つれづれに

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 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=mHdIjRHjnLc 12/6

 今朝も、外は大荒れの天気模様。 書斎も非常に寒い。
といって我慢ならないほどでもない。南極の越冬隊員のような厚い
ジャケットを羽織っているからもある。それより腰のホッカイロと
電気アンカが効いている。赤外線の電気ヒーターは、あまり効果がない。

 




976, 新婚さんいらっしゃい ! -2
2003年12月06日(土)

この5月に、このテーマで書いたが、再び書く。
 人間関係の、いや人生の凝縮が結婚と親子関係である。特に結婚は全く違った人生を
生きてきたもの同士が、一つの家庭の中で生活をするのだから大問題が生じて当然である。
まずは二人だけの権力闘争がはじめるのだ。そして、底知れないドブ沼が二人の間にできてくる。
 その入り口に立った二人が、熱にうなされ発情している状態が面白い。
また‘我まま’丸出しの女が出てきて、男を奴隷のように扱っている姿を見ていると、
その男の中に自分の姿を見ているようで、我を忘れて感情移入をしてしまう。
 先日みた番組では、週の小遣いが500円という。500万円の収入があるのに、
月に2000円の小遣いである。「何で、そんなに少ないの?」と桂三枝の質問に
「貯金が私の趣味なの!」と答える??女の答えが可笑しい。
亭主の昼飯が月曜日から金曜日まで「かけうどん、かけうどん、かけうどん、かけそば、かけうどん」
というから、凄いものだ。本人はやせ細っていた。旦那が小遣いの値上げを懇願していた。
せめて5000円というなら解るが、900円で喜んでいた。

 また数年前になるが、パキスタン男と結婚した女は亭主を奴隷のように扱っていた。
まあ「愛の奴隷」のうちはよいが、「人種差別」による奴隷のようだった。
この時も月に2000円か3000円であった。さすがに会場から怒声が聞こえてきた。
 番組みの関係上、下ネタを明け透けに話すが聞きなれてくると「いやらしい」感じない。
それにしても新妻?が恥じらいもなく話すのには驚いてしまう。
書いていて気がついたが、この番組みの主役は新妻だ。
「高校三年生」を聞いて育った年代としては、女性の変容に時代の流れを感じる。

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783, 新婚さんいらっしゃい ! -1   2003年05月27日(火)
 テレビ朝日系で毎週日曜日の13時に放映している。
桂三枝山瀬まみ、が司会をしているトーク番組で、2組の新婚をゲストとして招き、
新婚秘話や、なれそめや、おのろけを桂三枝、山瀬両司会が引き出していく。
恋愛のパワーのエネルギーが直接つたわってくる。人間の原点や、それぞれの人生が
結婚というプロセスで見えてくる。時には際どい下ネタが出てくる。
 この番組を見はじめて30年以上が経つ。軽いのりで時代背景がそのままでるのがよい。
周辺のいろいろな結婚を見ているが、全国レベルの変わった結婚のカタチが面白い。
 先日のケースの「拾った男と結婚した」というのが面白かった。
17歳の家出少年を一歳年上の女性が拾って、カラオケにいって、そのまま部屋に泊めて、
成り行きで結婚したケースであった。捨て犬を拾ってきて、飼っているという感覚である。
いろいろあるものだが、結婚は人生の私生活という面で大半が決まってくる。
結婚相手レベルが自分であるといって過言ではない。
幸せを笑いで祝っているのだから、本人達、放送局、視聴者の三方両得になる。
 
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2002年12月06日(金)
602,ある時間の断片-16
            1968年 10月6日  日曜日
朝10時半に起床。
部屋の大掃除後、洗濯屋に行くため部屋を出ると、大妻女子大の5人と出くわす。
この前に来ていた人もいた。彼女たちの会いに来た相手がいないので、
私の部屋で一時間ほど過ごす。昼飯後、風呂に行ったり、音楽を聴いて時間をすごす。
夜半の12時に永田さん部屋にくる。何か自分中心で好感が持てなくなってきた。
自分のことしか見えてないのが嫌だ。のんびりした一日であった。

