つれづれに

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 今日のYoutube
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 さてと、明日で正月は終わり、楽しそうな(笑い)年が始まった。
ここで、純粋な頭で考えてみよう。それは後にするか。



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1374, キュープラ・ロスー2
2005年01月06日(木)

ロスに関して、もう少し詳しく書いてみる。
ターミナルケア(終末期医療)のテーマにおいて最も愛され、尊敬される第一人者の存在である。
若き日の勤務していたニューヨークの病院での瀕死の患者の扱いに彼女は愕然とした。
〈彼らは避けられ、粗末にされ、だれも彼らに正直に接していなかった〉
彼女は他の同僚たちとは違い、いつも末期の患者とともにいて、彼らの心の声を聴いていた。
そして彼女は「自らの経験を語る瀕死の患者についての講義」を始めた。
1969年の最初の本「死ぬ瞬間」はキュブラー・ロス博士を世界的に有名にした。
〈私の当時の目標は、患者が心の奥深くの悩みを訴えることを禁じる
 専門家の拒否の姿勢をうち破ることだった〉と書かれている。

このテーマについて何年間も満席の聴衆に向かって話をし、20冊以上の本を書き、
25カ国語以上に翻訳され、また彼女は20を越える名誉博士号を受けている。
1995年に彼女はひどい発作におそわれた。
麻痺が残り、彼女自身死と向き合うこととなった。
容態が安定したとはいえ、彼女は発作から完全には回復していない。
〈私はゲートを出たのに離陸できなかった飛行機のようなものです。
ゲートに戻るか、そうでなければ逃げ去ってしまいたい〉
と正直に自分を語っている。

「世界中の人に愛を与えた聖女」の実像は、家族をおきざりにして、
世界中の人々に愛を与えて歩きあげくの果てに、霊媒師に引っかかり、
結局は一番最愛の人(夫)を失ったともいえる。
その晩年は孤独で淋しい老女だったことは間違いない事実。

世界中の死に直面をした人を救った彼女は、自分の愛する人を救えなかった。
皮肉といえば皮肉である。
しかし、その矛盾した姿こそ、彼女の偉大の姿でもある。

「死の瞬間」の出版から、世界中の注目を集めた独りの女性は、
その晩年の姿は決して幸福ではなかった。
先日のテレビの映像はその姿を生々しく映し出していた。

世界的地位や名声と引き換えに、
一番大事な「家族との時間」を失った彼女の姿は聖女といえば聖女であろう。
彼女の晩年に書いた「ライフ・レッスン」という著書も、なかなかの内容だ。
全てが人生におけるレッスンと思って生きていけば、全てを受容することが
可能になるからだ。

若いときに鬱々としていた時、ふと
「全てが人生の修行と思えばよいのではないか」と思った経験がある。
そして、その視点で全てを思い見直したとき、霧が目の前から消えていく
思いをした経験がある。

人生全般からみたとき、死に直面した時こそ最大なレッスンになるのだろう。
両親に後ろ姿を、その時に身近でジックリ見せてもらった。
しかし、自分が直面しないと解らないだろうが、ロスは直面した時
何を学んだか?
一言二言では言い表せないのは当然である。

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2004年01月06日(火)
1007, 激突!エコノミスト-今年の景気予測

一昨日の田原総一郎司会の「サンデープロジェクト」の新聞見出しが
「激突!エコノミスト」であった。
経済予測をエコノミストが議論する新年恒例の内容である。
「小泉構造改革に展望があるか」を中心に議論をしていた。

ー内容をまとめてみると
・今の日本は「粉飾国家」とまで断言をしていたエコノミストがいた。
・ほとんどのエコノミストが「小泉の構造改革」は失敗をしたと断言。
 道路公団の改革は全くの骨抜きにされたと意見が一致。
・年内の景気は悲観論と楽観論が相まっていた。
・今年は中小企業の倒産等が大問題になる。
 それに伴ない地銀以下の問題が派生してくる。
 どのエコノミストも地方経済は最悪と認めていた。
・政府は、どうにもならないアメリカの国債を買い続けている。
 そしてドル安にして、日本の資産を吸い取っている。
 アメリカ経済は大統領選挙が終わった来年が問題になる。
・デフレスパイラスに入ったかどうかに対しては殆ど議論はなかった。
・来年のペイオフの影響はあまり議論はなかった。

 私の目から見て、刺激的な言葉は避けているようであった。
 悲観論者は遠慮をして話しているようでもあった
 
 道路建設しても止めるにやめられないのが実情だろう。
 半減でもしたら、建設業界は壊滅をしてしまうからだ。
 いずれにしても、表面は繕いながら中味は凄惨な状態が避けられない。
 「粉飾国家」という状態であると見なくてはなるまい。
 
