つれづれに

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  今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=41gI2yJYRDw

 週単位で、月火水と、曜日の行動内容をみると金太郎飴のように同じことの繰り返し。
それで良いのだろうが・・・  毎年、何か印象に残りそうなことがあるが、今年は、ほとんどない。
一昨年は、3・11災害と、会社整理、去年は同級生三人が???と、民主党から自民党への政権交代と、何?
で、今年は今のところ何もない。あと二ヶ月が不気味である。米国のデフォルト・クラスの何かがあってよい。


・・・・・・・・・
2006年10月28日(土)
2034, 躁鬱病について -2
     おはよ~!(*^ワ^*)i ~O~)ふぁ・・                 
鬱病経験者といえば、アナウンサーの小川宏と、俳優の高島忠男、作家の北杜夫などが知られている。
彼らの体験記を読んでみると、その病状はすざましい。ストレスによる睡眠不足が大かたの原因だが、
躁からの反動の鬱も山(躁)が高い分だけ谷(欝)も深くなる。
うつ病」の定義は世界中どこも同じである。
倦怠感、不眠症、食欲不振、体重の減少、焦燥感、興味の喪失、自殺の願望、集中力の欠如、嫌悪感
などが5つ以上あると鬱病といわれる。
 人間は誰もが、このうち2~3つは持っているものだが・・。どういう訳か私には一つも無い。
普通の生活をおくっていれば無いはずだが・・・    こういうのが一番危ないのかも知れない。
最近は治療は比較的簡単になって、薬を中心とした治療で、8割以上の人が2-3週間 で回復するという。
殆どの人が治療さえすれば、うつ病は大した病気ではないことになる 。
ただ問題なのが、うつ病の半分以上が治療を受けていないことだという。
 うつ病になりやすいのは真面目で責任感の強い人が多く、自分の問題は自分で解決しようという
傾向が強いのもその一つ。周囲の人も、心の問題は医療の対象ではないと考えてしまうので、
治療が遅れたり、病状が進行してしまうケースが多い。
 義父がうつ病にかかった時に、一晩で治ったことがあった。不動産のトラブルを抱えていたので、
あるコンサルタントを紹介して、その問題を全て一任して貰った。ところが驚くなかれ、その翌日
うつ病は全快しました」との連絡が入った。 一年近く鬱々として半病人状態になり、
私に「会社を引き継いで欲しい」と、頼まれたが、一晩で治ってしまうのだから・・
その義?も亡くなって10年近くになる。
 心もからだと同じく病気になる。早く医者に行って直すのが一番だろうが、行きづらいのも確かである。
アメリカなどカウンセラーがいて、悩みなどを聞きながら治療する。日本では、まだなじみが少ない。
新興宗教が「おいで、おいで」と待っている。それと癒しとかいう商売もはびこるのだ。
「癒し」か、今度書いてみよう。
人間の心は、そんなに強いものではない、常に手入れをしてないと、肌と同じで荒れてくる。
言葉、言葉。日常使っている言葉に気をつけろということだろう。
毎朝、モーニングページに幾つかの言葉を写経のように書き続けているが、
それでも荒れてくる! カサカサの暗い顔をしたのが、同じ場所に集まる!
癒し?をもとめて。また検索で「自殺」とでも入れれば真っ暗な世界が出現する。
                         ーつづく
・・・・・・
2005年10月28日(金)
1669, おい、どうすんだ、定年後!-3

 葬式に参列した故人の写真に自分の姿をイメージをして、
 そこから「故人としての自分から、生前の自分への言葉」とは、こんなものだろう。
 心の底の真実の声である? 背後から迫ってくる自分の声でる。
  ーー
 おい、何やってんだ!まだ娑婆の縛りに囚われているのか?
 この写真に入ってしまえば解ることだが、好きなことを可能なかぎり求めるとよい!
 死んでしまえば、無である。お前なんぞ、一年もしないうちに忘れ去られるのだ。
 いや数ヶ月だ。 好きなことを早く見つけろ!
