つれづれに -元旦

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 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=KT-w-YgfhSc


 明けましておめでとうございます! 
録画をしていた「朝まで生テレビ」を午前中みて過ごす。
自民党民主党や、経済学者など10数名が早朝に向かって議論する内容。
新聞やタブレットを見ながら聞いている分には面白い。
 
 今夜はささやかな家族で居酒屋で集う恒例の会。
年越しは、イタメシ屋の御節オードブル。私は早々、寝てしまう。
紅白は、この数年、再放送も含めてみたことがない。そのかわり格闘技をみたが。

 積雪が40㎝位になった。まだまだ降り積もるだろう。


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1002, 新年に思う
2004年01月01日(木)

 新年になった。新年の何ともいえない雰囲気が好きである。
神社に行ってお参りする習慣はないが、雪が積もってない時はお寺に墓参りに
行くことにしている。ただ坊様のところには、新年の挨拶は行かない。
 今年は、日本経済に関して正念場になる。閏年は、アメリカ大統領にオリンピックがある年。
国内では、これに参議院選挙がある。来年のペイオフを控えての銀行の大編成を避けることは
出来ない。参院選挙を終えた後に、大きな倒産が続くだろう。大手4行の合併問題とか、
地方銀行の倒産や合併が進むだろう。経済は更に一段落ちになる。

 そうそう甘い年ではないだろう。今年と来年は何とか持つのではないか、
むしろ2006年からだろうという説も肯けるが。
 今年の旅行は北極圏の「グリーンランド」と激安の何処かを、二回は行くつもりだが。
会社では、一年をかけて一棟を長期型ホテルに変更。和風ファーストフードを3軒のオープン予定?
二億近くの投資になるが、どうなることか。??億も、?+2億の投資も、ここまできたら同じである。
いずれにしても予断を許さない時代になった。

 国内で、テロやSARDが何時発生してもおかしくない。
新幹線で、もし起こったら窮地に立たされかねない。牛丼屋やハンバーグ屋や焼き肉屋が、
ある朝のTVニュースで突然に窮地に立たされる。
テロやSRADというカタチで、自分に何時向かってくるかは解らない。

 ある地元の会社の二代目が社長になって、新任の挨拶に来た。
本人曰く「挨拶に回っていて誰一人として、おめでとうと言ってくれる人がいなかった」
もちろん私も「おめでとう!」など言えなかった。1000人の従業員を抱えて如何するのだろかと
いう方が心配であった。今、フリーの状態で、その規模の会社を引き受けるか?と言ったら
誰もがノーというだろう。年末に日航の子会社のリネン会社を買収と新聞に大きく載っていた。
攻撃するしかないと記事に載っていた。時代は変った。
 激変な時代、舵取りはそう簡単にはいかなくなった。時代は氷河期に入った。

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2003年01月01日(水)
628, お正月の意味

今日はお正月、その意味をインターネットで調べてみた。
お正月の意味はお正月さま、年神様という先祖の集合霊をいう。この霊が各家に帰ってくる。
12月13日は家を祭場する準備のすす払いの日という。門松は神様の依り代で、神様が何処に
帰ったらよいかの目印。
お雑煮は帰ってきた神様に供えたものを下げて一緒に食べるごった煮をいう。
その餅に宿る霊魂をお年玉という。今はお金を貰うことだが本来の意味は先祖の霊魂をいう。
子供の頃一家揃って年末の御参りをしたのも、年始参りもその為だ。
歳暮は、お正月に親元や実家で神様と一緒に食べる為に持ってくる酒や食料をいう。
そういえば、旧家などで貰うお歳暮は貝柱だったりする。お盆も同じように先祖を迎え入れる行事。
その準備を始めるのが七夕だそうだ。何かいつも何気なく過ごしている中に先祖崇拝の風習があったのだ。
日本的風習の中に盆暮れに実家に帰省をして仏壇参りやお墓参りは良い。最近は海外旅行に変わりつつあるが。

ホームページのサイトをサロンに載せてある。
  
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2002年01月01日(火)
287、リセットの年

今年のキーワードは「リセット」と,年末に挨拶に行った銀行支店長が言っていた。
実際のところそのとうりである。
21世紀的なものへの、変わるべきところへのリセットである。
自分自身に対しても同じことが言える。世界、日本にとって政治経済で白紙からの
出発の年といっていい。その背後は情報革命の本格的影響が本流になってきたためだ。
何を変え、何を更に充実すべきかよーく見きわめなくてはならない。
ここで一歩間違うと、とんでもない事態に陥ってしまう瀬戸際の年である。
まず変わらなくてならないのは、自分の脳からであろう。どう変わらなければならないか、
新年じっくり考えてみる。やはり個人はホームページの充実、会社も社内ネット化とHPの充実である。
あとは今の事業の棚卸である。

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ある時間の断片
1月1日  1969年

8時起床。食後、あと一寝入りをする。
11時過ぎに、実家の店の佐藤さんが新年の挨拶にくる。
その後、事務所の女事務員が数名挨拶に来る。
また、近くの分家の堀井明ちゃん夫妻と従妹のまり子ちゃんも来る。
相変わらず可愛い。彼等と裏に住む姉の正子さんの所に行く。
一時過ぎまで、まり子ちゃんと話をする。小学生までに私のアイドルであった。
母屋に戻ると、会社の五十嵐君が新年の挨拶に来る。彼は小学校の同級生だ。
兄の三郎さんと三人で酒を飲む。
その後、父と二人でお寺三軒を新年の挨拶に回る。また裏の姉の所に遊びに行って、ボンカルタをする。
夕食後、TVを見ていると二番目の姉の旦那の弟で、長岡高校の同級生だった花井衛さんが遊びに来る。
彼とはいやに気が合う。一年に一度は何処かであっていた。二時間以上、積もる話をする。
彼は松下電器に入社予定だという。隠れた逸材である。彼も社会にでるということで塞いでいた。
同じなのだ。
今年は社会への門出の年でもある。今日、衛さんに「何か言葉にとらわれている」
と注意された。揚げ足取りをしている部分だ。気をつけないと。