つれづれに

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 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=ihDQ2zx-2WQ

 いつの間にか、6月に入っていた。 ワールドカップが開始になる。
あまりサッカーは、興味がないが、それでもワールドカップといえば、少しは興味が向く。
ブラジルも、面白い国である。 ここまで来ても、開催反対デモが起こっている。
会場の工事も、まだ完成してないところが、あるという。 

 天皇様も、無事、お帰りになった? 面白いことに、提灯行列の呼びかけ。
もう、年齢からして、最期の訪問の可能性があるから参加するという
動機も出てくるが・・・ まあ、面白い国である。

 何か、冷夏といっていたが、もう猛暑に近い状態。 
そろそろ、物価が上がり始めて来たようだ。上がれば買わない、
物価高の消費低迷の悪循環が出てきそう。年金生活に入って、成るほど、
収入が低く抑えられると、こういう感覚になるのか、奇妙な気持ちになる。


・・・・・
2251, ビョーキな人々探訪記  -1
2007年06月02日(土)
才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪             ー読書日記ー
      「変? ビョーキな人々探訪記」著者・中村うさぎ
またまた「中村うさぎ」である。
買い物依存症の中村が、他の依存症の人と語る、際どい話である。
この変な人が、それに劣らないほどの変な人の病巣を浮き上がらせる。
やはり両親、特に父親との愛情不足の問題がある。
色いろ反省することが多い。
両親から愛情をたっぷり注がれたわりに子供には?等々・・・
ーまずは、その目次からー
*私たちって「変」ですか?うさぎと語る12人
ー目次
和田秀樹―「買い物依存症」になって考えた。人間はなぜ、心の病に罹るのか?
原田宗典躁鬱病VS依存症。どっちがバカで、どっちが辛いか?ま、いい勝負だが。
本橋信宏覚醒剤やめますか、人間やめますか?それとも人間やめたくて覚醒剤をやるんですか?
島村洋子―お互いのすべてを肯定する快感! だから恋愛って、素晴らしいと思う
横森理香―お人形さん願望と自己実現願望。エステサロンは女の業の吹き溜まり。
団鬼六 ―鬼畜のブランド買いVS鬼六のサディズム!さて両者の接点は?
尾崎弥生―やめられない、止まらない。餓鬼のごとく貪る、過食の恐怖…!
宮台真司―少年犯罪と依存症。他者への攻撃行動と自分への破壊行動は、正反対の存在か?
月乃光司―引きこもりからアルコール依存症へ。自意識の病は人を限りなく転落させる。
松本侑子―男であること、女であること。それって、そんなに大事なことなのか?
沢村拓也―ホストにハマった中村うさぎをベテランホストは救ってくれるか!?
苫米地英人ーなぜ、やめられない。なぜ、破滅したがる。
      依存症の不思議に、脳機能学が答える!
 ーーーー
この本の書評をいざ書くとなる難しい?
どこから書いてよいのやら、とまずは深呼吸をしないと、
それで上記の上から、気の向いたまま面白いところを抜粋してみよう。
下手な精神病理の話より、ずっと話の奥行きが深い。
*買い物依存タワーハッカー
まずは和田秀樹の「買い物依存タワーハッカー説」より。
後楽園のタワーハッカーに乗るたび、とてつもなく恐怖と後悔を味わう中村。
だが猛スピードで落ちた後に押し寄せてくるのは、これまたとてつもない陶酔感と
異様な達成感で、全身が鳥肌立つほど興奮してしまうのだ。
これは「死の恐怖」に直面した脳が、恐怖をやわらげるための脳内麻薬を
ドッバーと分泌するからではないか。
そして、中村が浪費するたびに味わう恐怖と快感は、このタワーハッカー
同じ現象が起きているせいではないか、と。
和田:「アルコール依存症」と「大酒飲み」の一番の違いは、
 ひとりで飲むか、誰かと飲むかの、ということなんです。
 いつも誰かと一緒に飲んでいる人は、依存症にまずならない。
中村:わかります。その気持ち。私は誰かと一緒に行く買い物はダメなんです。
 ひとりじゃないと絶対にヤダ。
和田:依存症状態になった人は、自分の内面に深く入り込みますから、
 ひとりではまっていくのです。
和田:何より、自己洞察の世界に入っていますから。これだけ自己分析が
 できるというのは、重症ではないと思います。普通なら、自分が見えなくなって
 しまうのが依存症の基本ですから。直そうと思っている時点で、充分治る可能性は
 あると思います。
 ーーーー
「秘境旅行依存症」というのがあるなら、少し「買い物依存症」に似ている。
この浪費で味わう事前の恐怖と達成感の快感は、タワーハッカーの現象に似ている。
いやまだあった、ニュージーランド南アフリカでのバンジージャンプは、
