閑話小題 ~リモート化は、個性尊重に…

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    * また、やってしまった!
 2~3年に一度ぐらい、書上げた、この日記の全てが消えてしまった。
そこを気を奮いたて、再び、書きだすのも大変だが、気力の鍛錬になる。
今回のは、トランプ大統領選挙の、現時点の予測! 落選間違いなしの中で、
どの様な手法を使うのか…  ロシア、中国、北朝鮮にとって、このまま、
大統領のままが、絶対に有利!…云々と! 書いていた。これを書き続ける
には、気力と、体力と、習慣のフローの勢いが絶対に必要である。
喝かつな気持ちで、気力を奮いたて書上げた文章の方が良いのが分って
いるから、こうして書けているが、それだけ、大した内容でなかったと、
納得する自分も情けない!
 
 このコロナ禍で、仕事が、いや全てが根底から問い直されることになった。
自分特有の個性を発進しないと、この情報化の中で、埋没してしまう。
群れ社会の日本人は、リモート化には弱いが、それなりに、適応している?
ようだが。リモート化には、別に文章化が必要ではない。要するに、感覚の
鋭さが求められるが、そこに、映像の水面下に、文章化が必要となる!
それが無いと、烏合の衆の一人でしかない。
 力量のある写真家の文章に、心うたれることがある。1000分1秒の切口には、
その背後の文章が必要となる。絵画も、書もしかり。

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6785,閑話小題 ~つれづれに哲学 =悪魔の代弁者
2019年10月12日(土)
   * 悪魔の代弁者
 「正・反・合」を、物ごとの決定などの判断に使おうというのが、
教会の聖人の「聖列加入の判定」で使われてきた。
  ~ネット辞書には…
《・すべての教会の中でもっとも不寛容なローマ・カソリック教会が、
  聖人の聖列加入の際にすら、「悪魔の代弁者」を招き入れ、その声に辛抱
強く耳をかたむけるのである。 人々の中でもっとも聖なる人々でさえ、 悪魔が
述べうる当人にとって不利なことがすべて知られ、そしてはかられるまでは、
死後の栄誉を認められぬものらしい。 ミルは、「不寛容で知られるカトリック
でさえも、ある人が偉大な人物であったかどうかを確かめるためには、非難を
一切封じるのではなく、かえってあらゆる非難を論駁することが最善の手段と
考えている」という例を挙げ、言論の自由の重要性を説いている。
 ―
 ・「わざと反対する人」と呼ばれる、反対意見を検討する場を設けることで、
 新たな視点が生まれ、意思決定が強化されたのは、合理的と言えば合理的。
カトリック教会による聖人認定(列聖)は、最初の1000年の間、かなり場当たり
的に行われていたため、「聖人の大安売り」とも言うべき状態に陥っていた。
この状況を改善し、聖人の神聖さと正統性を守るために設けられたのが、
「悪魔の代弁者」である。この仕事は、列聖の候補として挙げられたあらゆる
証拠や、履歴書に対して徹底的な反対意見を述べることで、各候補者が軽く聖人
となることを防ぐことにあった。このように、「執行役の判断が間違っている」
という前提から物事を考える役職を常設することで、ローマカトリック教会
その後の聖人認定を極めて厳格・適切に進めることができた。
この「悪魔の代弁者」を、組織運営に組入れようというのがレッドチーム。…》
 ―
▼ 大きな決断をしようとする時に、独り自問自答する。その時に、内なる
「悪魔の代弁者」が、「誰か、本気で否定してくれる人がいないか?」と独り
呟くことが多々あった。 夫婦の場合、ドチラかが正・反になり、合を形成
していく。社会主義圏が、資本主義に対して、一時期その役割を果たしていた。
これが良好な役割なら、まだいいが。「悪魔の小間使い」になるケースが…
 何処にもいる、『内幕情報屋』。大都会とか、逆に田舎で燻って一生を
過ごしてきた輩。居酒屋や、街角での立ち話で、他者の浮沈みをネタにする
あれ等、世間人。ドブ沼に湧いたボウフラ。 現象の中の構造を話すなら、
まだしも、伝わる過程で、歪んだ話題を事実と思い込む『悪魔の小間使い』
 現在の野党が、歪んだ『悪魔の代弁者』に成り下がっているようだ。
アメリカの属国下では、仕方がないとしても。自民党を正す正論そのままを
言っていればいいものを。言葉尻を狩るしかない姿が、そのまま現れている。

