読者であると同時に、一番の批評家になっている。
これは、書き重ねるほど鋭くなっていく。これは読書力の強化につながっている。
             \(^▽^*)バイ!
 千回目の日記が懐かしい!
ーーー
2003/12/30
1000, \(~o~)/千日の随想日記!

 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。
更に旅行をしていて休んだ一回分の日にちを加えると約35~40が合わない。
調べてみると206~222とか250,251辺りとか何箇所かがぬけている。
しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて
一千回の到着日とすることにした。あくまで自分ひとりの記念でしかない。
 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、
また「遺言」のつもりで書いてきた(書き始めて一年位経ってからだが)
だから続いたのだろう。自分の父親や、祖父がこのような文章を残していたら、
実際のところ面白いだろう。いま考えてみると、私にとって随想日記を書き始めた
日を境に自分が間違いなく変った。一日一日が本当に充実したのだ。
50人位の人に毎日読まれていると思うと、誰かに見守られているような
感覚になる。作家などの物書きが必死になって書くのも解るような気がする。
 死ぬ前に全てを消し去っていくのもよいし、また書き残すもよいのだろう。
いずれにしても50年以上は残らないのだろう。いや死んだと同時に消滅してしまうか。
そうすると生前葬の遺言みたい、いや墓みたいなものだ。
 ところで実感としていうと
 一番勉強になり良いのが、自分であることだ。
・テーマ探しに46時中頭が1杯
・そして構成に苦労して
・書き上げた後に、何回か書き直し
・誤字と矛盾をさがす
そのプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。
といってこの程度の内容であるが。
 ス~と書ける日はよいが、全く書けない日がある。
それでも何とか書くからよいのだ。
書きつづけていると、自分自身が変っていくのが良く解る。
書くということは、考えるということであり、考えを纏めることになる。
書き続けることは、書き重ねることになる。
書き重ねて、それを読み返すことは内面の深層に入り込むことになる。
深層の自分は、ユングではないが万人にあい通じる部分が出てくる。
その共通面と、違う面を自分で見つめることが可能となる。少し難しくなってきたが。
 来年からは「閑話休題」や「あはははは」とか、ソフトな内容を挿んだり、
土日を休むとかして、今のエネルギーを半分にしようと思っている?
このまま続けると、ある日突然「や~めた!」ということになりそうだ。
千回千回と思いながら、書き続けてきたのだから、やはり転換期だ。
来年は待ったなしにリストラー事業構造の転換の年、頭を仕事に
切り替え集中しなくてはならない。
 それとも、「2千回2千回!」と唱えなおそうか?
どうなるか?自分でもわかりません。
 ー本当に読んでいただいて有り難うございました!

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2005年09月25日(日)
1636, ローズパレード

昨日、何気なくNHKのBSHVをまわしたら、ど派手のパレードを放映していた。
アメリカのロス近くにあるパサデナの「ローズパレード」であった。
花や自然植物で作られる豪華な山車や行進が見もののお正月恒例のパレードである。
一時間の番組もアッという間に過ぎてしまった。
アメリカ全土だけでなく、世界からも多くが参加。100チーム以上が参加している。
アメリ海兵隊、カナダ騎馬隊、大学のチアガールチーム、企業体、などが
それぞれのテーマを決めて行進する。これに参加すること自体が、アメリカでは
大きなステータスになっている。参加するには厳しい審査のパスが必要という。
リオのカーニバルと違い、ど派手だが、控えめな演出?で心打つものが
次々と出てくる。実際にみたらTVとは違った感動があるだろう。
このパレードを見るために全米から100万人が集まってくるという。
TVでは終始生放送で、その様子が一日中流されている。
前夜には、道に泊り込んで場所確保する人達で込み合う。
指定席もあり、かなり高い値段がする。
そのローズパレードは、毎年1月1日の朝8時から始まり、
パサデナ市内のメインストリートの コロラド通りを多くの山車などが練り歩く。
その山車も年々豪華になっている。それと並行してローズクイーンコンテストも開かれる。
またこのパレードが終わると全米カレッジ・フットボール勝戦のローズボールが行われる。

ローズパレードの始まりは1888年迄遡る。
今年で116回目という。七十数回も参加しているチームもある。
当時、キツネ狩りで有名なプライベートクラブ バリーハントクラブがあって、
クラブのメンバーが1890年1月1日に四輪馬車をきれいに飾りつけて
パレードしたのが始まり。
ヨーロッパの<バラ>の祭りを手本にして、山車(フロート)に沢山の花を飾って
自然の美しい輝く太陽を本当に楽しそうに行進している。
この中で美しさ、パレードのテーマ、デザイン、独創性、花の使用、また花の新鮮さや
参加者のコスチュームなど数々の項目で審査され、賞が決定される。
このパレードに使う山車(フロート)1台の平均費用は、1000万円という。
1台で10万本の花が使われまれ、まさしくローズパレードといわれる所以である。
お祭りは、TVでみていても楽しさが伝わってくる。世界は広い、そして深い!

