つれづれに

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 写真は、以前に「随想日記」で取り上げたカントの【経験の限界」を絵にしたエバレット・ミレイの
「盲目の乙女」。膝の上の楽器を奏でる音楽や娘か妹の手の感触はわかるが、背後の空に
かかっている虹は「経験」できない。何気ない構図だが、意味は深い。これは全ての人間同士にいえる。
誰もが、それぞれ感覚の感度は違う上に、知識の裏づけが違うため、理解など出来るわけがない。
 人が経験できることは、身体的な枠組みの中でしか、それぞれ存在を想像することしかできない。 
だから、他人のことを気にすることは、自分の限界を見ているに過ぎない。  
乙女の、片手は草を触っており、もう一つの手は、幼子の手を握っている。 
秘境で見てきた息を呑むような景色は、見たものでしか知ることがない。
 音楽会の感動は、その場を経験したものしか知りえない。感覚を高めるには、
感動と驚きを通してしか難しい。 背景にいる鳥やヤギは、餌にしか気持ちが動かない。

 この意味は、人生を生きてきて、あと数年、いや数ヶ月、数日しか生存できないと
不意打ちを食らったとき、世の中の風景が一変して見えてくるのと似ている。
虚無の縁に立って人生と、自分を振り返ったとき、今までなかった違う感覚が
立ち上がってくる。 この雨上がりの草の臭いと、すがすがしい空気。 
目が見えれば、あの虹の美しさ。 その一瞬に永遠の生命である感動が伝わってくる。
 素晴らしい絵である。 そして、考えさせられる絵である。 早朝の信濃川の清清しさは、
その感覚を呼び覚ましてくれる。

「落穂ひろい」のミレイとは、違う人物だが、決してひけをとらないほどの有名画家である。
下の「オフィーリア」は、ミレー自身及びヴィクトリア朝の最高傑作と名高いこの作品である。

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 http://ja.wikipedia.org/wiki/ 
  ジョン・エヴァレット・ミレー

盲目の少女(盲目の娘) (The Blind Girl) 1854-56年
82.6×62.2cm | 油彩・画布 | バーミンガム市立美術館

ラファエル前派を代表する画家ジョン・エヴァレット・ミレイの傑作『盲目の少女(盲目の娘)』。
1857年にリヴァプール・アカデミーの年間最優秀賞を受賞した本作は、画家の新居の近くに住んでいた少女
(又は画家の妻エフィー)をモデルに、盲目の少女たちが雨上がりの牧草地で佇む情景を描いた作品である。
画面中央(最近景)では盲目を思わせる少女が大地に腰を下ろし、雨上がりの空気や差し込む陽光の温もりを
味わうかのように休んでいる。傍らにはさらに幼い少女が、盲目の少女に凭れ掛かっている。
このような盲目の人物を描く場合、教訓的な内容や悲愴感などを観る者が明確に感じられるように
表現するのが通例であるものの、本作に描かれる盲目の少女の己が背負う障害に対する態度は非常に
穏やかであり、卑屈な雰囲気や戒告な様子は微塵にも感じられない。
この二人の少女の屈託の無い子供らしさこそ、本作の最も大きな魅力のひとつであり、観る者を強く惹きつける。
また本作の大きな特徴である雨上がりの美しい風景は、近景をミレイが新居を構えたスコットランド
パースシャーの風景に、遠景をイングランド南東部イースト・サセックス州ライ近郊の小村ウィンチェルシー
風景に取材し描かれたことが知られており、この詩情性豊かな風景表現は、画面全体を包み込む明瞭な光の描写や、
輝きに満ちた色彩表現、遠景で暗い雨雲の中にかかる二本の虹が大きな要因となっている。
なお本作のモデルと推測されるミレイの新居の近くに住んでいた少女は、画家が同時期(1855-56年)に手がけた
『枯れ葉(秋の葉、落ち葉)』でもモデルを務めている。