つれづれに

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 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=FKkejo2dMV4

 乗り換えの車選定も終わり、もとの平凡な日々に戻った。
選んだ車は、
 ・5年前の中古車で、57千キロ走行のマークXジオ。 多機能の使いかってが可能で、
 55歳以上の、車好きを対象にしたトヨタ車。しかし、ヒットはしなかったようだが、
 私のようにセダン風で、荷物を乗せることが出来、販売時の半値以下の希望者には
 これ以上のものはなかった。 「そう自分に言い聞かせているだけじゃないか?」と
 家内に言われているが、実際に、そうだから・・・ 来週末辺の納車予定。
・・・・・・・
3715, 閑話小題 
2011年05月28日(土)
  * フレンドリーの雀はメタボ
 毎朝、信濃川に冬期間を除いてサイクリングに行くようになって一年半になる。
10日ほど前に、いつものベンチのところでストレッチをしていると、一メールほどのところに雀がきてジッとみている。
外国では公園などで何度も人懐こい雀には出会っているが、日本では珍しい。暫くすると、餌が貰えないと判断したのか飛んでいった。
 ところが昨日の早朝に、同じ場所で座って休んでいると、雀が50センチもしない自転車のハンドルに止まって、こちらを見ている。
ポケットに何かと探したが、クリスクしかない。それを一粒、地面に投げたが、パンや菓子屑でないと思ったのか、見向きもしない。 
よく見ると、普通の雀の二倍近くもありコロコロしている。もしかしたら、雀ではないのでは?と、見直したが、やはり雀である。 
恐らく誰かが餌付けをしているうち、他の人からも餌を貰っているうち太ったのだろう。 親しそうに近くにきて見つめられれば、
何か餌を与えたくなるのが人情。 その結果が、メタボである。恐らく、私も近々に、餌を与えることになるだろうが。雀と鳩は、
世界中、いたるところで見かけられるが、その国々によって、微妙に違う。餌によるのだろう。ところで最近、本当に雀の数が
少なくなったような気がするが・・・ 餌といえば、アイスランドに行ったときのこと。 ホテルの近くの公園を散歩をしていたら、
野生の大ガンの群れの一羽にクラッカーを与えたところ、数十羽の群れが、家内と私のところに押し寄せてきた。 
無我夢中で逃げたが、その時の恐怖といったら! 早朝で無人だったから、幻想的な思い出として残っている。
http://www.youtube.com/watch?v=QqLU-o7N7Kw

・・・・・・
1516, 気の発見-2
2005年05月28日(土)
 http://www.youtube.com/watch?v=FKkejo2dMV4気の話なら、40年のキャリアがある。
この随想日記でも何度か書いてきたと思ったが、どういうわけか、
これをテーマにしたものは全く無かった。
「気功」などというと誤解されるか、全く知らない人には説明が難しいから、
取りあげなかったのだろう。
本棚を見ただけで10冊以上はある。
・「『気が』もっとわかる本」
・「真気光」
・「『気』で心と体が変わる」
・「気の威力」
・「病は気から」
・「『気』と正しくつき合う本」
・「‘気'の発見」
・「『栗田式』超呼吸法」 
・「帯津良一自然治癒力の脅威」
などなど、
図書館で借りてきて読んだ本を加えれば20冊は軽く越える。
(もっとも理解していたかどうかは、全く別の話。
殆どが、その本を買ったことで安心して知ったつもりでいるだけだったが。)
その集大成が、「ウォーキング気功」である。
しかし、解りやすいという点では、この本は群を抜いている。
ー以下は要所の抜粋であるー
ーー
望月
植物は、色いろな気を出しているようです。
たとえばサボテンなどは、ふわふわっとした気持ちのよい気を出していますし、
またアジサイなどは強い気を出しています。
強すぎて人間が負けてしまうこともある。
じつは犬や猫など、よく気功が効くのです。
気功にきた人の犬が関節炎があるというので、本人の治療の前に10~15分間
犬に気を当てたところ、その時はグッタリとしていたのが、本人の気功が終わった後に、
その犬がピョンピョン飛び回っているのです。
五木
犬や猫の場合、自己暗示とかメンタルな関係がないから、
「気」がストレートに入ってくるのだしょうか。
望月
犬より猫の方がもっと敏感で、私が手を近づけると皮膚がピクピク反応してきます。
人間以上に敏感なのです。
 --
望月
気功治療が効くかどうかに関して、これまでの経験から、5つのタイプに
分類しているんです。
1、もともと気の通りがよくて心がオープンな人。
 こういう人は直に効きます。
2、身体的に気の通りがよいが、心が閉じている人。
 心を開くようにもっていくと開いてくれます。
3、もともと気の通りが悪くとも、心がオープンな人。
 こういう人は、2~3回と通ううちに効いてきます。
4、もともと気の通りが悪くて、心の閉じている人。
 こういう人は殆んど何の反応もありません。
5、どうして治ったか、本人も私も医者も全く解らないケース。
 これにも二つあり
 物理的にも、医学的にも、殆んど無理だと思われても奇跡的に治る場合と、
 体が反応して、気の流れがスムースにいくが、直らないケースがある。
 ーー
五木
浄土教の初期の教えに、観念念仏といって、頭の中で、阿弥陀如来の光を浴びて、
満ち足りた気持ちで浄土にいることを想像する行法があるのですが、
そのように自分でイメージをする。凝り固まった細胞一つひとつに
「気」が風のように、ザーッとなびきながら、きらきら光りながら、体のなかで
喜びの歌を歌っているんだ・・・・と思うんです。
望月
そうイメージすると、かならずそうなりますから。
 --
五木
遠隔治療は本当に効くのですか?
望月
こういうふうに私は考えるんですね。
この部屋には、目には見えないけれど、世界中の電波がきていると。
それが証拠に、ラジオやテレビの受信機を置いて、ある周波数に合わせたら、
この空間から、英語とかロシア語が出てきますよね。
五木
車内で携帯電話をかけたりすると、ラジオの音に雑音が混じって混線をしたように
なります。われわれの周囲には、無数の電流があってお互いに影響を与えている
ことが理解できます。
望月
それとおなじように、私が気を送ると、それは、電波のように、相手のところに
届くんですね。ここで私の気を受けようと思ってリラックスしたら、
その瞬間から私の周波数にダイヤルを合わせたことになる。
そうすると、私の送るエネルギーを受信できる。
そう考えるといいんじゃないですか。
                       つづく
・・・・・・・
2004年05月28日(金)
1151, 「老い」を考えてみる

