今年の藤の花

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庭の藤の花が満開。去年は殆ど咲かなかった。
手入れをしなかったため寿命と思っていたが、今年は一転、咲いた。
やはり、これが咲かないと寂しい。



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1140, 自由について -1
2004年05月17日(月)
学生時代より『自由とは何』を考えてきた。そして自分の自由を優先して生きてきた?
しかし、よく考えてみたら、自由は自分のやりたいことをみつけ、それを追及すること
であった。自らの自己実現に対して忠実に生きることであった。字のとおり「自らに由り、生きること」である。
そして自由な生き方ー周囲の因縁や世間といわれている束縛から解放されている状態を理想としてきた。
調べてみると、自由には多くの意味やとらえ方があるようだ。
手の自由といっても、しょせんは人間の体の一部としての腕の範囲内の自由でしかない。しかし使い方は自由である。
自由には当然、自由なだけの自己責任がともなってくる。
アイザリア・バーリンは自由を「消極的自由」と「積極的自由」の2つに分類した。
ー「消極的自由」とは「他者からの強制・干渉を受けずに自分のしたいことができるという意味での自由」であり、
ー「積極的自由は自己が自己を支配している状態」ととらえられる。
例えばカントは、恣意に従うのではなく「理性」に従う状態が自由であると主張している。
また、ハンナ・アレントは政治活動を通じての自己実現こそを自由の本質と看做している。
これは「より高次の自己」を獲得するための手段・条件としてとらえられることになる。
このような積極的自由は「個人主義的積極的自由」ととらえられる。
キリスト教世界においては、人間存在の根源的価値を「自由」としている。
ルソーは、その著書「社会契約論」で「人間は自由なものとして生まれた」と述べたが、
「全ての人間が社会において等しく自由である」という事は絶対に不可能である。
かつてホッブズは、各自が己の自由を守る為には「万人の万人に対する闘争」に陥る。と指摘した。
キリスト教世界において、人間が自由であり続ける為には、戦い続けなければならない。
「自由」という言葉には、英語では2つの単語が存在します。
「Liberty」と「Freedom」である。
「Liberty」とは「束縛からの自由」を意味し、束縛から逃れる為には、戦わなくてはならない。
一方、「Freedom」は束縛から解放された結果もたらされた自由であり、
「自由な状態」を指します。そして自由な状態が脅かされる時には、やはり戦わなくてはならない。
哲学者のホッパーは自由を文化的粉飾から自由になることが大事だとしている。
日本的にいえば、世間の常識に縛られないということだ。日本は自由という言葉は明治初期まで無かったという。
欧州から入ってきた「Liberty」と「Freedom」を西周が「自由」と訳した。
それまでの封建社会では自由の意味もまったく無かったのだ。
鈴木大拙は自由に相当する言葉を自然(じねん)と看破した。
自らを然らしむ、自由自在に自分を伸ばす、自分で自分の納得する境地を拓く、という内容である。
この「自然」の然は、もとは「燃」という説もある。「人間は燃えているときに仏性をもつ。
醒めた人間は悪魔だ」という。「自由とは道理」という解釈も面白く納得できる。
自由ー自然ー道理と考えると、なるほど納得できる。
「家内の束縛から自由になりたい」と思ったら、
「家内の束縛から自然になりたい」ということになる。
束縛を束縛ではなく、それが自然と考えればよいのか?
束縛に対し、自らを納得させるということになる。
束縛が道理であると諦めるということと考えると、解るような気がする。まあ、あまりに日本的だが。
「不自由を恐れるなかれ、無意味な自由を恐れよ」と、この文章を書いていて思いついたが、そのとおりだ!
逆もいえる「自由を恐れるなかれ、無意味な不自由を恐れよ」の方が、理にかなっているか。  ーつづき

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2003年05月17日(土)
773, 日本が真に独立をするためには

