つれづれに

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  今日のYoutube

 今日は母親の19回目の命日。 前日の夕刻、家内に言われるまで
全く忘れていた。 いや、23日の御彼岸さえ忘れていた。
 夜半、「正装をした坊様が、居間に突然、入ってきて驚いた夢をみた」が、
彼岸も、翌日の母の命日を忘れていたことに対する、潜在意識からの
呼びかけというところか。 
 で、近くのスーパーで花を買って、墓参りをしてきた。



・・・・・・
2365, ウィーン・コンサート、それが何!
2007年09月24日(月)
              ヾ(´∀`o)+。 オハヨウ    
ウィーンに在住の哲学者などというと、えらく格好良く聞こえるが、
この哲学者にかかれば、何てことはない。
ウィーンに着いて早速、夫婦喧嘩をして妻に首を絞められたとか、
ウィーンの新年のニューイヤー・コンサートに日本からの即席の「お嬢様」が
アホづらをして参加しているとか、辛らつである。
(こういう露悪者に好感を持てるのは自分がそうだから?)
新年にNHKが放送するところから、それが恰も知的なハイソサエティー
雰囲気をもたらすからである。
しかし日本が思うほどオーストリア人は音楽には興味をしめしてない。
確かにオーストリアの観光コースにツアーで行くと、毒気に当てられ、
何か音楽音痴は自分だけのように思うが、現実は一部マニアの道楽でしかないと
中島がいうから確かなのだろう。
以前、北スペインに行ったとき、同行者が次の旅行は
「ニューイヤー・コンサートに行く予定になっていて、これで二回目」と聞いて、
ハイ・ソサエティーの話と思い込んでいたが、話を聞けば趣味の一つでしかないし、
度々行くほどの事でもないことが解った。
そんなものでしかないが、といって趣味なのだからケチをつけることもない。
しかし新年に限り、私もそのコンサートの番組だけは観ているが、
新年の荘厳な雰囲気は素晴らしい。

 「狂人三歩手前」 ー中島義道
 ー妻との壮絶なバトル、くたびれ果てたー
--
2001年から2002年にかけて、クリスマは家族(妻子)が住むウィーンで過ごし、
三人が別々の日・帰国してお正月は日本で過ごした。
妻子は四年前の四月からウィーンに住んでおり、
ユーフシア大陸を互いに往復する生活が恒例化している。
 ・・・中略
12月24、25日そして二十六日(聖シュテファノの日)とカトリツクの祝日は続く。
昨年は興味本位で妻にしっかり付いて教会に行ったが、今回は縦の木に飾りつけをして
すぐに、カトリックについて妻と激論になり、「そんなに俺の管理をするな!」
と私は怒鳴りはじめ、やがて「別れよう」と提案すると、妻が突如私の首を締めようとし、
それに無我夢中で抵抗し……というような派手な喧嘩が勃発。
夜になって落ちついてきて、「あなた、教会に行きますか」と誘われたけれど、
憎らしいから「いや」と答えて、そのままベッドに横たわっていた。
その後、くたびれ果てて、三日間私は家でポーッと寝ていたのだ。
いつも、ウィーン到着後、妻との平和共存は三日ともたない。
十七歳の息子は、こんなゴタゴタにはもう慣れっこで、ひとりで勝手に行動しており、
二十五日に一足早く日本に帰ってしまった。
ウィーンのAIS(アメリカンインターナショナルスクール)十一年生なのだが、
ウィーンが嫌いで、休みごとに帰国していいという条件で、彼の地に留まっている。
授業は当然全部英語だが、ドイツ語とフランス語も取っている。
ドイッ語はまあまあのようだが、フランス語はダテに取っているようで、・・・中略

妻は正月準傭のため二十八日に発ち、私自身は十二月三十日、ユーロへの切り替えの
二日前に帰国した。・・・中略 
元日の晩は、楽友協会での小澤征爾の指揮によるニューイヤーコンサートをTVで観る。
我が国のとくにインテリどもはこのニューイヤーコンサートが涙が出るほど
好きなようなので「真実」を伝えると、殆どのウィーン人はこれをTVでさえ観ない。
ヨハン・シュトラウスなど、まして小澤征爾などどうでもいいのだ。
ちなみに、国立歌劇場に入ったことがある人は、全ウィーン人口の五パーセント以下
だと聞いたことがある。ウィーンにテレビのチャンネルは二十以上あるが、
クラシック音楽番組は全チャンネルを通じても一週間に一度だけである。

