つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=fjxYxqKB1ZY

 フィリッピンで、風速90Mの台風が吹いたという。
台風で、風速90Mという言葉を聞いたことがない。
アラスカのマッキンレーでは、風速100Mを聞いたが、
人が飛ぶ威力があるとか。日本の有名な冒険家が、そのあたりで、
行方不明になったが、風で飛ばされたのでは、と言われている。
 
 
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2056, あたりまえなことばかり -10
2006年11月19日(日)
 内語は、声を出すと独り言になるが、独り旅で内語というカタチでブツブツ言っている自分に気づくことがある。
毎朝のウォーキングも内語が活発化している。内語といえば、この随想日記の同月同日の数年分を読み直しているとき、
そうか、そうか、と読みながら独り発語しているのは内語の究極と思える。まあ、このHPも内語そのものと言えよう。
 そう、今年の3月から始めたモーニング・ページ(起きざまに白紙のノートに思いつくまま書き出す)も、
自己対話の形式の内語である。この良さは、頭で考えていることは、ほぼ些細な事と鳥瞰できることだ。
砂金がたまに見つかるのが・・ この自己対話で質問者と回答者の対立が深まると、分裂症状になるが。
 近くの居酒屋の親父、厨房で頭に浮かんだまま声に出している。
私のことを一度「あいつ、俺には合わないんだよな~」と、言っていたか・・  
 ブログなど、内語だった地声?を、そのまま公開することである。内語は考えるほど面白い形式だが・・
 ー孤独とは苦しいものなのか -③
   *「内語」と「孤独」について
 「思う」とはどういうことだろうか。何かを思うとき、思っているのは自分だが、思われているのは自分ではない。
これは、よくよく不思議なことでなかろうか。「思う」というこれだけの出来事で自他の区別はまったく
不明瞭なのである。あるいは逆に、「思う」ことによって、自他がそこで出合うのである。
孤独なもの思いにおいてこそ、人は世界へと開かれることができるという逆説、孤独な思索者の内なる饗宴である。
「内語」という現象にそれは極まるだろう。自分が自分に語りかけると、普通にわれわれは思っている。
しかし、自分が自分に語りかけるとは、一体どういうことであろうか。もしも自分が自分として完結しているば、
そこに語りかけるという行為は発生しないはずである。語りかけるとは、問い尋ねる、確認する、疑念を発する、
同意を求める等、本来的に他者へと向けられる行為である。
しかし、語りかけているそこには、目に見える他者など、存在していない。
すると、そこに語りかけているのは誰だろうか。なるほど「自分に」だと言うしかない。
だからこそ、他者として、語りかけ語りかけられているのは自分とは、自分にとって自分なのだろうか、
他者なのだろうかという問いが、いよいよ悩ましいものとして立ち上がることになる。
自分である、他者であるということは、自分であるという正にそのことにおいて、いかにしても
自明のことではあり得ないのだが、この場面において人は、目に見えるもののみ信じすぎる。
 他者とは目に見えるその個人であり、自分もまた目に見えるこの個人であると思い込んでいるのである。
そして、個人と個人はしょせん個人である。ここで個人は孤独であると嘆くことにもなるが、じつは人は
孤独であることなどできはしないのだ。厳密をきするほど、自他の境は溶解し、何が自分であり、
何が他者であるとは、言えなくなるのである。この奇妙で当たり前の事実に気づくのに、内省する、自己観察する
という習慣以外ないだろう。個人主義は科学的世界観なしにはあり得なかった。しかし、それとてこの数百年のこと。
それ以前は、われわれにとって自分はそれほど自明のことでなかった。自分であるということは、
そのことだけで、何か神々や霊魂めいたものと重なっていたことを知っていたからである。
 われわれ日常とは、心の日常である。あらためて思うと、何と当たり前のことである。
そして、心は「人間」ではない。愛着や憎悪や嫉妬、それ自体が「人間である」とは無意味であろう。
「心のはたらき」は、人間ではない。それは「何」の働きなのだろうか。
 目に見える「人間」を認めないとき、逆に関係性そのものとしてとしかあり得ない世界のありようが見えてくる。
そのことによって、各人の個性が個性でなくなるわけではない。個性すなわち、性格の現れとか感情の訪れなどは、
そもそもが「個人」の出来事ではない。いや、個人などというものは、この世界のどこにもない。
 まずは、そう思ってみてみたらどうか、世界の相貌は劇的に変わるはずである。
そうすると、関係性としてしかあり得ないそのような世界で、孤独はどのようにして可能だろうか。
 言葉は個人の発明ではなく、個人の所有でもない。言葉は個人のものではない。
しかし、人は多く、言葉は個人のものであり、言葉を話すのが自分であると思っている。
しかし、もしも言葉を話すのが自分であるなら、なぜ他者と話す言葉との間に、
「会話」が成立するのだろうか。あの人は話が合わないというためには、あらかじめ話の意味が理解されて
いなければならない。 理解されている言葉の意味は、自他の区別より先に存在するのである。
 ある言葉を選択し、そのように使用する、そこに各人の個性が現れるのであって、その逆ではない。
「人間の側」こそが、言葉の個性のために使われる「口」なのだ。
 論理に孤独の影はない。それは、すべての人に理解され、また理解されるべきものとして、思考の光源に輝くもの。
論理から離れ、遠ざかるにつれて、言葉の影は濃く長くなる。それは各人の心の陰影として、さまざまな角度から
理解されることを拒まないものだ。あるいは、そもそも理解されることを拒むものだ。
理解している、そう言われれば、いや理解などされたくない、そう感じる部分はあるのはどういうわけか。
他人には理解できない秘めたる部分が自分にはあるのだ、そう思うことによって心のどこかで悦ぶのは、
心は日の光に広く暴かれることを必ずしも 望まない、心はじつは自分の影を好むからである。
 心は、その孤独が自分自身にとっての一種の滋養であることを知っている。 心は孤独を味わい食べながら、
その陰影をさらに深くする。ヒダのひとつひとつには、そのように味わわれた世界がそのつど織り込まれてゆく。
 友情が、魂にとって必要なのは、お互いに相手を信頼しているからである。
信頼するとは、相手の孤独を尊重することに他ならない。
孤独は尊重されるべき価値だということを、成熟した魂は知っているのだ。  
 そうでなくては、言外の含みへと互いに想像を巡らす、そのことで信頼を深める友情が、どうして
可能になるのだろうか。深く孤独であるほどに、さらに関係しあえるのだから、魂は。
魂は、自分であるほど他者になれるのだ。
 じっさい、われわれは誰も、その見た目やその言葉の背後に、それよりはるかに広大で複雑な領域を所有している。
この当たり前の事実を、他人にも自分にも認めるとき、孤独であるということは、それ自体で非常に豊かであると
知るはずである。ある意味で、魂は、想像力そのものとして世界に関わり、世界そのものの宇宙の内実と
化すことのできる魔法である。魂の孤独こそが、この喧騒の地上における、唯一の楽土としてあり得るものだが。

