つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=5h31Hmq8hQg


 今日の写真はテーブルマウンティン、この写真を書店で見て、
思い切って家内と次男の三人で行ってきた。これも生涯忘れえぬ旅行だった。
まさに、これが、書店の写真集にあった一枚である。
http://www.youtube.com/watch?v=HPWpEnbNE3A
http://video.search.yahoo.co.jp/search?tt=c&ei=UTF-8&fr=sfp_as&aq=-1&oq=&p=%E3%82%AE%E3%82%A2%E3%83%8A%E9%AB%98%E5%9C%B0&meta=vc%3D
http://www.youtube.com/watch?v=ZqslqrstkO0


H0909ギアナ旅行記
 この数年、秘境の旅に凝っている!
そしてそれが深いほど新しい感激・感慨が大きくなる。
南米大陸の一番上に位置するベネズエラの首都カラカス。
そこより目指すギニア高地の基地、カナイマへ。
更にそこからオリノコ川の最大の支流カロニ川の上流に、秘境ギニア高地が
広がっていた。インディオの操縦で四日間にわたって
「エンゼルフォールを目指すアドベンチャー・ツアー」
コナン・ドイルの“ロスト・ワールド”の空想小説の舞台となった
テーブル・マウンテンは、一〇〇〇m~三〇〇〇mの垂直に切り立った
絶壁に囲まれた台地がいくつもそびえ立っていた。
そこより落ちる滝は多いときで二〇〇~三〇〇にもなり、その中で一番有名なのが、
世界最長の落差のエンゼルフォールである。その長さは一〇〇〇m、
山道を一時間以上かけ登り、麓より見上げた滝の雄大さ、神秘性は言い知れぬ
迫力があった。ここでは生物の生存がほとんど不可能であるという。
ボートでそのテーブルマウンティンの勇姿を見た時、魂を電流がつき抜けて
いったような感動で自然と腰骨がピンと立ち、ただ茫然としていた。
そして涙が自然と流れ出てきていた。数億年の大自然の時空を直感できた感動であった。
「これで人生の感動の分岐点を充分越える事ができた!」という言葉が、脳をよぎった。
原始人が自然に対して“神”を直感するとは、このような二十億年の時空の中の
一瞬の何かを観たのだ!。
この旅行はただテーブル・マウンテンと密林とそこを流れる川、
そして滝だけであった。ただ高地の間に流れる川をのぼっていく
ボートツアーでしかない!。でもそれだけがすばらしいのだ。
そのトレッキングの真髄を初めて経験でき、新しい世界を
かい間見た十日間であった。 (H9.8/23~9/)


・・・・・・
1769, 閑話小題
2006年02月05日(日)
ー エ!まさか
先月の末の話になるが、長岡のある料理屋が閉鎖をしたと朝日新聞の新潟版に
別枠で大きく取り扱われていた。店主が店の2Fで心不全で亡くなっていたのが
翌日になって発見されたとか。戦前(この言葉も古いが)から七十数年も続いた店で、
両親に何度か連れられていった記憶が鮮明に残っている。
タンシチュウや、エビフライなど独特の味付けだった。昨年の暮れ、家内とその店に
向かったが途中で吹雪いたため、駅前の居酒屋に入ってしまった。
一昨夜、長岡で飲んだおり居酒屋とスナックでその話をしたところ、自?という。
4~5軒まわった店では全員がそのことをしっていた。いま殿町では、その話でモチッキリ。
どの店も不景気で他人事でないだけに身に沁みるという。
 有名な飲食店が数年前に店主が病死をして閉店をしたのも、実は自?だったとか、
あの店も、その店の誰かも、実をいうと??で・・そのほとんどが借金苦だったという。
これだけ災害が続けばお客の足が遠のくのもわかるが。
  ーライブドア症候群
2006年01月26日朝日新聞 株価欄ー経済気象台の内容が鋭い。
まずは、その内容である。
 ライブドアショックが日本を揺るがしている。
株価の下落は、22万人に上るライブドア株主だけでなく、
多くの機関投資家個人投資家の資産価値を毀損(きそん)させた。
証券取引所のシステム整備の遅れや法制度・監督体制の不備も明らかになった。
しかし、ライブドアショックが提起した本質的な問題は別のところにある。
・第一は、投資家が企業や事業そのものを客観的に判断せず、
株価や時価総額の成長だけに目を奪われていたことである。
ライブドアの高成長を支えたのは、マネーゲームによる利益であり、
本業であるIT事業ではなかった。
それなのに、ライブドアはIT企業の旗手ともてはやされた。
 90年代末のアメリカで生じたネットバブルでも、全く同じことが起きた。
事業の実体がないにもかかわらず成長期待だけでネット企業の株価が急騰を続けた。
しかしやがて過大評価だったことが明らかとなり、不正経理による利益水増しも表面化して、
バブルは終わった。その教訓が日本では生かされていなかったのである。
・第二は、高成長が改革の成果だと信じ込まされていたことである。
急成長中のIT企業、若い経営者、古い秩序の破壊者といったイメージを持つ
ライブドア構造改革の象徴として申し分なかった。
しかし、その高成長は構造改革の成果でもなんでもなかったし、
景気回復を支えてきたのは、実はオールドエコノミー企業の復活だった。
 今回のライブドアショックは、なにやら理解しがたい企業の急成長に、
理由もわからず拍手喝采を送っていた人々へのカウンターパンチだった
のではないか。これを契機に、経済成長の真の担い手は誰なのかが
改めて確認されることになれば、日本経済にとってマイナスではない。
そして、これまでの構造改革がわれわれに何をもたらしてきたのかも、
併せて問われるべきではないかと思う。(山人)
  ー
まさか、IT関連に投資して甘い汁を吸っていた連中に
向かって「ざまあ~みろ]]ともいえないし!
ーー
   ー11人のハーレムとは
11人の愛人を持った57歳男が逮捕された。
生活費は、その11人がパートなどで稼いでいたという。
よくぞコントロールしたものだ。それよりその精力には!驚きだ。
彼女達は共同体を求めていたのか?画面からは精力絶倫のオットセイに
メスが群れているにしかみえないが、私の知らない何か?があるのだろう。  
その夢に出てきた呪文とやらは、何なのだろうかと誰もが興味を持って当然だ。
『その呪文を唱えると、女性に持てる!』という言葉そのものが呪文ではないか?

