つれづれに

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 今朝は、どんよりと曇った中、ポタリング、迷ったが決行。
何とか、雨に当たらず、ギリギリセーフ。 栖吉川経由、北長岡、蔵王橋、
大手大橋、そして長岡大橋、栖吉川コースで、75分。 殆ど散歩者も無い
土手もなかなか良いもの。



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2005年05月13日(金)
1501, 人生の敗北者とはどんな人か?-3

人生の敗北者が本当にいるのか? という疑問が生ずる。
敗北とは、自分が決めるもので他者の表層を見ての判断ではない。
しかし「‘プライドと、それに対応した被害妄想’のために、
自分の壁になる対象を否定。それ故に一生を棒にふるってしまっている人」を
見ると、敗北者と観るのも当然である。もちろん誰の中にも多くの要素が存在している。
ー彼ら(自分)の心の呟きとは、「そうでも思わなくては自分の精神を保つことが出来ない。
それと実際のところ、そう思ってストーリーの構築をしないと自分の正義は成立しない!」

「敗北者には、お互いに傷を舐めあう共通精神が必要だ。
その敗北者の共通根性こそ安らぎになる。我われには共通の敵がいるのだ。
その共通の敵は、絶対数が少ないので攻撃をしやすいし、攻撃することで
我われのプライドは満たされている。敗者の惨めさは敗者しか味わったことがなく、
この苦しみ、この惨めさは、勝者には解ろうはずがない」

「敗北というが、何を持って敗北と言うのか?決して敗北ではない!
立場が違うのだ!大体が人が嫌いなのである、アクセクしているより
面白おかしく人生を生きた方がよいではないか。
何を一生懸命生きる必要があるのか? 何を学ぶ必要があるのか?
悪い奴らを疑い、憎悪するのは当然のこと、叩かれれば叩き返せばよい。
目には目をというではないか。何を奇麗事をいう必要など何処にあるというのか?」
等々と、それぞれの言い訳がある。
(はっきり言うと、これは私の内面の声である。だから、スラスラ書けるのだ)
言い訳を先ず考えてから、ものごとに対処しようとするのが共通点にある。
対象によって勝者と敗者に分かれる部分がある。心の中は、この二人の会話の部分がある。
だから複雑になってしまう。でも敗者の方がいつも勝ってしまう。
心は否定の方が勝つ構造になっている。だから知識が必要なのだ。
この年齢になって、教養の必要性が今更のように解ってくる。

・・・・・・
2004年05月13日(木)
1136, 「世界がもし100人の村だったら-(2)」

以前この本の(1)を買ったが、この続刊のー(2)が図書館にあった。
目を通すと、-(1)の解説書という内容であったが、さらに考えさせられるものであった。
これは世界の象徴であると同時に、グローバル社会の我々にとって、大きくかかわってくる。
ユダヤ民族が牛耳っているアメリカがいかに世界の富を独占しているか、
そして貧富の差が世界を覆っているかが一目瞭然と解る本ともいえる。
イラクアメリカの侵攻の意味も、この数字を見ながら考えると不気味な感がする。
 ー「世界がもし100人の村だったら」ー(1)の概要を、まず抜粋してみると          
  <世界には63億人の人がいますがもしもそれを100人の村に縮めるとどうなるのでしょう。>
  100人のうち
  52人が女性です
  48人が男性です

  30人が子どもで
  70人が大人です
  そのうち7人がお年寄りです

  90人が異性愛者で
  10人が同性愛者です

  70人が有色人種で
  30人が白人です

  61人がアジア人です
  13人がアフリカ人
  13人が南北アメリカ
  12人がヨーロッパ人
  あとは南太平洋地域の人です

  33人がキリスト教
  19人がイスラム
  13人がヒンドゥー教
  6人が仏教を信じています
  5人は、木や石など、すべての自然に
  霊魂があると信じています
  24人は、ほかのさまざまな宗教を
  信じているか
  あるいはなにも信じていません

  17人は中国語をしゃべり
  9人は英語
  8人はヒンディー語ウルドゥー語
  6人はスペイン語
  6人はロシア語を
  4人はアラビア語をしゃべります
  これでようやく、村人の半分です
  あとの半分はベンガル語ポルトガル語
  インドネシア語、日本語ドイツ語、
  フランス語などをしゃべります

