つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=WBY5q2IRu3M

 今日の午後からは、大学の同級会で上京。
このところ、数年連続で出席している。一歩、地元から出るだけで充分。
そういえば、今年は一歩も県外に出ていない。ターナー展を見るか、それとも
秋葉原か、書店の丸善にでも行くか。



・・・・・
2074, 寝ずの番
2006年12月07日(木)
            才八∋ウ_〆(∀`●) 
先週の金曜日の昼休みに、近くのレンタルDVDショップで何気なく
「寝ずの番」を借りた。
落語家の大御所の葬式にまつわるコメディーで面白そうであった。
そして事務所に帰ってきて30分もしないうちに義母の死亡の連絡が入った。
その夜は生通夜、翌日が通夜、そしてその翌日が葬式とつづいた。何かの因縁だろうと、
土曜日の納棺・通夜の出発まで時間があったのでDVDを見ることにした。
くしくもそれが通夜の内容で、下ネタのヒットパレードである。
不謹慎と解っていても、2時間近く爆笑であった。!!(^Q^)/゛
「寝ずの番」とは、生通夜に線香を絶やさず故人の思い出を語って、一夜を過ごす風習である。
この映画は、それを題材に色いろな故人のエピソードを面白おかしく笑い飛ばすストーリーである。
伊丹十三の「お葬式」や「男はつらいよ」などで、通夜のドラマが演じられている。
    泣きながら頭にあるのは相続の算段をしているのが、シビアで笑いを誘う。
ーその概要といえばー
俳優・津川雅彦が、祖父(牧野省三)、叔父(マキノ 雅弘)と同じ「マキノ」性で
映画監督デビューした作品でもあり、原作は故中島らもである。
笑満亭橋鶴という落語家一門の「寝ずの番」の可笑しくも悲しい物語。
師匠橋鶴、一番弟子橋次、おかみさん(師匠の奥さん)志津子と次々に亡くなり、
それぞれのお通夜でのエピソードが味がある。
始りの場面が、死に際の師匠の「そそ が見たい」という言葉から始まる。
(実はそそは‘空’の聞き違いだが)
そこで弟子の上さんの??を死に際の師匠に、見せる場面から・・・
 映画全体が下ネタのオンパレードである。 
 o_ _)ノ彡☆ ぎゃはは                   _(_ _)ノ彡☆ばんばん!
    ---
京都で饅頭のことを「おまん」というらしが、京都でこの言葉を聞いて赤面したことがあるが・・。
ここまで次々と艶歌や下用語が出ていると、逆にイヤらしくなくなるから不思議である。
浅丘ルリ子米倉涼子中村勘三郎桂三枝笑福亭鶴瓶などが本人役でチョイ役で出てきたが、
津川雅彦の友情出演だろう。 笑満亭橋鶴のモデルは、鶴瓶の師匠・笑福亭松鶴?。
生通夜の席上、亡き骸と踊る“らくだのカンカン踊り”や、下ネタの‘座敷歌合戦’は「粋」でさえある。
死ぬ前に遺した最期の言葉で残っているのはゲーテは「光を、もっと光を・・・」
ベートーベンは、「友よ拍手を!喜劇は終わった!」トルストイは、「私は真実を愛する」である。
そして、この映画の笑満亭橋鶴は「そら(そそ)が見たい」である。         
 邦画が再び息を吹き返してきたようだ。この映画は明らかに中年年代以上を狙ったもの。
しかし、悲しみを笑いに変えて偲ぶ内容は、下手な泣きよりも深い愛情が出て良いものだ。
葬式ほど、虚実の虚構そのものに目がいくから、尚のこと下ネタの奥にある人間味が表出するのだろう。
 それにしても、えげつない!!
下ネタ‘座敷歌合戦’の中の
「ちんぽ、ちんぽと、いばるな、ちんぽ ちんぽ まんこのつまようじ
まんこ まんこと、 いばるなまんこ まんこ ちんぽの??? 」
など、ふきだしてしまった! 
