つれづれに

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 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=A3PDXmYoF5U


 スポーツセンターのヨガ、火曜日と、木曜日にある。 
一年八ヶ月、ほぼ休むことなく、一回、五十分間の修行に参加している。
ほぼリピーターばかりで、50人の定員が、ほぼ満席。 それが、徐々にレベルを
上げてきている。足腰には非常に良いが、少しきつい。 それでも、何とかついていける。
腰痛の自己治療教室と思えば、こんなもの。

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2035, 躁鬱病について -3
2006年10月29日(日)
世界には躁鬱病状態で芸術活動をつづけた人が多くいる。ドイツの作家のゲーテが、その代表例。
・18歳から亡くなる83歳まで、躁状態が八回、鬱状態が五回あった。
 当然、そう状態のときに創作活動が活発に行われた。
・ロシアの作家のトルストイも、82年間の人生の最後の30年間は躁鬱を繰り返していた。
鬱状態のときに、構想を練り、躁状態のときに、一挙に書き上げるというのが創作活動に
必要なことかも知れない。そういえば、一番危ないのが「初老性うつ病」がある。60歳直後あたりにくる
うつ病」。「自分の人生、果してこれでよかったのか?」という疑念と、老齢への体質の変わり目が、
重なることが原因。特に何も考えず、ただ平々凡々と生きてきた反動である。
神様が「そういう人には、厳しくあたる」のも至極当然である。この時期に、それまでの無理がたたって、
胃潰瘍、高血圧、癌、糖尿病など体内のホルモンや神経系が乱れる時期と重なり、それらが意欲の低下や、
不眠症も加わり、うつ病になりやすくなる。特に癌からなりやすくなり、四分の一にのぼるという。
 昔は、うつ病は「神経衰弱」と言われていた。見るところ、資産家など恵まれた環境に人はうつ病は少ない。
その対極にある、頭を使わない末端労働者の二種類の人種も少ない。我がままを許される階層と、
末端で生存欲求さえ満たされればよい階層は、ノイローゼなど関係ないのである。その意味で中途半端な人や、
生真面目の人がなりやすい。居直ってしまえばよいが、その居直ることが出来ない。
それと女性が男性の二倍の確率になるのも特徴の一つ。発散する機会が半分以下?と、身体の構造の違いもある。
「一人遊び」の出来る人は、ノイローゼになりにくい。独りの世界で、ストレスを解消できるからである。
それがライフワークであれば尚のこと良い。ライフワークという自分の世界と現実の世界を二つ以上もって、
その一つが上手くいかないときは、他の世界に比重を移動させるバランス感覚を常に意識しておけばよいが、
それが出来ないから病気になってしまう。 心の風邪だから、そういう人の傍に寄らないことだ。
それも慢性ときているから、自分がかかったと思ったら、人に近寄らない気の使いも必要だ。
            つづく
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2005年10月29日(土)
1670, 「全ての装備を知恵に置き換えること」-1
            -読書日記
「全ての装備を 知恵に置き換えること」図書館で何げなく借りてきた旅行記である。
著者は、まだ28歳の芸大の大学院生だ。
・高校の時にインドを旅して以来、世界中を旅するようになった。
・そして現在は、芸大の籍を置いて旅行中。
・北極から南極までを人力で踏破する地球縦断プロジェクト
「POLE TO ROLE]の旅をしたり、
・世界7大陸最高峰登頂を目指すとともに、
・大学院では人類学、民俗学などの領域に関心を持つ。
プロとしての旅行探検家である。旅を続けるために大學に行き、大学院に行き、
本を出版している。
秘境旅行をしていると、このような一人旅をしている男に必ず出会う。
共通点は禅僧のような顔をして、優しく、悲しそうな顔をしている。
日本の高僧?のあの??からみると、数段よい顔である。当然であるが!
この本の集約は、
「はじめに」の「全ての装備を知恵に置き換えること」の章中の冒険旅行の
恩師イヴォン・シュイナードというカルフォルニア生まれの男との対話といってよい。
(この本によると今年亡くなったとあった。)
このような著者のような男には、先生が何人かいるものだ。その一番の先生である
イヴォン・シュイナードは、パタゴニアという登山用品などを売っている創業者。
その彼が著者の質問の答の言葉がよい。冒険に対する質問の答えが、人生の答えにもなっている。
ー幾つか書き写してみる
「冒険というものは究極は自分の身体一つでおこなうものと思っている。
もしある人がはじめてのクライミングをやりはじめたら、周りにある装備を全て使うだろう。
それはとても簡単なことだ。しかし、技術を身に付けていくにしたがって、氷壁を一本の
アイスアックスで登れるようになるかもしれない。それはある道筋のようなものなのだ。
私にとっての究極は何の道具も使わない「ソロクライミング」なんだよ。
チョークもクライミングシューズもガイドブックも・・・・。
裸で登るのが究極さ。全ての装備を知恵の置き換えること。それが到達点と思っている。
俺はそれを完全に信じてやまない」そして、次の言葉がズバリ真実を突いている。
「冒険なんてどこにもあるものさ。 そんなものは自分で生み出せばいいんだ。
 複雑なものから、シンプル、より純粋なものへと追及していく過程が全てが冒険なんだよ」
 世の中にあふれるものに背を向けて、シンプルな生活を目指すのも、
 たくさんある選択肢の中から本当に自分のしたいことを選び追求することも それは冒険だろう。
「進化は前に進んでいるのではなく、時おり後退しているのではないかと思うときがある。
 もし目の前にある水がアフガニスタンパキスタンからきた水だったら、私たちは腹を壊すだろう。
 現在の私たちは浄化装置を使わないと生きていけない状態になっている」
「進化というのは理由なしに起こらない。全ての進化は必然なのだ。人間にふりかかるストレスが
 あってはじめて人間に進化が起こる。私の指は今は柔らかいが、毎日一時間ずつ二週間も
 クライミングを続けたら、かちかちに固くなるだろう。人間の進化なんぞはあっというまさ」         
                                 ー つづく
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2004年10月29日(金)
1305, まさか、地元で大地震!-6
昨日、地震以来初めて新潟の会社に出社する。新幹線が不通の為、久々に車出勤である。
高速道路は長岡~月夜野間が不通のため、新潟方面はガラガラだが、長岡方面は、工事関係の
トラックなどで異常な多さだった。昨夜は新潟に泊まったが、地震は殆んどなかったようだ。
気象庁の発表によると、一昨日の余震で、さらに岩盤が動いたため大きな余震の確率が
大きくなっているという。
今日から三日以内の余震の確率は
M 6 以上 (ところによって震度6)確率が20?  7日以内は40?
M 5・5 以上(        5強)   40?        60?
M 5 以上 (         5)    80?        90?
この数字を見る限り、非常事態である。恐ろしいことだ。
地元ゼネコンの特需(道路復旧などの公共事業の大幅予算の追加)を除けば、新潟県の経済は
大打撃である。最悪の不況が更に悪化することは間違いない。先行きを考えると、すえ恐ろしい。
ー地元ゼネコンの株が急騰しているというから現金なものだ。
東京から2時間圏内の駅前型ホテルが、この数年で不況業種に入ったが、復興の為の宿泊が当面増える。
また、新幹線の不通で、2時間圏内が当分6時間圏になるから日帰りは無理になる。
この事態は当分はプラスにはたらくが、それも目先のことだろう。
緊急融資が特別枠で追加される可能性も大きい?から、プラスプラスに考えるしかないないか!

