つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=VbZrxHfiYsQ&feature=fvwp

 米国の予算が通らないため、一部の国家公務員が自宅待機で、国立公園などが閉鎖という。
私の知人が、明日、西海岸に行く予定だったが、先ほど電話があり、ツアーが中止になったという。
まだ出発してなかなったので、それでも良かったといっていたが・・・ 千分の一の確率のことが
起きてしまったので、仕方がないと諦めたという。 飛行機に乗ってからの事態でないので
良しとしなければ・・・ ハイジャックや、墜落は数百万分の一の確率ということ?


・・・・・
1643.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・2
2005年10月02日(日)
 ー2 人間勉強
こういう商売をしていると、社会の裏側をストレートで見せつけらる。
人間社会は複雑怪奇で難しね。こちらからすると、カウンターの向こう側はどのお客も一緒よ。
いや基準はどれだけ気持ちよく飲んでくれるかだけさ。しかし当人は違う。唯一の威張れる場所なんだ。
どの客も大して変わらない。ところが当人たちは違う。それぞれが全く違う世界に生きているかね。
そしてそれぞれが他の世界を知らない。特にそれが激しいのが「先生」と名の付く人種。
よくいえば純粋、悪くいえば社会音痴。あれがよく先生と呼ばれると感心するね。
あとは社長といわれる連中。この不景気ほとんどの社長は元気が無いね。
それと教養が無いのが多いね。自分たちでさえも売り上げを上げるため、
必死に毎日知恵を絞っているのに。彼らはただ毎日の売り上げの事しか頭がないんだよな。
それは営業課長の仕事じゃないか。営業課長の仕事だけをやっていて社長業を全くしてないと、
銀行の「偉いサン」がいつもこぼしているよ。まあ彼らのトップも似たようなもんだがね。
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2004年10月02日(土)
1278, 人生(時間)のセイムスケール-2
このHPにあった「アンソロジのコーナー」の内容が濃い。「死の瞬間に何人も悟るだろう。
---人生の目的なるものが、いかにばかばかしいことであったかを」(山田風太郎)などは、
虚無の境に立ったときに「人生の目的とやら」が、ドウデモよい卑小なことと直感するのだろう。
人間の本音が、あまりに辛辣に次々と書いてあるが、それでいて、何かホッとするから不思議である。
★「人生は日常の反復である。だが、いつのまにかずれが入りこみ、
 同じ行為が変質してしまう。反復とずれ、それが人生の時間の意味だ」(吉田喜重
★「神は人間を、賢愚において不平等に生み、善悪において不公平に殺す」(山田風太郎
★「人はだれでも可能性を持っている。 自分の中にある埋蔵資源をできるだけ発掘して、
それに形を与えていく。それが生きるということの意味です」(鶴見和子
★「私の人生は失敗の連続だったが、その都度、全力を出して失敗してきた。
 失敗も全力を出せば満足に変わるのである」(佐藤愛子
★ 「絶望は人生の通過点に過ぎない」 (梁石日
★「線路を走る列車のように、人生は見えないレールの上を走っていく。
そして、終着駅が近いと知ったとき、〈別の人生もありえたのでは〉と夢を見る。
しかし、列車を乗り換えることはできない」(田中 誠)
★「我が命は地球より重い。他人の命は犬より軽い」(山田風太郎
★「人は生まれ、苦しんで死ぬ。人生の要点はそれでつきている」(正宗白鳥
★「みんないう。いつか死ぬことはわかっている。 しかし、「今」死にたくないのだ」(山田風太郎
★「幸福な人々の死だけ悼もう。つまりごく少数の人々だけを」(フロベール
★「---いろいろあったが、死んでみりゃ、なんてこった、
 はじめから居なかったのとおんなじじゃないか、みなの衆」(山田風太郎
★「雪はげし書き遺すこと何ぞ多き」(橋本多佳子)
★「死が生にいう。〈おれはお前がわかっている。しかし、お前にはおれがわかっていない〉(山田風太郎
★「昔の死は、人が、死にゆく人物を演技する喜劇的な悲劇であった。
今日の死は、人が、自分の死ぬのを知らない人物を演技する悲劇的な喜劇である」(フィリップ・アリエス
★「死の瞬間に何人も悟るだろう。人生の目的なるものが、いかにばかばかしいことかを」 (山田風太郎
★「死んで不幸せになった人を、ひとりでも見たことがあるかね」(モンテーニュ
★「どんな臨終でも、生きながらそれは、多少ともすでに神曲地獄篇の相を帯びている」(山田風太郎
★「大多数の人間は、死なないですますわけにはゆかないので死ぬだけである」(ラ・ロシェフーコー
★「いかなる人間も臨終前に臨終の心象を知ることができない。
いかなる人間も臨終後に臨終の心象を語ることができない。何という絶対的聖域」(山田風太郎
★「おいとまをいただきますと戸をしめて 出ていくやうにはゆかぬなり生は」(斉藤史
★「生は有限の道づれ旅 死は無限のひとり旅」(山田風太郎
★「〈私の死んだ後、私はどうなるのでしょうか。はっきりおっしゃって下さい〉
(それはすべてであり、そして無だ〉」(ショーペンハウエル
★「幸福の姿は一つだが、不幸のかたちはさまざまだ、とトルストイはいった。
同じように、人は、生まれてくる姿は一つだが、死んでゆくかたちはさまざまである」(山田風太郎
★「女ほど世にも尊きものはなし、釈迦も孔子もひょこひょこと生む」(「お血脈」という落語のなかの狂歌
★「知らず、生まれ、死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る」(鴨長明方丈記』)
★「死をはじめて想う。それを青春という」(山田風太郎
★ 「死を何とも想わなくなる。それを白秋という」(玉野安美)
★「人間は正視することの出来ないものが二つある。太陽と死だ」(ラ・ロシェフーコー
★「同じ夜に何千人死のうと、人はひとりで死んでゆく」(山田風太郎
★「死は終わりを意味するが、残された者には始まりを意味する」(E・シュウナイドマン)
★「人は死んで三日たてば、三百年前に死んだのと同然になる」(山田風太郎
★「死刑執行人。---もうろくと事故死をふせいでやるために全力をあげる人」(アンブローズ・ビアス
★「人生の大事は大半必然に来る。しかるに人生の最大事たる死は大半偶然に来る」(山田風太郎
★「君の骨も乾かぬうちに、君の名も行為も忘れられた」(ジョージ・オーウェル
★「もし自分の死ぬ年齢を知っていたら、大半の人間の生きようは一変するだろう。
したがって社会の様相も一変するだろう。そして歴史そのものが一変するだろう」(山田風太郎
★「親も、友達も、みんな死んでゆきました。それくらいのこと、私にだって出来るでしょう」(田辺澄江
★「靴ヲ隔テテ痒キヲ掻ク。生ヲ隔テテ死ヲ描ク」(山田風太郎
★「生が終わって死が始まるのではない。生が終われば死もまた終わってしまうのである」(寺山修司
★「臨終の人間〈ああ、神も仏も無いものか?〉。神仏〈無い〉」(山田風太郎
★「また臨終の人間〈今、神仏が無いといったのはだれだ?〉。
答え無し。---暗い虚空に、ただぼうぼうと風邪の音」(山田風太郎
★「多病な私はなぜ生き残っているのだろうかと疑ってみる。
あの人はどうゆう訳で私より先に死んだのだろうかと思う」(夏目漱石硝子戸の中』)
★「死は推理小説のラストのように、本人にとって最も意外なかたちでやって来る」(山田風太郎
★「自分と他人との差は一歩だ。しかし人は永遠に他者になることは出来ない。
 自分と死者の差は無限だ。しかし人は今の今死者になることも出来る」(山田風太郎
★「果実に芯があるように、人はだれでも自分の死を自分の中に持っている」(リルケ
★「この世で最大の滑稽なことは、自分の死ぬことだ。にもかかわらず、
 およそ人間のやることで、自分の死ぬことだけが愚考ではない」(山田風太郎
★「死んでどこかわからんとこへゆくということ---見えない風の中に囚われ、宙に漂う地球のまわりを、

