つれづれに

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 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=MOiyD26cJ2A

  一昨日、「007シリーズ」をみてくる。 90点。
「何があっても当人は大丈夫」という前提で見ているから面白い。
今年も多くのシネマをみたが、回数を調べると・・・ 後は、閑話小題。
 
 まだ年賀葉書を書いてない。今日明日中に出さないと! 




993, 「魔女は夜ささやく」ー読書日記
2003年12月23日(火)

 長編小説を読むのは久々である。 一昨日家内が親戚の葬式で不在であったので、
一気に読み終えてしまった。 「あ~面白かった!」というのが実感の言葉である。
 新聞の書評で激賞をしていたのを読んで、早速インターネットで取り寄せた。
 新幹線の中で読むことにして、約2ヶ月かかった。 上下800頁で、読みがいがあった。
 初めから一気に緊迫場面の連続で、ロバート・マキャモンの世界に引き込まれてしまった。
 主人公の青年マシューの真実を追究する姿勢は好感が持てた。
 一人の青年の成長過程をみるようで、読み終えて爽やかさが残った。
 
 内容は
 18世紀直前の植民地時代のアメリカ。
主人公の青年マシューは、判事の書記として魔女を裁判にかけるため、入植地に向かう。
そこで魔女として牢に入れられている美女の無実を実証しようと必努力を尽くす。
詳細はインターネットで調べたものを後でコピーするが、登場人物を一人一人丁寧に描いている。
最後の最後まで息をつかさない作品であった。歴史の暗部を引き出し、それでいて内容は息を
つかせないエンタテインメント仕立てである。次の小説を何にするか探し始めたところだ。
トマス・マンの「魔の山」か、それとも買ったままでまだ読んでない本か。
ーー
以下は、インターネットで検索した内容紹介を幾つかをミックスしたものである。
 ー内容
 17世紀植民地時代のカロライナ、史上悪名高いセーラム魔女裁判の噂も消えぬその7年後、
雨の降り続く原生林の中を、親子連れとも見える二人の男が馬車で通り抜けようとしていた。
年長の男ウッドワードは判事であり、20歳の連れマシューはその書記である。
彼らはチャールズタウンから新興開拓地ファウント・ロイヤルに「魔女裁判」のために
派遣されるところだった。判事一行は世にも怪しい旅籠に宿泊、一気に緊迫シーンが展開する。
その中で、二人の背景や来歴なども明らかになっていく。導入部が伏線になって重層的な
仕掛けも楽しませてくれる。悪魔とまぐわうみだらな姿を目撃された上に、家の床下から
呪術の藁人形が発見されたことが動かぬ証拠となって逮捕された「魔女」レイチェルは、
夫と司祭を切り裂いて殺害したという。
おびえる住民は次々町を去り、町長は一時も早い裁判と処刑を望んでいた。
闇と迷妄、そして欲望の渦巻く中、その生い立ちゆえに「理知」を武器とせざるを
得なかった青年が、愛と正義のために挑む孤独な闘いの行方は…。
 
 判事に限らず植民地時代ということで、入植者の多くはなんらかの過去を背負っている。
「約束の地」を見いだそうとした者、「インディアン」を追い払って広大な土地を手に入れる
ことを目指した者、欲望は常に犯罪の動機となり、弱者が「魔女」に選ばれる。
 主人公の新大陸生まれの若い書記マシューと、魔女は見え見えの冤罪。
証言はすべて美女レイチェルが犯人、少なくとも悪魔と交歓したことを告げている。
孤児院から判事に「拾い出された」マシューは、判事に恩義を感じながらも、きわめて
独立志向の強い精神の持ち主である。彼は美人人妻のレイチェルの姿に惹かれながらも、
それは魔女の誘惑なのか真実のイノセンスなのか迷い続ける。
折しも判事は沼沢地帯の気候が災いして病に倒れてしまうが、マシューの孤独な捜査が始まる。
 最後にはシリーズ化の含みまで持たせている。
 こういう分野の小説をじっくり読んだのは初めてであった。また新しい世界を見つけたようだ。
 