  いろいろな人がいるこの村では
  あなたとは違う人を理解すること
  相手をあるがままに受け入れること
  そしてなにより

  そういうことを知ることがとても大切です

  また、こんなふうにも考えてみてください
  村に住む人びとの100人のうち

  20人は栄養がじゅうぶんではなく
  1人は死にそうなほどです
  でも15人は太り過ぎです

  すべての富のうち
  6人が59%をもっていて
  みんなアメリカ合衆国の人です
  74人が39%を
  20人が、たったの2%を
  分けあっています

  すべてのエネルギーのうち
  20人が80%を使い
  80人が20%を分けあっています

  75人は食べ物の蓄えがあり
  雨露をしのぐところがあります
  でも、あとの25人は
  そうではありません
  17人は、きれいで安全な水を
  飲めません

  銀行に預金があり、財布にお金があり
  家のどこかに小銭が転がっている人は
  いちばん豊かな8人のうちの1人です

  自分の車をもっている人は
  7人のうちの1人です

  村人のうち1人が大学の教育を受け
  2人がコンピューターをもっています
  けれど、
  14人は文字が読めません

  もしもあなたが
  いやがらせや逮捕や拷問や死を恐れずに
  信仰や信条、良心に従って
  なにかをし、ものが言えるなら
  そうでない48人より恵まれています

  もしもあなたが
  空爆や襲撃や地雷による殺戮や
  武装集団のレイプや拉致に
  おびえていなければ
  そうでない20人より
  恵まれています

  1年間に、村では
  1人が亡くなります
  でも、1年に2人
  赤ちゃんが生まれるので
  来年、村人は101人になります

  もしもこのメールを読めたなら、
  この瞬間、あなたの幸せは
  2倍にも3倍にもなります
  なぜならあなたには
  あなたのことを思ってこれを送った
  誰かがいるだけでなく
  文字も読めるからです

  けれどなにより
  あなたは
  生きているからです

  昔の人は言いました
  めぐり往くもの、
  また巡り還る、と

  だからあなたは、
  深ぶかと歌ってください
  のびやかに踊ってください
  心をこめて生きてください
  たとえあなたが、傷ついていても
  傷ついたことなどないかのように
  愛してください

  まずあなたが
  愛してください
  あなた自身と、人が
  この村に生きてある
  ということを

  もしもたくさんのわたし・たちが
  この村を愛することを知ったなら
  まだ間にあいます
  人びとを引き裂いている非道な力から
  この村を救えます
  きっと         『世界がもし100人の村だったら』池田香代子 
  以下はインターネットで検索してコピーした内容である。
   ---
 
 ミリオンセラーになったネットロア(インターネットによる民話)
世界がもし100人の村だったら』の原点と背景がここに明らかになっている。
 百人百様の解釈、感想、批判から私たちの未来を考える。
「100人の村」の原点は、
環境学者ドネラ・メドウズが1990年5月に発表した「村の現状報告」というコラムの一編だ。
冷戦末期の世界を1000人の村にたとえ、そこにある矛盾と危機を平易に明快に示している。
本書ではこの「1000人の村の現状報告」を完全絵本化。
「100人の村」との対比も編者が加えている。
「村の現状報告」の1000人の村を100人の村に書き換えたメールの発信者はいまだに不詳と
されているが、世界を凝縮して考えるこの発想は多くの人々の心を揺り動かした。
数字の根拠はどこにあるのか。「村の現状報告」が書かれてからどう変化したのか。
「100人の村白書」の章では、ひとつひとつの数字を統計的に検証している。
「世界はどうしてこんなにいびつになってしまったのか」
「私たちはどこかで間違ってしまったのではないか」。
2001年9月11日のテロとその後始まった対テロ戦争は、強烈にこのことを私たちに突きつけた。
世界がもし100人の村だったら』は、多くの人に世界の
現状を教え、この話を読むことができた自分は恵まれているのだということに気づかせ、
「私にできることはなんだろう?」と考えさせた。
その一方で「貧しい人を下に見て、豊かな側にいる自分に満足している」
「数字で表すことができない幸福があることを忘れてはいないか」といった指摘も あった
という。これには、作家、池澤夏樹政治学者、ダクラス・スミス、大学教授、 大野健一、
そして国境なき医師団の黒崎伸子らがそれぞれの立場から意見を寄せている。
ドネラ・メドウズは2001年2月に「9.11」を知ることなく没したが、残したメッセージは
インターネットをきっかけに爆発的に広まった。"Think global, act local.
" この書は再びそのことを考えるきっかけになるだろう。(篠田なぎさ)
100人の村はそれだけではなかった。
前作「世界がもし100人の村だったら」では、60億人といわれる世界の人口を100人に
縮めるとどうなるかを仮定したものでした。
本書「世界がもし100人の村だったら-2」はその原点にある「1000人の村」の
たとえが載っています。
「100人の村」では描ききれなかったことがプラスされている。
「100人の村」より簡潔さが落ちました。さらなるおもしろさはあまり期待できません。
それでも更に今の世界を考え「100人の村」をもっと深く知りたいという人
には丁度よい本です。
 ー前作の解説本
前作「世界がもし100人の村だったら」では、100人というわかりやすい数字での
表現でしたが、著者の池田さんがおっしゃるには『1000人の村だったのもを100人の
村としたため、心にグサッと来る表現・文学になった』とのことですが、その抽象的な数字の
裏の現実をもっと詳しく知りたい・・・という方に、この本はオススメです。
また、数字にまつわることだけでなく、人口・人種・宗教・言語・富・エネルギー・戦争ー
というように小さな章に分かれていて、世界事情についても書かれています。
知っているようで実は知らない世界のこと、もっともっと知りたいという気持ちにさせられる一冊です。

