つれづれに

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今日から大相撲が始まった。 
終わったばかりと思っていたが月日が経つのが早い。 



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1556, 将来の不安-4
2005年07月07日(木)
ー島田裕己「不安を生きる」より、さらに抜粋してみる。

「不安というものからは、そう簡単に逃れられない。
逃げられるような気がしても、実は隠していただけに終わっているのかもしれない。
不安なのは覚悟が決まっていないからで、どこかで一度しっかり覚悟を決めないと、
不安から逃れる道を見つけ出すことは出来ない。」

「信仰を持ったって、必ず不安になるのです。そんな呑気な人は世の中にはいない。
何も疑問を持たずに一生そのままいける人ってあまりいるものではない。
不安そのものを根本的になくすと発想しないほうがよい。
山岸会の場合も、ユートピアをめざす運動として幸福一色の世界実現を考えた。
それがユートピアの恐ろしいところであって、人はユートピアのなかで
幸福でなければならないという考え方に陥ってしまいがちなのです。
そうすると、幸福でない人、不安を抱えている人が出ると、
その人が間違っているとして批判を受けたりする。
そうすると、その反対の逆ユートピアに転じていく。」

「だから社会は、若い女性達に結婚しろというメッセージよりも、
結婚なんてしても幸せにはなれない、子育ては大変だというメッセージを
流すことに熱心です。なんとか不安に安住させて、癒しを求めて消費させようとする。
それはもしかして、巨大な詐欺ではないか。社会のメッセージでは、
結婚は自由が奪われるという面ばかりが強調されすぎている。」
 
「欧米社会は、カップル社会で独りでレストランに出かけていってもよい顔を
されない。カップル社会はデート社会だから、金曜日や土曜日にデートする相手がいないと
かなり苦労するという。魅力のない女というレッテルを貼られる。
日本では、それがないから、色いろな産業が彼女らを狙う。
不安産業でいうと「エステ関連ー癒し産業」などである。
それに女性は踊らされている。
「あなたは不安でしょう」とは言わない。
「癒される、ホッします」という表現で客を巧妙に誘う。

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最近、「ラジウム石の癒し」とか「エステ」の店が開店している。
不安定な時代になればなるほど、癒しという言葉につられて女性が殺到する。
エステが潜在的には不安解消であることを、本人達は気づいてないのでないか。

不安とは、孤独感にもつながっている。
最近流行りの女性の「おひとりさま」も、その典型である。
男なら居酒屋でも、パチンコ店に平気で入ることができるが、
若い女性は気楽に入ることが出来ない。
しかし、都会で一人たくましく生きている女性が最近多い。
そのニーズを見越して都会では「癒しの空間」とかいうエステや石風呂などが
増えてきているのだ。ホテルの女性狙いの「おひとり様コース」も出てきている。

「癒しの世界」が、不安の解消であったとは意外である。
一見かっこよい世界が、実は心の闇の不安解消の世界とは。
健康食品も9割は不安感の解消と同じことである。
何種類も飲んでいるのは、潜在的に不安そのものの解消だったのか?
不安になったら、エステか運動ジムに行こうか?
その方がまだましか?


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2004年07月07日(水)
1191, 異境・秘境ツアーレッスンー8

 ートラベルはトラブル

アフリカや、南米、シルクロード、北極圏などの最終目的地に着くまでは
何回かの飛行機を乗りつぐ。
飛行機は気圧の関係も含め、快適の乗り物ではない。
一番価格の安いツアーを選ぶ関係上、エコノミークラスである。
特に成田からの最初のフライトの12~13時間が厳しい。

酒を買い込んで、ドンドン飲んでトイレに通うのがコツである。
といって飲みすぎると、腹の具合が着陸時点でおかしくなる。
これも楽しみのうちと暗示をかけて、音楽を聴いたり映画を見る。
その合間に行き先のパンフレットや資料に目を通す。
少しでも嫌だとか、早く着かないかとは考えないことだ。
人生と同じでプロセスに気持の隙を見せないことである。
音楽が気持を和らげてくれるのも人生と同じである。

南アフリカに行ったとき、名も知れない国の、名も知れない飛行場で
猛暑の中、10数時間も足止めを食らったことがあった。
さすがにツアー慣れをした人たち、誰も不平をいう人はいなかった。
言ったところで、どうしようもないことを皆知っているからだ。
その場面をむしろ余裕で楽しんでいるようにも思えた。
人生の圧縮されたレッスンそのものである。
苦難こそ、余裕を持って楽しむ姿勢が、その苦難を苦難でなくしてしまう。

トラベルとは、トラブルの語源という。
旅行では苦難、問題が次々と立ちはだかってくる。

中国のタクマラン砂漠から、新羅ウイグル地区を抜けて、パキスタン
カラコルムハイウエーを通っての2週間の旅行は、まさしくトラブルの連続であった。
それを割り切っていたためか、そのトラブルがむしろ面白いのだ。

人生も同じである、トラブルはつきものと割り切ってしまえばよい。
振り返ってみると丁度よいトラブルが、そのつど与えられていた。
中心点から目をそむけず、ひたすら立ち向かっていれば、いつの間にか問題は
解決されるものだ。

感動を経験するために、トラブルを通り抜けていくから良いのである。
人生も旅行も、ゲームである。

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2003年07月07日
アラスカ旅行中
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2002年07月07日
スイス旅行中