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6421,閑話小題 ~落合と関口の問答から
2018年10月12日(金)
    * 問題は、充実していたか! 
 ~まずは、この日曜の2人のトークから~  (ネット検索)
≪ 7日放送の『サンデーモーニング』で、関口宏西武ライオンズの優勝に
 ついて失言を行い、物議を醸した。元ロッテオリオンズで3回3冠王を獲得した
落合博満氏が登場。 冒頭から早速プロ野球の話題となり、関口が
「西武なんだけど、胴上げのシーンがありますか?ちょっと見せてください。
優勝決めたシーンが情けなかった。負け試合ですよねえこれ。負け試合で胴上げ
しなきゃなんないから、もうひとつ盛り上がりに欠けたのかなと私は感じました」
と西武優勝を貶めるような発言。 これに対し、コメンテーターの落合氏が、
「いや、関口さんねそういうけども、勝とうが負けようが胴上げはいいんですよ」
と制す。そして、自分は「負け、雨でゲームがない、引き分けで優勝が決まった
ことがある」と諭す。関口は落合氏に対し、「気分は変わらないものですか?」
と質問すると、「1年間戦ってきてそこで優勝ってのは恥ずかしいような気も
しますが、頭から外れます」と断言。これには関口も黙ってしまう。≫

▼ その時、会社清算をして少し経って気持ちが落ちついてきたと同時に、
『これは、私の人生にとってベストの結果では!』の考えになっていった。
家訓の一つ、『何ごとも万一に備えろ』を前提に、創業の設計図にシェルターを
仕込んでいたこともある。 最後の数ヵ月は如何であれ、20歳で創業を決意して、
準備15年、実業30年、合計45年の人生を振返りみれば、この上なく面白く充実。
こんなことで、否定されるものではない。 そのことを落合が、ずばり
『勝とうが負けようが胴上げはいいもの!』と…  土砂降りの胴上げも?
 私の場合、結果は如何であれ、仕込んであったシェルターで助かったが、
これだけスリルとサスペンスに満ちた45年の人生。溝沼の蚊が飛び交っていても、
蚊よけスプレーをかけておけば何とことはない。としてもシツコク、痒いが…。
 この充実感と、装置産業の利点、時間リッチの御蔭で、幾つかのライフワーク
を満喫できた。最後の最後まで冷や汗の連続だったが、全てをかけた充実感の味
は格別。 小さな物語でも、起業の面白さ、自分を抵当にした博打は、想像を
絶した醍醐味がある。 長嶋、野村、イチロウ、松井の人生、想像を絶する程
に面白味があっただろう。甘じょっぱいというより、激辛の味?喉がカラカラ?
 本人しか分からないが!

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5689,自分のための人生 ~②
2016年10月12日(水)
           『自分のための人生』(ウエイン・W・ダイアー)
  両親の人生訓を要約すると、
『人生を、仕事を、道として楽しみなさい。仕事を楽しんだカスが、資産と余裕。
取組んだ何ごとも、楽しみになるまで追求する』になる。 人生の王道といえば、
「よく学び、よく働き、よく遊べ」がある。他に加えるなら、「よく楽しめ」
を加えたいが、「よく」の中に、楽しみが入っている? 
とすると、「よく休め」が考えられるが。 
   ★ 自分の人生を存分に楽しめ!  ~p-26より
≪ < 生きよ・・ おのれ自身たれ・・ 楽しめ・・ 愛せ! >
 私たちに、いつも決まってついてきて、影のように離れない“お供”がいる。
 それは「自分自身の死」。“この客人を恐れることも、あるいは 自分の
 利益のために利用することもできる。どちらを選ぶかはあなたしだい”と。
“ 死は永遠であり、生は息つく間もないほど短い。そこで自問してみよう。
・「本当にやりたいと思うことをしないでよいのだろうか」
・「自分の人生を他人の望むとおりに送ってよいものだろうか」
・「ものは貯めるに値するほど大切だろうか」
・「やりたいことを先延ばすのが賢明な生き方といえるのだろうか」
 おそらく、その答えはほんの数語にまとめることができよう。
  < 生きよ・・ おのれ自身たれ・・ 楽しめ・・ 愛せ! >
 自分の死を恐れてもかまわないが、それは無益なことだ。
 一方、死を効果的に生きるための助けとすることもできる。
  ロシアの文豪トルストイによって描かれたイワン・イリイチの言葉
  (『イワン・イリイチの死』)に耳を傾けてみよう。
 彼は、ことごとく他人中心に過ごし、体制に適合するために自分の人生を
 自由に生きることを放棄してきた一生に思いをはせながら、万人を平等に
 する死神を待っている。
【 もし私の一生がすべて誤りだったとしたら・・・・」
 以前には到底考えられなかったことが、つまり人生を過ごすべくして
 過ごしてこなかったということが結局のところ真実なのかもしれないと、
 ふと思った。これまで、ほとんど感じとれない程度の衝動は即座に抑え
 つけてきたが、そういう衝動のほうが本物で、それ以外は偽物だった
 のではないか。職責も、生活や家庭の切り盛りも、社会的あるいは職務上
 の関心も、みんな偽物だったのかもしれない。こういうものを一切合財
 しっかり守ろうとした私は、突然自分が守っているもののもろさを感じた。
 守るべきものなど何もなかったのだ。
 自分の人生に積極的に働きかけるべきか、自分自身で選択すべきか
 などと思案し、考えあぐねたときは、こう自問してみることだ。
 「私はいつまで死んだような人生を送るつもりなのだろうか」】 ≫
――
▼ ハイデッガーが、「世間人」が、あまりに『死』から、目を背けて
 いることを指摘。「死の哲学」を真正面から取り上げた。ガンで死の
恐怖を平気で口に出している男に、「死」について薀蓄の話をすると、
近くの世間人が、いわく有り気に、『暗い!』と宣う。 受けを狙った
のだが、顔色からみて、重症病気もちのようだ。だから、聞く耳持たない、
いや、持ちたくないのである。   
「本当に人生でやりたいことがあったのか?」
「他人の顔色を窺い、その価値観に従った生き方を良しとして」
「ものを貯めることに汲々するのが生きる値すると信じ」
「やりたいことを先延ばしをする」を良しとする生き方だろう、お前さんは! 
舟底に牡蠣の貝殻(常識)を一杯つけて身動きが出来ない人たちの一員。 
誰でもない、私自身ではないか! もっと酷いのは、気付いてない貴方か?

