つれづれに

イメージ 1

今日のYoutube

http://www.youtube.com/watch?v=j5-7bfkmJ3U&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=JQ1Y43u3uhM&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=8vXIn-OXZmY&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=bNNzRyd1xz0&feature=related


最近、ダウンロードしたレーシング・カーレースと、
アングリーバードである。 一度始めるとトイレも我慢して二時間、三時間は、
あっという間に過ぎてしまう。 とにかく、面白い。一度、童心にかえり、
こういうのをやってみたかった。 なるほど、子供のころから、こういう
楽しみを知ってしまったら、別に、外に生甲斐を求める必要もない。
 しかし、実世界には、以下のように面白い、生(なま)の経験もある。

 ・・・・・・
3466, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー10
2010年09月21日(火)
 * アフリカに魅せられて ー4
  ー奇跡の自然動物園のクレーター「ンゴロンゴロ」ー
 初めて足を踏み入れたときに、自然が創り上げた自然動物園に奇跡を目の当たりに見たような気がした。 
ここは数百万年前に出来た火山のカルデラに広がる平野である。 もとはセレンゲティ国立公園の一部だったが、
遊牧民マサイ族の生活保護のため国立公園から分離、ンゴロンゴロ然保護区となった。ンゴロンゴロとはマサイ語で大きな穴」。
野生保護区は、直径約16キロメートルの火口跡があり、クレーター内では多くの野生動物(キリンやインパラ以外)の象、
ライオン、バッファロークロサイ、カバなどが見られる。 外輪は2,400mの高さがあり、カルデラ内部の平野(1,800m)と
比べ標高が高い。このためカルデラ内部はカルデラ外部と遮断されており、ここで生息する大型動物のほとんどは
カルデラの外にでることはない。(象とか一部は出入りの道がある) そこは周囲と隔離された生態系が形成されるに至った。
そこでは東アフリカのサバンナに生息する動物はほぼ観察することができる。植物にはじまる食物連鎖は一つの大きな
生態系のシステムをつくっている。上から下に下りて見渡すと本当に小さく感じる。僅か16×14キロの平原に
2万5千頭もの野生動物たちが暮らす「最後の楽園」。それぞれの動物のテリトリーがあり、ジープを少し走っただけで、
色いろな動物に遭遇する。実際に地球上にアフリカ大陸がそのまま圧縮されたような自然界である。 
そのこと自体が信じがたく奇跡的である。 クレーターから約50キロメートルに数百万年前の初期人類が発見された
オルドバイ渓谷がある。ここから人類がアフリカ大陸全体に、世界に向け進出していったと言われる。 
だから、人は本能的に惹かれるのである。



3467, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー11
2010年09月22日(水)
  * アフリカに魅せられて ー5
 アフリカは、ケニアタンザニアに4回。 南アフリカ、西アフリカ、モロッコ、エジプト、それぞれ一回、
そしてイスラエルのコースでシナイ半島に立ち寄った一回を含めて9回行ったことになる。あとエチオピアか、
マダカスカル島に行きたいと思っている。アフリカの魅力は手付かずの大草原と、そこに住む野生動物と原住民。
それぞれの部落で社会形成が成されていて、彼らと我われの社会と何が違うのだろうか考えさせられる。 
父親がいて、母親がいて、子供がいて、それぞれの家庭がある。そして集落があって、酋長がいて、一族を束ねている。
その視点で現在の自分が住んでいる社会と何が違うというのだろう。ポストモダン主義は、それを指摘した。
現象の背後にある構造から、これまでの欧米=先進国という思い込みを根こそぎ疑問を持ち、未開発地域の人たちにも
同じような文化が存在している事実に注目した。戦国時代、そして江戸時代の日本に日本を訪れた宣教師や商人が、
日本の文化レベルの高さに驚愕した手紙などが記録で残っている。それがアフリカのマサイ族の部落などから
感じ取ることが出来るのである。それはアフリカだけでないが。初めてアフリカに足を入れる前までは、
恐ろしく未開発で、文化程度の低い地域と思い込んでいた。しかし、サバンナで出会うマサイ族の
衣装と野生動物から身を守るために持っている槍の取り合わせは、決してパリの美しい女性のセンスにひけをとらない。
サバンナの背景にピッタリで様になっている。彼らは彼らで何処かの街の市場で、自分に似合った柄の羽織?を
買い求め着ている。それを上から視線で見る輩もいるが、現地でみれば自分の無知を知ることになる。 
その視線で自分に流れている日常を見直すと、小さな自分の世界を見直すことができるのである。