つれづれに

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 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=5ZRMbbTs_Zs

 柏崎刈羽原発の原子炉休止の影響による悲鳴が聞こえ出してきた。
5千人の関連従業員のうち、3千人が整理されるとかいう噂は
去年の秋口に聞いていた。誰が、どうみても刈羽の原子炉の再開は問題あり。
もし、再開ともなれば大問題になるはず。とはいえ、柏崎市の予算のベースが
原発の継続が前提で成り立っている。
全国の原子炉城下町は、殆どが瀕死の状態。夕張市の事態に近いはず。


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1090, ニコイチ
2004年03月28日(日)

私が事業としている「ビジネスホテル」も曲がり角にある。
こういう装置産業は20年~40年スパンの投資になる。
時代の変化に対して、あらゆる仮説をたてて潰しのきく建物にしておかなくては
ならない。以前にも書いたが、私が手がけた建物は殆ど柱が入ってない。
中を掻き出せば、他の転用が利くようになっている。
少し先走ったが、24年前に光ファイバー用の配管が各客室に入っている。
新潟駅前で現在1DKマンションが、この数年ドンドン建っている。
調べるまでは、在庫オーバーと思っていたが、何とほぼ満室という。驚きであった。
なら在庫オーバーのビジネス客室をそれに転用すればよい。
二部屋の一つの客室を掻き出してミニキッチンと居間空間に変えればよい。
サービスアパートメントへの転用である。建設業界には元々「ニコイチ」という言葉があった。
マンションの住人が隣が売りに出た時に買い取って改築をしたりする時や、手狭になった
市営アパートを一つにしてしまう場合の用語だという。「なるほど、そうか!」と唸ってしまった。
現在、多くの建設業者は、不況の煽りで苦境に立っている。
その打開策として「改築・改装」に力を入れ始めた。
古ビルを創り変える仕事もこれからの事業として面白い分野になるだろう。大変だろうが。
それにしても、転用を前提にして創っていて助かった!のが実感である。
この数年は、この改築?が仕事になりそうだ!事業から、色いろ人生を学ぶことが実に多い。
長期的視点、鳥瞰的視点、忍耐、人間観察、何よりも自分自身を知ることなどだ。

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2003年03月28日(金)
723, 仰げば尊しー卒業式

 三月といえば卒業式の時期である。誰もが昔の卒業式を思い出す時期でもある。
幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と卒業式の記憶は鮮明である。かすかな記憶だが書いてみる。
幼稚園ーその日に多くの玩具を貰ったのが印象深い。
    何か絵本や、その付録のようなものがあった。
    その日のことはいやにリアルに憶えている。
    あまり悲しいとかというの記憶はない。
    その時の同級生数人と今でも会うことがある。
小学校ー何かふてくされていたような気がする。
    壇上に卒業生が全員上がり、呼ばれたら大声で答えたのを憶えている。
    拍手で送られてたのが少し記憶に残っている。
中学校ーこれも校門を拍手で送られたことが記憶に残っている。
    まとまりのあるクラスで、全員がいやに親しみ感じていた。
    「よいクラスの仲間たち」という感じだ。
    数年前まで20年以上クラス会を開いていた。
高校ー校内問題があって、変わった荒んだ卒業式だったようだ。
   この最後の3年のクラスもイヤに変なまとまりがあった。 
   このクラス会も20年近く毎年開かれていた。
大学ー卒業式としては、一番感激した卒業式であった。
   チャペルでお祈りの後の卒業式が印象的だった。
   一人一人が壇上で総長?から卒業証書を貰った。
   その後、学食で卒業パーテーが開かれ、全員がビールで乾杯の後、
   全員でコップを一斉に床に叩きつけ割ったのがよかった。
   学生時代との決別という意味だったのだろう。
   その後、父やゼミの武澤先生と同期の連中と写真を撮った。
   その時に何かこの学校がますます好きになったのを憶えている。
   「もう二度と会わないのでは!」という互いの感慨があったために
   最後の別れという気持ちが強かった。その一月前の2月末から四日市ジャスコ
   既に就業していた。 卒業後10年単位で、学校が主催で同期生があつまる会がある。
   4分の1の5~600人が集まる。これも本音でお互い話し合えるよい会である。
   卒業式をキーワードに、過去の節ふしを振り返ると、
   実に恵まれていた時代だった。時代も全てが光り輝いていた!ように思える。
   教授に先輩に友人に両親に、心から感謝ができることが最大の収穫だ。
 卒業式からみても一番よい時期というとやはり大学時代だ。
 とくに私の場合恵まれていたようだった。

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2002年03月28日(木)
359, ST訓練

毎年この時期、新入社員に私が直接する訓練である。もう2~3回の
入社ゼロの年を除いて、前にいた会社も含めて26年間行っている年中行事である。
初めの頃は二泊三日で行っていたのがいたが、一泊二日になり今は一日だけだ。
研修所や旅館を使って密室状態であったのも、現在は事務所で行っている。
センセビリテー・トレーニングを、途中から独自に変えた内容である。
当初の頃は、感性訓練を目的としていたが。
密室に新入社員を閉じ込め、それぞれ二人に問いかけと、答える立場を決める。
そして彼らにテーマを出させ、そのテーマについてどことん聞き出させる。
脇道にそれたり、いいかげんな事を言った時大声で叱咤する。
あるところまで来たら、立場を逆にする。それを密室の中で、繰り返しそれぞれの
相手を変えてやっていく。その中で自分のいい加減さ曖昧さを互い気づかせ、表面的会話から、
本音の会話へ、更に対話に深めていく。その中で感性を磨く。
あるいはお互いの気心を理解させ、仲間意識や帰属意識をつくる。
組織は人間どうしの意思や情報伝達が基本にある。
聞いたことを、はっきりと他の人に正確に伝える事が前提になる。
時間をかけて、叩かれていく過程で身に付けるものだが。
それを初めに、きっちり訓練を入れることを目的とする。
それとリクルートの能力適正試験の内容と、実際の本人の内容の誤差を見る。
ほとんどないが、それでもそれだけで見えない部分がある。
ある意味で一生もう決まっている、その人のソフトのベースもある。
こういう訓練を通して、自分で把握した事がある。
日記を書くこと、本を読む事、人の話を聞くこと、自分で考える事、
理想も持つ事、良い習慣を多く身に付けること、変化する事、初心を持ち
それを大事にする事、その訓練を通して一番教えられるのは自分だ。

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<お笑い>
殿が太鼓もちに庭で,池の蟹を見て何か面白い小話をつくってみろと命じた。
ウロタエタふりの太鼓もち「そんな俄かにいわれても」と、
怒った殿「何をぬかすか、その位の駄洒落も創れないのか!」
隣にいた小姓「解らないのですか、庭ー蟹と今創ったのが」