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今朝というか、深夜の豪雨は、前日の半分ぐらいであった。
信濃川の土手の水位が、明日の長岡花火の桟敷席や、テントを流さなかったか、
信濃=長野の豪雨がどうだったか? 関係者はヒヤヒヤだろう。これで、やっと
梅雨が明けることになる。
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1946, 満水の阿賀野川河口でカヌーに乗る-2
2006年08月01日(火)
その日(7月29日)の夜、松下さんと長岡市の駅近くの「一心堂」というスナックで飲んだ。そこで、
「阿賀野川の河口で帆付きのカヌーで向う岸に渡ってきた」と、酔っ払いの自慢話。
ところが、マスターとスタッフが、そこをよく知っていて、
「大きな川の河口は恐ろしいところで、あそこではエンジン付きの舟以外は誰も乗らない。知らないだけで、
とんでもないこと。何も知らない子供が、寝ている虎の背中に乗って遊んでいるようなもの。
少しでも川の流れが変化したら、どうなったことか・・・」と、呆れていた。
翌日、会社で近くに住む人に話たところ、もっと厳しい指摘。
「あそこは海の波と川の波がぶつかり合っていて、いつどういう波が来るか分らないところ。
毎年何人か死んでいる。そのため誰も泳ぐ人もいない危険地帯。この豪雨の翌日にカヌー遊びなど
危険とかいう問題ではない。」
流木が多く流れていて危なそうだと思ったが。誰も泳いだり、ボートなどに乗ってないはずである。
松下さんは海が主流で川では乗らないといっていた。さらに大きな川や、その河口も初めてと言っていた。
知らぬが仏だったのか。たまたま、そのような幸運なTPOSを遭遇したのか。
カヌーも経験すればするほど深い世界であり、のめり込んでしまうという。
一人でカヌーを持って海・川に行き、組み立て、そこで遊び、また解体して車に積み込み、
一人で帰ってくるのが良いという。こういう趣味を持っているのは羨ましい限りである。
おまけに、河口湖に別荘を持っていて、そこでカヌー遊びなど・・・
人は人、我は我だが・・・ こういう人の趣味などで羨ましいと思った時、
自分の趣味を持っていると余裕を持てるからよい・・・
「趣味は、その人をそのまま現す」というが、そのとおりである。
永年かけて一人で自分の世界を作り上げていくプロセスを楽しむもの・・
人がとやかくいう世界とは別物。
*(ところで、一心堂というスナック開業70年という店。
私の母とマスターの母が同級生。 その上、私の兄とマスターも同級生ときている。
こういう老舗が地方都市には多いが、最近どんどん廃業している。このテーマと関係ないが)
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2005年08月01日(月)
1581, 「これから5年・地価は半値になる」-4
この本に、「都心の大型マンションの暴落が引き金になって土地の下落は、更に進む」と、あった。
そのままの記事が、五月号の「ヨミウリウィークリー」にあった。(昨日、図書館でみつけたものだが)
いま人気の「品川」に、価格破壊タワーマンションが1~2年先に売り出されるとか。
70年の定期借地権つき高層マンションで、80平米が3600万という。
この値段は定借付でなければ、東京駅から30キロ以上離れたところの相場と同じ値段になるという。
品川駅から8分のところの高層マンションが、この値段というは不動産業界にとって、
いかに衝撃的な価格ということがわかる。こういうものが、これからドンドン売り出されると
都内の十字架ゾーンから離れた不動産の価格がますます下がるのは当然である。
このような物件は初めてかというと、そうではないとか。
平成16年、去年の春、横浜の港北ニュータウンで分離された「タンタタウン」がある。
678室の大規模マンションで、82平方の3LDKが2180万などで売られた。
この記事を読むかぎり、この本の内容がオーバーでないことになる。
従来の50年の借地権つき物件、それも数年前に完成し、今は中古として取引される
定借マンションに最近、人気が出ている。
この数年は負け組みの土地の値段が下がり続けるのは間違いはないだろう。
まだ土地本位制度から抜けきれない銀行の体質から見て、日本経済の悪化は
続くと見なければならないのか。
ー追記
この文章を書き終わって気づいたことだが、この本をベースに一つの事例として
肉付けした記事だったのかもしれない。
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2004年08月01日(日)
1216, 直立して歩くサル
先日のニュースで、ある動物園で直立をして歩くサルを報じていた。
人間のように背筋を伸ばして歩いていた。
インフルエンザで高熱を出した後、直立で歩きだしたという。
何かサルの惑星の世界のような不思議な感覚に陥ってしまった。
・風邪で脳の何処かをやられてしまったのか。
・サルの歴史の中で直立で歩いていた時期があったのか。
・人間が歩き出したのは、脳をやられたサルが歩き出したのかもしれない。 等、考えてみたが。
一般にはサルが木にブラ下っているうちに背筋が伸びて、直立の骨型ができた。
その後に、草原に獲物を獲るために出て行くうちに、直立歩行になっていったと、
信じていたが、サル学者はこの現象を如何みるのだろう?