・・・・・・
2002年12月23日(月)
619,パタゴニア旅行記ー6

今回の添乗員が過去の添乗員の中でベストの人であった。大手銀行のリストラ組で、
その後事業を起こして失敗をしたそうだ。バックの力と自分の力の差を読み違えたと言っていた。
「バックとは何か?」の問いに、資金力と答えた。それにしても知識量と見識の高さに驚いてしまった。
これで添乗をどん底で経験すれば、人生という意味で大きいものを掴むことができるのではないか?
そう甘くはないが。前回は南アフリカ、今回の南米のパタゴニア、次回はウイーンの新年の恒例の
ウイーンフィルの観賞の添乗だそうだ。
仕事はテキパキとかたずけるし、質問には何でも完璧に答えるし。凄い人がいるものだとつくづく
感じ入った。特に英語がぺらぺらでイギリスに長年駐在していたようだ。
リストラでこういう人が多く職を失ったと思うと経営者の責任も甚大とつくづく思う。
話しが違うが、秘境の旅で一人参加の人が多い。そのエネルギーに驚かされるし、
何か余白を埋めに来ている人が多い。ある人が何気なく言っていた。[[帰ったら死ぬ心配をしなくては!
いろいろの問題を引き出しの中にギュウギュウに押し込んで出かけてきた。
帰ったらそれが待ち構えている」人生の圧縮された言葉だ。

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2001年12月23日(日)
278心の開放のために!

心の開放のために!-何からの開放????かんがえてみよう!
「心を自由にする為に!本当に自分がしたいことを見つけよう。
これが一種の瞑想だ。これを探し出して、明確にしてそれを推し進める事が
本来の人間の姿だ。それが本来の価値であり、価値観といえる。」
記にコピーした要旨である。瞑想の意味が今ひとつ解かってなかったが、
逆に自分探しという意味で説得力があった。「仕事人間」を馬鹿にする風潮があるが、
本人が本心に楽しければ第三者の批判外である。自己実現こそ心の開放ということか。
何事も考えているだけで解からない、やはり積積的にやってみて初めて解かるものだ。
私が好きなのが早稲田教授のエジプト等の遺跡発掘の吉村作治氏である。
3年浪人して早稲田に入り好きなエジプトの発掘に自分の全財産を全人生を投げ込でいる。
家族の生活費は大学からの収入で。タレント活動の収入は全て発掘活動に使う。
8000万だそうだ。それを種にして寄付等を願うと、その事実の前で4~5億の金が集まるという。
「タレント教授」といわれても、本人は手段と割り切っているから「そのとうり!」と開き直っているのがいい。 
大橋巨泉の生き方とレベルが違うと思う、それは私の価値観か!
・・・・・
H6/09ーコピー
自己実現のために-日下公人
心を自由にするために、こうするといい。自分は何が欲しいのか、どうすれば
幸せに感じるのか、人の寝静まった深夜に起きて、紙を広げて7つ書いてみなさい。
そしてそれに優先順位をつける。終わったら忘れて寝る。翌日生活していると、おりにふれて思い出す。
友人、知人、有名人の言動をみて「あの人は自分の欲望の3番目をやっているな」とか。・・・
そうしたらl「実現の手段を考えよう。そして実現しそうなことより実行しろ」と。
実行の優先順位をつけたら、ほかの事はやらなくていい。
そうすると他の人の話が生き生き自由に聴けるようになる。こういうような作業は一種の「瞑想」です。

・・・・・・・
12月23日 日曜日 1968年

11時過ぎに起床。
午後はTVを見たり、本を読んだりして過ごす。21時過ぎに永田さん等が寮のOB会の忘年会の帰路に寮による。
高橋の部屋で飲み会にでてこいとのこと。そこで飲んだ後、近くの「ヤマ」という居酒屋で飲む。
一年先輩の衛さんが隣でチョッとしたことで私に怒り出す。初めは何とも感じていなかったが、
怒りが途中からわいてくる。「あまり他人のことに関心をもつな!」と、我慢をしていたら涙が出てきた。
OB会で私の批難をしていたのだろう。この連中をみていると、まだ学生という臍の緒が抜けてないのだ。
情けない!恥を知れ!卒業をしたら当分は一切の友人と付き合うなということが解かってないのだ。
それも元いた学生寮に入り浸っている姿は最低だ。すっと抜けだして帰ってくる。自分までが情けなくなってくる。
結局何なんだ、自己逃避でまだ学生時代の寮から抜けきれないのだろう。
こんなものだ。

ー2003・12月23日 後記ー
 5~6人来ていたOBのうち二人が政治家の秘書をしていた。一人は未亡人の愛人でお金を貰っていた。
後で聞いたが二人とも県会議員をしているという。何か聞いていてゾッとした。恐らく、変身したのだろう?!
この程度の人が実際のとろの政治家(屋)になっている。ただ、政治家志望の渇望はすざましかった。
この寮の出来事を小説にしたら面白いだろう。馬鹿馬鹿しくて書けない事を脚色したら、
その馬鹿馬鹿しい事が味付けになる。地方出身の鬱々とした男達と、そこの出入りする
近くの女子寮の女子大生や、ホモや、政治ゴロが織りなす赤裸々な私生活だ。
書き残すということは、やはり必要である。魂?心の軌跡を残す事になる。