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2003年05月13日(火) 
769,「私が20歳の頃」ー読書日記

 自分の二十歳の頃は何をして、何を考えていたのかなあ?と本屋で思わず手にとってしまった。
立花隆と東大生のゼミが、いろいろな年代の人たちにインタビューを試みた本だ。
二十歳というと、人生の節目である。
その為この本に登場してくる人たちの話が自分との比較になってしまう。
どんな人たちも二十歳のころに思い悩み、試行錯誤しながら生きていた。
このころといえば人生の前途に対して大きな不安と希望が混在していた時期だった。
個人個人のそれぞれの人生があるのがよく理解できる。
それとそれぞれのバックグランドとしての時代背景があることが。
その時代背景が、その人の人生を大きく左右していることも読み取れる。
こんど「私が20歳の頃」を、このコーナーで書いてみようと思う。
以下はインターネットで調べたものです。
http://matsuda.c.u-tokyo.ac.jp/~ctakasi/hatachi/
ーーーーーーーー
ーまえがきと目次と書評ー
                新潮文庫ー781円
「私は何のために生まれて来たんだろう」「あの人の運命を決めた出来事とは?」
――二十歳のころの生き方が、その後の人生を決める。
立花ゼミ生が熱い思いで突撃取材! 安保闘争バブル崩壊オウム真理教事件
NY同時多発テロ……世界が再び混迷の時代に突入する1960~2001年に
「二十歳のころ」を迎えた多士済々39の足跡。
二十歳のころのインタビュー集
目次
 赤川次郎秋山仁/安部美知子/石弘之/板倉聖宣糸井重里/伊藤影明/
 茨木のり子エリック・ハイドシェック大江健三郎/大杉正明/小川国夫/
 小川三夫/
 鬼沢修二/加藤恭子/加藤登紀子加藤尚武/神谷郁代/萱野茂川上哲治
 黒柳徹子/小松正規/阪口浩一/坂本龍一/崎田昭夫/佐々木力/佐藤学
 下平作江/ジョージ川口妹尾河童曽野綾子滝本太郎立花隆
 タン・スリ・H・M・カティブ/筑紫哲也/恒成正敏/鶴見俊輔永沢光雄
 中松義郎/成瀬豊/二木てるみ西和彦野田秀樹萩尾望都橋爪大三郎
 バーテンダー樋口可南子日比野克彦福島瑞穂/古川昭夫/
 ヘンリク・グルデモ/牧野信雄/真智・F・デイルワース/松本零士水木しげる
 水島涼子/元オウム真理教信者/森毅/山崎章郎/山田太一山藤章二
 横尾忠則吉川弘之/吉田勝二/吉永吉正/米長邦雄/和田耕一/輪波孝禧 

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2002年05月13日(月)
405, 新潟駅前界隈ー3  ー 駅前の変遷

駅前の変遷をいうと、10年前まではビジネス旅館とミニビジネスホテル、
そしてファッションメーカーミニ工場が目に付いた。それがここ数年で殆どなくなった。
その反面、専門学校と予備校、そして1DKマンション大型のビジネスホテルが
眼につくようになってきた。若者の比重がどんどん増えている。
飲食店がどういうわけか殆ど、増えていないし減りもしてない。
殆どスナックは行ってないが、感じでは4割がたは減った?
夜が以前と様変わり、客引きが多く立つようになっている。
新潟駅構内がセゾンとか専門店がどんどん増えて、集客力を増している。
駅に隣接して、APAの百数十室のマンションができ、更に再開発ビルが
完成しようとしている。これが完成すると、感じが変わってくるだろう。
更にJRの高架の工事が始まる為、当分はー20年近くは駅周辺はエネルギーが溜まる。
話しは少しそれるが、新潟は住みやすい街である。
仙台と長野が好いというが、新潟もそれに匹敵してよいだろう。
都会の好さと、地方のよさがうまく混合している。また結構自然に恵まれている。
若者があまり東京に憧れを持たないのも、その為だ。何処も住めば都か?

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2001年05月13日(日)
図書館通い

毎週土日に一~2回は必ず図書館にかよっている。
大体好きなコーナーの好みの本は読んでしまった。
ただ好みが偏っているのが良くわかる。自分の空間の1部になってしまっている。
1回に10冊かりる事ができるのが良い。その内1^2冊あたればよい。
その当たった本の中で買えばよいのだ。図書館も慣れてくるとなかなか良い空間である。
散歩に図書館に居酒屋に通勤の新幹線、そして会社のパソコンの前と自宅のTVが
私の空間の殆どを占めている!
図書館は読もうかどうかのファジーの本を気楽に借りられるのが最大の利点だ。
これから出かけるところだ。