つれづれに

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

今日のYoutube
ボノボ
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=82GUjPConiE&feature=fvwp

 今日の随想日記のテーマ。少し迷ったが、今さらと思い載せた。
一番の本音かどうか分からないが、どうだろう・・・ 



 -セックスがあいさつ代わりの類人猿ー
                    『あなたのなかのサル』 フランス・ドゥ ヴァール
 読書の合間に、Youtubeの他に、最近、アマゾンのネットサーフィンをしている。で、見つけたのが、
この本である。ボノボの、この習性を知ってはいたが、立ち読みでも面白い!  
これが人間の隠された本質かもしれない。
  ーまずは、ともあれ、この中の一節からー
≪ セックスがあいさつ代わりの類人猿ボノボは、発見が遅かったにせよ人間のタブーに接触のためか、
あまり知られていない。 何と一時間半に一回セックスする。体格的にもずん胴なチンパンジーより
スマートで、より人間に近いと思われるこの類人猿は、そのため動物園にもTVのお茶の間にも登場しない。
このフリーセックスというか、挨拶代わりのセックスは、子殺しを防ぐことから起こったのかもしれない。 
父親がわからなければ、外から来たオスに殺されることが防げる。セックス相手のオスから庇護を
与えられるからお得である。ボノボでは若いメスは相手にされない。熟女が歓迎される。
若いメスは性皮の腫れをパスポートにして、新しい集団におちつくのである。 
ボノボはメスのほうが権力をもつ。メスはほかの集団のオスともセックスすることによって、
オスの縄張りの意味をなくして、ボノボは平和な社会の可能性を開くのである。
 人間はセックスを社会生活から隠す。あいさつ代わりのボノボと違って、セックス相手をひとりの
オスに絞ることによって、育児の支援を受けるのである。ために家が必要になった。
チンパンジーなら劣位のオスはセックスをとがめられる。 人間はチンパンジーのように縄張り意識や
外集団に対する攻撃心をもち、メスを囲い込む。子孫や経済の共有がないから外集団との争いが
絶えないと思われるのである。ボノボのように子孫と食物の共有が広くおこなわれる必要があるのではないか
とヴァールはいう。人間はチンパンジーのように縄張り意識や外集団に対する攻撃心をもち、メスを囲い込む。
子孫や経済の共有がないから、外集団との争いが絶えないと思われるのである。ボノボのように子孫と
食物の共有が広くおこなわれる必要があるのではないかとヴァールはいう。
 チンパンジーには集団での権力闘争や序列関係があり、観察記録には如実にそれが現れる。
人間はそれがあたかも存在しないかのように暮らすから、動物たちの観察記録が参考になる。
 動物たちは序列を明確にする。それをボティランゲージではっきりとわかるように表わす。
劣位の者は腰を低くしたり、腹を見せる。
人間には序列があるはずだが、それを明確に表わさないし、きには無意識に行っているのに意識の底
 に潜りこませるのである。
それを明確に意識の昇らせるために、このようなチンパンジーの観察記が役に立つのである。≫
 ▼ Youtubeに、この映像がある。(今日のバードウォッチに掲載) これをTVで放映は出来ないのは当然。
  人間に最も近い類人猿の永年かけた知恵というから考えさせられる。食肉系女子を重ねると、いやに納得する。 
  近親間ではどうかは、分からないが、恐らくないのだろう。考えてみれば、これが桃源郷の世界ということ?
   一時間半に一回ですか!
 


 2003年02月27日(木)
694, ハウステンボスの倒産

20年前に、チェーン理論のペガサスクラブの渥美主幹の言葉が印象的に残っている。
「いま色々なリゾート開発とかテーマパークがブームになっているが、
あれは後背人口が3000万以上でないと成り立たない。日本では関東しかない。
大阪でさえ難しい」であった。
「なるほど全くそのとおりである!」と納得したのを憶えている。
「浦安のデズニーランドが上手くいっているのは、関東の3000万のある上に、
日本全国とアジアの数億人の後背人口があるからだ」と加えていた。
 
 その後バブルが発生して色々な計画が発表された時に
「本当にバカでないか!」と冷笑していた。
別に私が考えてことでない、その情報を知っていただけだ。

新潟では「ロシア村」「トルコ村」、長岡ではゼネコンの「スペースシャトル村」
が計画され全て頓挫した。聞いていて無知もはなはなしいと思っていた。
再開発の90パーセントもこの類だ!!
今年オープンする「トキメッセ」はその最も最悪下劣の計画である!
このテーマではないから省く。

