つれづれに

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 この2~3日、じとじとして鬱陶しい。梅雨に入ったようだ。


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1540, 「人を動かす」-2
2005年06月21日(火)
 この本を読んで実行した感想は、少しのことで人間は変わりうるということである。
人間関係という一番初歩的な基本を身に着ければよい。
会話や対話で、まず相手の話を把握した後で自分の意見を返すという基本がある。  
(世の中には、この基本を全く知らないで一生を終える人がいる。
数知れずみてきたが、それを自覚してないから始末が悪い!もしかしたら、自分も?)
誠意を持って相手の話を聞くことは、「人からして欲しいことを、まず自らなせ」の実践である。
少しまともな営業屋なら当然身につけている。
接客業の飲み屋のママやホステスなどは初期段階で叩き込まれるものばかりだ。
まずは、ふり(演技)から実践してみると面白い。人間なぞ他愛のないものに思えてくる。
それだけ、自分のことを認めて欲いし、話したいのだ。
しかし、小手先で身につけると、「ただ感じのよい人になってしまう」ことにもなりかねない。
会社の入社前教育で、まず訓練するのは「対話訓練」である。
新人は会話術は身につけていても、対話術は身につけていない。
この「人を動かす」は、会話術より対話術に属する?
会話術としても使うと、誠実さに欠けたり底の浅さを露呈してしまう。
しかし、それを知っているといないとでは違いが出てくる。
人の話を真剣に聞くことは、並大抵のことではない。 
ー以下のカーネギーの原則は、
 対話術というより会話術に近いが。

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ーあるHPより抜粋ー
人を説得する12原則
1.議論に勝つ唯一の方法として、議論をさける。
・議論はほとんど例外無く、双方に自説をますます正しいと確信させて終わるものだ。
議論に勝つことは不可能だ。たとえ勝ったにしてもやはり負けている。
相手は劣等感を持ち、自尊心を傷付けられ、憤慨するだろう。
・・・議論に負けてもその人の意志は変わらない。
・意見の不一致を歓迎せよ。いつも意見が一致するなら、
そのうち一人はいなくてもいい人間だ。
思い及ばなかった点を指摘してくれる人がいたら感謝しなければいけない。
・最初に頭をもたげる自己防衛本能に押し流されてはいけない。
・・・不快な状況の時、まず現れてくるのは、自分の立場を守ろうとする本能だ。
冷静に構え、最初の反応を警戒する必要がある。
あなたの最悪の人柄が突出し、最善の人柄がかくれてしまうかも知れないのだ。
・腹を立ててはいけない・・・何に腹を立てるか、それ次第で人間の大きさが決まってくる。
・まず相手のことばに耳を傾けよ・・・相手に意見を述べさせ最後まで聞く。
逆らったり、自己弁護したり、争論したりすれば、相手との間に障壁が高まるばかりだ。
相互理解の橋を架ける努力こそ大切で、誤解の障壁をかさ上げするなど、愚の骨頂である。
・意見が一致する点を探せ
・・・相手の主張を聞き終わったら、まず賛成できる点を取り上げる。
・率直であれ・・・自分が間違っていると思う点を探し、率直にそれを認めてあやまる。
それで相手の武装が解け、防衛の姿勢がゆるむ。
・相手が反対するのは関心があるからで、多いに感謝すべきだ。だから、相手はあなたの手助けを
したいと願っているのだと考えよ。そうすれば論敵を味方に変えることができる。
・早まった行動を避け、双方がじっくり考え直す時間を置け。

2.相手の意見に敬意を払い、誤りを指摘しない。
・人に物を教えることはできない。 自ら気づく手助けができるだけだ。(ガリレオ)
・相手が間違っていると思った時の切り出しの言葉はおそらく私の間違いでしょう。
わたしはよく間違えます。ひとつ事実を良く考えてみましょう。 これで議論が収まり、相手も寛大で
公正な態度をとりたいと思うようになり、自分も間違っているかもしれないと反省する。
・われわれは、真実を思い慣れてきたものを、いつまでも信じていたいのだ。
その信念をゆるがすようなものが現れれば、憤慨する。そして、何とか口実を見つけ出して
元の信念にしがみつこうとする。結局、われわれのいわゆる論議は、大抵の場合、
自分の信念に固執するための論議を見出す努力に終始することになる。
・決定的な意見を意味する“確かに”“疑いもなく”という言葉は一切つかわず、
「自分としてはこう思うのだが・・・」「わたしにはそう思えるのだが・・・」
 と言うことにした。(ベンジャミン・フランクリン)

3.自分の誤りをただちにこころよく認める。
・自分が悪いと思ったら、相手にやっつけられる前に自分で自分を
やっつけておいた方がはるかに愉快ではないか。相手の言うことを自分で言ってしまうのだ。
そうすれば相手は言うことが無くなり、寛容になり、こちらの誤りを許す態度に出るだろう。

