つれづれに

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 今日のYouTube
http://www.youtube.com/watch?v=exE_bhPBGKs&feature=related

 アメリカ大統領選挙、結局はオバマが勝つのだろうが、その結果で、
日本の政局も大きく変化する。 ロムニーは大の中国嫌いというから、
尖閣列島の問題などを考えれば、ロムニーでも良いのだろうが。
イスラエルも、どちらが勝つかで、イランの核施設攻撃の程度と時期を決めるのか。
それと、シリアで何が起きているのか。いずれアサドは暗殺されるストーリーだろう。

 


今日の随想日記カット分
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3114, つれづれに ー閑話小題 
2009年10月14日(水)

* 低反発マクラ
 最近、ニトリに行くと低反発マクラとマットレスが山積みになって多く並んでいる。 売れ筋なのだろう。
ということで低反発マクラを一月前に買って使っている。それが良いのである。マクラに関しては、商売上も敏感になる。
外国の一流ホテル?では、少し固めと、少し柔らかめのマクラが二つ置いてある。それを重ねると丁度良いのである。
その時々に柔らかいのを下にしたり、逆にして使う。 これまでは籾殻風の硬めのマクラを使っていた。
それに最近買った低反発マクラを重ねると丁度よいバランスである。これまでで一番良いあんばいである。
年内には低反発マットレスを買う予定だが、恐らく良いだろう。 ところで、この低反発マクラが良いので、
エンドに山積みになっていた特価品を買ってきて、バスタオルを巻いて縫い付けて座布団替わりに居間で使っている。
TVの前の卓上にパソコンを置いて、随想日記を書いたり、インターネットで使っているが、長時間にわたるために
結構腰に来る。 丁度、低反発クッションが良いのである。 低反発クッションとして売ってはいるが。
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* 最近の万歩計
20数年前から早朝ウォーキングを始めたが、15年前辺りから万歩計を腰につけて
年間1万5千歩を数年の間歩いていた。 毎日、歩数を手帳に書き込み週平均、月平均、累計月平均を書き込み
目標達成のために、晦日の晩まで必死に歩いたこともあった。しかし、途中から記録を録るのを止めた時から、
歩数が年々下がっていった。現在は一万歩を割っているだろう。 真面目に書いている間は平均が右下がりに
ならないようにするため、大雨以外は必死になって歩くことになる。 しかし最近は意識の中で
「一万歩を歩くように心かけよう」というだけになってしまっている。 そこで、再びノートに記録することにした。 
で、思い出したのがTVで放映していたデジタル歩行計である。 一週間分を記録をし、歩幅を打ち込んでおけば、
歩いたキロ数と、一週間の毎日の歩行の累計まで、記録をしてくれる。 更に3Dという機能があって、
歩いたかどうかをセンサーで正確に把握する。 以前の原始的なものは、歩いてなくても揺れただけで記録をしてしまう。
しかし今度のものは歩いた微妙な部分をセンサーが把握するというもので、実際に使ってみて、その通りであった。
「で、十数年前のヤツと大して違ってないのか、全く違うかって?」と聞かれたら、「もちろん、後者」である。
しかし誤差が1~2割違っても、大して変わりはないことも事実だが、正確で面白いものなら、長期的に使うだろう。
それより、一週間分の記録を残してくれるのが良い。 これも当たりである。
 