現在になってこれらの計画のボロが露出しているが、この計画と遂行した犯罪者は
引退したか、あの世にいっている。日本という国はどういう国だろ??
いつの間にか、ボタンを掛け違えてしまったのだ。
このツケの支払いが、今の若い人たちの10年~50年後に回ってくるのだ。

5~6年前にハウステンボスに行った時その計画の合理性に驚いて、
こういう例外があるのかと目を見張った。
特にテーマパークにあわせたオランダ風のマンションや住宅を造って販売して
いるのに驚いたものだ。といって2回以上行きたいとも思わない。
デズニーランドなら別だろうが。

この「2回以上いってもよい」と思わせるには、高度のノウハウが必要のはずだ。
今は大型PDPTVが家庭内に入り、居間がテーマパークになってきている。
映画館もしかりである。私の場合、PDPTVが入ってから飲みに行く回数が半減した?
テーマパークはバーチャルが最大の売りだが、今の映画はデジタル技術で
その過激さが飛躍している。ハウステンボスの倒産は今の時代を象徴している。

・・・・・・・・
2002年02月27日(水)
344,「神話の世界 」 -1
 
キャンベルとモイヤーズの対談集を読んだ。
この本は私の愛読書の一冊でもある
「シェーン」をはじめとする西部劇の大部分は、[神話のストーリ]
の転用であるという。
主人公がある街に流れてくる。
そこで悪に遭遇して、正義感からその悪と対決し退治をする。
そして何も報酬を求めず黙って去っていく。
「英雄の理想像」である。

英雄の立場からすると大いなる旅に出て、そこで色々な困難に遭遇をする。
それと闘い勝利して「大きい精神的な何か」を得て故郷に帰っていく。
アメリカ西部劇の全てに共通しているストーリである。

「スターウオーズ」も、そのストーリーが背後に一本通っている。
現代の神話、西部劇である。

今話題の「千とチヒロの神隠し」もその筋道だ。
桃太郎、一寸法師などの昔話もそうだ。
挑戦、闘い、変化ー成長、の成長過程が全て含まれている。

我々もそのプロセスを重ねて成長していく。
神話はそういう意味で「人間の一番の本質」といってよい。
誰もが自分を一生を貫いている神話を持っている。
自分にとって誰もが主役、皆が大将である。
「脱皮できない蛇は死ぬ」という諺があるが、神話のない人生をいう。

西部劇をみていて、そこに懐かしいアイデンティテーを感じる。
そこに内面の深奥の旅を経験する為だろう。
蛇と鷲の闘いを絵でみたり、TVのドキュメントを見て興奮を覚えるのは、
「地に縛られている蛇」と「飛躍の象徴のわし」の戦いを、
「自分の内面、過去の経験」で知っているからである。

英雄は鷲である。飛躍とは地に縛られている自分からの飛躍である。
蛇は縛られている自分でもある。その自己葛藤がその闘いである。
蛇は人間がまだサルの時、森に縛られていた時の天敵である。
本能的に嫌うのは、その時の記憶が遺伝子に残っているからだ。

その合体が龍である。羽の生えた蛇である。
何処の世界にも龍という架空の動物がいるのは、人類共通の想像的産物である。
願望の結果である。
神話の中によく大きい鳥に乗り、はるかかなたに旅をする世界共通の物語も
その形を変えたものである。大鵬という大鳥もそうだ。

実は私の「秘境の旅」もこれに似ている!
一時の蛇から、森からの飛躍のバーチャル版といっていい。
鳥を飛行機と喩えることができる。

・・・・・・
お笑い
ー政治ものコーナー
チャーチルのユーモア 」☆☆

ある女議員が皮肉をこめて
「もし貴方が私の主人なら、紅茶に毒を盛るわ!」
チャーチル
「もし貴女が妻なら喜んで飲みますよ。」
ーー
当時獣医は社会的に低く見られていた。
チャーチルが獣医をしていたという噂があった。
野党議員が議会でそのことを質問した。
「もしそうなら、まず貴方をみてあげます!」
 議会は大爆笑だったそうだ。