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閑話小題 ー美人の黄金比
2014年10月12日(日)
   * 美人の黄金比
 誰もがその人を美しいと感じる、“美人の法則”が存在するという。
1:目を中心にして、「頭の頂点まで」の長さと「アゴの先まで」
 の長さが同じであること。
2:「目と目の間」の長さと「鼻の幅」が同じであること。
3:「目と目の間」の長さと「目の幅」が同じであること。
4:「口の幅」が「鼻の幅」の1.5倍であること。
5:「顔の横幅」が「鼻の幅」の4倍であること。
 上記5種類の「顔の黄金比」に対して、誤差が「0」に近ければ近いほど良いと
されています。ちなみに、一般的な人の顔の誤差数値は「1.1」~「1.3」とか。
どうでもよい話? 要は、傍目でみたバランスが上記だと美人ということ? 
それにしても綺麗で優しく温かみがあり、清潔感がある人が、一般的に美人
というのだろう。それに、教養が、まずベースにあることが前提である。
 美人は、顔と全身のバランスでしかない。そのバランスの均整も一時のもの。
身近で、姉達や、同僚などを見てきて、その時期は、わずか5年間でしかない。
だから、それが良いのである。
   
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2013年10月12日(土)
4592, そして、人生はつづく ー3
  * 「アバウト・シュミット」の『そして人生はつづく
 5月の連休明けにシネマでみた「アバウト・シュミット」が、まさに
「そして、人生はつづく」をテーマにしている。
   ーその概略をHPでみるとー
《 仕事一筋の平凡な男が、定年退職を機に第2の人生を歩む姿をユーモアと
 ペーソスを織り交ぜて描くヒューマン・ドラマ。人生の終盤を迎えて大きな
転機に直面し孤独と戸惑いを見せる主人公の悲哀を名優ジャック・ニコルソン
見事に表現。監督は「ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ!」の新鋭
アレクサンダー・ペインアメリカ中西部オマハ。この日、勤め先の保険会社で
定年退職の日を迎える66歳のウォーレン・シュミット。彼はこれまで妻ヘレンと
今は離れて暮らす娘ジーニーと共に、平凡だが特に不満のない人生を送ってきた。
そして次の日から新たな人生を歩むことになる。しかし、翌朝目覚めてみると、
シュミットは会社中心の生活リズムが染みついていたせいか手持ち無沙汰になる
日々が続いた。そんなある日、妻ヘレンが急死。そして葬儀の準備に追われる
シュミットのもとへ、愛娘ジーニーが婚約者ランドールを伴い戻ってくる
のだった…。》
▼ 一流保険会社で働き、良き同僚や妻と一人娘に恵まれて、自分でも
 それなりの人生を送っていると思っていたが、定年をむかえた直後、妻が
急死、その葬儀も終えたところで、何をしてよいか分からなくなり、離れて住む
娘を車で訪ねるが、何か来て欲しくない様子。ラテン系娘婿の家族は、これまで
接したことのない世界の人たち。その旅で、これまでと違った様々な経験をする。
それが何か無様で、ホロ寂しい姿で、哀愁が漂う。職場と連れ添いの喪失で、
なす術のない男の悲喜劇が、人生の終末期の有り様を浮き上がらせている。
妻に先立たれた寡夫ほど大変なものはない。5月の連休明けに、この映画を
見たが、会社を整理をして二年。主人公の姿に自分が二重写しの部分がある。
また、「そして、人生はつづく」の著者に似ている部分がある。
 10年近く前の話になるが、幼馴染が倒産と同時に離婚。一人アパートで
自閉症になって半年、お金も尽き、辛うじて知人に拾われ、働き出し、営業
で私のところに訪ねてきた。が、風貌は歯が数本抜け、やせ細り、20歳は
老けていた。数年後、年金生活に入ったが、重症のアル中になって県外の
娘夫婦の住宅近くのアパートへ引越した。現在も「そして、人生は続いている」
のだろう。豊かな老後には、十年以上かけたライフワークがあるかどうか・・
・・・・・・
6056,閑話小題 ~恐ろしい身近な現実 -2
2017年10月12日(木)
   * 一億総中流の終わりと言われて暫くたつ
 バブル崩壊から10年程経過した2001年の9・11辺りから総中流時代が終わり、
一強多弱になっていた。その結果、豊かだった中流層が総貧困層になった。
そこでネットで「中流の崩壊」で検索をすると、簡潔な内容があった。
≪ 世界の歴史を見れば、「一部の人間に富が集中する社会の成立」と
「その崩壊」が繰り返されているとわかります。ある社会学者はこのように言う。
「世の中には軍人・政治家・富豪・庶民の4種類がいる。
・軍人が過激な政策で国民から人気を集めると国民は圧政で苦しめられ、それを
 解放するために政治家が革命を起こす。
・政治家が人気を集めると国民は豊かになるが、富豪が現れて政治家と癒着し、
 国民は格差で苦しめられる。
・すると富豪を排除するために軍人が過激な政策を言い始めて人気を集め、
 革命が起こる。」この繰り返しだと。