 
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2004年06月21日(月)
1175, 哲学について -7
ードイツ哲学の時代
イギリスの経験主義哲学につづいて、ドイツ哲学の時代がくる。
18~19世紀にかけて古代ギリシャに匹敵するほどの哲学がドイツを中心に発展する。
その先がけがカントで、それまでの合理主義哲学と経験主義哲学を統一させた。
「人が経験することができるのは、身体的なあり方によって枠組みをされており、
その枠組みのなかでしか、個々のものごとの存在を想像することができない」と説いた。
盲人にとって、見ることを理解することができない、嗅覚のない人も臭いについて理解するのは不可能である。
人間の理解は、その持っている機能の範囲内に限られる。
カントの文章は非常に深遠で難解で、理解することが非常にむずかしい。
カントの思想はショーペンファウアーによって受け継がれ、さらに豊かなものになっていく。
ヘーゲルは絶対的な観念論をうみだした。彼は「現実世界のすべてとその歴史を、精神的なものが
発展していく姿」と考え、世界と現実は自己認識に到達するための歴史的プロセスと考えた。
その過程は「正、反、合」の三つのプロセスを繰りかえし、すべての変化の理由とした。
マルクスヘーゲル哲学を基礎として観念論から唯物論を導き出した。
ニーチェはあらゆる既存の道徳を攻撃した。彼は「神が死んだ」という有名な言葉を残した。
当時の価値観はギリシャ哲学とユダヤ教徒キリスト教の教えが土台になっていた。
しかし当時は、その信仰心が薄れていて、自らの価値観を求められていた。
その土壌の上で、多くの偉大な哲学者が輩出したのである。
この頃の哲学者が生み出した思想は現代哲学に大きく影響している。そして現代の哲学が現れてくる。

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2003年06月21日(土)
808, 大丈夫
一休が死ぬ間際に、自分が死んだ後もし如何にもならなくなった時に開くようにと一通の封筒を残した。
そして残されたものが、如何にもならなくなった時がきた時に封筒を開いた。
その中味には「何とかなる!」と書いてあったという話が残っている。
本当かどうか解らないが、一休らしい逸話である。 先日、本屋で立ち読みをしていたら、ある本の目次に
「女に持てる法」という項目があった。さてと心トキメイテそこをみて驚いた。常に「大丈夫!」といい続けることだと。
何か肩透かしを食らったようであったが、納得した。言葉だけでも、誰もが「大丈夫!」といって欲しいのが心理である。
それも女性なら尚のことである。
 最悪の「死」を考えてみても、死んだ瞬間には本人にとって死ではなくなる。
あるのは「死」に対する恐怖である。だから何事も「大丈夫!」といえるのだ。
何事も90数㌫が、あくまでも不安という恐怖心でしかない。
 話はそれるが「女にもてる法」といえば、九州の学生時代の友人が新潟に遊びに来たときの話である。
彼は長崎で飲食店を数軒経営しているのだが、女性が大好きだという。そして、女にもてる話が始まった。
実際にもてるのだろう、なかなか含蓄があった。ー我われ中年はそうでなくても若い人から見たら脂ぎっている。
それを自覚して「演技でよいからポヨーンとして、女には全く興味がないようにしていなくてはならない。
それで普通の状態に見られる。」 なるほど一理があるが、勝手に持てているのは自分だけ信じているのが面白い。
経験的にみると「お前は女に持てるだろう!」というと、殆んどの男が舞い上がってしまう。
そして「如何に自分が持てているか」の自慢話が始まる。誰かに実験してみたらよい、罪のないジョークとして。
少しアルコールの入っている状態で、誠意を込めていえば大部分の男は舞い上がってしまう。
挙句に「お前はもてないだろう。ケチで口が悪い上に・・・」と始まる。ほっとけバカと思うのだが
「もてるのもてないは苦労の結果だろう」というのが持論だ。もてない男のいい訳か。これも男の永遠の課題だろう。
テーマが変わってしまった。この不況の中、今度は「ありがとう」だけでなく、「大丈夫」を呪文のように唱えるか。
今さら、どうでもよいか?

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 2002年06月21日(金)
444,面白い話ー本??
 http://www.melonpan.net/tatsu/yatta/index.html
 「やった。」坂本達著
図書館の海外旅行のコーナーで面白い本を見つけた。なかなか面白い。子供服の「ミキハウス」に勤め数年、
何処でもある話で自己逃避も含めて「海外旅行に出たい」という気持ちが出る。辞表を書く段階で社長の耳に入る。
オーナー社長がそれを宣伝材料?とみて、有給休暇を条件に引きとめる。
そして夢のような4年3ヶ月の旅行記。なかなか面白い内容であったー本もホームページも。
そして社長の思惑どうり?帰国後その体験をホームページに書き込み、さらに講演を続けている。
それなりに面白い内容である。少なくとも自分でしたいができなかった事だ。
こういう社会もあるということで目を通してもいいのでは?またこういうことがあっても、良いのではと思った。
http://www.nikon.co.jp/main/jpn/society/sakamoto/
http://www.melonpan.net/tatsu/
http://www.melonpan.net/tatsu/report/index.php