つれづれに

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=KaEddoGhfQ8
http://www.youtube.com/watch?v=4dsW08Cy0QU&NR=1&feature=fvwp

 
 写真は、だまし絵。
よく見ると違った構図が浮かび上がる。
http://jp.ask.com/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%A6?lang=ja

・・・・・・
2005年05月22日(日)
1510, ご自愛のほどー2
 この本は仕事も家庭も愛するひとりの女性が、長年の経験と知恵と、
大切にしてきたことを娘のために綴った、詩のような言葉である。
著者は、この本を完成させてまもなく、命まで本にこめて亡くなってしまう。
そう思って読むと、またどの一行も深く感じるものである。彼女が亡くなった後で、
娘が自費出版を続けていたのが、出版会社に目がとまり、多くの読者に読まれるようになった。
多くの人が、自分を愛することに疎いだけでなく、むしろ憎んでいるように思われて仕方がない。
まず、ありのままの自分を、ふかく、ちゃんと、しずかに、ゆったり、愛することが必要である。
「着飾った他人向けの自分が好かれる」ことよりズット大事なのに。
  ーーーー
自分を ありのままに愛してみたら

ふりかえることが できるようになった。

自分が混乱していたときのことを闘っていたときのことを

かなしみに打ちのめされていたときのことを

そして こう思うようになったのだ。

ーそれらもまた わたし自身の姿であり

愛するに値するものだ。

ーーーー

自分を深く愛してみたら


心を思いきり広く 開けはなてるようになった。

そして この世をおおう苦しみもかなしみも受けいれられるようになった。

ーーーー

自分を深く愛してみたら


自分のなかにある神様の気配を感じるようになってきた。

あなたのなかにも神様の姿がときどき見えるようになってきた。

わたしたちは 神聖な存在だったんだ! 心の準備は いい?


・・・・・・
2004年05月22日(土)
1145,「デフレ・スパイラル」について

 資産デフレと物価デフレが、装置産業にいるためか深刻である。 そこで、デフレについて、調べてみた。
 現在の世界の経済は、有史以来三度目の大きな屈折点にある。 21世紀はデフレの世紀になるだろう。
・経済の第一の屈折点は、10000年前の農業革命である。人類が定住を始めて物々交換市場が成立した時点。
 第二は16世紀の欧州でおきた中世荘園制度から資本主義への脱皮。
 三度目は1980年代からおこり現在まで至っているデフレ革命である。
 ー情報革命による、コスト削減と一物一価に集約さていくプロセスで物価は下がり続ける
 特に日本は深刻である。
・安価な労働力を(日本の25~30分の1)豊富に持つ隣国・中国の輸出供給力がある、
 欧州にとっては東欧・旧ロシアが、それに当たる。
・資産バブルの清算がまだ終わってない 80年代の上昇分の反動が必要になったが、まだ土地の時価総額
1500兆円は名目国内総生産の約三倍、イギリスの一倍に対してまだまだ地価は差がある。
・デフレ解消にはまだ10年20年以上はかかる。 いやまだまだで今世紀はかかるのだろう。
 デフレス・パイラルはまだまだ続くことは間違いはない。特に地価は日本では更に半分以下になると予測される。
 現在の日本は、戦前の昭和19年か20年の前半の終戦前夜に酷似している。 終戦というより敗戦である。
 現在、中国関連とIT関連で少し景気は上向いているように錯覚しそうだが、実態はまったく違うといってよい。
 とくに消費を引っ張ってきた団塊の世代が、社会の中心から外れようとしている。
 経済は年齢構成の問題であるというから、日本は特に絶望的である。
 以前書いたデフレについてコピーしておきます。
 
 
・・・・・・
2003年05月22日(木)
778, 私が10歳の頃-1956年
 長岡の坂之上小学校4年から5年生に進級した頃だ。10歳までが長岡駅前の繁華街の四つ角の
衣料ディスカウントの店の3階に住んでいたが、この年に駅裏の台町(現在ーとーちゃんラーメン)に転居していた。
それが転機であった。あの慌しい店の上の日々が、静かな生活に一変した。
 丁度その頃に、初めて勉強に目覚めた。ある姉に勉強のコツを教えてもらった。
「一教科でよいから、とにかく良い成績をとってみろ!そうするとコツが解るし面白みが出てくる」
そうかと思って算数に絞って勉強をしたら、100点近くを取った。それからコツが解りかけてきた。
とにかく数人のライバルに負けたくないと思って勉強した。
 この頃の虐めは本当に厳しいのは誰も経験があるはずだ。一番激しいライバル関係が出来上がる時期だ。
また自分の身を守る為にも、誰かをターゲットを探して苛めをする。このあたりから初めて性格が
できるのではないだろうか。また家庭内ではいろいろな問題を抱えていた。母親が重度のノイローゼーになっていた。
二人の息子(兄)の不幸の死と、それまでの仕事の疲れの蓄積が原因であった。あまりの悩みの為、心筋梗塞
多くの病気が一挙に吹き出てしまった。医者にも見放されそうであった。何回も死線を彷徨っていた。
その中で姉兄も自分も「自分自身を生きる事」で精一杯の時期だった。今になって当時を振り返ると、
家庭の危機であった。母はその後3年間の死闘後、一人立ち上がってきた。
身近で見ていても子供なりに、それが分った。そのあと40年は遊びと趣味をし尽くして亡くなっていった。
死んだ時に解剖をしたところ、心臓の4分の1が壊死していた。それだけ悩みが深かったことが分る。
商売を続ける事は、すざましいことだ。