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2003年10月29日(水)
938, 「ライフ・レッスン」ー読書日記
 各レッスンの内容が愛と真実に包まれている。「死ぬ瞬間」シリーズは世界的ロングセラーで
多くの人に癒しを与えてきた。ロスの本は何冊も読んだ。終末期医療から死にいく人々から学んだ
数々をわかりやすく説いている。すべてを終えたとき、「生」と「死」の本当の姿があらわれるのだ。
 彼女がマザーテレサに亡くなる数ヶ月前に会ったとき、
ロスに、「生きることがとてもたいせつと考えているからこそ死にいく人達と一緒にいることを
最大の使命としているのだ」また「生は一つの達成であり、死はその達成の成果です」と言われたという。
 大部分の人は死を達成とみていないだけでなく、生も達成とみていない・・ 死の淵にいる人は、
そのことをよく知っている。ロスは生そのものの大切さについて多くことを教えてくれる。
彼女の本を読んでいると、暗い?内容なのだが、暖かい愛に包まれたような気持ちになる。
ーまずは、この本の抜粋からはじめたいー
・一生と呼ばれる時間のあいだに学ぶべきレッスンは色々ある。特に死に直面している人々と
一緒にいるときにはとりわけ多い。死に行く人々は人生の終わりに多くを学ぶが、通常は学んだ教訓を
生かすための時間が残されていない。1995年にアリゾナに引っ越した私は、ある年の母の日に
脳卒中で倒れ、麻痺状態になった。その後数年間は死の入り口にいた。時には数週間で死ぬのだと覚悟をした。
そして幾度も訪れてこないことに失望した。準備は完了していたからである。
しかし、死ななかった。その理由は、私にはまだ学ぶべきレッスン、最後の
レッスンがあったからです。そのレッスンの多くは人の生についての究極の
真実であり、命そのものの秘密である。私はもう一冊本を書きたいと思った。
今度は「死」そのものではなく「生」についてである。
・人には誰でもガンジーヒットラーが住んでいる。
象徴的な意味であることは当然である。ガンジーは人の中のベストなもの、
もっとも慈悲ふかいものをあらわし、一方のヒットラーは最悪のもの、人の持つ
否定性と卑小性をあらわしているのだ。人生における人ノレッスンとはおのれの
卑小性に働きかけ、否定性をなくして、己のなかにも他人の中にもあるベストな
ものを見つけ出す作業である。人生の暴風に似たそのレッスンは、人をして
本来の人に戻してくれる。人間が地球上にいるのは、互いに癒しあうためである。
これは身体的不具合を癒すだけでなく、はるかに深いレベルでの癒しである。精神と魂の癒しである。
・人がこういった人生のレッスンについて語るとき、人は完結していない気がかりな問題の解決について
語っている。完結していない気になる問題とは死についての問題ではなく、生についての問題である。
'確かに私は豊かな暮らしを実現した。しかし、本当に生きるために時間を使ってきただろうか?'
というように最も大切な問題である。多くの人々は確かに存在はしてきたが、本当に生きてはこなかった。
それらの人々は完結していない気になる問題に蓋をするために、膨大なエネルギーを費やしてきた。
・完結していない気になる問題は人生最大級の問題であるから、死に直面したとき焦眉の急の課題になる。
大多数の人々は完結していない気になる問題の多くを未解決のままで終わる。
問題の一部しか解決できない人も多い。
・人生には学ぶべきレッスンがあまりにも多い。
一度だけの人生では習得不可能であろう。でも、学べば学ぶほど未完結の問題が少なくなり、
それだけ充実した人生になり、本当に人生をおくることができる。いつ死ぬかは不明であるが、
死ぬときには、'オーイ神様、私は生きました'と言えることになる。

