つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=BAaCjsDU2bM

 一般的に、今日から1月5日までの休暇になる。9連休になるが、
私には、もう関係がない。今年は、世界的にも、国内も、私の身辺も、
さしたることが無かった。無事是好年。

 スポーツジムは、今日が最終日になり、一週間後の土曜日が初日。
何の予定もなく、テレビ三昧になるか? 


・・・・・
1730, 新潟県活性化案
2005年12月28日(水)

ある知人から、新潟県活性化案の知恵を貸してもらえないかと相談を受けた。
学生時代のゼミの後輩だけに、私の知恵を搾り出せるだけ出した案が、以下の通りである。
                     (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
1、新幹線を新潟飛行場まで延長する。
2、新潟飛行場を3千㍍に延長してハブ空港(国際空港)化する。
3、コスト削減のため単線にする。
4、第三セクターを立ち上げ、新潟飛行場周辺を数十万坪買い上げ、そこを特区にして
  高層のビルの容積率を1千%に上げ、買入価格の二~三倍の値段で売却して、
新幹線の工事費の半分以上か大部分を捻出する。
5、飛行場と東・西港周辺に大流通センターの特区とする。
6、飛行場から新潟駅まで新幹線の線路を使った新交通システム無人電車を通す。
(新幹線の空いている時間をフルに使う) ー特区地区の住民には格安の乗車券にする。
7、新潟駅から朱鷺メッセ~西港~飛行場~東港の新交通システムを別に通す
以上、新潟県を「環日本海拠点都市」と位置づけ、宣言をする。
 その象徴として「東京駅から飛行場への直接乗り入れの新幹線」を上越新幹線の特化とする。
 ーー
これが私の新潟県活性化のための原案である。今さら、観光は金沢・富山・福井の観光資源に
対して太刀打ちはできないのは誰の目にも明らかである。
それなら東京駅から新潟飛行場まで直接乗り入れをすることで、日本初の直接乗り入れの
ハブ空港にすれば良い。
 これからは、中国・ロシア・朝鮮半島の時代であり、首都圏からは一番近い立地を
生かした拠点として、物流基地、アジア大陸への拠点基地として首都圏への中継基地として、
さらには独自の物流基地化しか新潟県の生きるしかない。
 新潟から2百㌔のテリトリーとした商圏のハブ空港化を売りに出すべきだ。
これが軌道にのるには20~30年のスパンがかかるが、これなくして新潟県の活性化はありえない。
おそらく、この案に近いものが方針に出されるだろう。何故なら、当たり前のことだから! 
角栄が失脚してから、この視点を持ちえる政治家がいなかっただけだ。
新幹線の速度を上げさせ、30分の短縮をさせ、事故で数百人を死なせるぐらいの
(政治家の)知恵しかないのか? 速度を可能な限りだし短縮するのは悪くはないが。
                        ξ\(・_・)バイ
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2004年12月28日(火)
1365, シンプルの勧め-3
以前にも何回か、シンプルの勧めを書いてきた。
服装に関して、昔の旦那様の粋な着物の着こなしについて書いた。
欧州を旅行していると、気づくことが服装のセンスである。よく見ると、シンプルなのである。
基調は白と黒である。 白と黒のどちらかといえば、黒である。
他は、せいぜいベージュか、濃紺か、ネズ。しかしデザインがよい、それもシンプルである。
それと、ネッカチーフとか、くづ下とか、カバンや、帽子などの色を変えてポイントにしている。
オカマのオスギが、銀座で服装チェックの番組がある。家内が好きなので見ることがあるが笑ってしまう。
気取ってブランド物を身につけている人を片っ端から切り捨てている。着こなしているつもりの
ブランド物のバランスがチグハグなのだ。すべての人が、「コスプレ」そのもの、チンドンヤ以下である。
 銀座で目立つブランド物を固めている人はコスプレ!と、思ってウオッチングをして歩けば楽しいだろう。
「銀座の街を意識した、外見を繕っている世界のコスプレ!」 は少し言いすぎか?そう思っていれば、
ブランド物など欲しくはなくなるはずである。土人が西洋のブランド物を身につけても似合うわけがない。
まして、黄色人種はさらに似合わないのが解からないのが可笑しいのだ。
 オスギが言いたいことはただ一つ、「シンプルに、着こなしているかどうか」である。
定番的服装をまず着こなすことという。
 一例をあげれば、パリでよく見かける、何げない白のブラウスに、濃紺のタイトスカート。
これを何人が着こなすことができるだろうか。定番的服装も着こなしができない人ほどブランド物に頼る。
よくスナックなどで見かける、やり手ブス風ブランドチャラチャラ女。
 そういう視点で人生を見直すと、また面白いことに気がつく。捨てて捨てて捨て去った時のシンプルさは、
禅僧の生き方に見られる。そこまでは極端としても、他人に惑わされているものを最小限度にすべきである。
 一般には、死を宣言されて人生を振り返った時に、無駄なことが何であったか、初めて気がつく。
人間関係もそうだ!
捨てて捨てて捨て去った時に残ったシンプルこそ一番重要なことだ。
 但し若いうちは、せいぜい派手に、その時にしか着れない色彩をして、
多くのものを身に着けてみることも必要なことである。
  
