つれづれに

イメージ 1

 Youtube
http://www.youtube.com/watch?v=cNLvQqH9n7s

 どうも北が変である。 あの白ナスのようなドン様、暴走しそうな感がある。
中国も、そろそろ、締め上げておかないと、あとあと大変になる。
ソウルと北の国境線が、東京から大宮の距離というから、北がミサイルを撃つ込めが
首都は壊滅する。と同時に、北そのものも壊滅するが、脅しが国是ときている。

 明日で、3・11から二年になる。二年が一括りになる。
あの原子炉の後始末、マスコミで騒がないが実際のところ、どうだろう。
騒がないから大事でないということではない、静かな分、不気味な感がする。
日本という国家にとって、この影響は甚大なはず。それにしては、経済変動になってない。
実際のところ、国家非常事態に事態に、何がオリンピック誘致だろうか、
東京直下の地震対策は、どうなっているのだろう。何かがおかしい、この国は。

 
・・・・・・
1437, 感動について
2005年03月10日(木)
人間の一番重要な能力は感動である。感動力という言葉もあるが、その能力は
‘感動の回数と質の賭け合わせ’によって醸造される。
「質の高い感動をいかに多く体験をするか」が人生のポイントになる。
親は子供に、感動体験をシャワーのようにチャンスを与えることが、
躾と同様に一番の家庭内教育になる。
展覧会や、音楽会、名作の映画、本、旅行、自然などに直に接する機会を増やしてやることだ。
それは個人ー自分自身ーにも言えるが。
感動は自分を変えてしまう力がある。その都度、感受性が鋭く豊かになっていく。

感動は、対象の振動に共鳴することである。共鳴は対象と同一化することになる。
共鳴するほど、振動の対象が内面に焼き付けられるのは、同一化のためである。
そして奥に沈殿し、心の豊かさになる。
感動の最高のものが歓喜になる。いや歓喜は、その一歩手前の経験でしかない。
歓喜さえ通り越してしまっている状態が至高体験である。
感動体験は自分の小さな殻を叩き割る役割を果たす。その殻からの脱皮が重なりが、
多くの対象の波動に敏感にしてくれる。「一流のものを見て聞いて、体験しなさい!」
とは、そこから出ている波動に共鳴しなさいという意味である。
人間も本も、然りである。良い学校に行きなさい!というのは、
良い先生、良い仲間に出会えるからだ。
もっと青少年の頃、本を読んでおけばよかったと悔やまれる。今更だが。

・・・・・・・・・
2004年03月10日(水)
1071, フランチャイズ・ショー -4

三日間もいると見る必要のないと思われるものまで見てしまう。コンタクトレンズ・ショップ、
中古ゴルフ用品、中古釣具、結婚紹介所、近視矯正器具販売、などなど。
以前より関心のあった介護ビジネスも、経営という面で面白い。数年で投資回収が可能なのだ。
この厳しい経営環境の中で、異質の世界であった。その中で、デーサービスに絞ったFCがあった。
新潟では乱立ぎみで来年度で飽和状態になるというが、一年で投資回収可能のケースもあった。
ところで会場に足マッサージ器具の展示品があった。毎回、必ず会場で販促をしているのだが、
行く度にドンドン良くなっていく。プロが足を揉んでいるようであった。足を両側から包み込んで
強く圧縮する。但し上代15万、割引で8万円もしたが、それだけの価値があったようだ。
健康機器もドンドン良いものが出てきている。
フランチャイズ・ショーの会場は今の第4次産業の見本市でもあった。
今の時代、経験をパックにして売ることも買うことも可能なのだ。

・・・・・・・ 
2003年03月10日(月)
705, 古館伊知郎の世界

 古館伊知郎といえばトーキングブルースである。この15年間おこなっているトークショーである。
今の時期にBSTVで放映しているが、毎年の楽しみになっている。
今年は「言葉」で、去年は「脳」であった。一人で2時間、このテーマで話しまくるが、
息を尽かさない中味の濃い内容だ。会場を暗くしてスポットライトを照らし出した中で話すのだが、
次から次へと話題が出てくるものだと感心をする。
見えない相手に対して、独り言をいっている姿がこの「随想日記」に似ている。
ミニトーキングブルースというところか。
  ーホームページからこの紹介文をコピーしてみたー
[TalkingBluesは、「嘆きや悲しみ」を音楽として綴った黒人達に倣い、楽器をマイクに、
詩をトークに換え、人間が普遍的に持っている悲しみ、嘆き、苦しみを、古舘伊知郎が鋭い
感性で表現すると言う目論みで1988年に始まった。古舘伊知郎が、自分自身の生活や生き方を
ネタとし、世の中を自分の鏡とし、また、自分を世の中の鏡として、不浄な煩悩の奴隷として
生きるしかない自分を含めた人々の嘆きの真意に問いかけてゆく。
そのために、古舘はTalkingBluesの舞台に立ち続ける。]

