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昨日の午後からはシネマ「探偵はバーにいる 2」を
見てくる。85~90点か。 まず面白くない映画はない。
漫画本を映画にしたような内容。
http://www.tantei-bar.com/
夜は飲み会。久々に4軒まわる。昨日は異様に人が出ていたので驚いた。
年に一回スナック・バーが3500円の5枚つづりのチケットを
出して,1軒飲み放題で700円という。一週間期間の中で使い切ればよいという。
参加している店のドアが開けっぱなしで外から若い男女が飲んでいる姿が見える。
若い人に気楽に飲んでもらうためのキャンペーンという。
・・・・
1148, 遺伝子の話
2004年05月25日(火)
遺伝子の研究が進んだのはごく最近である。遺伝子の性格は、ほんらい利己的であるという。
「我々は遺伝子という名の利己的な存在を生き残らせるべく盲目的にプログラムされたロボットなのだ 。
遺伝子は、マスター・プログラマーであり、自分が生き延びるためにプログラムを組む。
個体というものは、その全遺伝子を、後の世代により多く伝えようとする。
自然淘汰における中心的な役割を演じているのは、遺伝子と生物個体である。」
人間の身体を支配するものは遺伝子であって、人間の個体が死んでも遺伝子は生き残っていく。
自分というものは遺伝子にとって、仮の宿でしかない。「父親や祖父などの祖先から、
遺伝子は転々と住み変えている宿でしかない」と考えると、気が楽になる。
人間は、利己的遺伝子に貸している借りの姿で、すべてを支配しているのは、利己的遺伝子である。
最後は自分が一番可愛いのであり、それでよいのだ。これを読んでいると、論語など読むのが
バカバカしくなるか、だからこそ論語のような規範が必要と考えるか、分かれた解釈になる。
ーあるホームページからのコピーですーなかなか解りやすくうまくまとめてある
ーーーー
生物は遺伝子の乗り物である生物が親から子へと受け継いでいくのは遺伝子である。
個体は寿命が来ればあっけなくこの世を去るが、遺伝子は子孫に受け継がれていくのだから
不滅であるといえるだろう。
個体は遺伝子の乗り物にすぎない。生き残ろうとしているのは、個体ではなく遺伝子なのである。
そこでドーキンスは遺伝子のことを、自己複製子と名付けている。
ドーキンスによれば、自然淘汰とは、この自己複製子が個体という姿を借りて行う生き残りゲームである。
ゲームをうまくやれる自己複製子は自分のコピーをたくさん残せるので、増殖することができる。
うまくやれない遺伝子は滅びる。
遺伝子とは文字通り、生物が親から子へと性質や形を伝えるためのものである。
今では、遺伝子はDNAという化学物質であることがわかっている。
DNAを構成している塩基の並び方により、いろいろな遺伝情報が保持されている。
しかし、遺伝子の働きは、これにとどまらない。遺伝情報を保持する遺伝子は構造遺伝子と呼ばれているが、
その遺伝情報を実際の形質として発現させる途中で、調節遺伝子などが働く。
調節遺伝子とは、遺伝暗号の発現を抑えたり促進したりといった調節を行う遺伝子である。
さらに最近、ホメオティック遺伝子という遺伝子が発見されて話題となっている。
ここ10年間ほどの間に、遺伝子は遺伝のみならず分化(器官形成)の面でも重要な働きをする
ことが明らかになった。では、個体の形質のみならず行動までも支配しているのであろうか。
ドーキンスによれば、個体は遺伝子の単なる乗り物なのであるから、もちろん行動もその支配下に
あるということになる。
ハミルトンやドーキンスは、現在、ある生物が存在しているのは、その生物の遺伝子が自然淘汰で
生き残ったからだと主張する。 しかも、その遺伝子の目的はただ一つ、これからも生き残ろうとすることである。
こで決定的に重要なことは、遺伝子の目的は唯一、自分自身が生き残ることであって、単なる乗り物にすぎなi
個体の生き残りではないということだ。 このことから、ドーキンスの主張する「自己犠牲」という
行動の合理的解釈が生まれてくる。簡単にいうと、個体の自己犠牲的行動とは、あるグループの遺伝子
(自分のコピーもしくは血縁)が自分たち全体の利益を計るために分乗しているある乗り物を、
犠牲にすることに他ならない。つまり、全体のための部分犠牲である。
「個体は遺伝子の乗り物」、「自己犠牲」につづく、ドーキンスの第3のモチーフ、「延長された表現型」
とうい概念がある。ドーキンスはこの概念を「遺伝的遠隔作用」とも表現している。
遺伝子は自分の生き残りのために個体どころか、種を越えて、他の生き物をコントロールする場合がある。
これを、延長された表現型としている。
ー感想ー
要するに、「遺伝子が生き残る為に個体を維持させ、乗り換えている。
個体を維持させることが目的でなく、遺伝子そのものが生き延びていくことが目的でしかない」ということだ。
これを読んでいたら、何か気が楽になってきたことは確かである。神は遺伝子に宿るということか?!
いや、エゴイズムのはずがないから違うか?