この数百倍?の恐怖と達成感である。
それと「アルコール依存症」は一歩手前までいったと思ったが全く関係ない。
一人、黙々と飲むのが、特徴のようだ。 私が経験したのは、単なる大酒のみである。
ただ、守ったのは一人酒のハシゴ、この味を覚えたらアル中になる予感がしたからだ。
              see you again!(*ゝェ・)/~☆Bye-Bye♪
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2006年06月02日(金)
1886, 友、遠方より来るー2
              (。・ω・)ノ☆゚+.オハヨゥゥゥ
訪ねてきた友人と話していて、
37年ぶりの忘れていた昔のエピソードの中に、
若い時の自分の姿が垣間見ることができた。
若いときは神経質で、プライドだけは高くピリピリしていた。
振り返ってみると、家庭環境が大きく自分を支配していたのが解る。
自由になるということは、家庭環境などに植えつけられた価値観や
思い込みから解き放たれることである。
一生かかって、その壁を乗り越えるのが人生である。
前にも書いたが、中学の担任の先生が停年退職の祝いの同級会の二次会で、
私に悩みを打ち明けたことがあった。 「俺には、俺の人生がなかった!」と。
昔の学生時代の友人とのエピソードの中に、当時はまだ支配されていた両親の価値観や
躾などから発する喜怒哀楽などに、その壁を見ることができる。
 私の記憶には全く残ってないが、その友人が言うには、
「欧州旅行時に、船の甲板でセーターを私から借りた。
そして返そうと手渡したら、烈火のごとく怒った。
‘たたんであったセーターを返す時は、たたんで返すのがスジだろう。
それを、そのまま返すのは失礼じゃないか!」 と。
今なら、まあいいや!位にしか思わないが、
10才位までの家庭環境が10人の大家族のうえに、従業員が7~8名が住み込みでいた。
そのため人に対する気配りを幼児の時から仕込まれていて、金の貸し借りは厳禁、
ものの貸し借りも非常に厳しく制限されていた影響が残っていたのだろう。
当時も25人の寮生活をしていて、他人に対する気遣いが要求されていた。
合気道というクラブにも入っていた。
 当の本人(友人)は集団生活などしたこともなく、友人から怒鳴られたこと無かった。
「その時、初めて相手に対する気づかいを教えられた」という。
それ依頼、現在でも他人に対する気遣いの教訓にしてきたという。
「ふーん、昔から怒りっぽいかったのだ。それと、躾がチャンと身についていて、
知らないうちに友人に押し付けていた」と、改めて思い知った。
しかし当時、島田の彼の家に泊めてもらった時のこと。
朝食を食べている時に、箸を持った手で味噌汁の御椀を持ったら
「何で、そんなミットモナイことをするのだ」と怒鳴られたことがあった。
私の家では、箸での引き膳などに対して注意されることはなかった。
それぞれの家庭文化があるのだ。それは結婚した時に、互いに実感することであるが。
寮生活でも、全国から集まっている多種の人と共同生活をしていると、
それぞれの人の背後にある家庭まで見えてくる。
そして異種の人との軋轢が、現在になって勉強になっていたと、恩い知らされる。
その点で軍隊生活の経験も必要ではないだろうか。
変な洗脳がなければ、の話だが。
        (o´・ェ・`o)ノ♪ バイバイ!
・・・・・・・
2005年06月02日(木)
1521, お人よしニッポン
昨日の産経新聞4面の「北京春秋」というコラムーお人よしニッポンーというコラムが、
言いえて妙で面白い内容であった。日中関係の悪化のおり、この紹介してあった小話が
「日本人のお人よし」を旨くあらわしている。
先日書いた、『知らないことを知らない恐ろしさ』に内容は通じるが!
その内容とは。
小話-1
「・アメリカ人は殴りたい奴を殴る。
 ・イギリス人は殴られている奴を殴る。
 ・ロシア人は殴られたら殴り変えす。
 ・中国人は殴られたら抗議する。
 ・日本人は殴られても愛してしまう。 
 中国人は殴られなくとも抗議するというところか」
小話ー2
「六ヶ国協議で日本人がトイレに立った後の会話。
・中国「日本を本気で怒らせようと思っても難しい。
    潜水艦で領海を侵犯してもおこらない
・韓国「独島を占拠しても怒らない。」
・ロシア「北方領土を占拠し続けても怒らない。
北朝鮮「なら俺がミサイルを撃ち込んでみようか。」
アメリカ「よせ、もう60年前に原爆をうちこんでみた。」
まあ強烈な皮肉の小話だが、今の日本の弱腰の外交をそのまま言い表しているようだ。
まずはアメリカの属国であることを直視すること。そして今後も属国であり続けるのか、
真の独立を図るのか? 前者を選択をしているのが現状である。
現在の事態では真の独立は無理?!

