つれづれに

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今日のYouTube
http://www.youtube.com/watch?v=kdfJ8TS61SA&feature=related

天気が一日一日と大きく変化する。
衆院が解散をして選挙一色になってきた。
週刊誌の予測では自民党一党で過半数を超えるという
予測があるが、それほど伸びないと思うが、どうだろう。

 中国も、欧州の経済危機の影響もあってか急に変になってきた。
その矛先が日本としても、日米と真面に対峙するだけの力はない。

 相撲も、例の大騒動で、多くの力士が入れ替わった御蔭で、
若いのが出てきて面白くなってきた。しかし改革とかは、元の通りで
やる意思はないようだ。結局は、民間の興行団体になるしかないのか。

 現在使っているパソコンのiMac、あと少しで5年になる。
そろそろ、二台のうち一台は入れ替えないと。あと一年は、使えそうだが、
売り場で見たところでは、デスクトップも、ノート型も、タッチパネルに
なっていて、キーボートと両用できるもの。それとTVとスマートフォン
連動しやすくなっていた。 5年じゃ、大きく変わるはずだ。
 来年の四月あたりに一台購入か。それとも、タブレットがあるので、
可能な限り引き伸ばしていくか。一日、4時間は使うものなので、どうするかだ。
 
 前のパソコンを五年以上使っているのを知人が見て、
「パソコンは、三年で無条件で変えるべきもの。何をしているのですか」
と言われ、このiMcに切り替えた。そして、納得したが、それからすると、
切り替えどきになる。とにもかくにも、年金暮らしでは、以前のように
気楽にパソコンをきりかえることに躊躇する。


今日の同月同日のカット分
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1330, ワインの話
2004年11月23日(火)

昨夜は、兄夫婦に誘われて、ボジョレー・ヌーボを家内共々飲みにいった。
兄の友人が金欠病でドロップ・アウトの代理に誘われたのだ。
盆と正月以外、あまり飲む機会がないので丁度よい機会であった。
しかし空きっ腹のためか、かなり泥酔をした。いつものことだが。

ワインといえば、海外旅行の機内で無料の極上のワインが飲み放題。
そのためワインにはうるさい?月に3~4回、自宅の至近距離のイタ飯チェーン店の
『サエゼリア』のワインを飲んでいる。これが安い割りは美味しい。
さらに2Lのワインのパックを今年になってから冷蔵庫に入れてある。月に一本の割合だが。
世界各国のワインを飲んでみたが、ワインといえばオーストリアである。
十一月十日は、ウィーンで最も“古い酒”を飲む日である。ボジョレー・ヌーボは新酒だが、
ウィーンは古酒だ。その古酒とは、前年の秋に収穫されたブドウで造ったワインをいう。
翌日の十一日からは新たに収穫されたブドウで造ったワインが出回る。
この新酒のことを「ホイリゲ」といい、こうしたワインを出す居酒屋も同じ名で『ホイレゲ』と呼んでいる。

 「ホイリゲ」の歴史は結構古い。一七八四年、皇帝ヨーゼフ二世がウィーンのワイン農家に
「年間三百日を限度として、自家製ワインを売ってもよろしい」というお触れを出したのが
始まりとされる。毎年、十一月十一日の聖マルティン祭の日に樽(たる)を開封し、
向こう一年間、その年のホイリゲとして飲む習慣だ。
 ベートーベンが長く住み、交響曲「田園」などを書いたウィーン郊外に、ホイリゲは点在する。
店で「ホイリゲ」を注文すると、たいていビールジョッキを小さくしたようなコップに入った
白ワインが出てくる。味は酸味が強く、こくはない。しかし、サラミやハム、ウィーン風カツレツ
などをつまみに飲むとうまい。炭酸水で割る飲み方もあるようだが、これはあまり美味くない。

 八割以上のホイリゲが家族だけで経営している。すべて自家製ワインだから、
各店とも独自の味を持っている。店ごとの、ワインの味比べもホイリゲの楽しみの一つだ。
そこで弾き語りの歌を聞きながらワインを飲むのだ。そういえば、、学生時代に友人数人と
『ホイレゲ』に行ったことを思い出した。それまで、ワインといえば「ポートワイン」しか
飲んだ経験が無かったため、その美味しさに、グラスで7~8杯も飲んで全員腰が立たなくなり、
タクシーに這うようにして乗って帰ってきた。さらに、部屋で買ってきたボトルを飲んで目茶苦茶。
今考えてみると酒癖が悪くなった原点が、そこにあったようだ。

この8月末にも行ったが、当時と殆ど変ってなかった。
弾き語りが何ともいえない雰囲気をかもしだしていた。
話は変わるが、ブランデーのできた由来が面白い。
輸出用に一度水分を抜いて、濃度を高めて輸出していた。
ところが、それをそのまま飲むのが流行ってブランデーという飲み物ができたという。

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2003年11月23日(日)
963, 「コーリング」ー映画日記

レンタルショップから借りてきたDVDの映画をさっそく観た。
ケビンコスナー主演である。後にインターネットで調べた内容をコピーしておきます。

まずは私の印象を書いてみる。
 ー感想記
キュープラー・ロスの「死の瞬間」の内容がベースにある。
臨死体験をした子供を通して事故で死んだ妻からメッセージが送ってくる。
といって最後の最後まで、そのメッセージが何であるかが隠されている。
そしてそのメッセージの内容とは。その思いもかけない結末が、それまでの暗い
不可解なストーリーが全て「最後の感動の仕掛け」であったことに初めて気づくのだ。