評論家の福田和也氏が寄稿しているテーマ「日本は『核武装』しかないのか」が、なかなか説得力があった。
ー要旨はー
アメリカの核の傘は幻でしかない。盗人猛々しい北朝鮮の核の脅しの一番のターゲットに
なっている状態の日本にとって、核武装も視野に入れなくてはならない時期ではないか。
他にもロシア、中国など核に囲まれ、アメリカの核の傘でいいように隷属国家扱いされている現状を考えると、
核武装が今の日本の独立国家としての第一歩である。日本への他国の核攻撃に対して、アメリカそのものが
核攻撃の危険に晒された時にはたして核攻撃をするだろうか?それはファンタジーでしかない。
核所有国に囲まれたわが国が、最も核攻撃を受ける可能性の強い国だという事実を直視して、
どうすれば核攻撃を受けないで済むかを徹底的に議論すべき時にきている。
想起すべきは、第二次世界大戦を終わって55年間、大国間で平和が保たれたこと、その平和を
日本はじめとする西側諸国が享受できたのも、麗しい平和のお祈りのせいではない。
核の均衡の上である事実を直視しなければならない。
日本も自力でその力のバランスとしての核を持つべきだ。
ー以上が大筋である。
今の日本が真に独立するためには原爆保持が第一歩である主張に説得力がある。
現実にスターリン型の国家が近くにある事実を受け入れざるを得ない。

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2002年05月17日(金)
409, いろいろな悩み

3年前まで20年近く中学の同級会が開かれていた。3年間休み今年から再開とのこと。
高校もしかり、本当にまとまりのあるクラスだ。
もう10年少し前の話だが、丁度、中学の担任の先生が定年退職の年だった。
そのときは、先生にとって至福の一年となるらしい。
受け持たれたクラス単位で、それぞれお祝いの会を開いてもらえるという。
湯沢の旅館で泊り込みでクラス会が盛大に開かれた。
そして次の日の夜まで、30時間延延と続いたクラス会になった。
長岡である女性がスナックを開いており、翌日の2次会はそこで行われた。
その時、たまたまカウンタの隣の席に座った先生が、浮かない顔で、俺の悩みを聞いてくれという。
先生「俺の両親が90歳と87歳、同居しており今もカクシャクとしている。両方とも先生をしていた。
別に自宅と別に、マンションを持っていて時たまそこに行く。
実をいうと、この年で実感として自分の人生が無かった。それが無念だ!本当に深刻の悩みなんだ。」
自分には、その先生の悩みが理解できた。父が亡くなった時、自分にとって溺愛してくれた喪失感が大きかった。
反面その時の家庭の事情等で、あと頼れるのは自分ひとりという精神的自立ができた。
丁度、千葉で事業の立ち上げの時期と結婚も含め、自分にとってタイミングが、ぴったりであった事も確かであった。
親の死は子供に対する最大のプレゼントというが。その要素も確かにある。その意味で、先生の悩みが理解できた。
でもその状態を「無念と考えるか最大の幸せと考えるか」もあるだろうが、本人しかわからない悩みだろう。
その数年後、両親が亡くなった。先生に「実際亡くなると、違うでしょう」というと、
「いや何の悲しみも、喜びも感じなかった。やっと死んでくれたという気持ちと、ただ無念だけが残った」といわれた。
その先生も4年前に脳梗塞になり、東京の子供のところに引っ越していかれた。
   人生はいろいろある。
   
・・・・・・
 2001年05月17日(木)
ドッグファイト
3月末いつもの土手を散歩をしていると、顔見知りの人が今年もツバメが今日来てますよと声をかけてきた。
バイパスの下のトンネルの蛍光灯の上に7~8個ツバメの巣がある。十数年来この時期になるとやってくる。
そして春の到来を実感する。なるほど十羽ほどが飛びまわっていた。なにか異様な雰囲気によく見ると、
ツバメと雀が入り乱れて飛んでいる。数羽の雀がツバメを追いまわしているのだ。
もちろんその速さが違う、またそれが可笑しいのだ。巣のほうを見るとツバメが巣の中の雀と戦っている最中。
しばらくすると中の雀がそのツバメをおいかける。そのくり返しのようだ。
近くに10羽くらいの雀がきて時たまその争いに加わる。しばらく見ていたらツバメがいなくなった。
雀が勝ったのだ。毎年雀のツガイが、その並んである巣の隅に住んでいたのは解っていた。
よくこんな近くで住めるものだと感心していたが、今年は雀が反撃に出たのだ。
その2-3日後一度やはり同じような事があったが、今年はそれっきりツバメの姿を見ることはなかった。
その後1ヶ月位2羽がトンネル両側で見張りをしていた。10年来もちろん初めてのことである。
誰かにそのことを話したら英語でドッグファイトというらしい。異種間の群れ同士の争いは何処でもある話で
そう言うらしい。以前NHKスペシャルでライオンの群れとリカオンの群れの死闘のドキュメントを見たが、
今でも鮮明に記憶でのっこっている。
最後はリカオンのボスが若い雄ライオンに殺されてライオンの群れが勝ったが。