・・・・・・
2005年02月05日(土)
1404, 立花隆の旅について
 この人の本を読むと、その博学と行動力の凄さに驚きざるを得ない。
深い人間洞察を何気なく言ってのける。長年かけた知識構築の結果といえば、
それまでだが。人間洞察を旅を通して語っているから尚のこと解りやすい。
人生は旅であるからだ。今回借りてきた、「思索紀行」-ぼくはこんな旅をしてきた
の序論のなかの「旅と人間について」の次の文章でもいえる。
ーすべての人の現在は、結局、その人の過去の経験の集大成としてある。
その人が過去に読んだり、見たり、聞いたりして、考え、感じたすべてのこと、
誰かと交わして印象深い会話のすべて、心のなかで自問自答したことのすべてが、
その人の最も本質的な現存在を構成する。考えた末に、あるいは深い考えなしに
したすべての行動、その行動から得られた結末に対して反省や省察を加えたすべて、
あるいは獲得されたさまざまの反射反応が、その人の行動パターンを作っていく。
人間存在をこのようなものと捉えるとき、その人のすべての形成要因として
旅の持つ意味の大きさがわかるだろう。日常に支配された、パターン化された
行動の繰り返しからは、新しいものは何も生まれては来ない。
知性も感性も眠り込むだけだろう。意欲行動も生まれては来ない。
人間の脳は、知情意のすべてにわたって、ルーチン化されたものは
いっさい意識の上にのぼらせないで処理できるようになっている。
そして、そのように処理されたものは、記憶にもされないようになっている。
意識の上にのぼり記憶されるのは、新奇さの要素があるものだけなのだ。
旅は日常性からの脱却そのものだから、その過程で得られたすべてが
新奇の要素を持ち、記憶されると同時に、その人の個性と知情意の
システムにユニークな刻印を刻んでいく。旅で経験するすべてのことが
その人を変えていく。その人を作りかえていく。
旅の前と後では、その人は同じ人であり得ない。
旅の意味をもう少し拡張して、人の日常生活ですら無数の小さな旅の集積と
とらえるなら、人は無数の旅の、あるいは「大きな旅の無数な構成要素」が
もたらす小さな変化の集積体として常住不断の変化をとげつつある存在といってよい。
 ーー
以上であるが、人間と旅の本質をズバリ言い当てている。
旅行に行って帰ってくると、それまでの自分とは別人になったような感覚になる。
行った先の自然や文明文化から受けた感動によるものだ。旅行で感動した幾つかが、
自分の人生の魂の奥に沈んで、人生の大きな骨格になっている。
そして、一回行った旅行は、それぞれが今も現実的に続いている。
TVや書物で、その後も多くの疑似体験ができるからだ。
何処かしら週に2~3回は情報媒体を通して、その続きの経験をしている。
この随想日記も、過去の出来事、考えたこと、経験の集積ぶつを拾い上げ
書き出している。汲んでも汲んでも尽きることなく出てくる。