・・・・・・・
2002年05月22日(水)
414, サッカー直前の馬鹿話!

一昨日、TVでサッカーのキャンセルがここにきて大量に出て、開催地のホテルが
深刻な?悩みというのを放映していた。
一年前の説明会で25パーセントの紹介手数料と聞いて、何を馬鹿な!
それなら逆に、他の一切の代理店の予約もとらないで、落穂拾いの方針に切り替えた。
黙っていても、溢れたお客が流れてくるのを拾ったほうが有利に決まっている。
どこかの国の訳のわからない総代理店、何の保障がない。昨日のTVで、それに合わせて
開業予定のあるホテルが、設備を代理店の言うままに追加投資。それが直前になって
90パーセントが解約されてしまったという。泣くになけない状態とTVで責任者が嘆いていた。
何処かの県?の旅館組合の代表が、この時期に毎年やる他のイベントがそれを嫌がり、他の県に移った。
むしろ普通の月よりマイナスだと、間抜け顔をして言っていた。
少し考えれば、幾らでも知恵が出てきそうなものを!普段の月より、一割も稼動が増えるか
どうかのレベルの話。去年、プレの大会があった為、前年並みで終わる可能性がある。
ただなんとなく街に人が多い感覚で終わるだろう

・・・・・・
2001年05月22日(火)
チャレンジ100
60歳までに50回 外側―異境秘境をメインに旅行の目標を数年前にたてた。
ねん3回ずつ最終年4回で達成だ。今まで34回面白かったし、エネルギーも
つかった。この分だけ人生に上乗せという感だ。年三回というと家内の分も含め
ると2百万余かかる。ゴルフはやらず、居酒屋スナックは4000円以下、
もちろん国内旅行は一切行かず、更に日本に居たとしての生活代がかからない事
を考えると、それだけでプラマイゼロである。数年前かいた履歴を一昨日書き加え
た。好きでない人間には金まで払って何をやってんだと思うだろう。 
「35」北欧ーロシア-スカンジナビァ           ・06
「34」メキシコ                    2001.01
「33]モッロコ                     2000.11 
「32」パキスタン・中国                 2000・06     
「31」シリア・ヨルダン・レバノン                ・04  
「30」ノルウエー                   1999・12 
29ケニア                          ・08   
「28」イスラエル                        ・04     
「27]]ネパール                          ・02
「26」北インド                     1998・10   
「25」 北スペイン                        ・07  
「24」タンザニア・ウンゴロウンゴロ・セレゲッテイ高原) 1997・12   
「23」 べネゼイラ・(ギアナ高地)                ・08
「22」 ペルー・(マチュピチ・チチカカ湖)        1996・06    
「21」エジプト・トルコ(カルナック神殿・ ピラミット)     ・02   
「20]南アフリカ(ビクトリアの滝・チョベ国立公園・喜望峰)1995・10   
「19」ニュージイランド(クウーンズタウン・ バンジー
             ジャンップ・ミルフォードサウン)     05    
「18」ブラジル(リオのカーニバルイグアスの滝)・
「17」ケニヤ(ナクル湖・       )        1994・06 
「16」ドイツ・パリ(ライン川下り・ロマンチック街道)  1993・12 
「15」フィジー(コマ島・ )              1992・11
「14」スペイン1周の旅(アンダルシア・アルハンブラ宮殿・闘牛)
                           1991・08  
「13」カナダ・ロッキーの旅                  ・05
「12」香港クルージング                1990・07 
「11」アメリカ・ペガサス(ボストン・アトランタ)       ・04     
「10」スペイン・イタリア・パリ・ヘルシンキの旅 1989・12   
「9」 中国(北京・けいりん・上海)  1988.09    
「8」アメリカ西海岸SC・ペガサス      ・06
「7」カナダ・ナイアガラの旅     1987・08    
「6」香港の旅            1986・10          
「5」ハワイの旅           1983・08
「4」ハワイの旅           1980・08 
「3」ハワイの旅           1978・08  
「2」アメリカ・商業界        1976・07
「1」欧州30日一周          1967・07