誰しも老いるのは嫌であるが、それは「長生きをしたからであり、
そうプラスに考えれば、老いもそう悪いものではないのではないか」と考えてきた。
老いは誰もが通らなくてはならない道である。
人生とは、徳川家康でないが重荷を背負った山登りに似ている。
登るほど息切れする。しかし視野は広くなることも事実である。
身体の老いより、心の老いが怖ろしいのが老齢期の大問題である。
「青春は失策、壮年は苦闘、老年は悔恨」というが、それを乗りこえた
精神の自由を維持することが、大事ではないだろうか。
若いときには、われわれは愛するために生きるが、年を重ねるとともに、
生きるために愛することが必要になってくる。過去を振り返って、その重さに
耐えきれなくなる時、愛と感謝で包み込まなくてはならなくなるからだ。
身近の色いろの人をみると、
「若い生活をしている者は若いが、老いた生活をしている人は老いている」というのが解る。
何があっても、精神は常に若く保たなくてはならない。
人は老年を恐れるが、そこまで到達するかどうか解らないのに、気楽なものである。
人生は飛び立つ時より着地が難しいのは、飛行機と同じようなものだ。
とくに商売や事業をしているものにとって、最後は切実な問題になる。
そこでいかにソフトランデングするかが問題になる。
「60過ぎのことを、それまで全て先取りをしてしまえ」と思って生きてきたことが、
今になって本当に良かった思い始めている。気力、体力、金力のバランスが崩れてきて、
どうしても計画どおり行かなくなる。色々な問題が弱いところに出てくる。
それなら、無理をしても60前にした方がよいと自覚していた。義兄がしっかり60過ぎの
準備をしていて、ルンルン気分でいたが、60歳直後に亡くなってしまった。
思った通りにいかないのが人生である。
初めから、人生の余白を埋めるのも大事ということを教えてもらった。
いずれにしても、一日一日前向きに精一杯生きていけばよいのだろうが。
以前、20歳上の従姉が、自分の90歳でなくなった母親のことを回顧して
『母は50,60,70,80歳の峠を越えていった凄さが解るようになってきた』
と言っていたのが印象的である。
老いに関しては現在読み続けている藤沢周平の小説の隠れたテーマの一つだ。
彼は主人公を通して、老いいく人生の切なさや、最後の光り方を切々と書いている。
もう目の前に、一つの峠が見えてきた。

・・・・・・
2003年05月28日(水)
784, 芸術家と芸人

5~6年前に、「異種業の会ー旅行に出てみないかい?」と誘われて、
面白そうなので参加した。大学教授、大手代理店の課長、芸術家数人、二代目等、
個性的な人の集まりであった。
一回目が九州と大阪。二回めが盛岡と札幌・函館の視察であった。
県からの補助金で食事を含めて全て無料であった。
日本が背伸びをした、足の下をそのまま見ているようでもあった。
反面、将来の姿とはこんなもの?と予感できる世界であった。
といって、取ってつけた感も否めなかった。
 一回目が北九州の福岡ドームとホテルと再開発地区、長崎市の観光、
湯布院、大阪の再開発の視察であった。半分はその名を借りたお遊びでもある。
しかしどこも新鮮な夢のある輝かしい?世界であった。
特に北九州の再開発は、北九州がアジアに向けての拠点を目指しているのが感じ取れた。
再開発には否定的だが、こういうものの表面だけを見るとなるほど
騙されるのも解るような気がした。湯布院が期待していた以上であった。
時代劇の映画に出てくる隠れ里のような山里にあった。個性的な店が多く出ていた。
料理屋に小物や民芸品を売っているのが何ともセンスがよい。
若い女性や若者だけでなく、あらゆる年代の人が楽しめる。
映画セットの中にいるような感じがした。
30数年前の軽井沢の旧軽通りに少し似ていたが、湯布院のほうがゆったり
ほのぼのとした感じで好きだ。

