つれづれに

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 NHKの朝のワイドショーで、最近、インコがペットとして人気があると、紹介していた。
犬や猫のように懐いて可愛い割に、手間がかからないのが人気の理由のようだ。
インコカフェも紹介していたが・・・ 現在飼っている「小まめルリハインコ」も、我が家にきてから
二年半、居間の横のガラスのサッシに囲まれたベランダで、障子戸を開けると、
見える場所もあり、普段は、常に傍に居ることもあり、特に私に懐いている。
鳴き声で呼びかけてきて、振り向くと、デモンストレーションで、枝を回転する。
一回につき5~15回ほど回転するが、手を叩いてやったり、餌を与えたり、
カゴから外に出してやる。 家内も最近、興味を示しているが、近寄ると、奧の物陰に避難する。
最近、それでもキャベツや胡瓜を差し出すと、スゴスゴ出てきて、恐る恐る手から直接、
食べるようになってきた。 オウム科で一番小型で、性格のおとなしいインコだが、
ノンビリしていて、そそかしい。 1代前の「メキシコインコ」が、強烈な印象が残っているので、
このインコの影は少し薄い。 前のインコは、犬が鳥の形をしているだけというほど、
頭がよく、懐いていた。 一年で死なせてしまったので、今のインコは充分に注意をしている。
 胡瓜が特に大好物で、与えると、特別の鳴き声をする。

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2005年09月05日(月)
1616, 楽しく生きる-1

「楽しく生きる」を、私流に「面白おかしく生きる」というコンセプトにして自分に課してきた。
それも20歳代の頃からである。むしろ「楽しみを見つけだす」という生き方であった。
私の行蔵の中の「楽しい時間」の中には、溢れんばかりの行蔵が詰まっている。
(他人からみたらガラクタだろうが、私にとってお宝である)
楽しいときは、どういうときであろうか。
・自分のしたいことをしているとき
・何かを期待してワクワクしているとき
・感動をしているとき
・自分の望んでいたことが実現しているとき
・人に褒めてもらえたとき
・自分の生き方に自信を持ってるとき 等々、上げられる。
いずれも肯定的な感情に包まれ、自分の欲求が満たされたときである。
一度だけの人生、肯定的な感情で、かつ自分の欲求を満たさなかったら、人生を浪費していることになる。
特に人生の後半は前半ほど単純ではない。多くの過去を背負っているからである。
ならばこそ、その中で「楽しく生きる」喜びも深くなる。
文筆家(哲学者)池田晶子 の「楽しく生きるためにどうすべきか」という文章がよい。
彼女は、哲学することの意味を平易な言葉で語ることに定評がある。

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2004年09月05日(日)
1251, オーストリア旅行記 -2
ーウィーンー
 オーストリアといえば、ウィーンである。ウィーナーワルツ、ウィーンナーコーヒー等の軽やかなイメージがわく。
飛行場から街に入るまでの道路で、何か変った感じがした。広告看板が一切無いのだ。街に入っても、広告看板が
小さく殆ど目立たない。郊外は一切広告看板が禁止されており、街中でもかなりの規制があるという。
ウィーンはハプスブルク王朝の帝都として発展してきた。17世紀以来、中欧都市として多くの文化の集積地として
東西南北・欧州の核ー交差点となっていた。音楽やワルツ、食に建築、多大な富、異文化、優れた人材が流入
混在していった。そこにはゲルマン、スラブ、ラテン、ユダヤのどれでもない独特の国際性豊かな文化があった。
その結果として、国民の民度は最高度のようだ。一見華やかに見えるが、生活は質素で堅実な国民性である。
さほど大きくないないこの街に、一ヶ月間いても飽きることがないほど多くの見所が詰まっている。
たった数日の滞在でそれを感じさせる何かがある。
学生時代、私の寮の隣室の河路という先輩と、一年後輩の南波嬢がこのウィーンに留学したのだ。
彼らは三十数年前に、この街に数年住んでいたのだ。この街にいるだけで、いやこの国にいるだけで、
多くのことが学べそうな雰囲気が満ちていた。ウィーンでは、まずは「王宮」である。
ハプスブルク家が640年間、帝都として代々の皇帝が住居としてきた。13~19世紀の間、増築を繰り返し、
現在みられるような壮大かつ華麗な建物になった。皇室の22室の部屋と、家具などが展示されていた。
旧王宮内にある「王宮銀食器等コレクション展示室」にはヨーゼフ?世夫妻が使用した銀食器をはじめ、
多くの陶器などが展示されていたが、ただただ、その豪華さに驚いてしまった。
 次に[[美術史博物館]である。
世界の博物館でも所蔵する絵画及び美術工芸品のコレクションは最大級である。
1857年にハプスブル家の美術品を収蔵するために建てられたものでリング状に部屋が創られ、
多くの作家ごとに部屋が割り当てられており、ブリューゲルの[青い花瓶の花束]や、ルーベンスの[古代の四大河川」や、
ベラスケスの「バラ色のドレスの王女マルガリータ]などが、所狭しと展示されていた。
「シェーンブル宮殿と庭園群」の美しさも見ごたえがあった。                つづく
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 2003年09月05日
(金) 884, マンション事情
 先日、新潟市内のマンションを見てまわった。モデルルームを見るかぎり、マンションはなるほどすばらしい。
ここで住んでもよいかな~というのが幾つかあった。マンションは宝石を買うのと同じ、買った時が一番の高値のとき。
買った後は、急カーブで価値が限りなく落ちていく。一戸建て住宅にもいえるが、デフレの時代は更にこれが加速される。
純朴な庶民に夢を売っているのだということが、よーく解った。結婚に似ているが、全てにいえることだ。
 マンションの売れ行きを見ているかぎり、恐慌の世界とは程遠いようだ。
新潟市内に、いつの間にか多くのマンションが建っていた。そして、その殆どのマンションの完売には驚いた。
 一戸建てなら、数十?の頭金が必要だが、マンションならそれが必要がない。ローンで三十数年の延払いが可能で、
アパートの家賃を考えれば目先安く感じる。売る方からみれば、最高の営業ネタになる。
払う方は30年以上縛られてしまうことになる。以前はやったジュエリーの世界に似ている。売りつけてしまえば、
 
