つれづれに

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 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=W1CfQR5cTVo&feature=player_embedded

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 会社が倒産、そして現在、新たな生活パターンに入ってニヶ月をすぎたが、漠然と
「何もすることがない気の抜けた日々に対して、どうなるのだろうか」という不安があった。
 ところが、いざ、こうなると何ということはない。この10年間の日々より充実をした濃い時間を過ごしている。
装置産業のため、リストラの範囲も限られていたため、状況の変化に、ただ呆然として見ているしかない
憂鬱な日々より、後は、野となれ山となれと、一度、底まで落として、自分を見つめなおしている日々の方が、
開き直れた気持ちで、自分と、世界を見ることができる現在の方が、気持ちが安定しているのは当然である。

 実際は、複雑な債権処理の問題が、まだ直面してないから、言えるのだろうが。 とはいえ、
事業を創める時から、そんなことは覚悟の上で、いまさら、こんな結果になるとは?など、後悔するほど、
甘い気持ちでは取り組んではいない。
 自分の人生は何だったのかなど、後悔する気持ちなど微塵もない。
 だったら、初めから、事業などしていない。
所詮は事業など、時代の流れに乗ってバブルで膨張し、そして破裂をしていくプロセスでしかない。
「へ」の字、創めの10年が登りで、後の20年が下りで、食べつくす30年のプロセス。 
 人生の、30歳から60歳が、そのプロセスとして、酷似している。 どっちにしても、同じである。
それが、会社も、個人も、それが短いのか長いのかの差でしかない。 
車馬車馬か、娑婆娑婆か、シャバシャバか。
これからの日々は、これまで学んできた哲学を元として、自分と車馬を見つめなおし、
人生の総括をしていくしかない。 どっちにしても、宇宙のゴミの上のチリのまたチリの直感でしかないが。 
それが、また面白そうである。