つれづれに

イメージ 1

 今日のYouTube
http://www.youtube.com/watch?v=mk7rkmSocFg&feature=related

 携帯電話からスマートフォンに情報手段が変わりつつある中で、最近、ユング
影を潜めてきたようだ。因果的であろうが非因果的であろうが、情報が直ぐに伝わる中、
意味ある偶然の一致に、さほど驚かなくなってきた。それでも、この世界は面白い。
ーーーーーー
3761, ユング ー 4
2011年07月13日(水)
 共時性とはシンクロ二シティの訳語で、ユングは、「意味ある偶然の一致」と言っている。
 (以下、次数の関係でカットしました。)
・・・・・・・
1195, 授かった不思議な力
2004年07月11日(日)
  ー鈴木秀子の本を何冊か読んだことがある。
先日図書館で借りてきた対談集を読んで、その中の臨死体験の話に興味を引かれた。
何かこの世には私の窺い知れない何かがあるような気がする。
何回か書いたことがあるが、私の場合何回か幽体離脱?の経験がある。
歳を重ねれば重ねるほど、「不思議」という言葉の奥行きの深さを感じるようになってきている。
私自身「自分の接した人の運勢が良くなる」話しは、かって聞いたことがない。
神憑りである、いや今風にいうと「上げまん」だろうが、これは結婚した場合である。
有能な右上がりの人は、周囲に似た現象が生じるだろうが、全ての人の運勢を
良くはしない。やはり、何かの特殊能力が臨死体験以降身についたのだ。
人間には、本来持っているが退化して隠れてしまった能力が多くなるような気がして
ならない。あるキッカケでそれが飛び出してくるのだ。
  -以下は、ある対談集を書き写しました。まずは、ごらんあれ!
ーー
臨死体験後、不思議なことがありました。結婚式に招かれて待機をしていたら、背広を着た人が
男性がいらして、「あなたのような人にようやくお会いできました」っておっしゃるんです。
自分は高野山の系統の住職で、生まれたときからひとを見ぬく特別の能力がある。
そして、あなたの授かったような能力を自分も欲しかったけれどもらえなかった。
どういう能力ですかと聞くと、大きな大宇宙の力が私を通って出会う人に伝わって、
どんどんその人の運勢が良くなる能力だというんです。
私も最初はその能力をまじめには信じませんでしたが、それだけ色いろなことが
重なると信じざるを得なくなりました。今では人に会うのが楽しみになりました。
そのたびに、その方の運勢がこれから良くなると思うと、人に会うのがうれしい。
だから生きていくことが、とても楽しくなったのです。ー
ー人間は地球上にみんなバラバラに住んでいるような気でいて、実は根っこでは
繋がっているということです。自分の手にたとえると良くわかりますが、
人は指の部分、見える部分だけを見てこの人の学歴がいい、お金があるって
お互い比較するんです。でも手のひらの部分、根っこの見えない部分では
平等で,全部繋がっているんです。
何が平等かというと,命をもらって生かされている存在であるということ。
誰もいつか死ぬということ。大宇宙の大きな慈しみに満たされて生かされている
大切な存在という三つにおいて平等だと思うんです。
だから臨死体験をしてつくづく、あの至福の世界が本物で、この世は
経ていく世界だっていう感覚があるんです。
やはり人間の本分、ビーイングと、現実社会での自分の役割、ドゥーイングの
つながりに意識を向けていかないと虚しくなっていくのではないかと。
人生のテーマを考える時、ビーイングの世界にまなざしを据えてこそ、
充実したものになるのではないでしょうか。
 ーその臨死体験の講演をまとめてみるー
奈良での学会に出席するため、友人のいる修道院に泊めてもらっていた。その修道院は、
宮家の立派な屋敷を改造した建物で、二階の客間から下に降りる階段は高く急であった。
その夜、寝つかれなかった彼女は、何となく夜中に起き出し、暗がりの廊下を壁づたいに
そっと歩いた。曲がり角らしきところで一歩足を踏み出したが、実はそこは廊下ではなく、
その急な階段だったのである。  踏み出した瞬間、足は空をつかみ、体はバランスを失った。
恐怖を感じる暇もなく、一気に下まで落ち、床に叩きつけられて、そのまま気を失ってしまう。
ふと気づくと、私のからだは宙に浮かんでいます。そして、空中にまっすぐ浮いている私を、
高いところから、もう一人の私が見つめているのです。
空中に浮かんだ私 の足の周りを、なぜかたくさんの筍の皮のようなものが覆っていました。
それが蓮の花びらだとわかったのは、ずっとあとのことです。台湾のさる有名なお寺を訪れたとき、
仏像の足の周りを筍の皮のようなものが包んでいるのを見て、あ、これだったんだと思いました。

それは蓮の花びらでできた台座でした。その筍の皮のような花びらが足もとから一枚一枚
散っていくのです。高いところからそれを見ているもう一人の私は、花びらが散るごとに、
自分が一つひとつの苦しみから解放されて、自由になっていくのがわかりました。
一枚落ちると、「ああ、これでもう人の言うことに煩わされなくてすむ、私は自由になった」  
 と思い、さらにもう一枚落ちると、「もう人に気を遣い、不安に脅かされなくてもすむ、
私は自由になった」とつぶやいているのです。 限りない解放感と喜びが胸に溢れてきました。  
花びらが最後の一枚になり、これが落ちたら完全な自由になれると思ったとき、
最 後の一枚の花びらは落ちることなく、からだがすっと飛翔しました。
そのとき、見ている自分と見られている自分が一つになりました。   
一瞬のうちに高さの極みに飛翔し、私は今まで見たことのないような美しい光に
包み込まれました。白っぽい金色の輝きに満ちた、いちめん光の世界にいたのです。
まばゆい輝きでしたが、まぶしすぎるとは感じませんでした。  
 
