つれづれに

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 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=5N9t5qOSzCU


 韓国の大統領選挙、政権与党の女性議員が接戦で勝ったようだ。
女性ということで判断するのは、どうかだが、まじかに北朝鮮がある事態の中で
危惧をするのは当然である。東京をソウルとすると、大宮辺りに北との国境があるという。
韓国といえば、大統領の末路は悲惨である。今の大統領も、今後、汚職の罪か何かで
訴追されるのだろう。お国柄、姻戚か、同郷の人が利権を食荒らす風潮が、そうさせるようだ。



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1357, 23歳の日記ー7
2004年12月20日(月)
  * 1969年 7月17日
この会社で、もう何人から誘われたが、女の職場は厳しい。一人に振り向けば、その人以外は全てに
無視されるのが女性の職場である。地方のせいか、心の綺麗な純粋な人が多い。
また、声をかけてくる人は自分に自信がある人だ。目的がなければ、何人かが合格で?、
毎日が楽しい日々だ。それでは何故ここまで来たのか、意味がなくなる。
それと、学生時代の女友達と比較してしまう。妥協できない。武澤先生のいう、
学生時代に相手を見つけておくのが一番良い相手に出会う確率が高い、というのがわかる。
ただ、決めてしまっていれば、今のような気持ちでいれない。
  * 7月18日
今日、堀田君と女性に関してお互いに誓う
『女性に関して、お互いに流されないようにチェックしてコントロールする。』
早く妥協してしまいそうだからだ。彼も、動揺するような誘いが多いようだ。
全くもう、こんな異様な状況で神戸の元町のような場所に誘われて・・、自分が自制できなくなる。
荷物は持たないことだ。持ってしまってからではお終いである。それにしても、神戸も綺麗な女性が多い。
   * 8月9日
意のむくまま、文章を書いてみよう。9月になったら、1~5日まで休暇をもらうことにしよう。
最も効率的にすごす為には、学生時代に卒論を書く為に籠った新潟の六日町の雲屯庵に行くことにした。
そこで自分を見直してみるのもよいだろう。自分を冷静な状態にしておかないと、大きな落とし穴に
はまり込んでしまう。自分の目的が何だか解らなくなってしまう。こう文章を書いていても、
この境遇から何も見えなくなりつつある。同室に堀田君という同期がいるから、気持の中で支えがあるが。
あまりにも4ヶ月は変化が激しいし、刺激が強すぎる。自分を支える為にも、違う視点を持つ為に。
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2004年12月20日
ー感想記
文章に残すということは、良いのか悪いのか。読めば読むほど記憶としての糸口になるが、反省・悔悟の
思いがでる。35年前の反省をしても仕方がないだろうに。おそらく死期を悟った時、昔のことが走馬灯の
思い出され、反省と悔悟と、反面喜びなどの、多くの思いが重く軽く、嵐のように吹き荒るのだろう。
真面目な、世間知らずの?男が、高度成長期の時代背景の中で、あせっている姿がそのまま文章に出ている。
当時の心の傷が、そのまま今も残っている。心のままに書き残すことも大事なことだ。
それにしても、やはり異常な状況での体験であった。20~40歳代は、誰もがこんなものか?
それとも、やはり?人生は面白い!

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2003年12月20日(土)
990, 軽井沢の思い出ー2
軽井沢駅から少し歩いたところに「離山」という小さな山がある。麓から頂上まで一時間もしないうちに
登れる山で、独りで何回か登った。その頂上から見る風情は何ともいえない趣があった。
また別荘地の散策も面白い。歩いているだけで豊かな気持ちになれるのだ。
別荘と、そこの表札を見ているだけでも面白い。有名人や大手の会社の名前で占められているのだ。
それと一歩、別荘地に入ると殆ど人気が無いのもよい。一時期、都内の若い女性の間で「5千円族」というのが
流行ったことがあった。その金額で休日、軽井沢の日帰りコースとして丁度手軽だからだ。別荘地を散策して、
軽井沢銀座のウインドウショッピングをして、軽く食事をして5千円で済ますのだ。
早朝、街を歩いていると小奇麗な喫茶店が開いていて何げなく飲んだコーヒーが絶品だったことを思い出した。
いま考えいてみると、何処の湧き水と最高級のコーヒー豆を使用していたのだろう。
また「万平ホテル」もレトロ調で軽井沢にピッタリの雰囲気で、そこのレストランが美味しい。
ところで私の新婚旅行は軽井沢であった。挙式後、三浦さん夫妻と一緒に帰ったことを思い出した。
丁度30年前のことである。

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2002年12月20日(金)
616,パタゴニア旅行記-3
パタゴニアの印象といえば、氷河の他に遠くに広がる原野とアンデス山脈である。
アルゼンチンからペルーへの移動で見たビューポイントの左右の視界が270㌔もあるアンデス山脈
パノラマが素晴らしい。数千メートルの山頂なら幾らでもあろうが、少し小高い平地で三百キロに近い
景色が見えるのは想像を絶していた。アフリカで数十キロの視界の景色を見たときの驚きを今も
はっきり憶えているが、それがなんと数百キロの視界の景色を目の当たりに見たのだ。
世界は驚異に満ちていると実感した瞬間であった。
秘境系の旅行はこういうチャンスに満ちているのがたまらない。世界の果てのマゼラン海峡
世界の果ての町ウシュアイア。そこから船に乗り、ビーグル水道に埋めつくすアザラシや
ペンギンの群れをまじかに見たのも鮮烈な記憶に残っている。人口十万のこの町で見た夕日の美しさも
忘れられない思い出だ。それと大型の野良犬があちこちに屯していたのが印象的だ。
厳しく貧しく派手さはないが、ある豊かさを感じ取った。ほとんど時代の変化に翻弄されることなく
地道に生きてきた逞しさからくるものであろう。

ペルーでは殆ど見ることなかったコンドルが多く見ることができたのも今回の印象であった。
小さいテーブルマウンテンに似ている山の岩壁に巣が多く作られていた。ペルーで見たリャマの一種の
野生のグアナコが身近に多く見れた。それとダチョウにそっくりの野生のニャンドウも印象的であった。
両者とも捕獲が禁止されている為に多く繁殖した。
その土地の景色にピッタリの動物が棲んでいるのも自然のなせる業だろう。

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2001年12月20日(木)
275、後回しー我が内なる無能性

後回しにして忘れ失敗した事を、誰もが数知れず経験しているはずだ。後回しは半分以上やらないことだ。
言葉の遊びになると思うが、「さき回し」もあるはずだ。準備はそれに似ている。
夢を持つことは、一種のさき回しになる。準備はものごとを上手くやる最大の秘訣である。
成功の功はネルという意味だ。練り上げ成すことが、成功という。準備・計画の練り上げが最も大切だ。
計画の練り上げ内容でほぼ決まってしまう。実行プロセスはあくまで、その手順レベルでしかない。
後回しはそのレベルと全く違う。ABC分析のCの後回しならわかる。それ全て含めて後に回す。
無知無能の習慣パターンだ。わかっている、それが致命傷のなることを。
そして今までそれで致命傷に近い失敗をした。それでも後回しにしようとする。
今の日本の姿そのものがこれだ。ここにきても更に改革を後回しにしようのたうち回っている。
社会主義ー官僚体制主義から抜けきれずに。
決断の後回し、いや決定の後回しといっていい。後で後で後で人生終わってしまう!
「全て定年後といって内の亭主何にもしないの!」と家内の知人が言っていると
いう話を聞いたことがある。それの究極だ。ブラックジョークにもならない。

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ある時間の断片

12月20日  
1968年
ーこの日の日記は空白でした。