つれづれに

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 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=olKAaMilNok&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=xt7QY4lGnYg&feature=related


 梅雨も明け、本格的な夏の時節。、ロンドンオリンピックが開催され、
 二週間もしないうちに長岡花火が始まり、甲子園の高校野球が開催し、
 そのうちに秋になる。時節は人を待たない。その頃から、株式と国債の相場が
 変調するのだろうが・・・ シリアも内戦が本格化をしてきた。 ホルムス海峡辺りで
 何か不都合が起きる可能性も、その頃高まる。 オリンピックが終わるまでが
 何とか、ことが起きないのは? かなり危ない日が近づいてきている。

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2007年07月19日(木)
2298, とどまりたまへ旅人よ
   わきめをふらで急ぎ行く  君の行衛(ゆくえ)はいづこぞや
   琴花酒(ことはなさけ)のあるものを  とどまりたまへ旅人よ
  ーー
 藤村の、この言葉を若いときの自分を振り返って投げかけてやりたい言葉である。
「わきめをふらで」何を目指していたというのか?‘お前、何を焦っているのか、
もっと今・そこをみたら!’と。
時は戻らない、しかし、しかし!・・である。 それが青春なのだろう。
ただ、精一杯生きればよい!ということではない。
といって、精一杯生きなければならない時節もある。誠実に生きることだ、自分自身に。
そして、その時、そのことに。しかし、とどまっていては駄目な時もある。 
わきめをふらないで歩む時も! まっすぐに、歩かなければならない時もある。 
とどまることも、必要ならとどまることだ、琴花酒とともに。 
楽しんだら、酔いがさめたら、立ち去ることだ、それが人生だから。
  ーー
 島崎藤村 「若菜集」ー『酔歌』より
 
