つれづれに

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 下にコピーしてある 九年前の2004年09月13日(月)
1259, 「裏帳簿のススメ」ー読書日記 ー 岡本 吏郎 (著)  
 この本を切っ掛けに、、合法的な裏金つくりを始めた。 これも途中で法律で禁止されたが・・・ 
そんなのがあるのか?といえば、当時はあったのである。
 「会社が私個人に毎年数億円保険、掛金数百万をかけて経費で落とす。
しかし、数年経ったら、その8~9割の掛金が、契約解約をすると戻ってくる仕組み」で、
帳簿から一度、消えてしまう。それは金融機関からみて知られないようになっている。
 これは整理直前に表に出したが・・・ 6年以上で少しはまとまったロットになっていた。
振り返ると、全く、この本の通りで、まともにしていたら、会社には金が残らない仕組みになっている。
ビルの償却も、実態より遥かに厳しい条件になっていて、これでは、金が残るわけがない。
 怖いもの知らずで事業をしてきたが、面白かった反面、引き際の難しさがある。 
消費税の値上げ、内税は事業者にとって厳しい。その上に、灯油や、物価の値上げ。
しかし、市場は厳しくなるので売価は上がれれない。 真綿で首というより、荒縄で首だろう、これでは!

・・・・・
1624, あるラーメン屋での、とある話
2005年09月13日(火)
 十年ほど前に、家内が友人から聞いた内容だが、今でも鮮明に記憶している。
どこでもあるような何げない話だが印象深い。
ー家内の友人がラーメン屋に入ってすぐに、貧乏学生風の男が一人入ってきて、
ライスの大盛りだけを注文した。ライスだけなので、すぐに運ばれてきた。
すると、やおらラー油と醤油をライスの上に振りかけて無我夢中で美味しそうに食べ始めたという。
そして食べ終えてお金を払って無言のまま出て行った。その間、食堂にいた総ての人が
一切食べていたものを口にせず、呆気にとられて見ていたというー
たったこれだけの話だ。が、どういう訳か?その場面が目に浮かぶように憶えている。
さすがに学生時代に、その経験はなかったが。しかし何処でもありそうな内容である。
本人も、これだけ美味しいご飯は一生に一度? ではなかったのではないか。
どんなご馳走より、美味かったはずだ!
そういえば下の子供が、ご飯そのものが大好きで、新米の時期にオカズも無しに
「美味い美味い!」と食べていていたが。
去年のこと、駅前でホームレスがベンチで駅弁を一人で食べていた。
その隣のベンチでひとり座っていたやはりホームレスが生唾を飲んで羨ましそうに見ていた。
それを横目に見ながらワザト勝ち誇ったように食べている姿が、人間の原点を見るようであった。

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2004年09月13日(月)
1259, 「裏帳簿のススメ」ー読書日記 
   ー 岡本 吏郎 (著)     出版社: アスコム
この裏帳簿の意味は、けっして危ない脱税の裏帳簿ということでなく、「役員賞与を目いっぱい取って、
生活費の差額を別通帳にプールしておく、戦略的予備費のつくり方」、要するに「副帳簿を作っておくべし!」
という内容である。
我々中小企業の経営者は、こういう戦略的予備費を持つという考え方は持っていないで、
日々の資金繰りに追われているのが大部分である。
前書の「会社にお金が残らない本当の理由」では、
・裏帳簿は絶対必要!その理由と作り方
・決算書の数字はまったく意味がない理由
・経営をするうえで知らない人が多い、たった一つの数字ー本当の数字
・これに逆らったら、お金は貯まらない「ビジネス万有引力の法則」
・間違った節約、正しい節約
・会社が稼いだお金の本当の価値
・資本主義の正体を知れば行動も変わる などを書いているが、
「会社を経営しようというなら、一億の金を個人名義で持っていろ!」と暗示している。
今度の本では、その技術論であるが、さしたて突っ込んだ内容ではないが。
経営の目的は「有利なポジショニングにつくこと」と看破、その為には、
「戦略的予備費としての合法的裏通帳を用意しておくべし」が要旨である。
デフレと恐慌に近い経済環境の中で、利益を確保することすら難しくなってきている。
戦略的予備費を如何して確保するかは長期スパンの結果である。
「今日明日どう生存するか」が中小企業の90?の問題点であるのに、何を今さらという感がする。
しかし、そうだとしてもやはり読むべき価値はある。
税務会計からみた中小企業戦略経営論」としてみると面白いが。
 
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2003年09月13日(土)
892, 危険物取扱主任者講習会
 先日の午前中「危険物取扱主任者」の3年に一度の法定で義務付けられた講習会に出席してきた。
主に、ガソリンスタンドやタンクローリーや、大型ビルや、ホテルなどの軽油重油を扱う設備を
おく事業所に一人は必要な資格である。この資格を取るには結構、試験が難しい?
一日4時間、2週間は集中しなくてはならない。参考のために、宅建は夜間の講習会に5ヶ月通って、
更に家で3時間平均集中して勉強して、合否確率は50%である。この講習会の参加は7回目になる。
これに宅建の講習会が数年に一度あるから、大変といえば大変だ。今回の場所は三条の産業振興会館。
第三セクターの豪華な、しかし有っても無くてもどうでもよい箱物である。
5百人は入る大会議場で、空気と温度は最適に保たれていた。
そのせいか、ほとんどの人が講師の話を真剣に聞いていた。いつもは三分の一は寝ている人がいるのだが。
帝国ホテルやパレスホテルの会場より快適なのだ。こんなものは、新潟県に一つや二つでよいはずだ。
どうなっているのか?これも補助金ばら撒きの箱物の典型だろう。
 ホテルの場合は、全くといってよいほど注意することが無いので寝ていてよいのだが、
GSの従事者の場合そうはいかない。何事もそうだが、関係ない話でも真剣に聞いていると結構面白い。
あれだけ硬い内容にかかわらずでだ。「何事も楽しんでやれ」と、思って聞いたからだろう。
 危険物を扱っている事業所は年々減っているようだ。ガソリンスタンドの廃業が増えているためだ。
それに比べて事故は年々増えているという。何処も経費節減のため、人手が足りず事故につながっているという。
「何処も同じ秋の空」ということだ。