妻は、ある未開の地で事故で死ぬ時に自分の死の換わりに子供を生み残していた。
それを知らせようと医師である夫の主人公に、病院の臨死体験をした子供を通して
メッセージを与えていたのだった。最後の最後の一瞬まで、そのメッセージが観客には
解らないようにしてある。「自分の子供が未開の土地の部落にいる事実」を夫に知らせたかったのだ。

今回初めて解ったことだが、「虹」が死者のメッセーの一つであることだ。私の場合、
親戚の人の死で「虹」に多く出会う。不思議と思っていたが、やはり何かあるようだ。
ー義父の死、叔父、叔母、など7~8回は虹に出会っている。
  
 ・・・・・・・
ー以下はインターネットで調べたものであるー
ーストーリーは
 最愛の妻エミリーを事故で亡くし、悲しみに打ちひしがれる主人公の身の回りで起こる
不可思議な出来事。それは彼女が生きていれば絶対に起こらないはずの奇妙なことばかり。
なぜだかはわからない、しかし、現実に起こる現象の数々に畏れながらも、
やがて主人公は思い始める。もしかしたら何か伝えたいことがあるエミリーが、
様々な出来事を通じて自分に呼びかけているのではないか、と。
 何かが起こるたびに、ジョーはそこから“何か”を読み取ろうと必死になるが、
その行動は周囲の人間にとっては、到底、理解に苦しむものでしかなかった。
孤独と不安を噛みしめながら、その答えを見つけるため、ジョーはひとり新たな旅へ出る。
エミリーへの一途な想いだけを頼りに…だが、その想いはやがて彼の運命を大きく変えるのだった。

 この世では理屈では説明がつかない、不思議なことが起こる。自分を辿る旅でこのことに
直面したジョーは、どんなに苦難を強いられようとも、自身に課した想いをひたすら守り続ける。
真心とも言える、その意思の力、すなわち<意志力>が最後には信じがたい力を蓄え、
やがて運命すらも変えていくさまをこの映画は描いている。

危険を顧みず、純情を一途に貫く男、主人公の医師ジョー・ダロウ役のケビン・コスナー
素晴らしい演技を見せる。その演技は『フィールド・オブ・ドリームス』での
シューレス・ジョーに熱中するあまり、アイオワ州のトウモロコシ畑を野球場に変えてしまう
情熱的なレイ・キンセラを彷彿とさせ、さらに円熟味の増した大人の魅力で観る者の心を深く打つ。
また、死んでもなおジョーに愛され続ける妻エミリーには『ランダム・ハーツ
のスザンナ・トンプソン、媒介を通じてエミリーがメッセージを送っているとの考えを
ジョーに確信させるシスター・マデリンには個性派女優リンダ・ハント
ジョー夫婦を暖かく、時には厳しく見守る隣人ミリアムにはアカデミー賞女優
キャシー・ベイツが扮し、物語に厚みを加えている。

 監督はこの作品には特別な思い入れがあると語るトム・シャドヤック
(『パッチ・アダムス』)。壮大なスピリチュアル・ワールドを舞台に、
感動的な人間ドラマを情緒豊かに描き切っている。『コーリング』は観る者を
神秘の世界へと誘うばかりか、一度は潰えてしまったあのときの想いをふたたび
胸に甦らせる―。「もう一度信じてみよう」そんな気持ちにさせてくれる。

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589, 癒しについて
- 2002年11月23日(土)

癒しはヒーリングの訳語だ。ヒーリングの意味は「本来備わっている自然治癒を引き出す事」
をいう。そうすると癒しの意味はそれを妨げているものを取り除く事になる。
人間の中の元々ある力を導きだす事だ。気安く癒しを求める事がおかしいといえばおかいし。
安易に傷を治したいというからだ。
甘い生き方を更に甘さで埋めようということでしかない。
垂直に自分を突きつめないでー軽く傷を治そうというのがみえみえだ。

更にゴッドマザーやゴッドファザーが出てきて治そうとするから傷が深くなるのだ。
このホームページに癒しのコーナーがあるのはいかなる事か?
笑って時間をやり過ごす為だー
傷ついた時や疲れたときの居酒屋の自分のコーナーのつもりだ。
生きていれば傷つくのは仕方がないことだ。
消毒をしっかりしてバイキンよけの薬を塗って時間を待つしかない。

感謝が足りないのが傷口を大きくしている。
縦の自分の関係が浅くなっているから、横の関係に惑わされるのだ。
垂直に自分を掘り下げるチャンスにすればよい。
深いところで変わらなくては、傷が治るわけがない。

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ある時間の断片
 
 1968年 11月23日(土曜日)
10時起床。洗面後、OB会に行く準備をする。
駒村のところに「多恵ちゃん」と、飯野さんが来ている。
佐藤のことだが、何か割りきりがつかない。
先日の件で陰険な抵抗にあっているようだ。
飯野さんは別に約束を破った私が悪いが、まあいいか。
佐藤とはこれで完全に気持が離れてしまったようだ。

ゼミのOB会の出席のため、高輪ホテルにいく。
14時半に始まる。
17時半に終了。
空腹に油系を食べたためか、気分が悪くなる。
先輩は組織人という感じで、魅力のある個性的な人はいない、
仕方がないが。
その後、高輪プリンスに行き、コーヒを飲んでくつろぐ。

そこで、ゼミの同期で親しかった石川がしつこくからんでくる。
最近無視をしていることに対する怒りだろう。
いま石川と妥協したら、お互いマイナスだ。
腹を立てないことだ。

その後、高木と三年生の三人と5人で、武蔵小山
「なつめ」というスナックに飲みに行く。
そのママさんが面白い。
千田敏さんという名のホステスもなかなか面白い。
非常に面白い時間を過ごす。
ホステスどうしの争いの大変に見えた。

0時過ぎに店を出る。
1時に帰寮、2時に就寝。
いろいろあった一日であった。