 二回目が、盛岡、札幌、函館の視察であった。
メンバーはほぼ同じである。これも楽しい面白い旅行であった。
札幌の郊外の丘陵地帯にある芸術をモチーフにした公園には驚かされた。
いま考えてみると、バブルの一現象だったのだろうが、広大な敷地と
モチーフが何ともいえない安らぎを与えてくれた。
函館の、観光をモチーフにした街つくりも素晴らしい内容であった。
石原裕次郎をモチーフにした館とか、ガラス細工専門店とか、年中クリスマスグッズを
売っている店があったり、寿司屋がところ狭しと並んでいる街とか、楽しいのだ。
この旅行で芸術家数人に向かって、
「芸術家なんて気取っているけど、所詮は物を作る芸人だろう!」と酔って言ったらしい。
ところが芸術家たちが、その言葉にいやに納得くしていたとか。

・・・・・・
2002年05月28日(火)
420,世間とは

「西洋でいう個人が確立されてない日本では、社会は存在していないのでないか?」
という疑問が以前からあった。
その代わり存在するのは、噂と悪口からでお互い牽制しあう「世間」である。
阿部謹也の「世間とは何か」という本を立ち読みをして、思わず納得した。
現在国際社会で日本が冷笑されるのも、もともと日本では存在していない
国際「社会」の中で、常に世間という日本社会を外に出してしまう為である。
勤めとか事業で、いろいろの地域社会をみてきて漫画的な社会?構造に驚いた。
世間様の存在と、それに対するペルソナー仮面を付けて、全員して演技している滑稽さである。
それは社会というより、群れという感覚でありその統制は噂と恥の文化である。
ある作家がある部落に住んで、、その滑稽を「気違い部落」という本で著した。
それが売れると、逆に気違い?にされ村八分にされてしまった事が、
話題になったことがあった。世間に属さない他者は今の日本では人であって人間でない、
と先ほどの「世間とは何か」に書いてあった。  
その地域の集り坊主とか、地銀とかに勤め、支店長あたりになる。
そしてその地域の噂社会の中で、よい人を演技する?のが、「世間を渡る」という世界。
この世界で、個人として真っ当に生きるには、強靭な意思と主体が必要だ。
結局それを殺ぎ落とさないと、生きていけない社会でもある。
そして自分とは何かを死に近づいて考えて、気づく?
世間に縛られた小さな一生を、その時初めて悔やむ!
世間とは、幻想社会という事を!
日本の島国的特性そのものだ。

ーーーーーーーーーーーーー
10年前書いた文章です。
H0407城下街小唄
 私の出身地の長岡はかつて“長岡藩”の城下街であった。
その大手通りのほとんど真中に生まれ育った事もあり、その長所・短所がよくわかる。
その特質は閉鎖性・固定的、商人的であり、
“城下街曼陀羅”がきっちりできており漫画的ですらある。
彼等の社会は“ウワサ社会”で構成されている。
特に長岡財界とかいう社会が存在(?)しており、彼等の出す“ウワサ”
がその社会を大きく左右する。
それが事実であろうがなかろうが“マンダラ”
の中心点に近い人間が言った事こそ絶対のようだ。
(“ウワサ”として)彼等の社会をみていて、維持型の人間こそ“一級”と評価される。
固定社会が故に何もしない(何もできない)事こそがベストなのだ。
“非能動的二代目+婿取り娘サロン社会”と言える。先日もいやな“ウワサ”を聞いた、
今は下火になったのだが、新興の各業界の?1の社長が十人あまり?1が、
ゆえに聞くに耐えない“ウワサ”を流された。
“一種の集団いじめ”なのだが、そのストーリーが陰湿でリアリテーにとんでいる。
冷静に考えればほとんどが尾鰭のついたウソである?
それがおもしろおかしくて集団ヒステリック的につくりあげられており、
自らの名が出るかどうか怯えている。
“参加型うわさゲーム”を全員で楽しんでいる“痴呆社会”そのものである。

・・・・・・
2001年05月28日(月)
[34] 糸井重里サイトを見て感じた事
糸井重里の「ほぼ日刊糸井重里新聞」を二年前にホームペジを開いて、
現在1日二十数万のアクセスがあるという。

ちょっとした新聞社なみだ。開いてみたがなるほど面白い!ホームページ作りより、
自分自身のインターネットに対する感覚が変わってきている事がわかる。
考えてみたら1度ホームページに載せたら、そのデータは半永久的に残る。
ホームページは墓場と言っていたが、そのとうり。永久に残るデータベースである。
糸井重里本人が「不思議な感覚」と言っていたがわかるような気がする。