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537, 緩慢なる自殺
- 2002年10月02日(水)
 十数年前の東京の経営セミナーで、漢方の薬局を経営している人から聞いた話で、今もその忠告を守っている。
 ーその内容は
・白砂糖は毒そのもの、絶対に口にしないこと! ーコヒーに入れて飲むのが一番悪い。
・缶ジュースも毒そのものー冷やすと甘味が薄れる為、甘味料を異常に入れてある。特にコーラは要注意、
 どうしても仕方なく飲みたいときはスポーツ飲料にすること
・インスタント物も可能か限り口にしないこと、やむをえない時は冷凍食品にする事。
・内臓ものも口にしないことー焼き鳥とか、レバ焼き。
 ラーメンもたまに食べるのはいいが、常食にしないこと -中華そばの汁は骨とかでダシをとってある。
・マヨネーズも危ない。 今は動物性から植物性に変わっているが、ドレッシングがよい。
今考えてみて、それを実行してつくづくよかったと思う。
今の人を土葬にしても骨が腐らないためにそのまま残るという。防腐剤のためだ。
 長岡のあるホテルの人から聞いた話だが「裁判調停の為長期で泊っていた母と子が数ヶ月間、
3食カップヌードルを食べていた」と聞いたことがある。聞いただけでゾッとした。
農家は農薬を使っている現状を知っている為、自分達の口に入れる作物は無農薬しか口にしないという話を
聞いたことがある。こうなるとエログロの話だが実際のところそれに近いのだろう。
今になって狂牛病が大問題になっているが、知る人ぞしる話である。
「それでも世界で一番長寿なのだから心配することはない」というのは見当違いで、それは今のお年寄りの話。
そういう食品を若いときに口にしてない。今の30~40歳以下の人はその保障はない。
「インスタント物」と「缶物」と「砂糖などの糖分」は口に入れないことだ。
そうしないと、緩慢なる自殺をしていることになる。
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[168] 忘れられないあのお店-1
   2001/10/02
 このキーワードを聞いただけでも、
ある年齢を超えた人なら深い思いに駆られる。初めてのデ-トで入った店とか、初めて一人で入った店とかのこと。
これをキーワードに過去をさかのぼると、無限に近い記憶が戻ってくる。 考えていたら予想を超えて、全く違う
思いが底より湧き出してきた。それが意外と?長岡の大手通りの‘生家の池津屋’という店だ。
要するに幼児体験の自身のアイデンデテーに立ち返るということだった。
 私が3歳の時に両親が当時ビルを建設をはじめた。その時に仮店輔で木造の家を、今の厚生会館(前は公会堂)
の前に引越した。家の下に、丸たんぼうを入れて移動したのだ。個人の申請として全国で初めてのビル建設だったという。
昭和24~25年のことをハッキリと覚えている。ビルの完成、そして引越し、仮ネグラの二階の奥の記憶!
 今の緊張感の数倍あった!当時の方が圧縮された生々しさが有った。あの白壁の匂い!そして三階への引越し。
四階に従業員のねぐらと倉庫。子供ながら色いろあった。それが(トップページの倉蔵の写真)の中にある。
 考えてみても、異