旅と旅との君や我     君と我とのなかなれば    
酔ふて袂の歌草を     醒めての君に見せばやな
               
若き命も過ぎぬ間に    楽しき春は老いやすし
誰が身にもてる宝ぞや   君くれなゐのかほばせは
 
君がまなこに涙あり    君が眉には憂愁あり
堅く結べるその口に    それ声も無きなげきあり
 
名もなき道を説くなかれ   名もなき旅を行くなかれ
甲斐なきことをなげくより  来りて美き酒に泣け
 
光もあらぬ春の日の    独りさみしきものぐるひ
悲しき味の世の智恵に   老いにけらしな旅人よ
         
心の春の燭火に      若き命を照らし見よ
さくまを待たで花散らば  哀しからずや君が身は
              
わきめもふらで急ぎ行く  君の行衛はいづこぞや
琴花酒のあるものを    とゞまりたまへ旅人よ
ーーー
▼ 最近、こういう歌に惹かれるようになってきた。 
  振り返るようになったからである、人生を! 
  少なくとも、人生に大きな悔いが無かったことが、すくいである。
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2005年07月19日(火)
 1568, 退屈について
退屈な時間を誰もが当然経験をしている。しかし一部の哲学者を除いて
退屈に対して真正面から考えようとしなかった。退屈といえばトマス・マンの
魔の山」を思い出す。隔離された療養所の中で延々と議論がつづくのだ。
過去の人生を振り返ってみると、暇で退屈な時ほど一番効果的な何かをしていた。
何かをやろうとする時は、意図的に空白時間を置く。ABC分析のAのことだけに
直面できるが、多くの手持ち時間を持て余す。それが、良いのだ。 
般若心境の[[空即是色]である。その退屈な時間に多くのことを考えることができる。
忙しくて仕方がないときは、ロボット的仕事ばかりをしていた。
暇な時間、いや退屈な時間という現象をもっと深く考えてもよいだろう。
携帯電話は考えてみたら、暇や退屈な時間を無くしてしまったのかもしれない。
「小人閑居して不善をなす」という言葉もあるように、退屈な時間に何をするかである。
退屈とは意味の欠如からくることが多い。何もすることに意味を見出せない状態が
退屈の状態であろうか。フランクルの「意味への意志」の欠如ということである。
反面、そんなことに全く関係ない、退屈の気晴らしの人生もよいのかもしれない。
いや実際、それが人生だろう。所詮人生は何の意味の無いことの上で成り立っているのか?
もし、そうだとしても、それで良いのではないか?
子育てに、家事に忙殺されている主婦に退屈はないだろう。また女性にとって
子育ては最も意味あることである。子育ても終わり、家事もマンネリになった時に退屈がでてくる。
そこで、次に意味を探すことになる。それを見出せないと、退屈が覆いかぶさってくる。
そして欝になる。欝はだいたい10?の人がかかるという。
欝体質の人はもっと多いだろう。まあ退屈紛れに、退屈について書いたが意味は深い。
「退屈の小さな哲学」という本を、図書館で借りてきた。まだ読んでないが、
この本の中に多くのヒントがありそうだ。
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2003年07月19日(土)
 836, 私のクレートジャーニー
ー<グレート・ジャーニーとは>
「人類は、400 万年前、東アフリカに誕生し、アジア、極北の地を経て、ついに 1万年前には、
南米大陸最南端のパタゴニアへ到った。 この 5万キロの大遠征をアメリカの考古学者フェイガンは
'GREAT JOURNEY 'と呼んでいる。関野吉晴氏が大遠征の道筋を、自らの脚力を頼りに、逆ルートで
踏査をした旅をTVで、数年間ドキュメントで放送した。私はツアーだが、今回のアラスカ旅行で
(シベリアの地をを除いて)点線で、グレート・ジャーニーをしたことになる。
ー少し強引な理屈付けになるが。
ケニアタンザニアから下は南アフリカ、西アフリカからモロッコ
 スペインを経て西ヨーロッパから北欧、ロシアのルート。
シルクロードのコースはエジプトからトルコ、イスラエル、ヨルダン、シリア、 
レバノンを経て、インド、ネパール、パキスタンウイグル地区、桂林、北京を得てシベリアへ。
・香港より南下するコースはベトナム、タイ、フィリッピン、フィジーからニュージーランドへ。
 ーまだ行ってないが、オーストラリアとイースター島に行けば南米へ行くコースも完成する。
・シベリアからのコースはアラスカ、カナダを通ってアメリカ、メキシコ。
 テーブルマウンテンのあるベネゼイラ、そしてインカのペルーへ。
 ブラジルのイグアスの滝を見ながら、サンパウロを通って、リオへ。
 アルゼンチンのブエノスアイレスを通り、ペルーへ南下をして最南の地パタゴニアに到着。
 一応コースは出来上がることになる。そうすると、残された地は東欧、カザフ、モンゴル、シベリア、
 オーストラリア、イースター島ということになる。しかし今回のアラスカで一応完成した感がする。
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2002年07月19日(金)
461,海外旅行のもう一つの難関
 今は殆ど気にならなくなったが、下痢である。 何とかなるものだが、
初めの慣れてない一回目の一ヶ月の欧州旅行ではあわやということが数回あった。やはり経験不足で、
食事制限とかポイントが解らないことからくる。大事なのはワンフライト(10~12時間)の機内食である。
飲み物はアルコールを含め飲み放題。時差も含め次々と食事はこちらの体調に関係なく出てくる。
それが美味しいときているから自制がきかなくなる。さらに気圧の関係で着陸後の2時間目あたりにくる。
お腹もパンパンに張っていたのが、元に戻って腸を刺激する。それに疲れと時差の関係で、
2~3日はおかしくなって当然。それを前提にして、機内食を制限したりして体調を整える。
一般的には、現地で出発の最低2~3時間前に起きてトイレにいき、朝食後の出発前に更に行く。
9割がたの人はそのようだ。そして到着後2~3日は、昼食後もいく。
これは時差の為身体が慣れてない対策だ。それとワンフライト目の食事、
いや機内食は3ぶん1しか腹に入れない。更に梅干を一日3個を食べる。これで大体大丈夫だ。
迷ったら人の目を気にせずドンドントイレに行くことだ。私の場合、お城の牢獄に入ると
どういうわけかオカシクなる。インドは9割以上の人が、かなりひどい下痢になる。
日本の薬では全く効かない。それと今回のスイスのように高度のところも危ない。
高山病は下痢と頭痛と倦怠が同時に襲ってくる。
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2001年07月19日(木)
 先ほど無事帰る。変化の激しい旅行だったが、満足の行く旅行であった。新潟の会社へ直接よる。
修理に出したパソコンを自宅に持ち帰るためだ。あまり国内は変わったことはないようだ。
おりおり旅行内容な書いていくつもりだ。