・・・・・・
2004年02月05日(木)
1037, 「わたしは悪い不動産屋」
 読書日記-1
本屋で何回も立ち読みをしていたが、ついに買ってしまった。
知り尽くしている私が読んでも、面白いのだから素人は是非読むことを勧めます。
こと不動産業界に関しては、一般の素人は非常に用心すべき世界である。
最近よく目にするマンションでAP?とかいうマンションがあるが、
知る人ぞ知る危ない典型の??である。
建設業界やマンション業界すべてを、素人なら危ない世界と認識しておくべきだ。
内装の一枚内側の設備などは、どうなっているか解らない。
会社は何処も火の車、何時潰れたもおかしくないのが内情である。
彼等はどこで手を抜くか、目に見えない配管とかの隠れたところしかない。
その結果は、買って10年~20年経ってから欠陥として出てくるから始末が悪い。
間違いなく10年~15年で五分の一以下に確実になるのに、20~30年ローンで
買わされている。無知そのものが罪だというが、露骨に自分に帰ってくる世界である。
マンションを10年前に買った人のいまの相場を聞いてみればよい。殆どが5分の1以下である。
ファッションの服やバックは、一年経てば五分の一である。
コストからみると、買った瞬間2分の1である。
本人もそれでよいと納得した買っているので、それはそれでよい。
それと同じ感覚でマンションや住宅を買ってしまうことが問題なのである。
新興のマンションメーカーはファッションマンションとして割り切って
お客の無知を狙っているのだ。それが消費者の意向ならそれでよいと。
酷いといえば酷いが、飛びつく無知も無知である。
以下はホームページから調べた概要である。      ー つづく
 ーーーーーーー
 のっけから意表をつくタイトルだが、実際にはない土地を売るなどの
いわゆる地面師みたいな本当に悪い不動産屋なら、捕まって免許剥奪、
不動産屋も解雇である。従って、この本で扱うのは、あくまで合法の範囲で、
どのように不動産屋がインチキ臭いことをするのかといった話である。
 やはり多いのは、買い換え住み替えにまつわるはなしで、買いを先行して
買い契約をしたはいいが、売りが思うようにいかず、結局、二束三文でしか
現在の住居が売れないため、ローンをささえきれず、両方の家を手放さざるを
得なかったという悲惨な話である。
これは不動産屋が「おたくなら××万で売れますよ」と無責任なことを吹き
込んだことが悪いのだが、もちろん合法的な営業活動の範囲と言えるだろう。
 あとは、やはり、その物件の悪いことは不動産屋は自分から進んで
言わないということだろうか。雨の日は道が冠水するとか、古屋のある土地の
水道管が錆びているとか、ひどいのは、土地の一部が公道になっていたことが
建て替えるときになってわかったというものもある。
 当たり前といえば、当たり前かも知れない。
要は疑ってかかれと言うことだろうか。これらは、チェックすれば買い主が
自分でわかる話なので、悪い不動産屋を語るということは、不動産の本質を
論じることにもなっている。あと、不動産屋の暮らしぶりというのもわかり、
不動産屋になるのも悪くないかななどと思わせ、好著であると思う。
 結局のところ、この作者は、気の弱い客に対してたまに強引に契約を
迫ることがある程度で、本当のワルではない(らしい(笑))。
不動産屋というあこぎな職業に日々良心を痛めながらお客のために仕事に
励むいい人である(かのように描かれている)。
これから不動産をと言う人は読んでも悪くない。
ーーーー
レビュー
Amazon.co.jp
現役の不動産関係者が、不動産業界の裏事情と、悪徳セールスパーソンの
さまざまな手口を明らかにした衝撃の1冊。詐欺まがいの悪質な手口から、
合法ではあるが、買い手がだまされそうな不動産業界の「ジョーシキ」までが、
当事者の声で生々しく紹介されている。
本書によると、不動産業界では、安く不動産を買い取るために、
サクラを使って「こんなに高いの?」と言わせてみたり、他の不動産屋に
頼んで安い価格で声をかけさせてみたり、といったことがまかり通っている
というのだから開いた口がふさがらない。それでいて買い手に対しては、
「一生に一度、二度あるかないかという大きな買い物なのに、不動産屋の
いうことを鵜呑みにして、自分たちはまったく勉強しない『バカさ加減』
を思いしらせてやることも、不動産というものをよく理解するには重要なこと
だと思う」などと言い放つ。不動産業者のしたたかさが伝わってくるようである。

もちろん、不動産業者の悪質な手口を紹介して終わり、というわけではない。
客に対する警鐘を鳴らした後は、不動産売買の際に知っておきたいさまざまな
基礎知識やアドバイスも提供してくれる。新築と中古物件の違いや、
買い替えの際の注意点、不動産の資産価値の測り方、契約に関する基礎知識、
悪徳業者の見極め方などは、ぜひとも押さえておきたいところだ。
また、契約ごとに印鑑登録を破棄する老人の話をはじめ、適宜興味深い
トピックをはさんでいるので、楽しく読み進めることができるだろう。
人生における最大の買い物を成功させるためにも、ぜひ読んでおきたい。(土井英司)