ーーーーーーー
2002/10/22
基調色-着こなしのコツ  -2

ある洋服屋だった社長から聞いた話である
ー昔の大金持ちの旦那衆は、目立たない高級呉服を似た柄で何枚も持っていて毎日着替えていた。
よほどの目が利く人でないと、その違いが判らない。無頓着にいつも同じ服を着ていると思わせていた。
チョットした柄の違いのもので、羽織や帯や足袋をかえていた。
そういう粋な着方が本当のお洒落だとかー基調色を決めておくというのに合い通じる内容だ。
たったこれだけの話の中に多くの教訓が入っている。シンプル、スタンダード、スペシャリテー、
セグメントのチェーン理論のドライ主義が全て入っている。一番主義と集中主義である。
目立たないーシンプル、スタンダードー似た柄で、高価なースペシャリテー、何枚もーセグメントである。
何代も続く家柄という長い時間の中で、体得した知恵なのだろう。
日本も洋服を着るようになって、まだ日が浅い。着こなしでは当然欧米人に比べ落ちるのは仕方がない。
しかし和服ではチャンと着合わせが出来ていた。

色というと7色が基本となる。どうしても私などは単色と思いがちだ。
しかし赤一つとっても数千種類もあるという。理屈からいえば無限のはずだが。
江戸時代はその色の違いを楽しんでいた。そして自分の好きな赤を決めていたという。
本当にイロイロあるものだ。

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2003年12月28日(日)
998, アマチャアビデオ特集
 昨夜NHKで「アマチュアビデオ特集」を放送していた。
単身赴任の父親に赤ちゃんの姿を映像に録って、毎日TV電話に送る姿や、小学生のグループが
テーマを決めてビデオで録って編集をする活動があった。また庭で雀が、足が何かに絡んで
動けなくなった仲間を助けようという微笑ましい内容が映しだされていた。
 井筒和幸という映画監督が、解説をしていたが、
この中で「他人に見せるということになると、全く違ったビデオの内容になる。
もっと深く言えば、誰に見せるのかを意識をした時に内容は全く変わってくる」
という言葉が印象的であった。
 ところで私の随想日記を一番意識をしているのは子孫の眼である。
その意識を持ったと同時に、書く内容が変ってきた。それにしては、あまりに露悪であるが。
その経験があるから井筒監督の言葉が理解できた。
反対に、現在書き写している22歳時の日記は、ただ何も考えないで
自分をコントロールする為に書いたものと思われる。(動機が定かでない)
 技術の進化に伴なって、限りない能力が出来てくるものである。
このデジタル化などによる高度情報化社会は無限の進化を遂げていくだろう。
誰もがプロになれる時代になったのだ。その境が無くなりつつある。
そうすると、自分の分野をきっちり決めて掘り下げていくしかない。逆に誰もがプロになれるのだ。
100年後は予測も出来ない社会になっているはずだ。10年後さえ予測不可能だ。
十年前にインターネットや携帯TV電話の普及を殆ど誰も予測できなかった。
個人がより主体的になる近未来が見えてきた。