さらに今回の「言葉」もほとんど忠実に紹介されていた。
詳細は「随想日記の引き出し」コーナーにコピーしてある。
こういうのも情報化社会の一片なのだろう。
 以下はやはりインターネットで調べたインタビューをコピーしておきます。
 ――世の中に情報があふれ返ってます。
「受け手の側が自主性を取り戻すには、情報のラマダン(断食月)か安息日をやるしかない。
たとえば、天気予報の音声を消してモザイクをかければ、だれもが降水確率のあいまいさに
気づくでしょう。窓を開け、湿気やにおい、草いきれを感じて、『よし、傘なしだ』となる。
自分が予報士になれるんです」
 ――テレビをどう位置づけていますか?
 「テレビは受け身で垂れ流し、完全看護じゃないと視聴者に受け入れられないダメな
メディアになって います。テロップ(文字説明)の多用もそう。画面に新聞記事が映って、
赤線引いてくれるなら初めて新聞を読む。そんな層がいる」
 「映画や本なら、投資して自発的に選ぶ。たとえ錯覚でも、人生観が変わったという思いで
感慨を得たいのです。映画や本が本格医療マッサージなら、無料のテレビは15分間クイック
マッサージ。視聴者は目先の刺激を追い求めるインパクト難民だよ。
気持ちが良ければ治療しなくてもいい。それを、いやしとか和みという言葉に差し替えて
いるだけです」
 ――そこでやりとりされる情報も軽く、空疎になっているようです。
 「テレビの視聴率は内閣支持率と似ています。どちらも中身は問われない。
国民は怒ったふりはするけど、小泉さんの支持率が80%でしょ。耳当たりの良い情報だけが
流通している。テレビより石器ねつ造の考古学者のほうが偉いよ。掘って、埋めて、見つけて。
テレビはそういう地道な作業さえしてないもの」
 ――インターネットや携帯電話でのコミュニケーションについては?
 「パソコンでも携帯の画面でも、あやしく無機質に光るものに文字が踊っているのがOK、
という感覚が若者などにありますね。携帯のカバーがはやってるでしょ。
無機質の上に別の無機質をツルとかぶせるわけです。人とつながりたいといっても、
それは近所づきあいじゃない」
 ――若者は人づきあいが苦手なんでしょうか。
 「グルメだったりブランドだったり、自分に情報をまとわせ、武装しないと自己表現が
できない人が増えている。人間関係が空洞化し、心のすき間にインターネットという
勝手口から御用聞きが入ってくる。出会い系サイトなんか典型じゃないですか」
 ――情報社会はこの先どうなるのでしょう。
 「手をかえ品をかえ、情報のインフレ状態が続くでしょう。
ただ、もっと長いスパンで考えれば、情報は要らないという所まで行き着くかもしれない。
本当のいやしとか和みとかを希求して
やまない時代になれば、半径5メートルで家族が仲良く暮らせればいい。
新聞もテレビも消え、実感を伴った周囲との意思疎通に回帰していくわけです」
 ――テレビ人として何を極めたいですか。
 「NHKがお茶会の干菓子なら、民放は完全看護のお客様にソフトプリンを出している。
その客が『これから感動モードに入るぞ』と、はるばるプロジェクトXNHKの人気硬派番組)
へと渡っている状態です。おれも骨のある番組をやりたいと思うよ」
 「たとえば、無名の人が無名のまま生き、何も起こらないという番組。地方の農家の平和な
生活をカメラで5年追い、普通に放映してみせる。『CMの後、予想外の展開が!』の反対です。
スポンサーはつかないでしょうが、どこかの民放がやるならノーギャラで引き受けますよ」

朝日新聞/2002.1.12)

・・・・・・
2002年03・10
旅行中で書きみなし
\
・・・・・・
ーお笑い
「世界一の嘘つき 」

禁猟区の近くのスナックである男が猟の自慢を隣の男に始めた。
隣の男
「私が禁猟査察官と解ってますか?」
すかさずその男
「私が世界一の嘘つきとわっかってますか?」