・・・・・・
2001/09/13
[143] 宗教戦争ー2
この事件はキューバ危機・ケネデ-暗殺・ソ連崩壊に位置ずけられるとんでもないテロである。
元大蔵省の榊原某と寺島実郎が言っていたのが一番本当だろう。「恐慌とか株価が云云とかの
レベルでない、とんでもない広がりの宗教戦争の本格的な始まりといってよい。」
世界中が今かたずをのんで、成り行きを見ている。
株価の相場にしてみると、2000円の下げに値する出来事だ。
そうなると!もう違う頭の切り替えをしなくては。‘9月11日の前と後’というくらいの段差が
出てくるだろう。「彼らは世界恐慌を狙った!」と寺島実郎が言っていたが、
戦略的に見るとふかい狙いだ。
我々の日常に関係ないといっていられない事態でもある。日本ももちろん巻き込まれるだろう。
ハイジャックの飛行機を4機同時に突っ込むなんて、考えられない事をするのが宗教の恐ろしさだ。
旧約聖書の世界に入りつつある。
イスラムユダヤ・キリスト宗教の宗教戦争の参考の為、以前書いた文をコピーしていく」

ーーーーーーー 
  ーH1105  イスラエル聖なる旅 
この旅行は、四千年の旧約・新約聖書に出てくる歴史と出会う旅であった。
四国の面積とほぼ同じ中に、数えきれないほどのドラマがあった。
現地の日本人ガイドのシャワ-のような説明が新鮮かつ面白く驚きと感激の連続であった。
その為か帰ってきて、新約・旧約聖書をじっくり読む事ができた事が最大の成果となった。
関連を含めると十冊を前後二ヶ月たらずで読んでしまった。
考えてみたら私の人生の転機の度に必ず聖書か聖書関連の本があった。
人生のもっと早い段階で、じっくり読むべきであった!。
旧約は先入観で固く難しそうであったが、読んでみれば何もむずかしくない、
ただただ面白い!内容であった。旧約はユダヤユダヤ民族の歴史の書であった。
また新約は出会い=イエスの心との出会いの書と言ってよかった。
  印象の強い順に列記してみると、
まずは何といってもエレサレムである。イスラエルがそのまま凝縮されているといってよい。
四千年の昔から神の名と民族の誇りをかけ、数え切れない戦いの舞台となった。
そして現在も続いている。この街を歩く事は世界の歴史の生き証人と出会い同行することかもしれない。
エスが十字架を背負って歩いた悲しみの道=ヴィア・ドロロ-サ。
磔刑に処せられたゴルゴダの丘。最後の晩餐の部屋。
イスラム教の重要な寺院=岩のド-ムとアクサ寺院。
ユダヤ教徒にとって最も貴い嘆きの壁と広場、そしてダビデの塔。
旧市街を囲んでいる城壁は四千年の歴史の深さをそのまま物語っている。
次はモ-ゼの十戒で有名なシナイ半島シナイ山である。
深夜の二時に三時間かけて登って山頂からのご来光とシナイ山の山並み。
そして、その麓にあるカタリ-ナ修道院と、神の声をきいたという“燃える柴”。
そして帰路にたちよったベトウィンの部落。そして、そこで飲んだ紅茶。
マサダの要塞”=この旅行までは全く知らなかったが、キリストが死んだ四十年余り後に、
ロ-マ軍に追いつめられた熱心党員のユダヤ人九六七名がたてこもった自然要塞。
陥落の前日、そこの指揮者ベン・ヤイルの演説の後、七名を除く九六〇人の集団自決のあった場所。
その時の詳しい内容が生き残った者の証言で残った(ヨセフスの“ユダヤ戦記”に生々しく残っている)。
=「奴隷にされる前に...自由の状態におもむこうではないか。」
=自殺を厳禁しているユダヤ教徒の集団自決であるからその意味が違ってくる。
エスの生まれたベツレヘムの岩のほら穴の馬小屋と岩の飼葉桶。
ユダヤ教エッセネ派の“死海写本”が発見されたクムラン洞穴。
一九四七年、近くを歩いていたベトウィンの少年が、洞穴で土器に入った巻物を発見。
壷に納められた六〇〇を越える巻物には、イザヤ書全巻や旧約聖書等々記されていた。
今世紀最大の発見といわれている。ここで他にとんでもない事が記された文書があった。
-イエスキリストが主張された大すじが、そのずっと昔のこの文書の中にあったという。
“イエスエッセネ派の指導者の一人でしかなかったのでは?”という疑問がでてきたのである。
そうすると西欧キリスト教の根底が変わってしまう。
あと十年後に振り返った時、恐らく今回のイスラエル旅行は私の内的深奥で一大転機の経験
となるのではないだろうか。旅行は外界を訪れるだけでなく内奥の自分との出会いの機会でもある。