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2002年12月28日(土)
624,今年の総括
今年の総括の時期になった。毎年卓上日記に書いている。
・姉正子が亡くなる ー9人のうち4人死んだ。
・父方のオバがなくなる。父方の叔父の連れ添いだ。
 これで父の兄弟・姉妹とその連れ14人が全てが亡くなった。 年齢の一つの風景か。
・海外は三回行った。 西アフリカ、スイス、パタゴニアだ。これで39回、60歳までの
50回の目標に近づいたが。 来年は戦争の可能性があり、どうなることか。
・子供は長男が再就職と更なる転職。 次男は会社ごと身売り、転籍。
 これは時代の風景だろう。
会社は
・この不景気の中一応順調に経過という事か?
 相変わらず銀行の貸しはがしの予兆があったが。 借り入れも一応順調にいった。
・売り上げも微弱ですんだが利益は2割減、来年はどうなることか。新入社員が6名入って若返った。
国際社会は去年は歴史的な9・11があったが、比較的に落ち着いた年だった。
北朝鮮問題がクローズアップしてきた。国内も比較的安定した年だったが、
景気がますます悪くなって救いがたい状況になった。
国内も国際的にも20世紀的なものが本格的に壊れ始めてきたのが
今年の特徴だった。自民党は仮面を変えてしぶとく残っているが。

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2001年12月28日(金)
283、創業の頃ー2

中途採用は‘男で、一ヶ所でオぺレーションを4~5年以上やってきたキャリア’以外は入れない。
間違えて入れたら、いらない苦労を背負い込むからだ。
ある日のこと,ライバルになる会社の事務の責任者と名乗る女性から電話が入った。
会いたい、どうしても面接をして欲しいとのこと。かなり強引の電話内容であった、そうして会った。
「取引先から貴方の事を聞いた、ほれ込んだぜひ自分を使ってほしい」とのこと。
私もドライだが、こういう小説みたいな事は、まずいのは解かっている。それより立ち上げの時は、
なるべく汚れてない(癖のついてない)人間を集めないと、空中分解をする可能性を孕む。
当たり前のことだが、人間は過去の経験に縛られて一歩もそれから出れない
性(さが)をもつ、更にそれに対し無自覚だ。
その意味で人選は立ち上げ(創業)の一番の要素になる。当然その話は成立しなかった。
次はマネージャーである。初めは潰れたばかりの建築メーカの元課長。
癖がついていてマネジャーに不適任。すぐ話し合い解消、次の人選。時計やの2代目!
これも一週間でヤメ。あとはリクルートしかないと、東京まで中途採用の関連会社に出向いて、
広告と面接!そして応募してきた今の支配人と出会う。

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12月28日 1968年

11時に起床。13時に千葉の姉の優子さん宅に向かう。途中花屋で植木の花を買っていく。
卒論の清書をしてもらった分をもらい、16時半に帰路につく。
途中に集団すりを目撃をする。財布を掏ろうとして騒がれて慌てて逃げていった。17時半に帰寮。
20時に帰省バスに乗る為に新宿に行く。21時のバスに乗る。翌朝の5時に到着。家に着いたあと就寝。
ーこの4ヶ月の日記を見ると字があまりに乱雑である。他人に見せるものでないとしても、
これ自体自分の姿である。最近自分というものに対して目覚めてきたと同時に、
自分に懐疑的になってきた。そして少しのことで動揺するのだ。この二ヶ月間は特にそうだ。
また同時に脱皮に向かってモソモソしているようだ。
自分の理念とは何だろうか?
・創造、遊び、愛、知性という面から、それぞれをどう位置づけるか。
自分の理想的なバランスである。
・それと真善美のいう面からも自分のバランスを考えてみよう。
ー 創造について
 男としては、価値基準の一番の指標になる。 これは生きていく手段としてより、
人生の目的として、 自己の具現化として追求するのが重視されて当然のことである。
 人生の大部分はこれを追求すべきである。 その追求をしていく過程・・・・
ー愛について
 ・・・・・・・
ー遊びについて
 ・・・・・・・

 省略