近年で見ると、「金融ユダヤ」として一部の庶民から嫌われたユダヤ人は、
ナチスの過激な政策で虐殺されました。それを反省した西側諸国は、戦後に
「庶民を豊かにする政策」を政治家が行い続け、「共産党が富を独占する国家」
を打ち破ります。
実際にアメリカの所得格差(ジニ係数)は、アメリカが統計を開始した1947年から
1968年まで減少、1970年代も横ばいで推移しましたが、1980年代から格差拡大が
続くようになりました。「日本が一億総中流を目指せたのは、戦後復興のおかげ」
ではなく、「第2次世界大戦(ユダヤ虐殺)という強烈なインパクトが、先進国に
おける格差是正をもたらしたから」です。

繰り返しますが、このような「富の独占と崩壊」は何度も起こっていて、
恐らく今の「富豪の時代」が続けば、また何らかの社会的混乱が起こるでしょう。
実際に欧州では極右政党が出てきていて、移民に対する過激な批判を行って
いますし、日本では中韓に対するヘイトスピーチ問題が見られます。 庶民生活
が困窮していくと、このような誰かを攻撃する過激な政策が人気を集めます。
誰かのせいにしないと自分達の苦しみが緩和されないからです。 現実を見れば
みるほど「なるべく平和的に格差を是正しなければならない」と思います。≫

▼ 自由を重んじた公平を良しとする資本主義社会より、平等を重んじる社会
 主義圏が存在していたため、日本は総平等社会を一時的としても実現する
ことが出来た。それもバブル崩壊で、消滅しつつある。今では情報化社会。
格差の矛盾を大多数の貧者に、その実態を露呈してみせる。アメリカと、北朝鮮
の摩擦も、国家間格差の問題。貧困の最たる軍事独裁国家と、金融ユダヤ国家の
欧米国家の摩擦である。北朝鮮の背後には、イラク、イラン、シリアなど、貧困
に苦しむ国家が存在している。日本も、アメリカの実質は非占領国家でしかない。
そのアメリカもピークを過ぎた焦りで、ロシアのプーチンの謀略もあって、得体
のしれない泡沫候補を大統領に選んでしまった。その結果、第二次朝鮮戦争とも
なれば、国家としての力が落ち、中国、ロシアに重点移動が早まることになる。
とすると、この戦争危機は、差し迫った憂いの強い事態とみるのが妥当。
色いろあった結果、アメリカの前線が韓国だけでなく、日本も… 有り得ること。
「さて、第二次朝鮮戦争の始まり!」と、ならなければいいが。可能性が高いから
始末が悪い。私がプーチンなら、北を装った偽装攻撃をすることに… そこまで
しなくとも、あの二人のオツムを見越し自然発火を待つ。…本当のところ危ない!
総貧困の時代も、国内基準でなく、世界レベルの貧困国家に陥る可能性もある。