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2749, ソロスは警告する -2
2008年10月14日(火)
 「ソロスは警告する」 ジョージ・ソロス著  講談社
                         ー読書日記ー
アメリカ経済の終わりの始まり』などの著者の松藤民輔の解説の中の次の文章が、
欧米のエリートの意識感覚を言い表している。これがアメリカのエリートだけでなく、日本の官僚や、
エリートの偽らざる意識である。 所詮そんな意識とて、猿回しの芸を仕込まれたエテコウが一方的に
大衆をブタと決め付けているだけのこと。そのエテコウの舞い上がった演技で最悪の犯罪を犯したのが、
このサブプライム問題。 しかし彼らから学ぶことは「哲学と歴史を学び続けること」である。
歴史と哲学は最も重要な基本的な教養であるからだ。といって所詮あんなものかと、冷笑して学ばなければ、
ブタと言われた時に認めざるを得なくなってしまう。
 まあ、面白いから、一度は知っておくべき彼らの意識構造である。 世の中は差別で出来ているのです、
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ー松藤民輔(解説文)よりー
「オックスブリッジ」の歴史学科を出ているその人物は、 私たちに平然と「歴史を勉強していなかったら、
ブタだ(人間じゃない)よ」と言い放った。特定の人間を愚弄した言葉ではなく、ごく普通に口から出た言葉のように思えた。
これが世界の政治経済を牛耳るトップの感覚なんだなと、その時、私は痛感したものだ。
現実に、彼らエリートには彼らだけの標準である「共通言語」や「共通認識」がある。
そうした共通言語をもち、真のエリートたちのクインナーサークルに入れるごく一部の者だけが、
世界の大企業のトップとなって数十億円の年収をもらい、プライベートジェットでスイスのダボス会議に参加し、
「次の金儲けのテーマは「金融」から「エコ一にしよう」などという、地球の新しいルール作りにたずさわる資格をもつ。
欧米、特にヨーロッパでは、エリートになるための教養知性として哲学や歴史学は必須科目なのだ。
実際、どちらも彼らが己の理想や世界観を自分の言葉で語るのに不可欠な学問だと思う。・・・・・
一見、現実的な政治と観念的な哲学とはあまりにもかけ離れているようにも思えるが、実は、そうではないのだ。
あくまで私見だが、「私のようになりたかったら、哲学を勉強しろ。私のように考え、歴史から学べ。
そうすれば世界の政治経済に参加出来るエリートになれるチャンスがあるぞ」といったソロスなりのメッセージが、
この本には込められているのだと思う。だからこそ、彼の本は、欧米で、、明日のエリートの仲間入りを夢見る
多くの人々に読まれるのだろう。  さて、ここでまた一つ、厳しいことを言わなければならない。
それは「日本には真の意味で世界の"インナーサークル"に入れるエリートがいない」という現実だ。
これは戦後の日本がひたすら大衆国家の道を歩んできたこととも深く関係している。残念ながら、今の日本には、
数十億円もの年収をもらい、ダボス会議で世界のエリートたちから相手にされるような経営者はいない。
それは、これまでの日本の政治家、経営者に、世界のエリートからサークルの会員として認められるような
資格を備えた人がほとんどいないからである。
(哲学や歴史を学び、世界で起こっている出来事と関連づけて考え、さらには、その世界観を自分の言葉で語ることが出来る」。
それがエリートの道へのパスポートなのだ。 私がこの本を勧める第二の理由は
「ソロスのような欧米型知的エリートの思考法を身につけるのに格好の本」は、以上の背景による。
おそらくソロスは、市場の微妙な動きやデータを、彼の長年にわたる経験や独特の直感から「認知」と「操作」とに分類し、
瞬時に頭の中で判断しているのではないか。これは論理的というよりも、心理学で言うところの「内観」的ー自分の意識や
その状態を自ら観察することなどの発想法に近いと私は思う。本書でも明らかなとおり、若き日のソロスが熱心に学んだのは
一経済学『というよワも一哲学一や「歴史学」だった。哲学で知り得た膨大な知見を金融市場に応用し、
常に考.義けていくことで、彼は独自の直感を磨いていったのだと思われ、おそらく、ソロスの言動や発想や思考は、
ソロスの境地に到達しないと分からないし、短期間の学習ですぐに習得出来る類のものでもないだろう。
だが、たとえソろスでなくとも・ソロスのような「頭」をつくるためのトレーニングは出来るはずだ。
私が冒頭で、「ソロスのような天才投資家に不可欠な、"市場を読み解くための技を体得するために本書は最適の教材である」
と断言したのは、まさにこのことを言っている。 ソロスの本が欧米のエリート志願者に読まれる理由も一つである。
本を読んで非常に強く感じたのが、「エリート」としてのソロスの自負である。
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 以上である。アメリカ国民の大半が、金融機関の救済に反発するのは、この文章からも理解できる。
1929年の大恐慌のときは、千数百人を逮捕したというが、今回は無理だろう。
今回の大統領選挙で、それを選挙公約をした方が勝つだろうが、資金の出所が、そこだから絶対に無理 !