つれづれに

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 写真のような場所で瞑想でもしたら、気持ちがよいだろう。
しかし、毎朝の信濃川土手のサイクリングも、決して、ひけをとらない景色。



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2004年07月17日(土)
1201, 仮説について
ー仮説を辞書で調べてみると、
ある現象を理論的に統一して説明するために立てられた経験科学上の仮定。
その真偽の検証は、仮説から必然的に演繹(えんえき)された諸命題を
実験や観察によるテストで確かめることによってなされる。
検証された仮説は法則や理論として公認される。ーとある。

事業では、生じてきた問題に対して常に仮説を幾つか立てて、知るかぎりの情報を検証して判断決断をしてきた。
わたしの思考法として、
・自分の立てたテーマと結論に対して正反対の仮説を立ててみるという「仮説思考法」
・本や人の論を全く疑ってみる「一刀両断思考法」
・喩えをつかって、その現象を一度パッケージ化をして、それを鳥瞰してみる
 方法ー「喩え話鳥瞰法」
・KJ法をつかう方法(帰納法の一種だろう)
 ー「紙切れ書き出し思考法」
・テーマを考えて、それを構成する材料を集め、そのプロセス
 で考える方法「テーマ思考法」(演繹法)などがある。

正・反・合を自分で組み立てる時、立てた説(正)の反対(反)を大胆に考えること
が重要である。往々にして、その反対の説の方が理が通っているケースが
多い場合がある。そして、そのプロセスでよりよい案(合)を考え出す。
情報化社会へ大きく変動していている時代に生き抜くには、いろいろな状況に対応できる幅広い
考え方が必要になる。固定した考え方は、状況が一変したときに、それに対応できなくなってしまう恐れがある。
そこでは、シミュレーションする能力の「仮説」を立てる能力が重要になる。
「仮説」を立てる能力とは、「常識」を少し違った角度から構築することだ。
その為には「常識」を疑うことがまず必要になる。
仮説には、仮説演繹法と実践仮説がある。
ー実践仮説 ー 実践の中での疑問・想起・想定・仮定・仮説 を立てる  
① まず実践者の行動の一部に「おやっ」とか「どうしてだろう」という疑問が生じる。 
②つぎに「たぶん~だろう」という形を思う。これを「想起」とここでは呼ぶ。
 想像が始まるのである。
③この想起が当たると、疑問は解消する。
④それでも当たらないと、「~か」と思う。 想像にある方向性が生じる。
 これが想定である。
⑤この想起が当たると、疑問は解消する。
⑥それでも当たらないと「~か、あるいは~か・・・・・」となり。
 これを「仮定」である。 そして想像の分類が始まる。
⑦仮定を確認する作業を行う。 それにより仮定が支持されると、疑問は解消する。
⑧それでも仮説が支持されない場合は、研究の懸案として残される。 
ー仮説演繹法は考え方の手順を示している。
 その考え方として、以下のような手順を調べる。
 ①想起:
 ②確認可能な命題の形で仮説を立てる
 ③仮説を実験など実際に検証する
 ④検証されなかった仮説は採用しない
 ⑤検証された仮説を採用して論理を構成する
 ⑥それを考査
 このようにして構成された論理の体系が「科学」という。
科学的というと実験を連想しますが、実証する方法はなにも実験に限らない。
日常の観察で確認される事柄も、上記の手順に合致すれば、科学的な事実といえる。
仮説を意識して立てることは、実践を高める上で役に立つ。特にフィードバックを瞬時に可能にする。
「3案・5案を考えて、その中から選定すべし」というが、それだけ多くの視点を持つべし、
案を練りこむことになるからである。

