つれづれに

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 今日のYouTube
http://www.youtube.com/watch?v=328cRWmTB0o&NR=1&feature=endscreen

 昨日、今日と早朝のポタリング。寒さと腰痛で、この10日以上は休んでいたが、
少し寒いが、まだ我慢なる程度。 何か、朝の土手で爽快な空気を吸わないと、
毒が溜まったままの気分になる。 例年は、12月初旬までだが・・・

 





 ー 今日の随想日記のカット分 -

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2005年11月07日(月)
1679, 「自薦エッセイ集 魂の光景」-3
ー「メタモルフォーゼ」ー ?
   <意識の変容>
「意識の変容」といえば、夢であろう。 夢は裸の自分に出会うところである。
夢について今まで多く書いてきた。そして、その本質について深く考えてきたと思っていたが、
この文章を読んで疑問を持ってしまった。ユングフロイトを読み、実際に不思議な多く
体験をして意識の変容としての夢を冷静にみていたつもりであったが。
まずは、「自薦エッセイ集 魂の光景」 ー『メタモルフォーゼ』の章の
ポイントを書き写してみる。この著者は深く難しいことを何気なく表現するのがよい。 
ジャーナリスト出身だからだろう。
 ーーー    
"夢の形で何が現れるのか。少年時代からぼんやりと感じ、30歳代になってかなり意識したのは、
自分の内部に人気のない山奥の古い沼のようなものがあり、そのエメラルド・グリーンの静まり
返った水面下に、自分の体験だけでなく、両親とその先祖たちの何十代、何百年前にわたる同じ
一族としての、同じ民族としての、同じ人類としての経験だけでなく、哺乳類から爬虫類、両生類、
魚類、海中微生物時代の経験までが、深々と薄暗く沈みこんでいるらしい、ということだった。
そしてたぶん私の場合、他のまともな多くの人たちに比べて、その沼の水面の表面張力、
つまり意識と無意識との境の膜が、極度に薄くって弱いらしい、ということも。
  (字数制限のためカット10年11月07日) 
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2004年11月07日(日)
1314, まさか、地元で大地震!ー11
ウォーキングで、彼方此方みるうちに地震の大きさに驚いている。 
近くに避難所があることと、自宅の裏の空家に被災者一家が入居してきたことと、
一昨日の殿町の飲食街で、具体的な被害を見てきたこともある。
お客は閑散、店と客のボトルは殆ど棚から落ちて割れたとか。次々に廃業をしているという。
30分ほど歩いた所にSCがあるが、ゲームセンターは閉鎖のまま、隣接している玩具のチェーン店
「トイラザス」もやはり閉鎖のまま。ジョウシンという家電の全国チェーンも、痛々しいほど
店の商品はスカスカ。駐車場の一角に大きなテントを張って、壊れた商品を一時保管していたのを
みても多くの商品が破損したのだろう。近くのパチンコ店も閉鎖のままである。遊技場など
行く雰囲気でもないが。道路は、陥没のまま手がつけられてない状態。
アルファルトで応急処理をしてある道路も余震で再び陥没していたところが多い。
この地震で家の崩壊や死傷者が少なかったのは、建物が雪国用に頑丈に作られていたことと、
過疎地で人口の密度が低かったことなどで、第二次災害が最小であったためだ。
これだけの災害でよくぞ三十数人の死者ですんだのは、不幸中の幸いである。
新幹線も、雪国用の特別仕様のため大事故をまぬがれた。この地震の特徴は余震が異常に多く、
現在も続いていて、余震の地域が更に広域に広がっていることだ。
昨日のメルクマールでも書いたが、散歩途中で聞こえてきた農家の人の立ち話が印象的だった。
「丁度良い時期に、地震が起きてくれた。早ければ、稲刈りや農作物の取り入れに影響をしたし、
遅ければ寒さや雪で大変であった。 水害の跡片付けも丁度終わった頃だし」なるほど、
その通りである。大きなマイナスの出来事の中にも、必ずプラスがあるものだ。
これからの被災者の大きな問題は、普段の生活に戻れないことだろう。
一番変化に対応しにくい人達?だからだ。
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2003年11月07日(金)
947, 女の視線
田中真紀子は選挙になると、一番汚い服を着る」という噂が専らである。
なるほど、その同年代の女の視線を、彼女には解らないのだろう。所詮は票乞食に
ならなくてはならないのが代議士。もっとも選挙運動に綺麗な外行きの服も着ることが
できないが、パフォーマンスで着ているかは女の目には誤魔化せない。
目白御殿に住み、何不自由なく生きてきて、今更庶民派もないだろう。
   (字数制限のためカット10年11月07日) 
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573, 健康機器
- 2002年11月07日(木)
 以前ある人に「ニギニギ」を紹介されてから、散歩の時は必ず持ち歩き、
握ぎ握ぎをしながら歩いている。肩こりや目などに非常に良い。 数種類を持っていて
その時々に使い分けている。海外旅行の時など飛行機や移動のバスの中では、必ず手で握り締めている。 
ボチボチや突起物が付いており、それが手のツボを刺激をする。 足と目と手にツボが集中しており、
手が気楽に一番やりやすい。100円ショップに多くの種類が売っており、7~8種類を持っている。
 2週間ほど前に会社の近くの家電の量販店をブラブラしていると、磁気付きのニギニギがあったので
早速買ってみた。 (字数制限のためカット11年11月07日) 
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[219] 無駄な事なし
- 2001年11月07日(水)
 人生ふりかえってみて感じる事は[無駄な事は全くない]という事である。
ある程度燃焼してきたから、言えるのかもしれないが!全く無駄にみえる事ほど
ふりかえってみた時、一番重要なポインだったようだ。皮肉と言えば皮肉だ。重要な事は
ボロを羽織ってくるのだろう。老年にさしかっかた時、死と同じくらいの恐怖
「自分の人生これでよかったのだろうか?」という問いかけだそうだ。
ある本に‘自分の母が死ぬ時「私の人生失敗だった!」という言葉を残していたと
姉より死後に聞いて、立ち上がれないほどショックを受けた’という内容が書いてあった
。なにか非常に悲しい響きが残っている。母に「人生の元をとった?」と聞いたことがある。
「とったとった十分とった!」と嬉しそうに言っていた!人によって「無駄な事だらけ」という
人生もあるのかもしれない。人生にやはり意味を求めていないと、そうして精一杯生きてないと、
失敗だった?という気持ちになってしまうのだろう。無駄とはどういう事だろう? 
ある事業に失敗したとする、それをどういうように解釈するか?
自分の解釈で意味ずけをするかだ。 無駄にみえても、意味があると解釈するかどうかだ。