つれづれに

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Youtube
http://www.youtube.com/watch?v=NhXWl-QHIvk

 昨日の写真の美女三人を背景にして机に髑髏を置いて後ろ向きに座っている絵が面白い。 
有名画に似たようなテーマの絵画があった。 
「所詮、美女とはいえ、この髑髏のようになる。手にしたのが筆か何か、欲望に後ろを向きで
何かをしようという意志を現している。」という意味が読み取れる。 解釈することもないが! 
 今日の絵は、死神。「常に死を思え」という戒め。美女と死をテーマにしているのが、共通点。  


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1434, 滝の話
2005年03月07日(月)

1月前になるが、「白川義員の世界百名瀑布に挑む」をNHK・ハイビジョンを見た。
再放送で見るのが二回目だが、一回目見たときと同じ位の感動をおぼえた。
よいものは何ごとも、見れば見るほど、知れば知るほど、その奥行きの深さが見えてくる。
滝、氷河、山脈、草原、断崖、海岸などの大自然に対する感動は何にも変えがたい。
水には、生物が発生した「海水」の原点がある。
「生き物」のように、色いろな表情をみせるため、本能的な何かが騒ぐ。
世界3大瀑布といえば、
・ブラジルの「イグアスの滝
南アフリカジンバブエの「ビクトリアの滝」
・カナダの「ナイアガラの滝」である。
・そして、4番目が南米のベネゼイラにある
「エンゼルフォールの滝」である。
その中でイグアスの滝は、ずば抜けている。とにかく規模が他の滝に比べて桁違いである。
昔、アメリカの大統領夫人が、この滝を見て「ああ、可哀想なナイアガラ!」と思わず言ったという。
しかし、何で三番目がナイアガラなのか解からない。ただ、美しさは抜群である。
遊覧船で滝の近くまで行って、180度の滝に囲まれてみる豪快な光景はさすがに凄い!
この番組みでは、アメリカ大陸のランク20の滝を紹介していたが、やはり、ナイアガラの評価を
最下位にしていた。そんなものでしかないのは、誰でも解っていることである。
旅行をしていて、思いもよらない素晴らしい滝に出会うことが度々ある。そして、ただ呆然と立ちつくす。
人は滝に対して、何故これほどまでに引きつけらるのだろう。横の流れが一瞬の落差によって、
縦の流れに変わって生ずるエネルギーのためか、それとも、水そのものの踊っている美しさであろうか。
アイスランドに、欧州で一番大きいといわれる「ゴーザフォスの滝」がある。
アークレイリから車で1時間ほどのところにある。溶岩の平原に流れている川が、突然落ちて滝になっている。
落差は小さく幅が広い。平地によくある形の滝であるが、遠くの氷河から流れ出た豊富な水量のため、
音と水煙を上げている。ゴーザフォスの意味は「神々の滝」。「ヴァイキングキリスト教に改宗した時、
それまで崇拝していた神々の偶像をこの滝に投げ込んだ」という話からきているという。
雨の中で見たが、豪快に神々しい滝であった。
滝ではないが、裸の山並みに千本もあるように見えた細い糸のような滝?も忘れることができない。
ニュージーランドのミルフォード・サウンド の途中で見た山の光景である。滝の話になると話題は尽きない。

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2004年03月07日(日)
1068, フランチャイズ・ショー -2

主観を込めて「面白い順」に書いてみる。
・まずは「1980円のフグチリ」を売りにしているフグ専門店。
フグ専門店の3分の1値段で、ふぐ料理の価格破壊を目指している。
味は高級専門店にまけないという。
以前TVで見たことがあったが、実際担当者から生で聞く話は格別面白い。
「フグ料理や開店指導やフグの供給」をするという。
客単価は6700円とか。開店資金まで希望なら融通するとか。
現在は東京から30キロ圏がチェーンテリトリーという。
別にフグ屋をする気はないが、何事も好奇心で聞いてみたが、本当に面白い!
・次は介護ビジネスで、デーサービスだけに特化した業態のFCが面白い。
一日あたり、顧客?一人単価一万円、人件費一人当たり一万、ハード(施設)の
ランニングコストが一日1万。ビジネスとして割り切ると面白そうだ。30人収容で、
職員9人のチームでまわす。開店指導から軌道に乗せるまでのノウハウの販売である。
・保育園の開店指導主体のFCもあった。開店が一番大変で、一度オープンをしてしまえば、
その後のノウハウはほぼないとか。開店ノウハウ販売型FCと堂々と言ってのけるのもよい。
・目立ったのが、インターネット・カフェである。
漫画本とゲームとインターネットの併設のもので、時間制の料金システムのものが
印象的であった。(例:15分ー100円)
・自分史のCD作成の商売もあった。50万円で写真から履歴や文章などをCDに収め、
10年間大手銀行の貸金庫に預けて置くシステム。死んだ後に配る饅頭本の現代版といえる。
面白いことを考えるものである。
                     ー 続く
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2003年03月07日(金)
702, 心と魂