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2003年07月17日(木)
834, 沖縄の中学生のリンチ殺人事件
 3年前の春の土曜日に、自宅近くの土手を散歩していた時のこと。
川崎小学校裏の土手を歩いていたら、一人の高校生?が相手を殴っているのが見えた。
瞬間に「この馬鹿野郎、、何をやっているんだ!」と走りよっていた。
ところが、その場に踏み込んだ瞬間とんでもない修羅場であった。
グループ同士の喧嘩の場で、2~3人が倒れて気絶している。15歳位の犬コロのような
餓鬼3~4人が逆に粋がって『何だと、やるのか!』と迫ってきた。しまったと思ったが、もう遅い!
 私も学生時代に合気道をやっていた経験がある、しかし実践には全く役に立たない位はしっている。
こういう時は物を持つのだ。目の前の木を拾い、逆手に持った。その瞬間誰も突っかかってはこれなくなった。
物を持つと相手はそう簡単には殴りかかってこないことは知っていた。もし来たら、目を狙えばよい。
相手もじりじり迫って来るが、ヤバイ相手位は解ったようだ。
私の「警察沙汰になるぞ、留置所だけで済まないぞよく考えろ!」という言葉に全員がひるんだ。
その時、お互いが仲間に携帯電話で連絡をしあっている。何か私の入る世界でない次元の違う世界であった。
「もう殴るのはやめろ!」と言って、その場を離れた。離れ際に「絞めてしまえ!」という言葉が聞こえてきた。
たまたま先日の沖縄の場合、殺人になってしまっただけでしかない。いま考えても危ない瞬間であった。
 5月の末に里帰りの千葉の姉と23時過ぎに、長岡駅裏のダイエーの前を歩いていると、
暴走族がオートバイを歩道の真ん中に乗り入れて道を阻んでいた。当然のこと乱闘寸前、姉が間に
入って事なきを得た。警察に電話をしたが、まずフルネームをいえという言葉に、面倒だと途中で切った。
先日、道路に寝ていた若者二人を注意した人が殺される事件がおきた。
深夜はこの道を歩くのは当分やめることにした。
 ところが、昨夜新潟で飲み会があった。
十時近く、そこを通ったら7~8人の警官が例の暴走族二人を取り囲んで言い合っていた。
もし警官がいなかったら、私と鉢合わせのところだ。
通り過ぎたが、酔っている勢いで取って返して5月末の顛末を言った。
度々似たようなことがあり、警察に苦情があり取締りをしていたようだった。
5月末を思い起こすと、彼らの溜まり場で一種無法地帯の感じだった。
顔も割れてしまったのだから、これからは大っぴらな溜まり場では無くなってほしいが。「君子危うきに近寄らず」だ。

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2002年07月17日(水)
459,危機一髪
今年2月、ある取引銀行が「ドルが必ず上がるはず買わないか」という提案。
当時130円、その時期は三月決算に向けて140円に成ることは誰の目にも明らかであった。
そこを銀行の担当もついてきたのだ。「上げるべき金利は上げないからドルを買ってくれ!」
一瞬どうしようと迷った、そうするうちに週末になり翌週になってしまった。
円が135円まで上がってしまっていた。そうすると大して旨みがない。手数料を入れると
139円になるからだ。迷ったが、それでも132円辺りになったら買おうかと数字をみていた。
そのうち少し下がり133円辺りになり、さてと買いかなという時
大矢氏が反対した。「もうリスクを負った金融をやらないと決めたはず。それと売買で4円の手数料を取られ、
銀行のテラセンの餌食でしかない。それも銀行に今になって薦められやるのはおかしい?!」
それも戦略的に円を買っていれば話は違うが、全くそのとおりである。買っていたら今は1000万近く
損をしていた?途中で売っていたとしても500万は損をしていた?
「まさかアメリカがここでバブルが破裂しようとは思ってもいなかった!!」
それで担当者は済むが、こちらはとんでもない事になる。危ない所であった!
NTTの株で大損をしておいて(8000万)、またもやというところであった。
それと去年の春先に金融関係者が一斉に持ってきた「変額保険」うたい文句が、確か節税とかいうやつ。
先日TVでとんでもないシロモノと放送していた。
30万件売ったらしいが、これが???らしい!!「ある子狐が持ってきて断ると手の裏をかえした」のも
それだった? 手数を稼ぐためには、何でもしなくてはならない時代になってきたのか!!
本人に悪気がないから困ったものだ?恐ろしい時代になってきた。
情報化とはこういうことだ!

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2001年07月17日
旅行中