         !(^o^)  バイバイ♪
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2005年12月07日(水)
1709, 耐震偽造問題について 
マンションとホテルの耐震強度偽装問題は、あまりに悪質である。これまで
「建設業界そのものが、政治、官公庁がらみの構造汚職体質」と、このHPで辛らつの批判してきた。
その末端の一現象が、そのまま露出したにすぎない。さらに大きな広がりが、日ごとに出てくるだろう。
                           ~~匸Pヽ(・ω・`)
今回の偽造が発端になった物件は、総研というビジネスホテルの開業指導のコンサルタント会社が
偽造の設計主導をしていたというから、問題が深い。数年前に、坪・40万でホテルが建つと聞いていたが、
まさか犯罪まがいの建物とは思ってもみなかった。もし当方で数年前にホテルの計画があれば、
総研の紹介の設計施工の業者に建設させていた可能性がないとはいえない。
TVで着工時の鉄筋の骨組みの写真が出ていた。 10階の建物で、本来はビッシリ鉄筋が
詰まってなければならないのに、スカスカの鉄筋が露出して写っていた。
施工業者が気がつかないわけがない。    
ー先日の地元の新潟日報によると、
 地元最大手の福田組が、ヒューザーのマンションを川口市
建設をしていたという。(丸運建設も似たような関連がある)
                               nannjai┐(´ー`)┌
住民側の説明によると、マンションに対する瑕疵責任を負わないとヒューザー側と契約していたという。
福田組は承知の上に施工していたと疑われても仕方がない。今回、問題になって倒産した
木村建設も建設協力業者として参加していたというから犯罪集団と判っていて加担していたということだ!
ということは、犯罪集団の一員ということか?
                      Σp(`□´)q ナニィィイイイ!!
今回の被害者?のホテルをHPで調べてみたが、見ていて背筋が凍る思いである。
マフィア体質の建設業界の膿が、これからとどまることなく出るだろう。
 この事件は、考えてみれば殺人未遂事件である。明らかに、震度5の地震がおこれば
倒壊するのを知っていた確信犯である。
 阪神大震災の時に倒壊した中で、ある施工業者が建てたビルが目立っていたという。
「ドサクサで問題にならなかった」 という情報を持っていたと思われる。
---
以下は問題のホテルの一覧である。
ここではクリックしても見ることが出来ないのでサロンに張っておきます。
ホテルセンピア
http://www.saint.ne.jp/ohashi/index05.html
グレースイン前橋
http://www.grace-inn.co.jp/
名鉄イン名古屋
http://www.meitetsu-inn-nagoyakanayama.jp/
岡崎サンホテル
http://www.sun-hotel.jp/
センターワンホテル
http://www.centreone-handa.com/
京王プレッソイン
http://www.presso-inn.com/
・・・・・・・

2004年12月07日(火)
1344, 面白くない日は一日たりともつくらない
「面白くない日は一日たりとも作らない」という信念で病院をつくった
医師をテーマにした映画(内容は後でコピー)を見たことがあった。
   それを「実際に自分の生活の中で実行できまいか」と思い立って、一ヶ月経つ。
そう思って一日一日を過ごすと、いくらでも面白いネタはある。
最近、10年日記帳がマンネリ化してきたので面白日記に切り替えた。
「面白いことに、面白いネタは面白いほどあるので、面白くなってきた。」