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2003年05月25日(日)
781, 父が亡くなって30年
父が亡くなってあと数日で、まる三十年が経つ。去年もこの時期書いたが、供養も含めて更に書く。
私が末っ子ということで、陰に陽に父親には愛情をそそがれた。子供に対して、非常に愛情の深い人であった。
母の愛情のかけ方があまり巧い人でなかった分を、父がカバーしていた。反面非常に厳しい人であった。
年を重ねると供に性格も顔もそっくりになってきている。毒舌家で、卑しい人間を徹底的に嫌っていた。
非常にシャイな人で他人とは迎合をしない人であった。反面、非常に寂しがりやのところがあった。
こう書いていると自分の事を書いているようだ。過去に一番悲しかったことといえば、父が亡くなったことだ。
もの憶えがついた頃から大晦日に、子供全員が金庫の前に座って一人一人がお年玉を貰うのが恒例であった。
そして数日後、全額を預金させられた。もっとも預金するかどうかは本人の意思を尊重していた。
10万近くが高校に入る頃まで溜まっていた。高校に入ると同時に待っていたのだろう「株を買え!」という、
それも自分で銘柄を選べと。必死に考えて「科研科学」という会社の株を選んで買った。
結果としては、あまり儲からなかったが、日経新聞の経済情報を毎日見るようになった。
時間をかけて種銭をつくり、情報を自分で集め、投資をしろということを教えたかったのだろう。
以前書いた文章をコピーしておく。
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2002/06/01
父・堀井誠作のこと -1
一昨日は父が亡くなってまる29年経つ。早いといえば早いし、永いといえば永い年月だ。
父の供養も含めて少し父のことを書いてみよう。
・典型的な明治人で長岡商人であった。
・私が父の44歳の時の子供であり、父に間接的だが溺愛されていた。
・数代続いた骨董品屋の2代目で、 父が跡を継いだ時7万ぐらいの資産があったと母から聞いた。
当時の長岡では3~5万が一応資産家の目安だったというから、 もともと裕福な家だった?
私のお祖父さんが貧乏で、お金に苦労した。 その為必至に資産をつくり上げたようだ。
・父の代で戦前、それをかなりの資産に増やした。 しかし戦災で大部分失ってしまった。
・戦前は山本五十六とか津上退助とか野本互尊翁等の人に贔屓にされ、かなりの骨董品の商売をしていたという。
・戦時中は仏壇で食いつないだという。
・戦後は長岡の大手通の4つかどの土地を手にいれ喫茶店を少しやり、
古着屋に転業、そして衣料量販店で全国的にも知れるほどだった。
以前父のことを書いた文をコピーしておく。
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2002/06/02
父・堀井誠作のこと-2
・女性の噂の全くない非常に真面目の人であった。家庭人としてこれが一番の基本である。
・非常にシャイなところがあった。
・商売では非常に厳しし反面、それを離れるとやさしいところがあった。
これは自分で心がけているが、営業を狙ってくるタイプはその隙を狙ってくる。
年内にその整理に入る!!!!ーこれは自分の話しか!
・その時々の時代に合わせて仕事を変えていったのは、最も学ぶ事であった。
・仕事も私生活も、楽しむ事が基本にあった。 これも両親からの最大の教えである。
・宗教に関しては、ごく普通の仏教徒であった。 特に法事などの仏事に関しては非常に大事にしていた。
これを疎かにすると家が傾くと本当に信じているようだった。 集り坊主の丁度いいお客様であった。
所詮はレジャーでしかないのにーこれは私の主観。
・お金に関して父なりの金銭哲学があった。
ー何を奇麗事を言っても、お金に関しては赤裸々な欲がある。
-あまりに露骨の欲の塊が金、それをちゃんと見据えろ。
-金は仕事の楽しみのカス、自分でその楽しみを見つけるべし。
・若い時に肋膜炎になり、戦争に行かないですんだ。
これがコンプレックスと幸運の両方で人生観の背後にあったようだ。
・どちらかというと、母が男のように芯の強いところがあり、逆に父はシャイなところがあった。
・母から聞いた話だが、人間的に面白いエピソードがある。
-戦前に一年に一商売をすると、一年間一家が生活できるだけの利益があったという。その商売が成立すると、
50銭ー今でいうと5000~10000円の硬貨を耳に挟んで、嬉しそうに一人で夜食事に行ったという。
-5円なら解るが,50銭というところが自分に似ている。いずれにしても自分にとって最大の先生であった。
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H0505小説のような本当の話!
十数年前、父の七回忌の早朝、母と花を持ち墓にお参りに行きました。
ところがすでに墓がきれいに磨かれており、花が飾られていました。
生前仲のよかった“父のいとこ”が、すでに来てくれたと母と語らい、お参りをしていると、
見知らぬ老人が話しかけてきました。
たまたまその寺の近所に住んでいるというその本人がしみじみ語るには“自分の子供の高校の入学時に、
金がなくコートを買ってやれずに、店にいた父に、正直に事情を話したところ、父は全く見知らずの自分に、
分割払いをしてくれた。それが本当にうれしくてうれしくて!それで父が亡くなった時以来、
必ず命日にこうして掃除をして、花を供えている”との事。聞いていて本当に父のすばらしさの一面を知らされた。
その時、果たして私の七回忌にこんな事がありうるだろうか。そういう“生き方”を自分はしてきただろうかと
つくづく考えさせられる出来事でした。父の名前は誠作という事もあり、それが本人のコンセプトに
なっていたのだろうか?当時、丁度今の会社の理念を考えていた矢先、それが大きなきっかけとなり
“誠心誠意”に決まった次第です。