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2004年11月19日(金)
1326, 海外旅行ー履歴  
 今までいった旅行履歴である。あらためて、よく行ったと自分でも感心する。
60歳まで50回という目標は無理であるが、年二回のペースなら63歳に達成する。
この不況の中、年二回のペースを守れるかどうかだが?70歳まで、年二回のペースを守ると65回になる。
このくらい行けば、心の大きな財産になり、人生に対する悔いは残らないだろう。
ある地区に偏らないで、まんべんなく行っていた。「オーストラリア、アメリカのグランドキャニオン、
東欧、モンゴル、インドネシアの辺りが空いている」が、今のところあまり行きたいとも思わない。
「43」北イタリア                    -2005・10
「42」オーストリア                   ー2004・08
「41」アイスランド                   ー2003・10

「40」アラスカ                      2003・07
「39」パタゴニア                    ー2002・12
「38」スイス                       2002・07
「37」西アフリカーコート-ジボアール・ガーナ・ベナン・ ー2002・03
「36」ベトナム                     ー2001・11

「35」北欧ーロシア-スカンジナビァ             2001・06
「34」メキシコ                      2001.01
「33]モッロコ                      ー2000.11 
「32」パキスタン・中国                   2000・06 
「31」シリア・ヨルダン・レバノン              2000・04 

「30」ノルウエー・トロムソ               ー1999・12 
「29」ケニア・ヌー                        ・08 
「28」イスラエル                         ・04 
「27」ネパール                          ・02
「26」北インド                    ー1998・10  