  そして、それをさっさと一つずつやれ! 何を、ためらっているのだ!
 今夜、美味いものを食べろ! といっているのではない。
 死ぬのは何時か解らないから、したいことを見つけろ!といっているのだ。
 俺は、実際にこんなに早く死ぬとは思っていなかった!
 そして、やり残したことに後悔しているのだ。
 だから後悔する生き方をするな! といいたいのだ。
 呆けっとしている周囲の顔など見るな! 自分の内面を見ろ!
 色いろなことに、もっと目を向けろ、せっかく地球にいるのだから!
 この奇妙な惑星を自分の目でもっと見ろ、そして多くのことを経験しろ!
 葬式の写真に入った今、あれもこれも経験しておけばよかったと後悔しているのだ!
 人の評価など、どうでもよいことだ、とにかく生きろ!生きろ!そして活きろ!
 未知に向かってどんどん歩け! それしか人生はないのだ!
 その為には、俺の言葉を真剣に聴け! 生きているうちだぞ、娑婆は!
 呆けに惑わされるな!いや、お前が呆けているのだ!それにに気がつけばよいのだ。
 自由になれ、その壁に気がついてないのか!
 ーー
 自分の潜在からの声が、死者たちからの声に聞こえてきた。
 {メメント・モリ}ー死をおもえ、ということか。
 ・・・・・・・ 
 2004年10月28日(木)
1304, まさか、地元で大地震!-5
 昨日の、余震には驚いた。震度4以上の余震がいつまでも続いているのが、
中越地震の特徴だ。今年の台風と一緒で、そのしつこさは今までなかったことである。
世界規模で起こっている異常気象の一つの現象であろう。
それと、余震の中のレスキュー隊による、奇跡の行方不明の母子の救済のTV中継も
迫真であった。二歳の幼児一人だが助かったが、母親の愛情の結果であろう。
何か私たちに解からない人間の深い何かがあるのだろう。不可思議としか思えない、奇跡である。
今回の地震は新幹線の脱線、奇跡に近い子供の救出劇、大きな余震が異常に続いていること、
長岡市の4分の1が避難所にいること、そして、身近で起きていることが特徴である。
ところで昨夜、夕食のため長岡駅前の居酒屋に行った。長岡駅はニュースで言っていたとおり閉鎖されていた。
駅前の店は殆ど休業をしていたが、全国チェーンの店が数軒開いていた。プロパンガスを使っているので
営業が出来たのだろう。6時前だが、ほぼ満席であった。私たちの両側の席は、やはり応援部隊の人たちであった。
その帰り、避難所になっている阪の上小学校を覗いてみたが、近所の人がいた。館内放送で「配給は、
おにぎり一個に、飲料ボトル一個、それに子供にミタラシ団子一個の配給だけになります」といっていた。
昨日も、刺激的な一日であった。 今日は、新潟行きに再挑戦だ。
ー日常の「生もの」を書いている日記のコーナー
「バードウォッチング」の数日分を以下にコピーしておきます。
ーーー---
メルクマール
 10月27日
・今日はもう大丈夫と思って、10時前に新潟の会社に向かう。
見附のバイパス脇にあるディスカウントで給油をして、三条への交通事情を
若い女従業員に聞いているところで、いきなり揺れがきた。
彼女は車のドアに掴まって、しゃがみこんでしまった。私が、「これは5強位ですね」と言うと、
「そんなものですね。それでも出発直前で、よかったですね」と、もう彼女は冷静になっていた。
怖いので、「このまま5分、停車していますから」と言って、様子を見ていた。
さて新潟に行くか、長岡に帰ろうかの判断をしなくてはと考え、直ぐに自宅に電話を入れるが、不通。
それではと、新潟の会社の人に電話を入れると、中越地区は震度6とのこと。給油所の電機が消えて、
さらに目の前にある信号が、停電で消えている。月末の支払いの判の仕事は29日まで大丈夫なことを
確認して、長岡の自宅に帰ることにした。バイパスの長岡まで20分位の帰路、事故が起こってないかと
見ていたが、一台の事故車は無かった。ただ、道路わきの建物は停電の為か、電機のついている店や