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2002年09月05日(木)
510, イルカの話
最近癒しという面でイルカが話題になっている。先日NHKでブラジルの漁村で野生のイルカと漁民の共同の
ボラの漁をドキュメントで放送していた。湾の浅瀬でイルカが追い込んだボラを漁民が投げ網でとる。イルカは、
そこより逃れたボラを待っていて取るのだ。
イルカが浅瀬に逃げ込まれる前に人間の処に逃げ込んだボラのおこぼれを取るのだ。
何代にわたって親娘のイルカにそのノウハウが受け継がれている。
その湾の60頭のうち20頭がそのノウハウを持っている。面白い内容だった。
猿と犬の中間位の能力があると云われている。特に彼らの出す音波言語は、かなりのレベルの情報の交換が
行われている。人間との言語交換は不可能といわれているが、もし可能になった時は、コペルニクス的大転換が
おこるといわれている。いかなる状況においても遊びを忘れず、また人間に気持ちに対して、非常に敏感に反応するという。
検索で調べた「イルカのホームページ」の内容
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[イルカは病人を特別扱いする ]
イルカやクジラ、ゾウなどはけがをした仲間の動物をかばう性質があり、イルカは人間の中から病人を
選び出すことができるらしく、その病人を特別扱いするらしい。 イルカは人間の血圧の状態や脈拍が
わかるようであり、右半身が麻痺している人が海に入れば、イルカは必ず不自由な右側を支えるような位置に
まわってきて泳ぐ。多くの泳いでいる人の中に自閉症の人がいれば、その患者の側に行くそうだ。
イルカと一緒に泳いだ人は自分はイルカに特別扱いされたと言い、自分の存在を認めてくれたと喜び、
自分の存在価値も認めてもらえたと自信をつけさせる効力まである。
[イルカの不思議な力]
イルカがどうやって治すのかは現在では科学的に説明しづらく、イルカ療法に関しての本によってそれぞれ違う。
超音波のようなもので治すとか、気で治す、テレパシーのような超能力があるなどといろいろ書かれているが、
確実な証拠はなく、未知の能力であるのかもしれない。病人がよくなるというのは実際にあるが、
イルカだけが効果の源であるとは言い切れない。広い海に出ること、太陽に当たること、多くの人に援助して
もらい水に入ることなども効力のあるすばらしい体験であると言える。
心の病の治療にイルカが使われています。その第一人者はベッツィー・スミス博士。彼女は自閉症の子供を
イルカと泳がせました。すると、感情を表にだしことのなかった子供たちに変化がおきたのです。
喜びを表現したり笑い声を発したりしたのです。
彼女の言葉を借りると、「イルカは超音波を使って、対象がどのようなコンディションであるかを
理解します。相手の体に不自由があったり、気分がおちこんでいたりといった状況を敏感に察知し
イルカのほうから患者にちかよってきて」人々を癒すのです。
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2001年09月05日(水)
[133] 事前の一策は事後の百策に勝る
この事業を創める前にこの諺は知っていた。そして考え抜いて創めた。考え抜いた分うまくいった。
浪人を何回かやったためその事を身にしみて知っていた。特に装置産業はそれが極端に結果として出る。
失敗したらそれは屑以下だ。取り壊しの費用がさらに加わるからだ。 その為会社の名前もホテルプロジェクトにした。
では事前の一策はどうしたらいいか? 情報と知恵だ、と足だ。それでこの程度だから、私が書くに値しないかもしれない。
ー自省の意味で書く。
原理原則を学ぶことだ、そして足を使うことだ。そして策を練ることだ。これが難しいし、甘くなる。
事業なら事業計画、旅行なら旅行プランだ。当然これで100%きまる。これが解ってない
(一番解ってないのが自分かもしれない)店に入るとすぐそれが解る。平面とプライス設定と商品で。
チェーン店大きいところはすばらしい。よいから大きくなったのだ。個人店80パーセントの負け組みはひどい。
まだ生き残ってるのだから、それなりの理由があるのだろう。悪いのは景気でない、その店の店主のが解ってない。
人のことを言えないが。更に自省をこめてこめて書いている。
集中が基本だ。プライスと商品の集中。マクドナルドはハンバーグだけで何万の店を創った。
ユニクロは衣料の普段着と合着であれだけ爆発的人気をえた。
普段着はヨソイキの服のお下がりかスソものといわれる安物を何にも不思議と思わず着て生活していた。
ユニクロはただマクドナルドをただそのまま真似た、普段着として。イタリヤとか、アメリカの
一流デザイナーにデザインをさせ、中国で生産させ持ってくる。売れて当たり前だ。
そろそろ飽きられたとかいうが、とんでもない。あのホームページ