つれづれに

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今日のYouTube
http://www.youtube.com/watch?v=6YrPcHsohFI&feature=related 11/22bunn

 明日から、また三連休。 リタイアの身には関係ないが・・
駅裏からのメイン道路の拡張工事が表立ってきた。40年以上の
公共事業、完成したときには、別にあってもなくてもの代物になっている。
虚しく道路だけはご立派だが、近所は空地と、空家が目立つ。
それと老人ばかり、その仲間入りをしたのだから、他人事でない。

 来週は、東京で大学の同級会。12月の第一土曜日に日本橋の甘粕横丁の同級生の料理屋。
この三年間は続けて出席しているが、今年も出席予定。 去年は17名出席したが、
一人が亡くなり、一人が脳をやられて、右半身不随。他に、三重の男が亡くなったという。
大学の同級生は、死亡率が小中高校からみて、低かった、ここで始まったようだ。
ところで、その店はTVで馴染みの有名店で、甘粕の魚の漬物を多くのデパ地下に出店している。
最近、よくTVで紹介されていると家内から聞いた。 そこが料理店を構えているので、
まずいわけがないが、新潟の魚が美味いこともあり、際立った印象が無かった。
 もともと、新潟の魚が美味しいこともある。
一昨年、当時、家内が、有名店ということを知らないで、美味しいので買って帰ろうかというと、
「もったいない、絶対に買わないで」と、いわれた。 が、その後、TVで度々放送されるので、
それを忘れ、必ず買ってかえってこい」という。要は、ブランドにひかれただけのこと。
 去年も、ここで紹介した「魚久」「という店だが・・・ 地方に住んでいると話題が少ない。
   http://www.uokyu.co.jp/store/index.html




ー今日の随想日記カット分ー
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962, 「わ、金持ち!」
2003年11月22日(土)
 ‘不景気になるわけである’
今日からの3連休の時間つぶしの為に?昨日レンタルDVDショップにいって映画と
異種格闘技の試合などを3本、借りてきた。その時、前の中年の男の人が10本も借りて
2500円の支払いをしていた。今までみているのはセイゼイ3~4本である。
この話を家内にしたら「わ、金持ち!」であった。ご飯を食べていて、思わずムセテた。

「普段時間の無い人が、この連休に思いきって映画三昧を決め込もうという姿」
を家内に言ったのだが。主婦の視点は全く違うのだ。しかし、ただ驚いてしまった。
映画館で観れば一本2000円近くとられるが、自宅で見れば10分の1で済む。
そう考えれば十本は贅沢なのかもしれない。家内曰く「もともとWOWOWなどで
見れる映画を、レンタルでDVDも10本も借りるのは信じられない」という意味で言ったと。
私にしてみれば「居酒屋などの酒代から見れば、数倍も価値がある」と思うのは当然である。

 こういう時代は、異種の対象との価値が比べられる。
「レンタルDVDや映画館と居酒屋」「100円ショップとラーメン」「車とPDP.TV」
「本とDVD」「旅行と豪華な食事」等々である。比較される方にとっては大変な時代である。
 スナックのつまらない店より、レンタルのDVD10数本の方がズット面白いに決まっている。

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588, 服装は着る言葉です
            - 2002年11月22日(金)
本屋をのぞいていたら[[服装は着る言葉です」とある服装評論家の文章が印象深かった。
そこに更に他の評論家が「似合うということと、高い、新しい、華やか、流行とは無関係です」
と書いてあった。「どう着るかは人生をどう生きるかの自己表示である」というと、少しオーバー。
服と服装は違うという。服はあくまでパーツである。その組み合わせが服装という。
それもTPOSの場に合わせるので自己表示そのものといってオーバーではない。
ファッション店はそうすると情報産業そのものになる。「こういう組み合わせやパーツありますよ。
うちの店のこれで自分を表現したらどうですか」という情報業だ。

真っ赤な胸の開いた服ならさしずめ「私はさかりがついているメス」と自己表示している?
あのメスサルの尻の赤い状態である?若いうちから服装にもっと気を使うべきだ。中年の
きんきらのオバサンを見ていると、この人は若い時にそういう気を使ってないことの自己証明である。

大学に入った時に一番ショックだったのが服装であった。都会育ちの友人のセンスのよさに
コンプレックスを持った。一枚の開襟のシャツを何気なく着ているが、センスが違うのだ。
中学や高校時は制服でカジュアルを着るチャンスは全くなし。急に華やかな世界に投げ込まれても、
即席で身に付くものではない。言葉と服装に本当に苦労するのが当時の地方出の悩みであった。
今はTVやマスコミで均質化されているが。その為に、鈴屋や鈴丹という地方出の為の
女性のファッションチェーン店があった。今は鈴屋は潰れ、鈴丹は消滅直前だ。

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[235] 糸井重里のインタネット的 - 2001年11月22日(木)

 彼の著書の「インターネット的」が面白かった。
買おうとしていたところ、たまたま図書館にあったのを
借りてきて読んだ。買うほどでないが読む価値が充分あった。

 まとめてみると、
インターネットのキーワードが4つあるという
1、[リンク]ージョイント的のつながりとは違うという。
  ジョイントは‘問いに対する答え’のように交互の繋がりをいうが、
  リンクは問いに対していろいろな答えがある、それを有機的に
  つながっていくことが可能なのがリンクという。
  それぞれのホームページのお気に入りのコナーから、
  新しいページに行き、 そこからまた新しいページにリンクしていける。
  これがまず一番の特性。
2、[シエア]ーおすそ分け、情報の無条件の提供である。
  そうでなくては誰も見てくれない。自分の利益を考えることは大事だが、
  それを無条件に公開して与える。
3、[フラット]ーたいらー公平無名性に情報をやりとりすることが大事で、
  そこには肩書きも、立場も意味がなさない。
4、[グローバル]ー民族や国の枠を超える、世界的な視点になってくる。
 リンク、シェア、フラット、グローバルの4っがキーワードだ。

 自分でこういうホームページをつくって、何のためと自分で自問自答する
ことがある。自分の経験・体験・知識・考えを知らせる事と、問い掛けることである。
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 毎日目に見えない何人に向って,語りかけを実際しているように書く。
それには虚飾をすて本音で書かないと、すぐ看る方も書くほうも飽きてしまう。
本音で書き続けると、本音の中にある虚飾に気づくことがある。
 今までの日記(ノートに書いていた日記)より、深くなっていく部分と、
やはり観られている為に本音をカモフラージュしている部分が出てくる。
 また内容のイイカゲンさは排除しなくてはならない。
その為集中を自分に課せることが必要になる、これが最大の収穫だ。

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ある時間の断片
      11月22日(金)  1968年
・8時起床
 今日は人事管理に出席。
 ゼミの同期の外山君と食事。
 彼は新潟の三条市の同郷だ。おとなしく誠実な男だ。
 彼と行きつけの喫茶店の‘ウイーン’に行く。
 田島のグループがいる。
 彼らと口泡を飛ばして話し合う。
 奥野君も来る、彼は先日突然部屋に訪ねてきた男だ。

・13時にゼミに参加。
 ゼミの先輩で社会人になっている人が二人がきて、社会人になった
 実感を語る。
 その後マクレガー「企業の人間的側面」という本の内容について、
 読後感を各自発表する。
 15時に終了。その後、16時まで明日のゼミのOB会のネームのバッジつくりをする。
・帰寮後、大妻大の宮本さんから電話で昨日の件で
 1人いい人を紹介するという。かなりの美人だとか。
 冗談だったのに、まあいいや、なるようになるだろう。
・その後、市川さんと飲みにいく。
 夜半の2時に就寝する。