つれづれに

イメージ 1

 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=khzYGg0KWQ8&feature=related

 大晦日になった。 毎年、同じような感慨になる。 ここまでくると、
無事であるだけで充分である。 しかし振り返ると、やはり色いろあった。
あと半月で65歳である。 立派な?前期高齢者である。
いつ死んでも、ああ先か!ぐらいしか思わない年齢ということ。
数ヶ月前から、目の前の判断は、「もう次回、一年後は無い」と思うことにした。
そうすると県外の友人の出会いも、一期一会になる。 

・・・・・・・


2003年12月31日(水)
1001, 今年の総括
今年も大晦日になってしまった。 恒例の今年の総括をしてみよう。
ー個人的の問題では
・今年の身近な物故者は高校の同級生の‘スーパーツチダ'の社長をしていた土田恒夫君が亡くなった。
 一番死にそうでない男であったからショックであった。親戚では母方の従姉の連れが亡くなった。
・海外には二回行った。この数年三回であったので、少し物足りなさが残った。アラスカとアイスランドである。
 これで41回である。当面の目標の50回にはまだだが。60歳までに、というのは無理になった。 大不況の中、
 今年は 特に行くのを躊躇をしたが、後になれば何ということはない。 
 行けない状況に行くからこそ価値があるのだが?
・国内では、京都に一泊のバスツアーと鎌倉に行く。
産能大で「一時間講義」をする。 いい思い出になった。
・ 新潟の引越しを考えるが、決断が出来ない。
ウオーキングは一日平均1万4千歩を確保した。 数年前より1万5千歩より1千歩減らしている。 
・新しい習慣として「ありがとう」を1千回平均言うことが加わった。
ー会社は
・去年11月に始まった売り上げの落ち込みが進む。今までは他山の石だったが。
世間並みになったとはいっていられない。・来年の事業構造の転換に向けて、支配人と副支配人
をホテルのラインから外して本部付け(新規プロジェクト開発部)にする。久々に仕事に本気になる。
新規事業の準備が進む。
ー国際社会では、
(字数制限のためカット09年12月31日)
 ・・・・・・・・
 2002年12月31日(火)
 627,パタゴニア旅行記ー9
ー絵を描く人ー
 今回の旅行で素晴らしい絵を描く女性がいた。見るところプロ並みの絵を描いていた。
画家の安野光雅に小学校の絵の担任でもたれたと嬉しそうに言っていた。
いつも面白い話をしてくれて、「先生お話!」皆が囃したてていたとか。
今から考えると情緒教育をしていたのではないかと言っていた。
何十種類のクレヨンを持ってきて30~40分位で仕上げてしまう。
見ていても気持ちが良いぐらい綺麗に仕上がっていく。あの位巧く書ければ本人も気持ちが良いだろう。
 主人の方はカメラマニアでお互い自分の世界に没頭しているのがバランスが取れていて良い。
ある意味で理想的な夫婦の形に見えた。絵を描くということは対象に対し観察眼が鋭くなるし脳に残る。
私も60歳になったら、クレヨン画の勉強をしようかと考えてしまった。 
旅行では一人はデッサンをする人がいるが、この位本格的の人は珍しい。 
個展を開いたり、自宅のリビングに額に入れて折々楽しんでいるとか。
 ところで話は変わるが、ご主人に写真の撮り方を学んだ。
・対象をしっかり見定めて         ・両脇をしめて
 (字数制限のためカット10年12月31日)
・・・・・・
2001年12月31日(月)
286、良質の人材とは-
「ビージョナル・カンパニー」という本を知人に紹介され、その後その人と酒を飲んだ。
ある目的のために人材を集めるのでなく、まずよい人材を集め、それから何をやるか決める、
という逆の見方である。考えてみればその方が正論である。 ある人材が何人か出会い、
さて何をやるかを考えそれをやり遂げていく。その上で明確な目標をきめていく方が筋が通っている。
酒を飲みながら、それではよい人材とはどういう才能をいうのだろうか? という話の内容になった。
酔っ払いが話しているのだから、いい加減の内容であったが、それでも結構真実をついていた。
「自分で問題を見つけ、それを解決する手順を考え着実に実行やり遂げる能力である」それがその時の結果であった。
(字数制限のためカット10年12月31日)
・・・・・
ある時間の断片
12月31日  1968年
あと10分で1968年も終わる。 学生時代最後の年になる。今年を振り返ると、色いろなことがあった。
・三月下旬から2週間、石川君と一緒に、卒論の「流通革命」を書くために大阪の船場のメリヤス問屋に
 住み込みで流通の現状を見てきた。 生々しい旧来の世界と、そこに蠢く人間がいた。
・帰って直後に、欧州旅行の川崎と深井と松村と九州旅行に出かける。 
先ずは川崎の家に行って一泊をする。 ところが川崎は事故がおきる予感がすると言って、
急に旅行から降りた。 三人で今度は名古屋の酒向の家に行く。家に泊めてもらって、
その夜は高級中華料理店で最高級のご馳走だ。
 こんな美味しい中華料理は初めてであった。それから九州に行く。
九州の鹿児島で聖心女子大のグループと落ち合う。 1泊2日の薩摩の彼女等との旅行は
一生忘れられないだろう。・そして4月に父に「もしアメリカに行きたかったら、
全ての費用を出してやるから留学をしてこい」と急に言われた。 その気になったが、
英会話に通うこと2ヶ月で、急ごしらえの留学は無理と断念をした。そこでの自己葛藤があった。
・またその時期に、石川に勧められて「武沢ゼミ」に入った。
これは私にとって前の年の欧州旅行とともに大きな出来事だった。
・そして急遽ジャスコオカダヤと長崎屋を受験。両社とも合格する。ジャスコオカダヤに決める。
・夏休みは、卒論のための本を十数冊買い込み読む。
 9月に二週間、10月に一週間、新潟県の六日町の禅寺の「雲洞庵」で、集中するために籠る。
・11・12月は、かなり頭を使いすぎたため不安定な時期になる。 
 去年に続き今年は、これからの人生での土台になる事があった。
 ーそう書いているうちに、あと三十秒で今年も終わろうとしている。
 ーーー
 ここより今年である。 1969年になった、学生から社会人の年になるのだ。
今度は自分独りの力で生きていかなくてはならないのだ。頼れるのは自分だけである。
人生は三つの戦いがある。自分、他人、そして自然との戦いだ。
 先ずは自分に打ち勝たなくてはなるまい。信念としての決意は「自分に打ち勝つこと」だ。