そういえば、私の留学時代だから二十年以上も前になるが、
ニューイヤーコンサート会場で面白いハプニングがあった。
タキシード姿の若い男が二人、突如舞台に上がり全裸になったのだ。
アレアレという間に取り押さえられたが、何でもゲイ差別反対のデモンストレーション
だったとのこと。国立歌劇場の大統領主催の舞踏会には、わが国からも一夜漬けの
「お嬢様」たちがアホヅラで参加しているらしいが、ここでもその当時場内で
爆弾騒ぎがあり、まもなく紳士淑女たちの頭上に「こんな差別的な舞踏会反対ー」
という垂れ幕がスルスル降りてきた。健全なことである。

ーー
それにしても好きだよね! こういう みもふたもない話。
              ε(*´・∀・)з゛βуё βуё"
・・・・・・・・・
2006年09月24日(日)
2000, 継父
                (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ~
今日は母の命日で、亡くなってまる十年経った。
この随想日記2000回と重なるところが不思議である。
早かったのか遅かったのかというと、大昔のような気がする。
5年半の間、痴呆症になっていたが死に際の入院までオシメをすることがなかった。
    
痴呆症を切れ掛かった蛍光灯に例えると分かりやすい。
始めは時々切れてはつくが、その回数が増えてくる。
マダラボケがジワジワと悪化すると被害妄想や、抑えていた
悪口・陰口が始まる。心が腐っていくのが手に取るように解る。

マダラボケは一緒に生活をいていると疲れるものである。亡くなって一月後に
なって「人様はなんて楽な日常を過ごしているのだろう!」と、驚いてしまった。

 両親の一生をみると、人生の深さを思い知る。
戦争は全ての国民に深い傷と重石を担がせる。第二次大戦直後に
生まれたが、あと十数年早く生まれていたら戦争にとられて・・・

ところで母の命日なので供養として、
母の幼少時の、絵に描いたような地獄絵の世界を話してみよう。
そして、それが長男・次男の死の間接的な死の原因になってしまう。
この話を故人になったが教育学者の森信三さんが間接的に聞いて、
「自分の主催している会で話して欲しい」と依頼があったが、断ってしまった。
20年前で母が生存中なことと、それを多くのセレブの前で話すには
自分が出来てなかった。 その時、是非話しておけばと悔いが残っている。

 母が幼児の頃、父親が母の兄と姉を残して亡くなってしまった。
(奇しくも昨日 TVのWOWOWで「世界で不幸な物語」という映画を観た。
3人の資産家の孤児が、里親に命を狙われ転々とする筋書きであった)
家が商売をしていたので残った母の母ー祖母は男後家をもらうしかなった。
そして祖母と男後家との間に4人の子供が生まれた。

そこで何が起こるだろうか?この設定は、言わずもがなの結果になる。
義父による実子との差別と、徹底的な虐めである。
3人の末であった母に、特に虐めがいったという。
それが母のトラウマになってしまった。
                     ーつづく
 さて墓参りだ!
 ーー
 書いた後に気がついたことだが、
 ほぼ同じ文章を、2年前に書いていた。(後にコピー)
 次回は更に深く母の一生を掘り下げて書いてみよう。
               (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!             
 ・・・・・・・・
 2005年09月24日(土)
 1635, 「イヴの七人の娘たち」

ーまずは、この本の概略を書いてみるー
DNA研究から明らかになった事実として
ヨーロッパ人のルーツが7人の女性「イヴの七人の娘たち」
にいきあたり、さらに現存人類は、全世界で33人の女性先祖に絞られるという。
アフリカが起源なので、アメリカインディアンとか日本人は、「辺境」になる。

我々はどこから来たのか? の鍵を握るのが、DNAである。
DNAは我われの中にある古代世界からの旅人といえよう。
人類は皆、20万年前のアフリカ女性「イヴ」の子孫であるといわれている。
6億5000万人にのぼる現代ヨーロッパ人の母系祖先は7人の女性に分類できるが、
この女性たちに名前をつけると、
アースラ、ジニア、ヘレナ、ヴェルダ、タラ、カトリン、ジャスミン
それぞれが、「別の時代に、別の場所」で生活を送っていた女性たちである。

ミトコンドリアDNAには、
・母親からしか受け継がない、
・遺伝子の組み換えが起こらない という2大特徴がある。
このミトコンドリアDNAをたどっていけば、ヨーロッパ人の誰もが、
自分の祖先を知ることができるのである。
また人類の歴史―― 我々はネアンデルタール人の末裔なのか、
         それともクロマニョン人の末裔なのかを知ることができる。