最近気がついたのが、「面白いとは主観的」ということだ。
その切り口は、何ごとにも好奇心を持つことであり、対象の中の本質に気づくことである。
それにしても「パッチ・アダムス」という映画には考えさせられた。
「泣いて生きるも一生、笑って生きるも一生!」なら笑って生きた方が良いに決まっている。
「日曜日は笑いの一日にしている」と、以前の随想日記に書いたことがあったが、
この映画を見て思い立った。もちろん今も実行している。
ーーー
ーあるHP よりコピー
「パッチ・アダムス 」
  (98年アメリカ作品1時間56分)
「なぜ患者を病名や部屋の番号で呼ぶのか?」
「危篤と聞いて駆けつけたのに、書類がないと中に入れないとはどういうわけだ?」。
医大に入学した中年の男が、こんな疑問を投げかけながら、笑いこそ最良の薬と信じて
道化となり治療費無料の病院を作り上げていく。 実話だそうだ。
パッチには「直す、繕う」の意味がある。
「医療に人の心を」。 これがロビン・ウィリアムス演じる主人公アダムスの信念。
治療方法は患者を笑わせること。アダムスはピエロや天使の扮装をし、患者の前でステップを踏み歌を唄う。
これが可笑しい。どう見ても奇行。至極まじめな学部長とはことごとく対立する。しかし曲げない。なぜか。
重病人は絶望感に打ちのめされている。それ自体が深刻な病気だ。アダムスはそこから治さなければと考える。
いぶかしげに見ていた同級生や看護婦は、やがて彼の行動を理解する。
『パッチ・アダムス』の面白さは、システム化した現代医療の在り方に一石を投じただけにとどまらない。
理想実現にまい進する彼の生き方は、広く人の心をつかむに違いない。
 同じロビン主演の『いまを生きる』(P・ウィアー監督)をふと思い出した。
これも学園が舞台だったが、双方の主人公を見ていると前向きな気持ちが湧いてくる。
 かつてアダムスは精神病院に入院していた。自殺癖があった。
そんな彼に生きる目標を与えたのは、カウンセリングの医師ではなく
同じ病院の入院患者だった。その老人、親指を折った手を見せてアダムスに聞く。
「何本に見える?」。「4本」と答えると老人は首を振り「目の前に見えるものにとらわれちゃ駄目だ」。
ヒントを与えられてアダムスは正解にたどりつき、同時に患者が患者を治すこともあると悟る。
「患者と医師になんの違いがあるのか」。 だが、順風に見えたその後の彼に思わぬ不幸も襲う。
ロビンが役どころとテーマに心底から共感し、楽しんで撮影に臨んだのがスクリーンを通じても伝わってくる。
スタッフたちも同じ思いであったろう。
  監督トム・シャドヤックはコメディ畑の人だが、この作品で映画心をつかんだか。

・・・・・・・・
2003年12月07日(日)
977, 「開運!なんでも鑑定団
 この番組み、いつも楽しみにしてみている。
代々、実家が古美術商であった為に両親の収集した古美術品に 囲まれて育った。
(両親は戦後になって衣料量販店に転業した。)
しかし衣料量販店で成功したお金で、趣味で骨董を買い集めていた。
  古美術の世界では「目利き」という言葉がある。
この世界では、「騙しは悪いことでない」一般から観れば異様の世界である。
・「傾むきかけた旦那様から骨董を詐欺同然で買取る」のが仕入れになる。
  まずは仕入れで大儲けをして、
・反対に「旦那様」に可能な限り高く売りつけて、儲けるのだ。
 その為には、ほぼ太鼓持ちに近い状態になる。如何に良い旦那様に贔屓にされるかが
腕になってくる。父のお客は当時軍事産業で勢いを持っていた「津上製作所」の津上退助、
山本五十六、互尊文庫の創設者の野本互尊翁などなど、そうそうのメンバーだった。
一年に一個売れば、一家が充分に生活ができる稼ぎであったという。
 両親を見ていて、その買い方の凄さにタダタダ驚いた。
「蔵出し」という言葉がある。事業が傾いた家が、道具屋と組んで蔵の古美術品を売りに出すのだ。