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564, 一点集中主義-2
- 2002年10月29日(火)
少ない資源を最大に生かすには集中しかない。例えで解りやすいのが「錐の論法」だ。
一点にエネルギーを集中することで穴をあける事が可能になる。それと前回書いた虫眼鏡も然りである。
集中はその中で更に核爆発をも起こす。集中は潜在能力への穴である。人間は無限の潜在能力があると
いわれているが、その秘密のトンネルが一点集中である。
マクドナルドのハンバーグや、キューピーのマヨネーズ、味の素など幾らでも事例はある。
分散も必要だ、一点に集中したものを分散する例としてセブンイレブンがいえる。
50坪の店を一万店出店することで、三越や本体のイトーヨーカ堂を追い抜いてしまった。
何かを始めようとしたら、それまでのやっていた事を全てをいったん止めてしまう事だ。
それか人に任せてしまうかだ。空即是色である。人間可能な事は、目前の努力だけだ、それも一点への。

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[202] 霊体質ー2
 霊とは全く違う話になるが、初めて日本の南極越冬隊が犬を連れて行った時、ある時間になると
日本に向かい犬が吠え出すという。不思議に思い日本に連絡をすると、その時間に子犬が南極のほうに
向かい吠えていたという。何か脳波が数千キロを超えて通じるのだろう。こういうまだ科学に解って
ないことが数限りなくに多い。そのうちの一つがこういうことにもあるのだろう。
 霊体質に対しての今の私の解釈はー「ヒステリック状況の感覚の鋭敏からくる、
不思議な磁石が何かをすいよせる。それと夢に近い状況で現象に出る場合が多い。」
きのうのコピーした文の、父の亡くなった時のことも夢だろう。
 それにしても身辺の人の死には不思議なことがおこる。これは次回書く。
人間も30億年の生命の進化?の中で細胞になり、魚になり、陸にあがり鳥になったり、
哺乳類になり、猿になり、ここまできた。その中で脳の奥にそのすべての記憶と能力が隠されているのは、
当然と言えば当然である。それがヒステリック状態の時に、普段のブロックを越えて自分の中より
出てくるのは、別に不思議でないとも言える。
 それと霊を一緒に考えるのは飛躍だが、といってあの不思議な現象も事実である。

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H0511妙な夢―(?)   
2001/10/29
 ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。泥棒ではないかと起きようとするが
半睡眠状態で身体が動かない!起きよう起きようとしているうちにスーッと身体が起きて廊下に出て、
居間に行き、台所を通り、寝ていた部屋へ一周してもどってきて布団に入る。ところが、ところがである。
自分の肉体は反対側の向きでねている。まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になる夢である。
これが単なる夢か幽体離脱七日まだわからない。 また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が
1.8m位浮いて(そのまま水平にいて)下をみると自分の肉体が下にみえる!直観的にまずいと
思い下にもどろうとするがもどれない。かなりうなされていたと思うが?何年か後に誰かにきいたが、
霊現象の一つで、よくある事だそうだ。こんな事もあった、これは夢ではないが屁の天井や床の下
四ケ所で次々と音がする。はじめは気のせいか夢かと思い、じっくりと観察を数夜してみたが、
しかし夢ではなかった。ところで当社の関係先の税務事務所の応接間でも同じ現象があるそうです。