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2004年09月25日(土)
1271, 母が亡くなって、まる八年!ー2

十数年前のこと、新潟に著名な教育者が講演に来た。
その夜、勉強会の「新潟木鶏クラブ」で、彼を囲んだ座談会を開いて話を聞いた。
そしてそのままホテルに泊まってもらった。
翌朝お礼を兼ねて、弥彦の良寛で有名な「五合庵」などを車で案内をした。
二人きりの車の中、4時間位話をする機会になった。そして直に旧知の友のようになった。
知らないうちに、昨日書いた母の生い立ちと、それゆえの不幸の出来事の話と、
不条理の話に及んだ。本人も、思いもよらない「五合庵」の散策と、
新潟の田舎の風情を楽しんでいたようであった。
それから2ヵ月後、本人から連絡が入った。
「先日のお母さんの話」を、森信三さんに話したところ
「すごい内容だ。是非うちで開いている勉強会で話してくれないか」と依頼されたという。
いま考えたら、そこにいって話をすべきであった。
「自分の話ならするが、母の話なので、勘弁して欲しい」と断ってしまったのだ。
こういう機会でなければ、森信三という戦後日本最大の教育者とは、会う機会が
なかったのに、本当に惜しいことをした。
また、そこに聞きに来ている人はふだん会えない、凄い人ばかりのはずである。
後悔あとに立たずである。森信三氏も似たようなことがあったというが。
それから数年後の1992年に、森信三氏は亡くなったのだ。
本当にバカのことをしたものだ。

話は元に戻るが、母の7人の兄弟・姉妹のうち、母の実父の上の三人は
幸せな人生をおくり、下4人は?
ー 幸せ不幸は、本人が決めることであるが。「事実は小説より奇なり」というが、
母方の姉妹をみていると軽く一冊の小説になる。一人一人の一生は深く重いものである。

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2003年09月25日(木)
904, 讃岐うどんの店-2

 9月2日に『讃岐うどんの店』というタイトルで書いてから、3週間経つ。
その後、新潟の郊外にある店に7~8回通っている。何かヒントがあるようだからだ。
・いつも感心するのは、お客の滞店時間が短いことだ。平均15分で出ていく。
・並んでからレジまで3~4分で済む。ウドンは注文をして、平均15秒で出てくる。
・毎回、色いろな組み合わせができ、何回通っても飽きない。
・値段が安いことも驚きである。特に100円のかけウドンは価値がある。
・外国の飛行場などにあるセルフ方式で、トッピングできるのがよい。
若い女性や女子高生が平気で一人で食事をしている。
 面白そうなので、今マスコミで話題を集めている「はなまる」という
讃岐ウドンのチェーン店のFCの説明会にいってきた。
新潟のワシントンホテルの会場で、社長が直接説明をしていた。
「まだ100店だが、数年のうちに1000店にする」と言っていた。
聴く前はハッタリだろうと思っていたが、可能性は充分あるようだ。
婦人ファッション関係の出身で、
「ダサイ讃岐ウドンの店を、若い女性でも平気で入れるブテック的な店」
が店舗のコンセプトと言っていた。聴いていて、これは本物かと思った。
・今まであるものを、
・時代のニーズに合わせて、
・提供方法を変えることで、
価値を作りかえることー業種から業態に置き換えることー
を忠実に実行している。

ホームセンターも、スーパーも、
・郊外に大きい店と駐車場をつくり
・セルフ方式で
・より多くのアイテムを
・ディスカウントにして売る
業態にしただけである。

その意味で、面白い可能性のある商売であろう。ホテルも、いま一度
新しい業態という視点で、見直す時期に来ている! 一番の課題である。

去年の今日も焼肉屋の『新業態』の店の分析をしていたー後にコピー
たくもう、全く成長してない自分を見る思いだ! 分析している暇があったら、
ホテルの新業態を死ぬほど考えろ!という言葉が心の奥から聞こえてくる!