ミトコンドリアDNAは二万年に一つの割合でランダムに突然変異を起こしている。
そのため、DNA配列の違いから何万年前に分岐したのかがわかるのである。
ホモ・サピエンスの歴史が遺伝子に記録されていった道筋について語っている。
誰もが人類の歴史を遺伝子の中に秘めていて、その歴史は、はるか昔の祖先から、
実質的になんら変わることなく受け継がれてきたDNAパターンの中に含まれている。

人間の細胞はすべて、長年の旅を乗り越えてきたもの、つまり遺伝子を運んでいるのである。
そして、本書はユーモアをもって現代ヨーロッパに潜伏する人種差別主義を批判している。
我々は、祖先をたどっていけば誰もがつながっているのである。
遺伝子の立場からみると、遺伝子自ら生き残るために、
人間いや生物の体を使っているという見方もできる。

以前TVで、
日本の女性が「何十代か前の母を一にしたウクライナの女性に会いにいった内容」
を放映していた。DNAの解明から偶然見つかったという。
宇宙も含めて、科学は無限に広がる未知の世界を解明している。
 ーー
「イヴの七人の娘たち」( ブライアン サイクス 著 ) ソニーマガジン
 
・・・・・・・・・
2004年09月24日(金)
1270, 母が亡くなって、まる八年!

ー命日に, 母の魂に捧げる
今日の9月24日が母の命日である。まる八年経った。遠い昔のような気がする。
今でも夢に出てくるが、その頻度は少なってきている。
母の優しさは、誰にとっても共通である。父の真の厳しさと、
母の優しさの深さを知るのは、自分がその年齢になって初めて解るものだ。

世界広しといえども、母は一人である。
そして、ただ無条件で愛してくれたのは両親だけである。
親の愛こそ、神の愛に勝るものである。真実の愛は、親の愛がその原点にある。

愛は力である。内面の強さは突詰めてみると、親の愛が基盤になっている。
キリストの愛も、最後まで見守っていてくれた母マリアの愛の反映である。
人間形成は、10歳までの家庭構造とそれを取り巻く環境ー条件で
ほぼ決まってしまうが、その中で母の役割は非常に大きい。

ー命日ということで、母のことを少し話してみるー
母は特異な家庭環境の下で育った。 兄一人、姉一人の三番目に生まれた二年後に、
実父が亡くなってしまった。 そこで祖母は、(後妻でなく)後夫をもらった。
その後、後夫の子供が4人生まれた。後夫は当然のことながら、前夫の子供を
徹底的に苛めた。特に一番幼い母が、その対象になった。
祖母は後夫の手前、守ることも、直接的な愛情を注ぐことができなかった。

そのトラウマが母の一生を通してついてまわった。
子供に対する扱い方(直接的愛情のかけ方)を全く知らなかった。
ただ厳しく当たることしか自分の体験がなかった。

それが長兄、次兄が不幸を向かえるキッカケとなってしまった。
その結果、重度のノイローゼになった。
私が7~10歳の時である。立ち上がるのに5年もかかった。
その時、心臓が四分の一壊死してしまった。(亡くなった後の解剖で分かった)

その苦悩・苦痛の中から、神様のような優しさを持つようになった。
そして強さも。その環境の中で育った兄姉は、それぞれが何らかの神経症が残った。
私が癒し系の話題が多いのも、その神経症系を乗りこえるプロセスで
多くの本を読んだからだ。いやそれより、面白いこともあったが。

どの家庭も、色いろな事情はあるものだが。
特に、戦争下を通り抜けてきた世代には。
   さあ墓参りだ!   23日 6時半ー        
・・・・・・・・・
2003年09月24日(水)
903, 「仏像の不思議!」