建物が無い。‘これを書いている現在も、推定4の揺れがあった’まさにくライブである。
自宅の近くにある長岡大手高校(昨日、小泉首相が慰問に来た高校)の前を通ると、グランドや校門や
道路に避難をしている人が、100人以上出ていた。家は、門の下のセメンが少し剥がれていた。
それと食器が数個、壊れていた程度だ。電機と水道は大丈夫であった。
こういう時は、大人しくしておくべきとつくづく感じている。もう、大丈夫と思ったのだが。
 追文 14時40分
たまたま、TVをつけたところ、NHKで小千谷の母子三人の救出が生中継で映し出されている。
最近では久々に見る感動的な場面である。それにしても、誰も生きているとは思っていなかったのだろう。
状況から見て、99・9�死亡と思うのは当然であろう。危ないとしても、一人でもよいから、
車に近づくべきであったのではないだろうか。あの巨岩の中で、よくぞ生きていたのが不思議でしかない。
祖父が生きていてほしいと祈っている姿があったが。まさか、生きているとは。
あと母親と子供一人の救出がどうなることか。
ーーーーーー
メルクマール
 10月26日
・今朝方の深夜の三時ごろ、震度三位の地震があった。
昨日の午後から、地震の間隔が少なくなっている。
しかし、今朝の新聞によると、新幹線の復旧に一ヶ月以上かかるという。
冗談でない、宿泊が半減は覚悟をしなくてはならない。
そうでもなくても、不景気の為大変であるのに。
しかし、昨日は月末の月曜日にしては、良い数字であった。
長岡の住民か、災害関係者が泊まっているのだろうか。
長岡など中越地区は宿泊は特需である。 新潟市はないだろう。
ーーーーー
メルクマール  堀井
10月25日
・ヘリコプターが相変わらず、とびっぱなしだ。殆ど自衛隊のヘリのようだ。
新幹線の脱線のため、ホテルはキャンセルの電話だけだという。
仕方ないが。・この新潟県中越地区は全国で一番不景気の地区である。
そこが地震とは、因果なものだ。そういうものだ。といって、火災が起きたわけでないし、
建設が大きく特需というわけでもない。
せいぜい庭師の石灯篭の建て直しぐらいだ。 いや、建設の土木が神風だ。
 ーーーーーーー
メルクマール 堀井
 10月24日
・先日、台風のニュースで豊岡市に住民が「まさか、自分のところがね~!」と被害にあった
実感を言っていた。それが翌日に自分におこるとは。庭の石灯篭が7~8、すべて倒れていた。
直すのに数十万は覚悟か。家の中は、推してしるべしである。
怪我等は座っていた周りには、倒れてくるようなものは無かったので大丈夫である。
驚きとか、悲惨さは全く無い。こんなものだろう。人生にこんなことも起こるのだろうというぐらいだ。
あと片付けが好きな性分なので、家の大掃除を楽しんでいるという気分である。
別に、かた肘を張っていっているのではない。そうなのだから、仕方がない。
オーバーに言うのが嫌いなだけだが、こんなものだ。
ネロがローマを焼いた時、ローマ市民は、恐怖とか絶望より、ローマが焼けているのを
見るという歴史的出来事のほうに感動していたというが、それを例に出す方がオーバーか。
15歳の頃、長岡大地震を経験しているので殆ど驚かなかった。
家内と面白がっていたというのが、実感である。
家内が机の下に頭を入れているのが何とも滑稽の姿で、可笑しかったほうが先であった。
・・・・・
2003年10月28日(火)
937, ダイエー優勝
字数の関係でカット(2007年10月28日)
・・・・・・・
563、一点集中主義
2002年10月28日(月)
人生の体験の中で私が得た最大の教訓がこれだ。
若いときより知っていたらもっと豊かな人生を過ごせたのにと今更思うが。
イロイロの挫折の中で自分の能力の限界を思い知らされていたから、
戦略的にしか生きる道はない事は知っていたが、その要諦が一点集中であった。
人間の能力とレンズは似ている。太陽から、人間から、歴史から、エネルギーを集め一点に集中する。
その為には自分が虫眼鏡のレンズになる事だ。レンズは濁っていては駄目だ。