それは人格を持つ命そのものの光であり、深い部分で、自分とつながり、交流している
生きた光なのでした。これが至福なのだ、完全に自由なのだ、と私は感じていました。
不思議なくらい、五感も思考もすべてが生き生きと冴えわたっています。オリンピック選手が
ベストコンディションで世界記録を破る瞬間とは、こんな状態のときなのでしようか。
からだの全機能が最高の状態に保たれ、調和し、研ぎ澄まされているのです。
その冴えわたった意識の中で、私ははっきりと理解したのでした。
 「この命そのものの光の主に、私はすべてを知りつくされ、理解され、
受けいれられ、許され、完全に愛しぬかれている」 これが愛の極致なのだと。
もし愛の究極の状態というものがあるのなら、こういう感情に貫かれることではないかしらとも
思いました。真に満たされた状態とは、こういうことを言うのでしよう。
しかもその満たされた光の世界には、時がないのです。

あっ、これが永遠なんだと私 は思いました。 心は愛に満たされ、知性は冴え、能力のすべてが
最高の状態で調和しています。  そんな至福感に包まれていたとき、どこからか声が聞こえてきました。
「癒してください、癒してください」 その声には、少しつたない感じの独特のアクセントがありました。  
その声が聞こえてきたとき、光であり命そのものの主が「現世に帰りなさい」と言いました。
それは言葉ではなかったのですが、そう伝えられたのがわかりました。そしてさらに、
「現世に戻ったとき、いちばん大切なのは、知ることと愛すること、その二つだけが大切なのだ」
というメッセージを私は受け取ったのです。  
 真夜中に突然、大きな音がして叩き起こされたシスターたちが見たのは、寝巻き姿で階段の
下にうずくまっている見知らぬ女性だった。
鈴木氏は、それでも「大丈夫」と言いながらよろよろと立ち上がり、支えられながら
二階の部屋にあがったという。が、また気を失った。
そして、上に述べられたような不思議な体験が彼女に起こったのは、救急車が到着するまで
修道院の二階のベッドで意識を失っていたあいだのことだったようだ。
至福感のただ中にいたときに聞こえた、少しつたない感じの「癒してください」という声は、
そのときベッドの周囲を囲んでいたなかにいた外国人シスターの祈りの声だったらしいという。
幸い肋骨のひび程度で大怪我をまぬかれた鈴木氏は、事故後の静養中にさらに次のような体験をしている。

  階段から落ちた翌日は、運動会の次の日のように全身がズキズキ痛んでいました。
全体が大きな瞳れ物と化したようで、ベッドの上で寝返りを打つのも、つらい 状態でした。
けれども、そんな肉体の痛みとは裏腹に、精神は高揚していて、とても 気持ちがいいのです。
  階段から落ちた前後の自分の行動の記憶はまったくないのに、あの不思議な光に
包まれた記憶は鮮やかに脳裏に焼きついていました。あのまばゆい光の余韻や、悟りの境地にも似た
研ぎ澄まされた感覚は、忘れようとしても忘れられないものでした。
私は限りない至福感に満たされ、恍惚とした気分でベッドに横たわっていました。

 ようやく歩けるようにたった次の日、外の空気が吸いたくなった私は、痛いからだを
ひきずって窓のところへ行きました。窓を開けると、そこには秋の田園風景が広がっていました。
刈り入れを終えたあとの田圃がどこまでも続き、稲が束になって下がっています。
のどかな景色を眺めながら、自分が今、奈良の郊外にいることをふと思い出しました。  
 すがすがしい稲の香りが胸の中に広がったとき、突然、大きな感動がからだを貫きました。  
稲や土、光や風、自然界のありとあらゆるもの、大宇宙のさまざまなものがすベて、素晴らしい
秩序の中にあって、それぞれが一つひとつの役割を果たして調和している、そうして燃えている―─。  

 それは閃きに似た強烈な感動でした。大宇宙との一体感を、頭ではなく、からだ全体で、
魂の深みで悟ったような感じでした。目から鱗が落ちるどころではありません。
そのような至福の状態が三日間くらい続いたでしようか。からだが治っていくにつれ、
その高揚感も薄れ、やがて徐々に日常の平静な状態に戻っていきました。
 けれども、あの光に包まれる体験をしてから、まるで別次元の境地に達したように、
私の中ですべてが変 化していました。それまで悩んでいたいろんなことが、
とても小さく見え、いっせいに霧が晴れたように、私の人生はすがすがしく晴れ渡っていました。
そして、私の心の中には、ある言葉が、美しい鐘の音のように響きわたっていました。
 「大切なのは、知ることと愛すること。それだけが大切なのだ」
鈴木氏は、その後に彼女の身に起きた数々の不思議な出来事によって、あの光との出会い
の体験が、たんなる夢や幻覚ではなかったという確信を深めていく。その第一は、この事故の
5~6年前から患っていた膠原病が、事故のあと完全に治ってしまったということだ。
膠原病は原因不明の難病だ。彼女の症状は、急に寒さにあうと、からだ中が硬直してしまう
というものだった。血管の流れは滞り、手は死人のように真っ青になって、ときにはからだに
鉄の輪をはめられたような痛みで息もできないほどだったという。
長年苦しめられていたそんな膠原病が、すっかり治ってしまった。