 他は如何であれ、自社は生き抜かなければならないのが経営である。
 この環境の中の舵取りは大変だ。
 今更のことだが。
 
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 2003年01月06日(月)
633、「不幸論」ー中島義道

図書館で借りてきたユング派の哲学者の中島義道の不幸論が面白い。

幸福論の自己欺瞞を鋭く指摘したあとに、人間の最終結末の死をとらえて
不幸論を書いている。しかしあくまでも幸福論の批判であって、
不幸論そのものを見すえて論じてはなかった。

しかし不幸を座視にして幸福論を批判するのは、逆に幸福論をより鮮明に
浮かび上がらせて理解するのに良い。
幸福の構造は
1、自分の特定の欲望がかなえられていること
2、その欲望が自分の一般的信念にかなっていること
3、その欲望が世間から承認されていること
4、その欲望の実現に関して、他人を不幸に陥れてないこと
特に1~3までの実現に4が生じてしまう。

幸福論というと、エピクロスの快楽主義が思い浮ぶ。
「人生において、面白おかしくしたい事をする事が全てに優先されるべき」
バランスが問題になるだろうが。

最近の幸福論としてヒルティやアランである。
ヒルティの幸福論はキリスト教の理想的なカタチ
・アランは内省ー解釈の仕方ー気持ちの持ちよう
集約するとこんなものだろう。

私の幸福論はやりたい事を見つけどれだけやったかという
達成主義である。それもあくまで自己欺瞞でしかないのだろう。
愛・知・力という3点に自分の目標値は決め、達成のプロセスが=幸福という
単純なものだ。しかし死を宣告された時にその達成感など何の支えになるかと
考えると、その前に粟粒でしかない。

この不幸論の一番気にいったところを抜粋した

ーだいたい、幸福論を書こうという人の動機が気に入らない。
彼(女)は、
・まずだれでも幸福になるという基本態度を押し出す。
・次に、この磁石の上に、自分の体験を重ね合わせて、幸福とは大それたもの
でないことを、それは考え方を変えることで誰の足元にもころがっているという、
壮大な建造物ー砂上の楼閣を創りあげる。

これは幸福教の布教にすぎないまやかしである。
幸福そのものが虚妄なのではない。
幸福そのものが、じつはあまりにも高いところに位置する。
幸福が安直に手に入ると思う事が、虚妄なのである。

各人の幸福は自分の五感で探すしかない。
そしてヤコブが砂漠で神と格闘したように、全身全霊でみずからの
人生と格闘した後に、とうてい到達できない事を知って、絶望するほかない。
こういうことを悟った者は幸福でない。
しかし、幸福という幻覚に陥っている者より数段マシである。
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以上がだいたい彼がこの本で貫いている主張の要旨だ。
私の今の気持ちー敢えて気持ちと書くーは以下である。
両親や身近な人の死に様や生涯をみて、
一生かかって何かをやり終えた人生そのものの判断を幸・不幸という言葉で
論じるべきでない。
それは酔ってる気分の状態を論じているにすぎない。
「酔って気持ちが良いか、悪いかの」
まあ幸不幸は考えないのが一番幸福だ??
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2002年01月06日(日)
292,システム・エンジェニアーSE

ソフトハウスの仕事の柱になるのは、SEである。
去年、下の息子がアメリカの会計系のコンサルタント会社に就職した。
勤めて初めての帰省で、会社の内容ー特にシステムー
を少しでも聞いてみた。あまり多く聞くチャンスがなかったが、
「仕事内容は実際何だ?」と聞いたところ、意外な返事であった。

会計を中心としたシステムの「システムエンジニア」であった。
なるほど!と思ったが、当然といえば当然だ。
会社の(システム)改革は、新しい進んだソフトを導入することである。

そこでハッとした、事業も考えてみたらシステム・エンジニアでないかと!
会社作りもそうだ。時代のニーズに対する、新しいシステム設計とそのカタチ
作り(業態)を起業というのでは?間違えていれば即座に破壊される。

GE のウェルチのNO1戦略も事業のシステム設計でなかったか?
設計会社も考えてみれば、システム設計が本来の仕事である。
この事は全ての事業に云える事でないか。少し飛躍した論になってきたが、
情報社会において、「システムとして選択と集中の設計」がもっとも大事な課題
であることは確かである。

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ある時間の断片
1月6日 1969年

10時起床。
食後、11時から16時までジャスコに出す論文の下書きを完成。
それにしても集中力が足りない。
構想力や文章力のなさに自分でも情けない。
絶対量の本を読んでなかったツケがこういうカタチになって出ている。

独りになる時間が少なかったのだろう。
その為に、独りになると逆に縮んでしまうのだ。
焦りと、動揺がここにきて出てきた。
リラックスをして自分をもっとしっかり見つめないとダメだ。

このように家に休暇で長く居れるのも、これが最後だ。
こうしてみると、やはり学生時代は人生で一番良い時だったのだ。