大倉辰吾 (2000/12/16)

・・・・・・
2003年02月05日(水)
672,嘆きの部屋
・高校同級の土田氏が入院でわずか3週間で亡くなった。
 食道がんで肺に転移もう末期だったという。
 一瞬で地獄の底に突き落とされた恐怖は言語に絶するものだったろう。
 「病院には嘆きの部屋」があるとモッケイクラブを事務所の部屋で開い
 ていた時に、看護学校の末期医療専門の女の先生が来て話してくれたことがあった。
・絶望のその気持ちや混乱を大声で喚くことで静める防音の部屋がどこの病院にも
あるという。もう他人事ではない年齢だ。本人しか解らない死の恐怖!
 死を自覚してから死ぬまでの時間、それまで生きてきた全ての人生を圧縮
 した時間が流れるという。
 キュ-プラー・ロスという「死ぬ瞬間」という本を出している死の見取りを
 専門にしてきた人が、その本で究極の死を受け入れの心理過程を書いている。
 確かまずは拒否、怒り、取引ー自分との、受容。
・父が死ぬまでの一年間、しっかりとその時間の中でそのプロセスをみた。
 生への渇望ーその砂漠の真ん中に一人取り残された生への渇きの極限状態だ。
 その時父に「昔の哲学者がー本人にとって死はない!という話をした。
 死んだ瞬間それは自分でないから、生きている限り自分の死は存在しない。
 存在するのは他人の死だけだーエピクロス」と。 父がその時ホッとした顔で
「死について初めて解ったような気がした」と答えた対話が鮮明に残っている。
 それまでの父の口癖は「死んでしまえばそれまでよ!」であった。
・死ぬのは仕方がないことである。ただ後悔をして死にたくない!
 いや、後悔したっていいじゃないか、死んでしまえば全て無なのだから。
 生まれる時も独り、死ぬ時も独り。
 生きている時も独りだ。ただ忘れているだけでしかない。
 考えてみれば、生まれる前の状態に戻るだけ。
 誰もが生まれる前の状態と、死んだ後の状態が生きている時でも
 取り囲んでいる。寝ている状態はその際に戻っているのだろう!
 以上、死のおさらいでした!
 
 ・・・・・・
 2002年02月05日(火)
 322、一人旅 ー「北海道」編
 「 北海道一周、九州一周、紀伊半島能登半島
 けっこう経験しているが、世界一周の一人旅の経験はしてない。
人見知りするためか、どちらかというと「一人旅」は苦手だ!
といって振り返ってみると、結構経験をしていた。
若い時の一番人見知りの時期ほど旅をしているのは、若さのエネルギーか?
そのいくつかを書いてみよう。
今回は北海道である。大学の4年の時である。今でいうと自己逃避か、
はやまた気取りか。いやそうしなくてはならない「自身の何か?」であった。
かっこよく言えば行き詰った自己打開ということだったのか?
といって、それほど無理した旅行でなかった!
殆ど記憶に残ってないが、確か列車の乗り継いで青森へ!
そして連絡船で函館?そして札幌、釧路、根室、知床、網走と汽車を乗り継いだ。
書いていていて、多くのことを思い出してきた!
印象的なことが結構ある。やはり青春の一番の思い出の一つである。
自分ながらよく行ったものである。世界への一人旅へ出なかったのが悔やまれる?
いや当時はまだ無理だった?あの時何故日記を書かなかったのか?書いておけばよかった!
何か何処かの山の上によじ登り、尾根を歩いたのを思い出した!
一人に対して何の寂しさとか、不安は何もなかった?いやあったが忘れてしまったのか?
函館の函館山から見た夜景を鮮明に思い出した。屈斜路湖摩周湖、層雲峡と・・・・
一応振り返ってみると、やるべき時にやるべき事はやっていたようだ。30数年たって、
この旅行を初めて振り返ってみた。行方不明のアルバムに写真が残っている筈だが。
青春時代はいつも大きい壁があった。その為フラストレーションがマグマのように
溜まっていた。それがエネルギーになっていたのだろう。

・・・・・・
2月5日 1969年
11時に「価格理論」の試験であった。
あれだけ必死の勉強をしたが、満足がいかなかった。
帰りは、川崎と一緒だった。帰寮後は、今日の試験のショックで
やる気が起きない。いや、昨日のこともあるか。
産関論の試験勉強をする。あまり熱が入らない。しかし途中から集中ができた。
その中でヤマをかけたが、どうなるか分からない。 気持ちは刹那的である。