つれづれに

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 ここにきて急に暑くなってきた。ふと気づけば、もう初夏。
このところ、毎朝4時か、4時半に起きて随想日記を書き上げ、6時過ぎに
ポタリング・・・  午後からスポーツジムか図書館に・・・ という坦々として
日課が続いている。 これも慣れてしまえば悪くはない。


・・・・・・・
1138, つれづれなるままにー駅の風景
2004年05月15日(土)
・一昨日(5月14日)のことだが、帰路の長岡駅の出来事。60過ぎの背広を着た男と、
人相のよくない二人連れがもめていた。立ち止まらないで通りすがりに見ただけだったが、
目がおぼろの男が仕込みの刀を持っていて、二人の男が、それを取り上げようとしていた。
中年の男が「何するんだ!」と刀にしがみついていた。 
二人連れは「お前こそ、こんなものを何でもっているのだ!」と言っていた。
すぐに気がついたのが二人連れが私服の刑事で、男は何かの事情で刀を持ち歩いていたのだろう。
・以前、新潟駅で作業服風の上下を着て帽子をかぶってマスクをした4人の男が、歩いている
オバサンの周辺を囲みながら一人が近づいて威圧をかけ、それをバックでおばさんが追い返すと、
次の男が近づいていく異様な光景を見た。オバサンがたまらず大声で「あんた達の正体ぐらい
分かっているいるのよ!」と、叫んでいた。カルト集団同士の嫌がらせ?という感じがした。
長岡駅の出来事であるが、階段を下りていた中年の男性が階段を踏み外して顔から落ちて
メガネがとび、血が見えた。その瞬間、歩いている数十人が数秒すくんだ様に立ち止まった。
時間が止まるとは、あの瞬間をいうのだろう。次の瞬間、誰も考えることは一緒である。
「係りあいになりたくない!」である。全員が躊躇するのが、手に取るように分かった。
一番近くの人が、仕方がないという感じで、近寄り。階段の一番改札口に近くの人が、
駅員のところに駈けていった。
新潟駅の新幹線の改札を出て、しばらく歩いたところに大きめな野鳥がスクンデ蹲っていた。
迷い込んで恐怖で動けなくなっているのだ。立ち止まって見ていたが、どうすることもできないので
そのまま見過ごしたが。多くの人が、まったく興味を示さず歩いていったのが印象的であった。
  ーーー
駅はいろいろの人がそれぞれの目的を持って集まり散っていくところである。
見ていると色いろなミニ事件を目撃をする事が多い。ハッキリしている事は服装は、当然の事だが、
それぞれの目的に合わせて着ている。服装を見れば大よそ、その人の目的、もっといえば、
その人の人生が分かる。そういう自分もそうだ。服装はやはり気をつかわなくてはならないことだ。
キンキラも考えものだが。

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2003年05月15日(木)
771、ゆっくり急げ!
 この相反する言葉をひとつにしているのが面白い。方向を間違わないで一歩ずつ確実に歩めという意味。
童話の「亀とウサギのかけっこ競争」や「急ぐ文はユックリ書け」に似ている。私の性格が気短で、
せっかちで解っていても急いでしまう。人生の達人といわれる人にゆっくり急いでいるタイプが多い。
何にもしていないようでいて、ポイントを外さない人だ。モノゴトのABC分析がキッチリできているのだろう。
早速インターネットで「ゆっくり急げ」と検索してみた。上記の私の半端な解釈より、ずっと深い内容であった。
ーその結果はー
ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの言葉として知られている。
「完璧な将軍にとって、軽挙妄動や猪突猛進ほど不似合いなものはないと 考えていた。
そこで常日頃から好んで次のような文句を口にしていた。『ゆっくりと急げ』
『大胆な将軍より慎重な将軍の方がましだ』
『なんでも申し分なく立派にやりとげたら、申し分なく早くしたことになるのだ』」
・ローマ時代の銀貨に錨(いかり)にイルカが巻きついた図柄の銀貨がある。
 錨はゆっくりを、イルカは速さを表している。「ゆっくり急げ」を描いた銀貨だ。
『急ぐべき時には急げ、ゆっくりすべき時にはゆっくりしろ』と言うことだそうで、
要は判断とバランスの問題だと言う。

・何をすべきかを考えることが大切
《急ぎは浪費のもと》「急いては事を仕損ずる」「短気は損気」
《急ぐと自分の踵・つまずく》
ー以上であるが、じっくり考える事と判断と、それを踏まえての行動の早さが大事だということだ。
 目的と手段・戦略と戦術を冷静に見据えた果敢な行動の必要性をいっている。

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2002年05月15日(水)
407,ホームページを開いて一年
以前「テーマ随想日記を書いて一年」を書いたが。このテーマはホームページである。
「ホームページつくりを通して、パソコンをわがものにする」と目標を立て、実行して一年半経つ。
やはり人生が根本的に変わろうとしている。情報化を実感している。
たどたどしく、やってきたというのが実感だ。一つの目安が、現在のこの時期と考えている。
ここで一回ホームページの解体の時期かもしれない。実施は夏以降か?
現在の自分の現状に似ている。今までのビジネスや人間関係や慣例の解体のプロセスの時期だ。
ゼロベースからの見直しである。ホームページづくりと、旅行の積み重ねと、去年の9・11で、
世界と世界観が全く変わってしまったからだ。
やはり情報は最も大事である。どこまで一人になりきれるか、とりあえず一人に。
とくに「--会」といっている集まり。当分は「空」への過程だ。
そしてある時期がきたら、新しい「色」を求める。ポイントは「電脳、グローバル、21世紀へ、
前向き、楽しさ、興味」である。濡れ落ち葉にはなりたくない。
ここで他者のホームページが見えはじめてきた。素晴らしいホームページにいきあたる。
それと自分のホームページとのリンクがポイントである。
特にリンクの分類がポイントになってくる。それとやはり絞込みが重要だ。
そうしないと、みさかえなく情報が入ってくる。
現在、電脳というキーワードがある。その時代に入ったことが実感できるかできないかが分岐点だ。
ポイントはホームページだ。自分のリンク集でもいい。