つれづれに

イメージ 1

 今日のYotube
http://www.youtube.com/watch?v=fk6Zm2ok9Pc&feature=related
 ・・・・・・
 今朝方、面白い夢をみる。 自分が先生で生徒の前に立っている。
ところが、生徒がノートに悪戯書きをしている。 それぞれが私の普段の所作を書いている。
眼鏡を直していたり、胡坐をかいて座っている姿だったり、腰に手を当てていたり。
それを見ていて、「ああ、この姿が自分なんだ~」と改めて見直したり・・・ 

  ・・・・・・・・
 金はあったにこしたことはない。これは経験からの実感。
有れば、気にしなくてよい。なければ、不自由を感じる。その境目が、中位の収入ということ?
  朝日新聞   天声人語
                   2011年1月7日(金)
 朝刊を取りに出たら、夜明け前の路上でウオーキングの人同士が挨拶を交わしていた。
寒の入りは冷え込み、「おはようございます」が白い息になって吐き出される。
息という字が、自分の「自」と「心」を組みあわせた形なのにふと気づく
▼この季節には岡本眸(ひとみ)さんの一句を思い出す。〈温めるも冷ますも息や日々の冬〉。
思えば息とは重宝なもので、かじかむ指を温められるし、熱い雑炊を冷ますこともできる。
生きることのささやかな幸せを感じさせる名句である
▼寒い季節ほど、人は「幸せ」への感度をふくらませるように思う。その幸福感は、
収入が多いほど大きいものでもないらしい。米国で調査をしたら、日々の幸せを感じる度合いは
年収7万5千ドル(620万円)ほどで頭打ちになるとの結果が出たという
プリンストン大のカーネマン名誉教授らが45万人を電話調査した。
ノーベル経済学賞の受賞者である教授は「高い年収で満足は買えるが、幸せは買えない」
と結論づけたそうだ。幸せ者とは、小さな喜びを十分に味わえる人、ということになろうか
▼その達人のひとりが、きのうが180年の命日だった越後の和尚、良寛さんだろう。
〈この里に手毬(てまり)つきつつ子供らと遊ぶ春日は暮れずともよし〉。
「清福」という語に袈裟(けさ)を着せたような人物像は、いまも慕う人が後を絶たない
▼騒々しかったり、急(せ)かされたり、そして疲れた時代ほど、良寛ファンは増えるとされる。
今年の良寛人気はどうなろう。日々の幸せを見いだす達人に、一度教えを請うてみたいが。