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 讃岐うどんの店 -1
- 2003年09月02日(火)

 最近ブームになっている讃岐うどんのチェーン店に行ってきた。
100円からの讃岐うどんを食べられる客単価400円の店だ。
揚げ物などを皿に取り、うどんを注文して勘定をする方式をとっている。
社員食堂のセルフ式をそのまま讃岐うどん屋に取り入れた業態である。

・一回目に食べたのが「肉コロッケと、掻き揚げと、普通の讃岐かけうどん」
で約500円であった。
・2回目は、「100円の小のかけうどんにオニギリとハンペンと天ぷら」で
400円であった。

 客層は家族ずれからサラリーマン風とOL とばらついていた。
一組あたりの滞店時間が20分位で、非常に短いのが特徴だ。
近くにあったら週に一度はいくだろう。
気軽で300~400円で済むからだ。

 ガソリンスタンドと同じで、セルフ方式そのものが受け入れられている。
セルフ方式を取り入れて、美味しい?ものを安くしているところがミソだ。
家族で美味しいものを食べにいくところではない。
お腹を満たす為に行くところだ。

 新潟駅前の自社の事務所の近くに牛丼の「松屋」も開店予定だ。
おそらく週に一度は行くことになる?だろう。
遅かれ早かれ、この業態の讃岐うどんチェーン店も出てくるだろう。
客単価の低いところをねらった店が求められているからだ。
今までの単価の半額が目安である。

 これは一時的ブームで済むのか、このデフレの時代の大きな潮流にそった
ものなのか、今のところ判断はできない。
しかし、セルフ方式の合理的システムは流れに沿っている。

 最近の居酒屋チェーンも闘いの中から、必死にそれぞれの新しい業態の
店を創ってくる。いかに消費者に受け入れられるかの闘いである。
その闘いを避けた店は受け入れられなくなる。
その意味で個人経営の居酒屋はますます苦しくなっていくだろう。

 飲食店のウォッチングは身近で判りやすく面白い!
趣味といってよい。

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 530,焼肉屋の新業態の店?
- 2002年09月25日(水)

郊外に以前地元のホームセンターが経営していた焼肉の店があった。
一昨日、代替わりをして新しい焼肉屋なっていた店に入ってみた。

以前の店に2~3回同じ時間に行ったが誰も入ってなかった。
入ってビックリ、17時なのに9割がたの席の埋まりであった。
一時間後の18時に帰る時には3組の待ち客がいた。

客は殆どが若い人であった。
前の店は値段の割りにおいしい店で、カルビが¥480円だった。
周辺に同じような店が5~6軒もできた為もあるが。

新しい店は内装は全く変えてなく、変わったところは「しゃぶしゃぶ」
と「焼肉」が食べ放題で、1480円であった。
普通の単品もあり、以前の店より単品は一割ほど安い程度であった。

ハナマサの食べ放題」もあるが、違うのは普通の焼肉屋
同じメニューで、その皿の肉はどれでも注文をすればその都度持って
くる方式である。

前の店もこれと同じやり方をすれば、上手くいったと思われる。
100席以上の郊外型の店で、店員が数名が走り回っていた。

焼肉の新しい業態の店である、よく考えたものだ。
しゃぶしゃぶの単品で「牛ロース3人前と野菜と丼物とビール2本」
で3500円辺りであった。
肉は決して美味しいとはいえないが、その業態がなかなかよい。
「cha cha]という店で、何処かのチェーン店の新業態かと「検索」で
調べたが、全く無かった。

店に入ると必ずどういう業種で業態で時代に合っているかどうかという
視線で見るとなかなか面白い。
こうすればいいのにな~と思う店があまりに多いが、
いうわけにいかない。

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[161] 自然体(自然態)
2001/09/25 07:01

 あまり気張らず、心配せず、そのまま、自然のまま、なるがまま、
生きていく生き方。目の前の出来事に気を取られず、
その背後の流れに従う行き方。「自然体の経営そして生き方が大切」

 15年前かパレスホテルの経営セミナーに出ていたとき、
その時の時勢の勢いにのっていたある経営者がいった言葉である。
丁度必死に仕事をしていた時の不自然の自分にピッタシの言葉であった。
浪人を何回か経験していて少なからず身につけていが、
しかしかなり印象深い言葉であった。

 丁度ホテルという長期物件を手がけて、
その意味‐長期の装置産業の難しさにきずき始めた為もあった。
その後この言葉に生き方がかなり影響された。
目の前の困難に対してあまりジタバタしないで済んだのも、この言葉のおかげだった。

 7~8年前南アフリカを旅行した時、あまり添乗の経験少ない中年の女性の添乗員が、
出発前に成田で言った言葉が印象的であった。
「この旅行全てのトラブルが起こるはずです!起きた時に一つずつ
解決していきましょう。自然体しかありません。無理せずそのままでいきましょう」

「なるほどいいことを言うな、でも素人だな!」とそう思った、
そしてそのとうりになった。その言葉が最期まで利いていた。
トラブルも旅行の一部、慌てずそれをうけとめ、そしてそれを楽しむこと。
自然体そのものであった。たしか法華経自然法爾(じねんほうじ)という
言葉があった。イスラムの「すべてアラーの神の思し召し」もこれに似ているところが面白い。

もうひとつ似たのに、名人の域に達した落語家もこれに近い。