事業が上手くいっている人が、事業を失敗した家に乗り込んで買い取る場面に両親に連れて
行かれて何回か見た。修羅場もいいところである。子供ながら、そのことは解っていた。
私が異常に「痴呆名士や、その??息子」を嫌うのは、こういう場面を両親に意図的に見せられていた為。
「蔵出し」とは、商売の勝ち組が負け組みからただ同然で財産を買い叩くことだ。勝てば官軍、
負ければ賊軍の凝縮された場面である。絶対に負け組みになってはならないのだ。
昨日、「開運!なんでも鑑定団」を十年近く見てきた中で、一番すごい場面をみた。
「光悦」の茶碗が出てきたのだ。嘘だろうと思ってみていたら、何と本物であった。
この春、ある収集家が自信を持って出したものが全部、贋物であった。
その本人がリベンジで出てきた。10年前400万で買った「光悦」の茶碗の鑑定だ。
もし本物なら、国宝ものである。
結果からいうと本物であった。光悦の作品が17点あることは知られていて、
今まで8~9点の存在は確認されているという。新たに不明の一点が出てきたのだ。
鑑定の値段は「5千万円」であったが、実際は値がつかないだろう。
ー最近、話題はTVか、レンタルDVDの映画が多い。
どうしてもカウチポテト族になってしまう。
ーインターネットで「光悦」で調べた内容をコピーしておきます。
 本阿弥光悦
(ほんあみ こうえつ 1558~1637)
永禄元年(1558)、京都に生まれる。
安土桃山・江戸時代初期に活躍した芸術家。
近衛信尹松花堂昭乗と共に寛永の三筆の一人。
京都の三長者(後藤、茶屋、角倉)に比肩する富豪で、代々刀剣の鑑定、磨き、
浄拭を家職とした本阿弥家に生まれる。熱烈な法華教信仰を根幹とする一族の
厳格な節倹、誠心を光悦も失うことなく、和学の教養と独自の書風(光悦流)を
身につけて、美術工芸面に金字塔をうち立てた。角倉素庵に協力して出版した
嵯峨本や俵屋宗達の下絵に揮毫した和歌巻、色紙、さらに蒔絵、茶碗などは、
当代の日本文化の花と讃えられる。
茶の湯の師、古田織部が自害した1615年(元和元年)徳川家康より洛北鷹が
峰の地所を与えられ移住し、〈皆法華〉の芸術家村を築いて、題目三昧と創作、
雅遊の晩年を送った。友人は公家、武士、僧など広範に及び、〈天下の重宝〉
と惜しまれて、同地に没した。
(コンサイス日本人名辞典より抜粋)

・・・・・・・
2002年12月07日(土)
603,ある時間の断片-17
 10月8日 1968年
10時起床。12時40分に上野に向け出発。
六日町の雲頓庵へ。久々だ雲頓庵だ。計画はこうだ。
6時半起床、一時間掃除、食事、30分間座禅、9~12時勉強、
昼飯後、13時から15時勉強、30分休憩後、17時30分まで勉強。
食後30分座禅の後、19時半から23時半まで勉強。24時就寝。
卒論の大筋をつくり、目次を第三章までまとめる。小項目をそれぞれ書き込むこととする。
ー追記ー     
       2002年12月06日記
 この時に書いていた卒論の内容について書いてみる。
ー卒論 「流通革命について」
 私の卒業論文は「流通革命」であった。内容は今のスーパーの出だしのころで、
そのころ主流を占めていた百貨店や一般小売店やデスカウントハウスに変わり、
チェーン店の時代がくるという論証であった。
 その為にアメリカのチェーン店を引き合いに出して、その組織や業態を事例に出して、
これからは今までの流通経路と全く違ったバイパスとしてのチェーン店の時代の到来を、
渥美俊一や林周一の流通革命という書物を種本にして纏め上げようとしていた。
 今なら一月もしないうちに、いや二週間で軽く書き上げることができるが、
基礎となる文章の書き方も知らないで、もがき苦しんでいるのが手に取るようにわかる。
・今なら結論は何だ!と決める。その30~40語をまず決める!