「25」 北スペイン パンプローナ                 ・07  
「24」タンザニア(ウンゴロウンゴロ・セレゲッテイ高原)ー1997・12  
「23」 べネゼイラ・(ギアナ高地)               ・08
「22」 ペルー・(マチュピチ・チチカカ湖)       ー1996・06  
「21」エジプト・トルコ(カルナック神殿・ ピラミット)      ・02   
「20] 南アフリカ(ビクトリアの滝・チョベ国立公園・喜望峰)ー1995・10 
「19」ニュージーランド
 (クウィーンズタウン・ バンジージャンップ・ミルフォードサウン)・05 
「18」ブラジル(リオのカーニバルイグアスの滝)        
「17」ケニヤ(ナクル湖・マサイマラ・アンボセリ )    ー1994・06
「16」ドイツ・パリ(ライン川下り・ロマンチック街道)  ー1993・12 

「15」フィジー(コマ島・ )              ー1992・11
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「14」スペイン1周の旅 
   (アンダルシア・アルハンブラ宮殿・闘牛)      ー1991・08  
「13」カナダ・ロッキーの旅 ー会社               ・05
「12」香港クルージング                 ー1990・07 
「11」アメリカ・ペガサス(ボストン・アトランタ)          ・04     
「10」スペイン・イタリア・パリ・ヘルシンキの旅    ー1989・12 
「9」 中国(北京・けいりん・上海)          ー1988.09  
「8」アメリカ西海岸SC・ペガサス                ・06
「7」カナダ・ナイアガラの旅 ー個人          ー1987・08
「6」香港の旅                      ー1986・10          
「5」ハワイの旅                    ー1983・08
「4」ハワイの旅                     ー1980・08 
「3」ハワイの旅                     ー1978・08 
「2」アメリカ・商業界                  ー1976・07
「1」欧州30日一周                    ー1967・07

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585, ある時間の断片ー12
- 2002年11月19日(火)  
  1968年 10月1日
9時半に起床、11時までボーと過ごす。その後学校に行く。石川と入れ違いに兼子がくる。
一緒にコピーをとりに校外にでる。そこでフェステバルの行進にであう。
かれの食事に付き合うーそれまで私は終えていたが。彼も自分に対して自信を持ち始めたようだ。
女性に対してかなり発展しているとか-同棲をしているとか。
彼とボーリング場に行くが満員で時間待ちということそのまま帰る。
帰寮後、風呂に行き試験勉強を1時間半する。キックボクシングを見た後、石川へ電話のため
電話ボックスにいく。9時半より夜半の一時まで試験勉強。精神がまだ甘いとつくづくおもう。就寝。
・・・・
1968年  10月2日
10時起床、11時に学校に向かう。食後図書館に行く。石川と隣り合わせで試験勉強をする。
途中に同級の雨宮がくる。彼と話をするが、外国に行きたいとのこと。
必死に将来を考えているようだ。兼子も来る。
図書館の私が座っている場所が溜まり場みたいになっている。
今日の試験はまるで簡単であった。まじめにやりすぎたのが馬鹿みたいだった。
帰寮後、先輩の佐々木さんと高橋君と食事、その後後輩の駒村君と米林君と話す。
駒村がのろける。自分がもてるのに驚いているという。
そういえば今日昼の12時半に深井と会う。彼が今度の土曜日に聖心女子大の彼女等と会うという。
私も行くことになるが、その前に小作とどこか女性と遊びに行く予定がドタキャンになる。
そう考えていると偶然の一致に彼と出会う。面白いものだ。彼の誘いを断る。

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「232」人生の三つの坂
 2001/11/19
人生に三つの坂があるという、
「上り坂」
「下り坂」
「まさか!」  である。
この最後の「まさかこんなことが!」は誰でも起こるはずである。問題は、その時の対処の仕方である。
どうそれを受け止め受容していくかが問題になる。特に人生の後半には、遅かれ早かれ誰にも否応なく
起こってくる。という事は、これは[まさか]ではない必然ということか?
「上り坂」も「下り坂」も直接原因で生ずるケースが多いが、
「まさか」は間接原因のケースが多い。あるいは突発のケースだ。
悄然とそれを受け止めることは、ほぼ不可能だ。
少なくともそうなった時、今まで好きな事をやれたのが救いだ!という生き方が必要ではないか。
誰もが持っている心理として、自分だけは大丈夫という、そして特別という甘さがある。
それがあるから生きられるのかもしれないが。
それが「まさか」という冷徹な事実に木っ端みじんに砕かれてしまう。
「まさか」の坂を一歩踏み違えると、「まっさかさま」に転げ落ちる