つれづれに

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 10数年前に、ある書店の写真集で、この写真をみてベネゼイラのテーブルマウンテン
行くことになった。実査に行ってみて、その神秘的は神々しい大自然に衝撃を受けた。
今度は、何故か、まだ行ってない、グランドキャニオンとモニュメントバレーとヨセミテに行くつもり。
考えてみたら、あと一年半で70、古来希なりの古希になる。50回は行けそうだが・・・


・・・・・・・
2004年08月21日(土)
1236, 広松渉ー(5)-哲学についてー30
人間は、それぞれの正義がある。そして、その正義にしたがっていきている。
その正義の成立条件を考えるとなかなか面白い。
第三章 実践するとはどういうことか
 第三節 正義の成立条件
  のポイントを抜粋する
・正義と不義
正義と不義という価値対立性が志向的・実現的な行為目的の価値評価の基準をなすと私は考えます。
 ・・・より高い実践的価値を実現する行為が私の謂う正義であり、それに背馳する行為が不義である。
・身体的存在=自己
正義ということは「より高い行為目的の撰取」が可能なこと、および、
「志向目的の行動的実現」が可能なこと、これら二つの「可能」性を前提にしている。
前者はいわゆる「選択の自由」、後者はいわゆる「起動・駆動の自由」の問題に属し、
そうじて「自由意志」の問題に属します。この自由意志」という大問題を論究するためには、
「人格的主体」の問題を検討しなくてはなりません。人は幕場的情況に応じてその都度一定の役柄存在相で
行為を演じるとはいえ、役柄存在には尽きない内自的主体があるように自・他を覚識します。
生徒に対する対他的関係においては教師であり、医師のそれに対しては患者であり、妻に対しては夫であり・・・・
という役柄を一切脱ぎ捨ててもなお残る本人、一切の対他的関係の規定から切り離しても残る実体的
自己同一者、そのような内自的な主体が厳存するように思えます。
・・・新陳代謝に留目すれば、人体は骨を形成している物質分子に至るまで一定の時間後には
すっかり入れかわってしまうのであり、人体を一個の物と見做すのは、譬えていえば、河を一個の物に
見立てるようなものです。中味はすっかり換わってしまうものであり、変わらないのは「形」だけと
言いたいところですが、現実には成長・老化につれて「形」さえ変わります。
・・・個人が単なる肉体的存在でないとすれば、実体的自己同一体としての魂なるものを内在させている
ということにして、霊魂的自己同一性に拠って規定さるべきでしょうか?
・・・意識・意志を具えた実体的霊魂の内在という思念は、近代科学的発想には馴染まないにしても、
依然として根強い。実体的霊魂とやらは、その存在を実証することも、その存在を確証することも、
いずれも不可能な特異な存在だと称されますので、扱いに苦慮します。
が、その存在を信憑・主張する人々の論拠は何でしょうか。
差し当たって、ナルホド、宗教的教義その他、それは多種多様ですが、
教義や伝統的思念の成立場面・追認場面にまで遡って問い返せば、
(1)自我の自己同一性の覚識
(2)一群の意識的行為現象を整合的・統一的に説明するための‘構成'的措定、この二つに帰趨するはずです。