以前に社内報の事業百訓で、「心」と「こころ」と「魂」の違いを書いたことがあった。
ーホームページH09/05-見聞皆師
http://csc.jp/~888888/fr/kenbun/bun_h09.htm
先日、ある本を読んでいたら、パソコンのハードデスクを「魂」、ソフトを「心」に喩えていた。
ーその概要は以下に書き写す
 魂と心は厳密に言うと違います
・魂はパソコンでいうとハードディスクやCPUを中心としたハードウエアにあたり、
・心は基本OSを含むソフトと例えることが出来る。
 心の基本形成は、親の心のエネルギーを吸収しながら6才頃に、そのアウトラインがほぼ完成するという。
パソコンでいえばウインドウズのインストールを終えた状態。
・「こころ」の核となっているのが魂で、これは生まれながらのもの。
・魂は天命・宿命に関わり
・心は運命を左右します。
・そして双方の共同作業の結果が、あなたの「個性・能力」となって現れる。
魂の進化は心とともに ある。 パソコンは平成8年春の製品でクロックは120しかありません
150以上を指定してあるウインドウズMeはインストールできない.
モリーとハードディスクは最大限増設してあるが、クロック増設の手間と費用に
見合うだけの魅力がMeに有りや否や? 深層心理学者のユングは「魂はしだいに進化し、
聖なる方向に向かっていく」といっている。この進化の方向に関わってくるのが心なのです。
Me(心の向上)を諦めたので、ハードウエアのクロック(魂)は120のままで進化していません。
  こころの葛藤とは魂と心の綱引きをしている。  
魂は多くの業(ごう、因縁ともいいます)を持っていて、その業は縁あらば表へ出ようとしています。
それが自己本位の好ましくない事だったら、心がセーブをかける仕組みになっているが、本質的には
「魂の方が強力」です。魂が要求している事柄を実行して良いかどうか…を
・「判断するのが心なのです」が、
・「決断するのは魂」です。
心が「ノー」という結論を出すと、そこで魂と心の綱引きが始まるのですが、
魂が心の判断を無視して行動を起こすと、人間社会の中では往々にして問題行動となる。
40にして惑わず、という言葉があるように、どうやら人間は、その年代以上にならない
ことには、「魂を制御できるだけの心は完成しない」ようだ。
ー以上であるが、喩えが解りやすい。
 また他の本で「自己」と「魂」は似ているとか。自己の背後にある大本が「魂」といってよい。
自己実現」を「魂をつくること」と言い換えたほうがむしろ解りやすいことからも納得できる。
魂の喩えとして
・心の親。 ・心の故郷 ・心の実家 ・宗教心 ・他己 ・御祖先様
・心の積み重ね ・神ーラージX
「心を込める」と「魂をいれる」と言葉の重みが違う。「魂を入れる」は全身全霊を入れるという
意味合いにがある。そうすると全身全霊ということか。対象の物事に対して「魂がこもる」ともいう。
一生は「魂をつくること」ということか。自己実現を図る事だ。

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2002年3月7日
ーこの日から2週間、西アフリカ旅行中で書き込みなし

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「母子家庭 」

先生『お父さんは何してるの?」
生徒「死んでいないの」
先生「じゃーどうして生活しているの?」
生徒「うん大丈夫、毎晩ちがう父さんがお金を置いていってくれるの」
先生「?・・・・・・・!!」