つれづれに

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 今日のYouTube
http://www.youtube.com/watch?v=nYS-KCw-Xsg&feature=related


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398, ゴリラは人間の隣人 ー1
2010年07月15日(木)
 ビートたけしと、ゴリラ学者の京大大学院教授・山際寿一の「ゴリラは人間の隣人」をテーマの対談が
面白い。山際寿一の「アフリカでのゴリラ研究の現地ドキュメント」を数年前にTVで見たことがあった。
   ーまずは、印象に残った部分からー
≪ゴリラと人間は97パーセント以上同じ遺伝子を共有しているとか。ならばゴリラが分かれば人間も分かる?・・
遺伝子かみると、オラウータン、チンパージー、ゴリラは「ヒト科」に属しており、人間に非常に近い存在。
サルとの差の方が遥かに大きい。 では、「人間と類人猿と大きく違うところは何か」というと、
人間は劇を作ること。類人猿のゴリラやチンパンジーは、劇を見ていても意味が分からない。
その中に入っていけない。劇中で、AとBという人間がいたとして、それぞれの行動を見ながら、
どういう思惑で、何をしようかと、劇中の人物に共感しながらみるが、しかしチンパンジーやゴリラは、
それが分からない。彼らは現実に起こった事実からあまり離れられない。
しかし我われは現実から離れて、空想の中でドラマを作ることができるわけ。≫
 ▼ ー以上だが、これは人間にもいえること。本を読み込んでない人は現実の世界から離れることができない。
 現実を形而下とすると、形而上の言葉の訓練がないので想像力や空想力が弱い。
小説を読むとは、文字から作者の創りあげたイメージの世界に入り込むことである。 
本を多く読み込んでいる人と、ほぼ読まない人とはゴリラと人間の差ほどがある、というと言い過ぎになるか? 
その位、本を読み、考えることは人間の人間たる所以。 人生設計を前もって作っておいて、
それに従い生きることは自分の人生劇を作ることになる。 必死に生きてきた人は、形而上も形而下の質量が
豊富になるので、言葉とイメージは、それに比例して出来てくる。ゴリラと人間の差は考え、イメージする質量が
圧倒的に違うということになる。情報手段としての言葉がキーワードということ。 街に徘徊するヤクザは、
ほぼゴリラの原型の世界とみれば分かる。時どき弱者を見つけてデモンストレーションをしたりするが、
他者への迷惑は、あれほどかけない。 ーつづく
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  * 三年前の同月同日の文章を振り返って考えてみる。
 本を読んで学ぶことできるかどうか、そして、他人の知恵を借りることが出来るか。 
言葉からイメージを感じ取り、自分に取り入れることが出来るかどうか、そして、そのイメージを連鎖して、
新たなイメージを作り、言葉に変えることが出来るかどうか。そういう面からみると、大方の人はゴリラに近い。 
とはいえ、イメージに縛られ一生を小さな世界に縛り付けているのも人間の性である。 人間も自分の知っている
範囲でしか、理解できないことも事実である。知らない向こうを知るためには、精神の逸脱が必要である。 
アルコールや麻薬を借りる方法もあるが、一般的には未知の世界へのチャレンジしかない。 
情報手段が爆発的、飛躍的にアップスケールした現在、それを利用すればよい。チャレンジ、その結果チェンジし、
新たの世界でコンペティション(戦い)をする。それしかゴリラから人間に移動する手段がない。