つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=2jUE7nHwn00

 ロシアの隕石の落下映像は凄い。
どちらかというと角度がなだからだったので衝撃は少なかったという。
直角に近づけば近づくほど大きくなるようだ。100年前のシベリアの隕石の
落下で森林がなぎ倒された後が、まだ残っているのを見たことがあった。
それ以来という。

   それにしても寒い。

 




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1050, 客観性ってのは何?
2004年02月18日(水)

 金沢にいた頃(25歳の頃)の話になるが、「客観的に」という言葉を、よく使っていたところ
「客観的というが、客観的と勝手に思っているお前の主観ではないか?俺は客観という言葉が嫌いだ」
と言われて、ドキリとした思い出がある。親しかった金沢大学を出たばかりの寡黙の哲学的な男で
あったから、なお答えに窮した。それから客観的という言葉を控えるようになった。
「事実」は「客観的事実」と「自己ー主観」にわけることができる?が、その「客観的事実」も
突きつめれば、あくまでも「主観」でしかない。主観と客観の違いは、あくまでも情報量の比較の世界。
または自分を隠す手法になるケースが多い。(多いほど客観的といっているにすぎない)
真理を追究する科学者は、その目指すところは「客観的事実である」それも、次の真理への
ステップでしかない。
この随想日記も、「自己の主観」を第三者の目に曝けだして客観性を鍛えていることになるが。
今まで書いてきた文章を読みかえして、支離滅裂の内容は自分自身でも妥協できないものだ。
「自己主張ー主観」が客観的?に充分耐えられことがまず重要になる。その意味で、常に内省を
繰りかえさなくてはならない。文章化は自己客観化への一歩といってよい。テーマの内容を
起承転結のスジ道をつけることは、脳の機能を有効に使うことになる。
「万物の霊長類と人間は自身を特別視できた最大のポイントは言葉を持った」ことだ。
この随想日記を書くようになって、それまでと比べて自分の考えをより客観視出来るようになった。
それも55歳過ぎてからのこの三年間である。書き手としての視点を外と内に向けざるを
得なくなったから。随想日記というからには「起承転結]をハッキリさせなくてはならない。
これが思考能力を飛躍的に伸ばしてくれている。特にインターネットの検索が使えることが
最大の武器になった。テーマさえ決まれば情報はいくらでも取れる。

今まで、社内報の原稿や手紙を書くときは、メモ用紙に下書きして、書き足しや書き直しをした後に、
清書をしていた。ところが現在は、パソコンに思いついたことを随時書いた後に文章化と添削を
するようになった。これで書く量が飛躍的に増えた。またパソコンを開けば、そこが書斎に
なってしまうことで、隙間時間に気楽に書き込めるようになった。文章が(紙という物質を媒体を
していたものが)パソコンの画面という非物質の媒体になってしまった。気楽に他の文章をコピーを
して貼り付けて加工さえ可能になった。紙から開放されたのだ。これは書き手にとって革命的な大事件である。
文章化が客観性への第一歩なら、ここで飛躍的に変化したことになる。
紙に書くこととワープロでは、自転車と飛行機の差以上であろう。だから毎日こういう随想日記も書けるのだ。
ここにきて当初の五分の一のエネルギーで済むようになった。

本を出すことを考えている訳でもないし、興味本位で書いているだけでもない。
自転車から飛行機に乗りかえて、今までとは違った視野ができたことの自由さと
一日単位の達成感が味わえるから書いているのだ。
自己慰安が最大の動機かもしれないが。

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2003年02月18日(火)
685, 値段のカラク

ダイヤモンド価格の話である。世界で一般にダイヤと金は物質的な価値基準になる。
動乱で最後もって逃げる物質として、コンパクトで便利な塊である。どこの世界でも通用する。
買った宝石を高価と思っていたが質屋に持っていったら、ぜんぜん値段がつかないことはよくあることだ。
じつは、宝石の原価には、面白い原則があるという。全体の値段が高いものほど、原価の占める割合が大きい。
たとえば、100万クラスの指輪だと、原価が20~30万。ところが、20万だと、原価は1~2万いやそれより以下だ。
宝石は買ったと同時に10分の以下になると考えてよい。
数ヶ月に一回位、5~8割引の宝石などのチラシが入ることがあるが、あれはゴミ?である。
それで満足するのもそれでよいが。規格外の小さいゴミを飾り立てているのだから、面白い。
20万クラスの宝石が売れた場合、原価が10%だが、
・メーカーが15㌫
・卸商が25㌫
・最終の販売店が50㌫
三越伊勢丹や阪急などの百貨店は、地下の食品で釣って、1~2Fの宝石・装飾品売り場で、無知の客を
吊り上げ詐欺師商法に近い事をしている。詐欺?を自覚しているから、詐欺るためにあらゆる仕掛けがある。
50㌫のいや80㌫の利益を得る為にあらゆる手段を使うのだ。
これしつこくいうが、三越高島屋が実際やっているのだ!
老人を集めて、飯を食べさせて、詐欺同然の商法を今も実際やっているのだ。

十数年前に、ハワイの飛行場の免税店のテナント料が、売り上げの70数㌫が報道された事があった。
売れ残りのブランド物を10~20倍の価格をつけて売っているのがばれてしまった。JTBとか日本旅行
安いツアーで、詐欺同然の店に連れて行って騙して、原価10%の商品を売りつけていた。

無知という事は、本当にかわいそうなことだ!今の日本のデフレも、こういう仕掛けが
壊れているだけでしかない。これはデフレというのだろうか?

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2002年02月17日(日)
334,私の読書法

やはり速読法が中心だ。それも「要点集中主義」だ。その典型が図書館で可能な限り(10冊)借りてきて、
居間の「私の居場所」の横に積んでおく。食事やパソコンをイジッテッル合間にチョイ読みをする。
通勤で行き帰り読む。
そして返す時間が詰まってくる、もちろん週10冊は読めない。そうすると要点を見ざるを得ない状態になる。
本はその状態でないと、読まないことが多い。返す期間が決められていると、要点をみざるを得ない。
これは買うに値すると判断するとすぐ「ネット」で注文をする。買った本は、すぐ折込に入る。
本の端を重要な箇所を折り込んでしまう。目次、各章、終わりに、図と絵、太字のページを折りこむ。
そうすると、その時点で自分だけの本になってしまうそして身近においておく。読んでいて、いやパラパラと
開いていて、ここは重要と思うと左下を折り込む。折込にも情報を入れる。左上は図示と絵。
急ぐ時は、終わりより逆にめくっていく。そうすると、どういう訳かポイントが良くわかるのだ。
それでも時間が無い時は、この本から一つだけ情報を取るという視点で集中する。
一つはあるものだ、特に「目次」か「終わりに」でそれを探す。いま一つ実行していることは、
本屋に週2回は寄る。通勤途中の二軒のどちらか一軒だ。本屋も毎日のように、売れているコナーの
本を入れ替えている。定点観測である。立ち読みで要点読みが結構できる。
都会ー東京の羨ましいのは神田も含め大書店が多いことだ。情報格差の一番象徴的なところだ。

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 お笑い
ー下ネタコーナー

「小ささ自慢 」
 
チリとアルゼンチンとペルーの娼婦が小ささ自慢をしていた。

チリの女「私の頭が小さすぎてピッタシなのがないので、
わざわざパリまで買い物に行くの。」
 
アルゼンチン女「私も足が小さすぎてこの辺に良いのがないので、
 
ニューヨークまで行くの」


ペルーの女、顔を赤らめて
     
「私のあれの時、バンドエイドを使うの」