進化論で、「脳内突然変異作用」の説があっただろうか。
人間でも老人性痴呆症になった人が抑制がとれて突然、絵画の特殊才能が出た
という例もあるという。脳はまだまだ未知の領域である。
それが注目をされた時は、悪化をしている時である。
そう考えると、脳が最近になって注目をされているというのは人類は少し脳が
おかしくなってきているせいだ。それとも電脳といわれるコンピューターのせいだろうか。
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2003年08月01日(金)
849, ありがとうの話ー7
「幸せの宇宙構造」を読んで、「ありがとう」を一日500~1000回いい続けて50日が経つ。
日が経つほどに、驚くほど気持ちが安定するようになった。
もともと気持の安定化は般若心教などで訓練していたが、「ありがとう」効果は即効性がある。
簡単に「瞑想と同じ状態」になるため、細切れ瞑想が手軽にできるからだ。
『言葉はレストランのオーダーのごとし』というが、言い続けていると注文どおりの料理が運ばれる。
「ありがとう」といっていると「ありがたいこと」がどんどん運ばれてくる。
「ありがとう」を歳の数×1万回をいうとその辺から、それまでと違う現象がどんどん出てくるという。
私の場合57万回になるが一日千回として、一年半以上かかる事になる。
「ありがとう」を言い続けているうちに、言葉と一体化して無我になった状態が、
仏教でいう悟りに近い状態ではなかろうか。宇宙の特異点の「正中心一点無」の状態である。
その無からエネルギーが湧き出てくる感じだ。
私の場合、マイナス思考が出てきたとき、自動的に「ありがとう」を言うことにしている。
現時点ではこれが一番自分にとってプラスになっている。人間は一日7~8万回考え、その大部分が
マイナス言葉というから、これは非常にプラスである。
この随想日記を読んでいる人に「ありがとう」シリーズは好評で多くの人が「ありがとう」を
いい始めるようになった。ありがたいことだ。「ありがとう」のとうは「十」と「当」の意味が
含まれているという。ありが十は「十に一つしかないこと」
ありが当は「めったにないに当たること」という。なるほどと思う。
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2002年08月01日(木)
474, ある小学6年生の作文
[僕の夢は一流のプロ野球選手になることです。
そのためには中学、高校と全国たいかいに出て活躍しなくては
なりません。活躍できるようになるためには練習が必要です。
僕は三歳のときから練習を始めています。三歳から七歳までは
半年くらいはやっていましたが、三年生の時からいままでは
365日中360日は激しい練習をやってます。
だから、一週間で友達と遊べる時間は5~6時間です。
そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球の選手に
なれると思います。
その球団は中日ドラゴンズか、西武ライオンズです。
ドラフト入団で契約金は一億円以上が目標です。
僕が自信があるのは投手か打撃です。
去年の夏、僕たちは全国大会に行きました。そして、
ほとんどの投手を見てきましたが自分が大会のナンバーワン
選手と確信でき、打撃では県大会四試合のうちホームラン3本を
打ちました。そして全体を通した打率は5割8分3厘でした。
このように自分でも納得いく成績でした。
そして自分たちは一年間負けを知らずに野球ができました。
だから、この調子でこれからも頑張ります。
そして、僕が一流の選手になって試合に出られるようになったら、
お世話になった人に招待券を配って応援してもらうのも夢のひとつです。
とにかく一番大きな夢は野球選手になることです」
この文章はイチロウの子供時代の作文である。-「致知」という雑誌より
「夢」と「意思」と「実績からくる自信」が現れている。
それと父親の指導がこの作文の文章からうかがいしれる。
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2001年08月01日(水)
[94] 倒影について-1
投影といえば対象の中に自身の姿を見るとか,自身を相手に映し出すときにつかわれる。
これに対し私が創ったか実際あった言葉か忘れてしまったが、‘倒影’という心理がある。
これが人間にとって曲者!ずるい批評家とかコンサルタントや新興宗教の教祖が多用する。
他人の悪口はこの心理より発せられる。
‘心の中の影’を自身の中より、対象の中に見てけだし否定する。ずる賢いやつはそういう対象に近づき、
否定すべきことを探しある時期がきたら手の裏を返す。誰もが持っている哀れな姿である。
新興宗教の教祖がそれをやる。ダライラマとかに500万とか1000万の金を献金。会見したようにして会い、
あたかも同格のように写真をとる。そのうちいつのまに教徒にそれ以上と洗脳をする道具に使う。
オウム教とかこの前詐欺でつかっまった足もみの教団はその典型だ。
女子短大レベルの若い女が表面的知識を得た時、まずおぼえるのがこの否定である。
それであとは何にも見えなくなってしまう。それで同格かそれ以上と錯覚してしまう。
何事も三分一は影があるが、その影探しだけに精を出す。