 随想日記で多くの不思議について書いてきたが、仏像の不思議について
書いてみる。ー度、少し書いた可能性があるが。
 20年前のことだが、家内の実家の会社で毎年、倉庫でお客を集めて
「お祭りを兼ねた展示会」を開いている。
お祭り・騒ぎ大好き人間として、時々レジャーを兼ねて遊びに行っていた。
初めて行った時のこと、地元の古道具屋の出店で仏像などを売っていた。
多くの道具の中で、気になった象牙の仏像があった。
精巧な彫りでかなりのモノであった。
 半分冷やかしで値段を聞いたら40万円という。
冗談で、15万円といったら、怒ってしまった。
「気が変わって値を下げるなら、家内の実家に置いていってください。
お金は後で送金しますから」」といって別れた。
買う気は全く無かったのだが、少し惜しい気持ちになっていた。
ところが数日後、その仏像が請求書と供に会社に直接送ってきた。
そこまで下げるとは思ってなかったのでビックリした。
 しかし気に入った仏像であったので、実際のところ嬉しかった!
何げなく仏像の台座の下を見て、背筋が凍る思いであった。
家内と同じ「恵子」という作家の名前が掘ってあったのだ。
たまたま一緒にいた人も、その話を聞き、その仏像を見て青くなった。
「霊気が漂っている、すぐにお寺に収めた方がよい」と忠告をしてくれた。
確かにその仏像には、霊的な不思議な念が入っている感覚があった。
しかし、今でも自宅にあり「家内の守り本尊」?として大事にしている。
いくつかの偶然の一致が重なっただけの話だろうが、それにしても不思議な
出来事であった。ただ数珠が地震で倒れた際に欠けてしまったのが残念である。
商品価値は三分の一だろう。 仏像といえば子供の頃、父から聴いた話がある。
父が以前「高村光雲」の仏像を買ったら、家で不幸があったという。
「いわく付き仏像」と聞いていたが、半信半疑で気楽に買ったという。
気味が悪くなって、すぐ売ったという。
ところが、それを売った家でも、不幸がおきて即転売したという。
「仏像は気をつけて買わないと駄目である」と聞いていた。
 -しかしこの仏像は悪い因縁モノでなく、守り本尊のようである。
仏像は彫師や、拝み手の念が入っている。
不思議なことがおきても何も不思議ではない。

 若い時は、不思議ということは殆ど無かった。
しかし、歳を重ねれば重ねるほど、不思議の経験を多く積むようになった。
不思議としか思えないことが、あまりにも多くあった。
生きていると、思いの他の経験がドンドンおきてくるのだ。
そして、そこに不思議な深い経験をする。 これが人生である。

・・・・・・・・・
529、人の一生
- 2002年09月24日(火)

仏教説話でよくきく内容だが、
怪獣?に追われて古井戸の紐につたわり下りようとすると、
・上からはその動物が覗?込んでいる。
・周囲の岩から蛇が首を出して狙っている。
・下には大蛇が大口を開いて、落ちてくるのを待っている。
・しがみついている紐を鼠が齧っている。
・怪獣は現実。
・周囲の岩から首を出している蛇は、四苦八苦などの病気悩み災害。
・下の大蛇は死。
・鼠は歳月ー死への。
・紐は生命。
人間の一生を例えた仏教説話である。
これからみると仏教は暗い不安な宗教ともいえる。
また井戸は内面ー孤独ともいえる。
≪こういう喩えのストーリは如何であろうか?》
ー熊に追われ井戸に逃げ込んだら、そこは酒の涌く井戸であった。
鼠や蛇がそこにいて、酒で酔っている。好みの美人もそこで酔っている。
この際自分も飲んでみたところ、その酒の美味いこと。
あまりに美味いので飲みすぎて泥酔してしまった。
ふと外をみると追いかけてきた熊ー現実もいなくなっていた。
それまでの記憶をすっかり忘れて外にでると、いないはずの熊に食べられてしまった。
これ、酒で失敗した男の話でしかないか? 何回熊に食べられた事か???!

・・・・・・・・・
[157] 自殺  2001/09/24 09:49 NoName

 ホテルオープン後10年で初めて自殺が出た。
やはりくるべき時がきたかというのが実感であった。
まだありありと憶えている、警察が呆れていたいたことを。
「確認に来たあまりに冷たい旦那と舅の態度を。」
‘表象’を見ただけだからその2人のことを責める事ができないが。

 まずは神主を呼んで御祓い、その後1週間客を泊めず閉鎖。
その後私が泊まる。さすがかなり酒を飲んで、酩酊状態で泊まった。
そのバスで(亡くなっていたバスに入ったが、怒りでそのドアを殴りつけた。
その跡は今でも残っている。今でも新潟で泊まる時は7割がたその部屋である。
ヤクザとか危ない客(私もそうか)が来るとその部屋に泊めるという。

 そして5年後再び自殺、そしてその2年後から毎年1人出ている。
朝7時前電話があると、ああまたか!ヤクザの脅しか自殺かと!
最近ヤクザのそれはほとんどなくなったが。
「ヤクザは自動的にに3秒で‘暴力団担当’と‘機捜’と‘駅前交番’に電話する事が
マニュアル化してあるからだ。これは彼らは情報で解っているから絶対にこない。」
間抜けな流しのそれが来るが、すぐ青い顔をして出て行く。
今はもう止めた。最期の部屋に泊まって戴いて有難うと思うようにしている。

 自殺の方法とその事情は当事者として詳しく警察から聞くことができる。
そして、それぞれの人生の深遠さに身も竦むことがある。
見事な死にかたにバスタブにシーツを敷きその後、
お湯を一杯溜め睡眠薬ウイスキーを飲んで溺死。
もし死にたくなったら一番よい方法ではないか。