常にきれいな磨かれた状態でなくてはならない。その意味で「自分が神になる」といってよい。
それと一点に集中すべき対象の選定だ。これに近い言葉に一点豪華主義がある。
集中していれば自然にこれになってしまう。私の場合は秘境旅行だ。今はこの随想テーマ日記だ。
それにウオーキングに読書にあと???だ。一点集中は言葉では簡単に思えるが、実際は大変である。
捨てるべきものをドンドン創らなくてはならないからだ。そうそう集中できるものではない。
事業では[シングルルームのデスカウント]である。それも新潟駅前の花園地区。 
4棟に分散をしたのが甘さで残っている。他に学生服やカラオケはエネルギーの分散であった。
百貨店のソゴウのように駅前に超大型店をつくり、その大きさが限界を超えてしまった失敗の例もある。
ロスだけで済まないのが分散である。主体のチャンスロスが一番のロスになる。
若い時から自分の無能を自覚していたから、集中しかないのはすんなりと受け入れる事ができた。
一点集中のポイントは、一点に向かいその真正面から中心点に総てのエネルギーを集中する事である。
自分そのものがその中心点になる事である。それが正中心一点無である。
 いま一つがこれを継続する事でであるが、これは今度書く。
・・・・・・・・
[201] 霊体質ー1
2001年10月28日
 作家の佐藤愛子が月刊誌の「新潮45」に連載で、
霊体質に52歳になってしまった体験を書いている。図書館でトビトビ
読んでいるので全て読んだわけでないが、今まで8回シリーズになっている。
その連載はまだ続いているが面白い。北海道で買った別荘に霊がついており、
そこでかなり激しい霊現象が起こるそうだ。それがさすが作家、きめ細かく書かれている。
実際経験したことのない人にとって、考えられない妄想にしか思えない。
 私も父の死の直後から起きた怪現象から、霊体質になった。
(後で昔書いたその時の文章のコピーを貼り付け)この10年は元に戻り、
ほとんど身辺でなくなったが、私の27歳の時だった。約20年はその体質だったことになる。
かなり共通の部分があるが、家付きの霊というところが違う。
それと私の場合、身体から自分の霊が抜け対するところが彼女にはない。
同じところは、ラップが聞こえたり、動物の何かが被さってくるところだ。
それが起こるまでは全く信じてなかった。ーつづく
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H0407霊的体験 ー見聞皆師より
 二十年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な体験をしてみた。
死後一週間後に妙な夢をみた。私自身父の気持になり“死にたくない。もっと生きたい、生きたい”
という“念”になってしまった夢である。そして夢よりさめた時の妙な気持。私自身父になってしまった。
いや私自身(父自身)生きている!という妙な不思議な感覚である。
夢の“念”は父そのものであるし、父と一年身近で苦しんだ為に“念”が自身実感できたのだと思う。
それが夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒になったという不思議な実感。
恐らく経験した人間ではないとわからないはずだ。
また死後二~三日後の夢も強烈な夢(?)であった。何か強烈な恐怖感がおそってきた。
その時、父のベットで寝ていたが“おやじ助けて!”と言ってしまった。
と同時に廊下の向こうにある仏間より本当に強烈な“引力”が足をひっぱった。
そのひきずりこまれた瞬間ベットにしがみついたが、その時隣に寝ていた母がスクッと
立ちあがりトイレに行った。全身汗びっしょりであった。
まだまだ不思議な事がいっぱいある…。
最近は少なくなったが、それから幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。
佐藤愛子ではないが「霊体質」になってしまったのだろう。