・その結論を導き出す3~4の項目をたてる。それに集中する。
・あとはそれぞれのキーワードを3~4つさがす。
・あるべきスタイルをアメリカのチェーン店にモデルをさがす。
 それと日本の現状の差を見つけて埋めるプロセスたてる。
 以上を繰り返し書き直しを重ねるだろう。
34年経った今、その当時の雄であったダイエーが国家管理で、
長崎屋やニチイが倒産。西武流通グループは解体。
ヨーカ堂ジャスコも今はよいが、10年後は存続は5分5分の状態。面白いものである。

・・・・・・
2001年12月07日(金)
262,強請りーその手口
ヤクザ対処法
この仕事をやって20年、前面(現場)には一切立たない。
現場は危ない部分があったが、危ない人に一円たりとも支払った事は一度もない。
暴対法ができてから、チンピラやヤクザも大人しくなった。
しかしその以前から殆どない。現場に「すぐ警察に電話をするよう」と指示してあるからだ。
2ヶ月位前、本屋で「ヤクザの実践心理術」という本を買った。
どうということのない本だが、面白い内容であった。脅しのテクニックが詳しく書いてあった。
まず私の経験を書くと
1、彼らが一番恐れているのが警察である。
  電話を迷わずかけること、警察の門をくぐる事だ。
  ーこれをただ実直に守ったから20年間一回も脅されたことはない。
2、暴力の使用を一番恐れているのは、彼ら自身である。
  それを熟知していればよい。「恐喝で逮捕の危険」の塀の上を彼らは歩いているのだ。
3、彼らと3メートル以内に近寄らない、いや100メートルだ。
4、数年に一回ぐらい間違えて電話をとってしまうことがある。電話を無言で
  たたききる。2^3回やると二度とこない。いちゃもんのつけようがない。
5、「ワイは正しいで、間違ってるのはアンタや」という我田引水のレトリック
  をつかう。「心理学のプロフェッショナル」である。
  火のないところにイチャモンをつけ、煙を出させてシノギー稼ぎにする。
言葉のパフォーマーである。ただそれだけだ。
6、簡単だが、でも恐ろしい?‘警察’という言葉を多用することだ。
  そして行くことだ。それしかない。彼等はプロである。金のならないヤバイ相手はすぐ見抜く!
7、弱味を見せない、彼らは情報産業だ。つけ入られるような事をしないことだ。
ー先ほどの本の要旨は
・まずは怒鳴り!そして筋論に引っ張り込む。
・次は捨て身の居直り。
・王手飛車取り「数百万の損をしたとか大きく出て、数十万、時に数万を下げ強請る。
・いかに底深く、底知れなくするかを演出。ーそれを常に考えている。
・キャステングボードをとって、相手を引きずりまわすかが勝負。
・善意の第三者をよそう、そしてチャンスを狙う。
恐れるのは仕方ないが、とりあえず警察に相談それしかない。
そしてその瞬間、彼等にとって「それはもはや獲物でなくなる」
幼稚なお芝居の終了になってしまうからだ。
恐怖も悩みもそれから逃げようとせず、その中心点を凝視することだ。
「恐れさせ、混乱させ、警察に垂れ込めないようなお芝居」が彼らの実態だ。
ーこれがその本のいわんとするところだ。

・・・・・・
ある時間の断片
12月7日(土曜日)    1968年  
12時過ぎに目が覚める。何となく時間が過ぎる。18時に、山岡さんがくる。
先日のバザーのお金を受け取ってないという。私はただ言われたまま無料奉仕をしただけだ。
20個の歯ブラシ代を。永田さんがポケットに入れたままだと言う。
何で私が責められなくてはならないのだ。
11時過ぎに深井を呼ぶ。この前、ドタキャンに対して強く彼を責める。
言い過ぎたようだが、これでよい。 夜半の0時に駒村と米林と3人でのみにいく。
駒村が、かなり酔ってしまった。私のことを寮の先輩として尊敬すると褒め立ててきた。
お世辞でも嬉しい。この時、思わずオーストリアに行った河路先輩を非難してしまった。
また、満田先輩もだ。寮から抜け出れない姿勢が問題であると。学生気分から抜け出れないのだ。
逃避で寮に来ているだけだ