つれづれに
ツレがうつになりまして
http://www.tsureutsu.jp/index.html
今日の午前は家内と義妹が自宅の障子張り。
本当は昨日、見に行こうと思っているうち、行きそこなったので
丁度よいので、見てきた。 それが実体験を書いただけあって、
なかなかの身につまされる内容。 実際の躁鬱の家庭内は、
こんなものではないが、赤裸々に内容を書表わしたことは、問題を
抱える本人や家族にとって、一つの情報になる。
人生には、何度か多かれ少なかれ危機があり、最悪の落ち込みを
経験することがある。 現在の私も、そうである。 人生の前半に、
ギリギリの精神的落ち込みを経験してきたので、現在の状況の中でも、
何とか精神のバランスを保っているが、一つ間違えば、欝になって
当然の状況である。この恐慌前夜の暗い状況の中で、世界中が欝に
近い状況といって過言ではない。それにしても、人間は脆く、しかし
強いものである。老化=欝状況というが、それは実感として分かる。
身辺でも、何人か躁鬱病か、躁鬱症の人がいる。苦しみは本人しか分からない。
挫折や、再起できないほどの落ち込みがあるからこそ人生であるが、
それも他人事だからいえること。 しかし人生に挫折や欝など何もないとしたら、
これほど平たい人生はない。あの平々凡々とした人たちは、それが無かったため、
平々凡々の人間で終わる。 自殺未遂の二度や三度した人生のほうが、
何も無い人生より味わいは深くなる。 狂う寸前まで追い詰められたとき、
その先に、明かりが仄かに見えてくるもの。
この映画は、少しでも興味があるなら、見ておいたほうがよい。
どっちらにしても、この歳になれば、大きな挫折(死)が待っているのだから。
明日と、明後日の随想日記のネタである。 癌末期の人は、総じて欝のはず。
しかし、死ぬまで耐えるしかない。この年齢になれば、誰もが何時、
その立場になるか神のみぞ知ること。 「ツレが末期癌になりまして」など、
甘ったれたことは言う方が野暮。ただ黙って見送るしかない。耐えるしかない。
http://www.tsureutsu.jp/index.html
今日の午前は家内と義妹が自宅の障子張り。
本当は昨日、見に行こうと思っているうち、行きそこなったので
丁度よいので、見てきた。 それが実体験を書いただけあって、
なかなかの身につまされる内容。 実際の躁鬱の家庭内は、
こんなものではないが、赤裸々に内容を書表わしたことは、問題を
抱える本人や家族にとって、一つの情報になる。
人生には、何度か多かれ少なかれ危機があり、最悪の落ち込みを
経験することがある。 現在の私も、そうである。 人生の前半に、
ギリギリの精神的落ち込みを経験してきたので、現在の状況の中でも、
何とか精神のバランスを保っているが、一つ間違えば、欝になって
当然の状況である。この恐慌前夜の暗い状況の中で、世界中が欝に
近い状況といって過言ではない。それにしても、人間は脆く、しかし
強いものである。老化=欝状況というが、それは実感として分かる。
身辺でも、何人か躁鬱病か、躁鬱症の人がいる。苦しみは本人しか分からない。
挫折や、再起できないほどの落ち込みがあるからこそ人生であるが、
それも他人事だからいえること。 しかし人生に挫折や欝など何もないとしたら、
これほど平たい人生はない。あの平々凡々とした人たちは、それが無かったため、
平々凡々の人間で終わる。 自殺未遂の二度や三度した人生のほうが、
何も無い人生より味わいは深くなる。 狂う寸前まで追い詰められたとき、
その先に、明かりが仄かに見えてくるもの。
この映画は、少しでも興味があるなら、見ておいたほうがよい。
どっちらにしても、この歳になれば、大きな挫折(死)が待っているのだから。
明日と、明後日の随想日記のネタである。 癌末期の人は、総じて欝のはず。
しかし、死ぬまで耐えるしかない。この年齢になれば、誰もが何時、
その立場になるか神のみぞ知ること。 「ツレが末期癌になりまして」など、
甘ったれたことは言う方が野暮。ただ黙って見送るしかない。耐えるしかない。