10月7日
9時半起床。10時半に学校に出発。ところが学校は休み。図書館もやってない。
校庭の4丁目にいると、クラブの加藤と古市と会う。彼等が変わっていたのに驚いた。
12時過ぎに石川と待ち合わせて会う。ウエストサイドで3時過ぎまで話す。
辛らつにお互いの批判になる。
自信過剰で、視野の狭い人間だといわれた。かなりこたえた。
その後本屋に寄り、寮に帰る。音楽を聴いていると、後輩の米林君がくる。
頭のよい吸収力のある男だ。明日から卒論のまとめの為に新潟の六日町の雲頓庵に行くが、
そこで大筋と構想をまとめてみようと思う。

石川についてー
かなり自尊心に傷をつけられた。もともとお互どちらが正しいとはいえない。
割り切って付き合わなくては。それにしてもこの自分の動揺はどういうことか。

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2001年12月06日(木) 261,ブランド品

ブランド品の定義ー
1、アフリカの土人の酋長と一族が身に着けたがるもの。
  それも不釣合いのノーコーデネート。   一品豪華主義の典型
2、それなりの金持ちが、社会的体裁の為に飾り立てる小道具。
3、キャリアのブスの中年女がこれ見よがしに身に付けたがる。
   -野村監督の奥様。スナックなどでも時時いる金ぴか女?
  ブランド痴呆女というところか!
4、自分のセンスに自信がない人の印籠代わりの小道具。
5、家具から、身に着けているも全てコーデネートして初めて
  意味のあるもの。したがって大金持ちの贅沢遊び!
  収入が年間何億のレベルの人種のステータスシンボル。
  したがって一般の人が買うことは、金持ちコンプレックスの
  低脳を披瀝していることと同じ。

 一時凝っていた家内が突然買うのを止めた。その意味が解ったのだろう。
 アジアの黄色人種が身に付ければ、エテコウのお笑い!
 それが旅行を重ねているうちに気づいたようだ。
 
 飛行場とか、ツアーで連れて行くショップのブランド物は2~3年か
 それ以前の「投げ捨て商品」。その筋のシンジケートから「
 売価の一~二割の原価」のしろもの。ハワイの飛行場で確か売上の
 6割か7割の家賃を取っていることでそれが公になった。
 その事は20年以上前から、知っていた。
 
 大手の代理店がそれを熟知、一時かなり稼いでいた。
 黄色のエテが群がっている姿は、西欧人の軽蔑の対象であった。

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12月6日   1968年
朝7時半目覚まし時計がなる。しかし起きることが出来なかった。
やっと10時過ぎに起きた。タクシーで学校へ。11時20分にやっとのことで、
食事をしてゼミの「工場見学」に、時間ギリギリで間にあう。新宿から京王線で府中へいく。
NECの工場だ。事業所長の説明後、工場の見学だ。アカデミックな感じがした。
雰囲気が知的で、コンピュータが部屋せましと並んでいた。
16時から、工場所長と人事部長補佐など数名と労務管理について話し合う。
積極的に話したのは、石川・田島・植本君の三人であった。
それに質問者の横井さん以外誰も無口であった。18時から腹がすいて苦しかったが、
19時に天丼がでる。19時半に終了。その後マイクロバスで府中へ。
解散後、田島と河村と三人で井の頭公園へ行く。それから荻窪へ行って、喫茶店で話をする。
田島がよく話す。彼は先まで一緒だったゼミの石川に腹を立てていた。
彼が10月頃から大きく変わったと言った。彼は「寂しい、ずるい、ゆわい人間だ」と指摘していた。
いま私が感じていることを,そのまま言葉にして田島が言ったようだ。
ゼミの個性派同士の対立というべきだ。おとなしい河村も石川を否定したということは、
彼はやはり異常と言ってよいのだろう。人間性が崩れているというのが、共通項であった。
自分で墓穴を掘ったのか、自己の創造性を見出したのかは判断できない。
何か話していて、その姿が自分の姿でもあることに気がつく。