・・・・・・
2003年08月21日(木)
869, 「ロバート・アレンの実践億万長者入門」-2
― 生涯続く無限の富を得る方法
この歳で、いまさら億万長者になって無限の富を得て何とかではないが、一生を通じて億万長者になる
方法論には興味がそそられる。そしてこの本の中には、なるほどと納得するものが多い。
当たり前のことだが、その当たり前のことが解らないものだ。「お金はむき出しの真実」なるがゆえに、
太陽と同じように直視できない。おまけに複利で増殖をしてくるから、その蓄積は力を持ってくる。
その上に「むき出しの力」になるから恐ろしい。
ー以下いくつか印象に残った箇所を抜粋してみるー
・「お金で成功する秘訣は、使った残りを貯金するのではなく、 貯金した残りを使うことである」
 ーこれなど「天引き貯金」という言葉があるほど当たり前のことだが、 じゃあ実行しているかというと意外としてない。
・節約したお金は、稼いだ金と同じくらい価値がある(デンマークの諺)
 ーこれも考えれば考えるほど含蓄がある。
・もしお金がものを言うなら、私には補聴器が必要だ。 -ほとんどの人にいえることだ。
・30秒で生活費を20~30?削減する方法として「あなたの持っているクレジットカードをすべて取り出して
全部切ってしまいなさい。統計上、この単純な行為が自動的に、ほとんど苦労なく、
続く12ヶ月間の生活費を平均30?削減する」そうだ。
 -アメリカの場合は特にそうだろう
 ある姉の甥っ子が私の父の節約癖を子供の頃に馬鹿にしていた。その姉夫婦は浪費家で、
その親の影響があった。その時その姉夫婦の将来がはっきり見えたことを覚えている。
現在無残なほど生活に困窮している。金を馬鹿にすると必ず金に復讐される身近な事例だ。
 アメリカの億万長者ポール・ゲッティが「成功の秘訣は?」と尋ねられて
「私は麦わら帽子を秋に買います」と答えた話は有名である。
需要の下った時節の、値段の下がった秋に買えば、何分の一の買いは誰でも可能だ。
彼の凄いのは、この哲学をすべての買い物に適応したことだ。
油田も、ビルも、ジェット機も、アートコレクションもすべてこの哲学で買い物に適用した。
彼の頭の中には常に「卸売価格」という言葉があった。誰も欲しがらない時に買い、需要が高くなった時に
売る自然の法則という長期的視点を常に持っていたのだ。
ロバート・アレンはこの本で、最低90日単位の計画を勧めている。
「90日後に必要なものをより賢く買うためには、今日何をすればよいか」
と説いている。出費コントロールが、収入を増やすことより、はるかに簡単であることを強調している。
「毎月50ドル節約する50の方法」がなかなか面白い!
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2002年08月21日(水)
494,熊(現実)からの逃避ー煮詰まった時 ー1
 古館伊知郎のトークショーでの話しだが、 周辺のデレクターなど10人に
「あなたは煮詰まった時どこに向かいますか」と聞いたそうだ。答えが面白い!
・「実家に帰る」が7人もいたそうだ。
・二人が「ふてね」をする。
・あと一人は、ニクソン回顧録の中に書いてあるのを真似ているという。
 部屋で「馬鹿を許す、馬鹿を許す、馬鹿を許す」と大声で唱ているという。
 そのデレクターはトイレでやっていたという。
まあ面白い話だ。自分なら、過去どうしていたかというと以前にも書いたことがあるが、
それに関連した本を買い込み徹底的に読む。そして紙に書く、徹底的に。
大体が一週間でいや実際は2ヶ月で終了する。いろいろと逞しくなった。
要するに自分の心の捉え方一つなのだ。そこのところをキッチリト整理をして
内面にしまっておかないといつまでも尾をひく。
以前にも何回か書いたが、30年前の何かの本で強烈な喩え話があった。
「熊に追いかけられ、そこには1.池がある。 2、木がある。
 3、家がある。 4、鉈(なた)がある。」4の鉈は自分が今回いれたのだが。
ー貴方ならどうしますか?
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2002年08月21日(水)
494,熊(現実)からの逃避ー煮詰まった時 -1
 古館伊知郎のトークショーでの話しだが、周辺のデレクターなど10人に「あなたは煮詰まった時
 どこに向かいますか」と聞いたそうだ。答えが面白い!
・「実家に帰る」が7人もいたそうだ。
・二人が「ふてね」をする。
・あと一人は、ニクソン回顧録の中に書いてあるのを真似ているという。
 部屋で「馬鹿を許す、馬鹿を許す、馬鹿を許す」と大声で唱ているという。
 そのデレクターはトイレでやっていたという。
まあ面白い話だ。自分なら、過去どうしていたかというと以前にも書いたことがあるが、
それに関連した本を買い込み徹底的に読む。そして紙に書く、徹底的に。大体が一週間でいや実際は2ヶ月で終了。
いろいろと逞しくなった。要するに自分の心の捉え方一つなのだ。そこのところをキッチリト整理をして内面に
しまっておかないといつまでも尾をひく。
以前にも何回か書いたが、30年前の何かの本で強烈な喩え話があった。
「熊に追いかけられ、そこには1.池がある。 2、木がある。
 3、家がある。 4、鉈(なた)がある。」4の鉈は自分が今回いれたのだが。
ー貴方ならどうしますか? この答えをじっくり考えておいてください。
        ー参考のために前文の実家が3の家だ。 ー 続く
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2001年08月21日(火)
[115] 夢についてー8
南アフリカのビクトリア滝での100メートルのバンジ‐ジャンプの半年後の話である。
新宿の50Fの高層ビル(都庁)は、あの100メートルの高さの二倍の200?であった。
その時、窓の外を見て飛び降りるイメージをして見て、足がすくんでしまった。その夜たまたま
近くのホテルに泊まった。その夜の夢が200メートルのその高さのバンジ‐ジャンプの夢である。
実感として本当に飛び降りた感覚の夢である。高さの恐怖はその視野の広がりが大きさと比例する。
飛び降りるその時間の圧縮が、そのまま恐怖の圧縮となるのだ。凍りつく瞬間にたいする自己投身が、
ジャンプとなる。それが恐怖として夢に現れたのである。夢の話より、バンジ‐ジャンプがいかにショックかの話。
ーーーーーー
ーH0705バンジージャンプ南アフリカ・ビクトリア滝)
 ナイアガラの二倍の落差のビクトリア大瀑布に息をのみ、そのまま進むジンバブエ
ザンビアの国境を結ぶ小説等で有名な鉄橋がみえてきた。よくみるとバンジー・ジャンプで丁度人が
とびおりたところであった。思わず“私もやりたい!”今年の五月にニュージランドで43mの高さを挑戦!
今度はその二倍あるという。
現地案内人の黒人女性も、私の気迫におされてOKの返事!一度国境を出てまったく無国籍の橋の上へ。
国境警備員も本当かと何回も念を押した。そして……。飛び込み台に立って気がついた高さと恐怖心は正比例である事に!
氷つくような恐怖心!後ろをふりむいて“やっぱりやめた!”という一瞬の気の迷いを振りほどいてジャンプ!
何と次の瞬間思いもよらない脳の奥より声!“目をあけてみてみろ!”何とそこには高速道路で170?のスピードで
車をはしった時の世界と同じような空をとんでいるような感覚。いやに緑の木々の印象の強い光の中をつきぬけていく
風景がみえてきた。さらに恐ろしいのは、50m位の中間で何分か宙づりになり、橋まで再びひきあげられるまでの恐怖。
次はヘリコプターよりのジャンプ!挑戦をしてみよう。
 (ニュージランド・クラフトチャーチ)
四十三mの渓谷の吊橋より足首に一本のゴム紐をつけて飛びおりるゲーム、まさに“身も氷るおもい”。
あの飛びこみ台は死刑台と同じ感覚ではないかとその瞬間思えた。立って下を見た瞬間まさに金縛りそのもの。
自分は何で