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2004年06月02日(水)
1156, 世間とは-4

「世間さま」という、我々を取り囲んでいる妄想について何回も書いてきた。
世間とは、いつの間にか自分で作りあげてきた「バカの壁」でもある。
といって、日本のような島国では、どうしてもお互いに気を使いながら
「世間さま」から自分を守らねばならない悲しい国民性も仕方がない。
藤沢周平の「海鳴り」の中で、ある商人の世間に対する気持が正直に書いてあった。
作家は、世間というものを鋭く観察するものと感心をした。
私の世間感とほぼ一緒である。それぞれの世界では、世間の妄想とはこんなものだろう。
-たしかに世間には善意の人もいれば、悪意の人もいた。
世間は時には悪意をむき出しにして襲いかかってきたが、
稀には救いの手を差しのべても来たのである。
渡る世間は鬼ばかりではなく、世間は善意と悪意の巨大な混合物だった。
だが善意の人も、一たん利害が対立すると、手のひらを返したように
悪意に満ちた中傷をばら撒いたりすることもめずらしくなかった。
つまり、と新兵衛はそのころ思ったものだ。
無償の善意などというものを世間に期待するのは馬鹿げていて、
この世はむしろ悪意に満ちていて、隙があれば足元をすくおうとしている
と覚悟をしていた方がいい。
それが、どうにか自分の才覚でまわりと折り合いをつけ、自分自身も
人の足をすくうような真似をして、きわどく世を渡っているうちに。
商人である小野屋新兵衛の身についたようなものだった。
その中で得た一番の教訓は、人に弱味を見せてはならないということだった。
世間に侮られず、憎まれず世間を渡るということは難しいことだった。
だがかりに憎まれても、根性さえしっかりしていれば、商いが潰れるような
ことはない。同業に憎まれながら大きくなった須川屋嘉助のような例もある。
須川屋は人の思惑など屁とも思わず、憎まれれば反発をしてコワモテの
商いをして、ついには誰も手がつけられない大物になった。
だが、人に弱味をにぎられ、侮られるようになると、商いもお終いだった。
人の弱味をにぎり、侮る側に回ったときの世間が、
いかに残酷に振舞うかをみてきている。

・・・・・・・
2003年06月02日(月)
789, 東京見物
この二日間、東京と鎌倉に行ってきた。まずは初日の東京見物の話。
さっき帰ってきたところだが、「新潟と地球の僻地」を行ったり来たり
していた世界とは少し違う。
一泊二日で約16000円の東京宿泊パックである。
新幹線とホテルのパックで、ホテル代が無料ということになる。
指定された列車で、二人以上という条件がつくが安い。
日曜日の8時45分の新幹線で出発する。家内は上野で降りて、息子に会いに行く。
私は東京駅近くの八重洲ブックセンターに行く。
13時の待ち合わせまで、アッという間に時間が過ぎる。
よくぞこれだけ面白そうな本があるものと驚く。その後、家内と丸ビルに行く。
思ったより落ち着いた、奇をてらってないのがよかった。
そこの和食のランチが1800円と高いが、それを感じさせない店であった。
そして日本橋三越本店に行く。 店員の多いのと、催事場の人の多さに驚く。
それと年配ー60歳から80歳が8割がたであった。
17時半より、はとバスに乗る。20数年ぶりのハトバスである。
新宿の高層ビルの54階での食事と、お台場をまわるコースで7500円である。
50人以上の定員に12名の乗客である。
世界の刺激の強いところばかり行っていた為か喩えると、
薄いコーヒーをクリープをタップリ入れて飲んだ感覚であった。
お台場も雨上がりの為、何ともいえない趣があったが!
それより、新宿のパックの指定されたホテルが見つからず、危なそうな場所を
さ迷ったほうが刺激的であった。ポイントを効率的に回った!のがよかった。

・・・・・・・・・
2002年06月02日(日)
425,父・堀井誠作のこと-2
・女性の噂の全くない非常に真面目の人であった。
 家庭人としてこれが一番の基本である。
・非常にシャイなところがあった。
・商売では非常に厳しし反面、それを離れるとやさしいところがあった。
 これは自分で心がけているが、営業を狙ってくるタイプはその隙を狙ってくる。
 年内にその整理に入る!!!!ーこれは自分の話しか!
・その時々の時代に合わせて仕事を変えていったのは、最も学ぶ事であった。
・仕事も私生活も、楽しむ事が基本にあった。これも両親からの最大の教えである。
・宗教に関しては、ごく普通の仏教徒であった。
 特に法事などの仏事に関しては非常に大事にしていた。
 これを疎かにすると家が傾くと本当に信じているようだった。
 集り坊主の丁度いいお客様であった。
 所詮はレジャーでしかないのにーこれは私の主観。
・お金に関して父なりの金銭哲学があった。
   ー何を奇麗事を言っても、お金に関しては赤裸々な欲がある。
   -あまりに露骨の欲の塊が金、それをちゃんと見据えろ。
   -金は仕事の楽しみのカス、自分でその楽しみを見つけるべし。
・若い時に肋膜炎になり、戦争に行かないですんだ。
 これがコンプレックスと幸運の両方で人生観の背後にあったようだ。
・どちらかというと、母が男のように芯の強いところがあり、
 逆に父はシャイなところがあった。
・母から聞いた話だが、人間的に面白いエピソードがある。
 -戦前に一年に一商売をすると、一年間一家が生活できるだけの
  利益があったという。その商売が成立すると、50銭ー今でいうと5000
  ~10000円の硬貨を耳に挟んで、嬉しそうに一人で夜食事に行ったという。
 -5円なら解るが,50銭というところが自分に似ている。